強いだけでも生きていけないんだよ
レンは、ソウシと共に池袋駅へ降り立った。
電車から降りれば終わり――ではない。
レンにとっては、むしろここからが厄介だった。
午前中、この駅で散々迷った記憶が蘇る。複雑に伸びる通路、次々と現れる案内板、絶え間なく行き交う人の波。
迷宮のような池袋駅。
改札前で立ち止まったレンへ、ソウシが声をかけた。
「あの会社まで行くんだろ?」
「あ、ああ」
「俺、もう行かないから。途中まで一緒に行くよ」
「助かる」
レンは素直に礼を言い、ソウシの後ろについて歩き出した。
ここまで見たところ、やはりソウシはこの国を旅することに関してはなかなかの手練れである。
この迷宮を、彼はどう切り抜けるのか。
レンは、いつもと変わらないソウシの後ろ姿を注意深く見ていた。
ソウシは中央改札を出ると、そのまま右へまっすぐ歩いた。
片手に持ったスマートフォンへ視線を落としたまま、人混みの中でもほとんど速度を落とさない。前から来る人間をスルスルと避け、流れの隙間を縫うように進んでいく。
「…! 手元ばかりでろくに周りを見ていないように見えるが…」
それなのに、一度も誰かとぶつからない。
レンが驚いている間にもソウシは進み続け、結局一度も曲がらず、階段を一度上っただけで地上へ出た。
「なんだと…!?」
人混みに巻かれ、少し遅れて出てきたレンをソウシが振り返る。
「ん? どうしたの」
「教えてくれ、ソウシ…! この迷宮を何故真っすぐに歩いただけで、しかもあれだけの人間にぶつかることもなく歩いて来られたのだ?」
ソウシは一瞬きょとんとして、それから苦笑した。
――あぁ。
これは駅の中でも相当迷ったんだな。
「そりゃ、毎日通ってれば慣れるよ」
「慣れだと?」
「それに、迷宮って(笑)池袋なんかまだマシなほうだよ。もっと複雑でリアルに迷宮みたいな駅たくさんあるから」
「何? さらに複雑な迷宮が…?」
「うん」
それだけ答えたところで信号が青に変わり、ソウシはそのまま横断歩道へ向かった。
レンも慌てて後を追う。
「…この国のSランク冒険者は、ソウシのような人間なのかもしれんな…」
「はぁ? 俺なんて底辺も底辺だよ」
「謙遜するな。さきほどの人混みを避ける身のこなし、しかと見たぞ。やはり貴殿はただ者ではないな」
「残念だけどただ者だよ。俗物だよ」
どうやら本人にはまったくその自覚がないらしい。
話しながら並木道を抜け、また横断歩道を渡る。やがてサンシャイン60通りへ差しかかり、池袋人材サービスのあるビル近くの角で二人は足を止めた。
「……じゃあ、ここ真っすぐ行ったらあの会社だから」
「ソウシ、重ね重ね感謝する」
レンがまた深く頭を下げる。
「あーまた、もう重ねなくていいから」
ソウシは困ったように言ってから、少しだけ目を伏せた。
「…さっきも言ったけど…」
声が一段低くなる。
あの会社の仕事は、やめたほうがいい。
そう言いたかった。
けれど、その先が続かなかった。
やめろと言ったところで、その代わりに自分は何をしてやれるのだろう。
身分証も住所もない。この国でどうやって生きればいいのかも分からないレンに、別の仕事を紹介してやれるわけでもない。
寝る場所を用意してやれるわけでもない。
何もない。
そう思うと、どうしても言葉が出てこなかった。
レンは黙ったまま、ソウシを見ていた。
そして、その迷いを察したように静かにうなずく。
「ソウシ、俺はこの国では何も出来ないかもしれないが、俺にしか出来ないこともある」
ソウシが顔を上げた。
「そうやって、今までやってきた」
レンはまっすぐに言った。
「この力で何かを見つけてみせる。この世界で」
もう一度だけ頭を下げると、レンは背を向けた。
そのまま一人で、池袋人材サービスのあるビルへ歩いていく。
ソウシは、その後ろ姿を見送った。
強い。たぶん、自分なんかよりずっと。
それでも。
――………俺みたいに弱くてもダメだけど、強いだけでも生きていけないんだよ。レン…。
◇
レンが池袋人材サービスのドアを開けると、事務所にいた若い男がすぐに顔を上げた。
「お、帰ってきたすね」
「おう、お疲れ」
奥ではヒロナリがいつものように座っている。
「すまない、遅くなってしまった」
レンは、小さいながらも重みのある段ボールを事務机の上へ置いた。
「いや、今回は時間の問題じゃねえから」
ヒロナリはそう言うと、レンが運んできた段ボールへ手を伸ばした。
ガムテープを雑に剥がし、箱を開ける。
中から出てきたものを見て、レンは目を瞬かせた。
今週号の週刊漫画雑誌。
それだけだった。
「わりいが、今回はテストだ」
「テスト…試したということか」
「お前は合格。もう一人も…まあ使いようによっちゃモノになるだろう」
「もう一人…」
ソウシか。
レンは先ほど別れたばかりの顔を思い浮かべた。
ヒロナリは箱から取り出した雑誌を適当に机へ置き、レンを見る。
「ちょっと『聴こえた』んだけどさ、ソウシと知り合いなの?」
レンは少し考えた。
知り合いかと聞かれれば、もちろんそうだ。
だが、そこへ至るまでの事情をすべて説明しようとすれば、自分がこの世界の人間ではないところから話さなければならない。
話せないことが多すぎる。
結局、レンは短く答えた。
「…恩人だ」
ヒロナリの細い目が、わずかに狭まった。
「恩人…ねぇ」
大きな顔から、フウッ、と煙が吐き出される。
――……あいつのことだ。またどうせ。
それ以上は何も言わず、ヒロナリは舎弟へ顔を向けた。
「おい」
「はい」
舎弟が小さな金庫を開け、中から現金を取り出す。
レンへ差し出されたのは二万円だった。
レンはそれを受け取り、頭を下げる。
「頂戴する」
「初回なんで少ないけど、レンくんはきっと良い案件もらえるようになるすよ」
「…そうなるように努力しよう」
「相変わらずかってぇなぁ」
舎弟が苦笑する。
ヒロナリはそんな二人を横目に見ながら言った。
「明日また来れるか? すぐ動く案件あれば優先的に回すからよ」
「ギルド長殿…承知した」
レンはひときわ大きく頭を下げた。
二万円。
今日、自分で任務をこなして得た報酬。
この世界でも、自分の力で生きるための一歩を踏み出せた。
そう考えながら、レンは池袋人材サービスを後にした。
ドアが閉まる。
レンの足音が遠ざかったところで、ヒロナリが口を開いた。
「おい」
「はい」
「次の『でかい案件』にアイツぶつけたいから、それまでちゃんと餌やって捕まえとけよ」
「わかりました」
舎弟はうなずき、それから少し考えて尋ねた。
「メガネくんのほうはどうするんすか?」
「あっちは…」
ヒロナリはわずかに間を置いた。
そして、大きな顔に薄く笑みを浮かべる。
「まあ見てろよ…いい考えがある」
◇
家賃一万九千円、六畳一間。
ソウシが部屋へ入ると、古いドアが軋んだ音を立てて閉まった。
「……はぁぁ…………」
深い深いため息が漏れる。
大変な一日だった。
色々あった。
ありすぎた。
昨日、ヒロナリと偶然再会した。
そのまま怪しい会社へ連れていかれ、登録させられ、変なアプリを入れられた。
今日は突然仕事を振られ、荷物を持って上福岡まで行かされた。
そして、まさかのレンとの再会。
いや、もう関係ないと決めたはずだ。
今度こそもう見ない。
あの黒いアイコンのアプリから何か連絡が来ても無視する。
自分は地道にバイトをして、遅れている勉強を進める、それだけだ。
ソウシは机へ向かった。
ノートを開き、参考書も広げる。
けれど、文字を目で追っても、頭には入ってこなかった。
『俺も、どうやってもこの国の『普通』にはなれない』
電車の中でそう言って、少し寂しそうに笑ったレンの横顔が浮かぶ。
あいつは、あの会社に戻ったのだろうか。
その後は。
今日は、どこで眠るのだろうか。
「………」
机に向かっていたはずのソウシは、気づけばまたスマートフォンを手に取っていた。
◇
池袋人材サービスの建物から出た頃には、もう日が傾き始めていた。
レンが歩き出したところで、ポケットの中に入れていたスマートフォンが振動する。
取り出してSNSを開く。
相変わらず大量のDMが届いていた。
上から順に確認していると、その中に見覚えのある猫のアイコンを見つける。
ソウシからだった。
『終わったら話がしたいから、一昨日の牛丼屋の前にきてほしいんだけど』
短い文章だった。
レンは画面を見つめた。
電車の中でも、ソウシは自分がギルドと関わることをよく思っていない様子だった。
きっと、その話だろう。
少し考え、返信を打つ。
『承知した、これから向かう』
◇
レンは一昨日の記憶を頼りに、牛丼屋へ向かって歩き出した。
一昨日訪れた牛丼屋の前まで来ると、道の向こうからソウシが歩いてくるのが見えた。
「ごめん、待った?」
「いや、今来たところだ」
ソウシがレンの前で立ち止まる。
「…呼び出して悪い。ちゃんと話したくて」
「…いや、俺も貴殿ときちんと話さねばと思っていたところだ」
数分後。
二人は、少し早い夕食を取りながら話すことにした。
「牛丼ふたつ。あ、スプーンください」
注文を済ませて席につき、ソウシは向かいのレンを見る。
「…それで…どうだった」
レンは少し黙った。
やはりまだ、任務について他者へ漏らすべきではないという考えがあるのだろうか。
「任務は無事終わった。報酬もその場で受けとった」
「いくら?」
「…二万だ」
ソウシは頭を抱えた。
「やっぱり…おかしいって。荷物持って行って、同じ所に戻すだけで二万×2だろ?」
「……今回は試験も兼ねていたそうだ」
「試験?」
「俺が任務を遂行できる人間か、試していたそうだ」
「…それ聞いて、なおさら怪しいと思わなかった?」
レンが不思議そうに首を傾げた。
「?」
その反応を見て、今度はソウシが言葉を失った。
怪しい。
怪しすぎる。
けれどレンにとっては、仕事を任せる前にその人間を試すこと自体、さほど不自然なことではないらしい。
ちょうどその頃、二人の前へ牛丼が運ばれてきた。
話はいったん止めて、食事を始める。
レンは一昨日と変わらず、一口一口を大切に噛み締めるように牛丼を食べていた。
しばらくその様子を見ていたソウシが、ふと尋ねる。
「あのさ」
「何だ」
「そんなに美味い?」
「うまい。昨日、今日もこの国の食事を食べたが、やはりこれが一番うまいな」
「そう(笑)」
思わずソウシの口元が緩んだ。
張り詰めていた空気も、ほんの少しだけ和らぐ。
「あ、今日は割り勘だからね」
「心得た」
◇
牛丼屋を出た二人は、ほど近い南池袋公園へ移動した。
ここは一昨日、異世界から来たばかりのレンとソウシが出くわした場所でもある。
レンは手近なベンチへ腰を下ろした。
ソウシは向かいのコンビニへ入り、一昨日と同じようにコーヒーを買って戻ってくる。
「はい、甘いやつでいいんだよね」
「ああ」
レンへ片方を渡し、ソウシも近くに腰を下ろした。
少しだけ間を置いて、話を切り出す。
「……それでさ、明日からもまた行くの」
「ああ、明日も仕事があれば回すと言われた」
「やめといた方がいいと思うよ。マジで」
レンはコーヒーを手にしたまま、静かにソウシを見る。
「ソウシ。俺には、生きていくための仕事が必要だ」
「だからって、あの怪しい会社じゃ…」
「他に俺を雇う者が居ない以上、仕方ない」
「無理だよ。何が犯罪でそうじゃないかだって、お前にはわかんないじゃん!」
思わず声が強くなった。
二人の間に、しばし沈黙が流れる。
レンにはこの国の常識がない。
法律だって知らない。
相手がそれらしい言葉で仕事として説明すれば、それが犯罪だと気づかないまま引き受ける可能性だってある。
それがソウシには怖かった。
「……それならせめて」
口から言葉が出た。
「俺の目の届くところに…」
そこでソウシはハッとした。
レンが首を傾げる。
「…?」
「……ちょっと待って」
――俺、今すげえ面倒くさいこと言い出そうとしてる。
自分で気づいてしまった。
「………急に黙ってどうした、ソウシ」
ソウシは両手で頭をわしゃわしゃと掻き回した。
そのまま膝へ肘をつき、両手で顔を覆って下を向く。
しばらく黙ったあと、その姿勢のまま言った。
「……うち、来れば」
「……!」
レンもさすがに驚いたらしい。
目を見開いてソウシを見る。
「だが、ソウシ…それは」
「…ほんと待って、決心が鈍るから」
ソウシはようやく顔を上げた。
そして、何かを取り繕うように勢いよく言う。
「か、監視のため!」
「監視?」
「そうだ、宿を提供する代わりに条件がある」
レンの表情が少し引き締まった。
「………聞こう」
「…まず、あの会社から仕事を受けるなら、犯罪行為はしない事」
「犯罪行為?」
「人の物盗むとか、騙して金取るとか、殴って奪うとか。法律に違反するようなこと」
「あたりまえだ。俺は賊ではない」
迷いのない即答だった。
少なくとも、そこに関する倫理観はこちらと変わらないらしい。ソウシは少しだけほっとする。
「あと食費。この前も言ったけど俺、人ひとり養えるような余裕ないから」
「当然だ。自分の分は自分で払う」
「家で食う分は折半な」
レンは素直にうなずいた。
そこまで確認したところで、ソウシは少し言いづらそうに続ける。
「……それと、これは頼みなんだけど」
それまでより、声の調子が少し緩んだ。
「何だ、なんでも言ってくれ」
「この間使ってた魔法」
「……清浄魔法がどうした」
「あれ、俺にもかけてほしいんだよね」
「…………」
レンが目を丸くした。
さっきまでの話との落差に、肩すかしをくらったような顔をしている。
「…それが、宿を提供してもらう条件なのか? それだけで良いのか?」
「いやいや、これは結構重要」
「そんなものはいつでもやるが、何故だ」
「今、銭湯とコインランドリー使ってるから、それだけでもかなり助かるんだよ」
「………」
今度はレンが黙る。
「何だよ」
「こんな術がこの世界では役立つのかと驚いていたところだ」
レンにとっては、日常的に使う清浄魔法にすぎない。
戦闘に使うような大層な術でもない。
だがソウシにとっては、毎日の生活費を少しでも減らせる重要な魔法だった。
「いや、そんなことでいいなら毎日やろう。…ソウシ、本当にいいのか」
「…あーっ! 聞くなよ! まだ迷ってるんだから!」
「俺は、この国にきてから貴殿に助けられてばかりだ。いつか必ずこの恩は……」
「もう頭下げんなって。恩はわかったから」
これ以上考えれば、本当に決心が鈍りそうだった。
ソウシは勢いをつけてベンチから立ち上がる。
「とりあえず帰るよ! スーパー寄って」
こうして、話は決まってしまった。
二人は並んで、ソウシのアパートへ向かって歩き始める。
その途中で、ソウシはふと以前のことを思い出した。
「……そういえば収納魔法ってのもあったな」
「ああ」
「あそこに布団とか冬服とかしまえる?」
「もちろんだ。いつでも言ってくれ」
ソウシは少し考えた。
家賃一万九千円。六畳一間。
ただでさえ狭い部屋に、成人男性が一人増える。
まともに考えれば、かなり無茶だ。
けれど、布団や冬服のような場所を取る物を丸ごと魔法でしまっておけるなら、話は少し変わってくる。
隣を歩くレンを見る。
「………案外便利かもしれない」
こうして、異世界のSランク冒険者と浪人生による、六畳一間での共同生活が始まることになった。




