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Sランク冒険者が闇バイト無双  作者: ヒナツキスバル
第二章 この国の冒険者ギルド
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この国の鉄道は迷宮か

 窓から差し込む朝日が顔に当たり、レンは目を覚ました。




昨夜は結局、池袋人材サービスの若い男にコンビニへ連れていってもらい、夜食と飲み物、それに翌朝の朝食まで用意してもらった。ソウシから借りた寝袋を革張りのソファの上に敷き、久しぶりに十分な休息も取れた。




まだ事務所の中は薄暗い。人の気配はない。




レンは身体を起こし、自分の状態を確かめた。食事も睡眠も足りている。体力も魔力も、かなり戻っていた。




「今のうちに、身体を清めておくか……」




周囲に誰もいないことを確認すると、片手を一振りする。短い詠唱とともに魔法式が浮かび、柔らかな風と水がレンの身体を包み込んだ。




いつもなら自分の身体と衣服を清めるだけで終わる。


だが、レンは部屋を見回した。


昨夜は寝床を借りた。食事まで世話になった。




「世話になった礼だ。ついでに掃除くらいはしておこう」




魔法式の範囲を、応接室全体へ広げる。




この清浄魔法は、かつてレンと旅をしていた仲間が作り上げた特製の魔法だった。身体や衣服だけでなく、術式を広げれば宿屋の一室ほどならまとめて清めることができる。しかも術が終わったあとには、森林を思わせる爽やかな香りまで残った。




風が室内を巡り、水の粒が淡い光を帯びて舞う。




くすんでいた壁や床。ヤニで黄ばんだソファとテーブル。埃のこびりついたブラインド。長年染みついていたタバコの臭い。


それらが次々と洗い流されていく。




やがて風と水が消える頃には、室内は昨日までとは別の部屋のように明るくなっていた。




レン自身もすっかり清潔になっている。




「ふっ、上出来だ」




           ◇




数時間後。


出社してきた短い金髪の男は、入口で足を止めた。


「あれっ? あれっ?」


きょろきょろと周囲を見る。


「壁の色が違う……」




「おはよう」


「おはようじゃなくて……何!?」


男は鼻をひくつかせた。


「イケメンって朝こんないい匂いすんの!?」




「ああ、早く目が覚めたものでな。少しばかり掃除をしておいた」


「少し!?」


レンとしては、ただ部屋を一つ清めただけである。




男が何にそこまで驚いているのか分からずにいると、その背後から、ぬっと大きな顔が覗いた。


「おー。起きてっか」


「ギルド長殿」




ヒロナリの姿を見るなり、レンは姿勢を正した。


「昨晩は世話になった」


改めて深々と頭を下げる。


「良いって良いって」


ヒロナリは気にした様子もなく手を振った。




「お前、コーヒー飲むか?」


「コーヒー……!?」


レンの身体がわずかに強張った。




その名には覚えがある。




一昨日から何度か遭遇し、そのたびに強烈な苦味で口内を攻撃してきた、あの黒い薬湯だ。


できることなら避けたい。




だが、ギルド長が直々に勧めてくれたものを断るのも失礼に思えた。




「……いただこう」


「ヒロさん! 俺ブラックでいいっす!」


「チッ、なんだてめぇ、気取りやがって」




ヒロナリは舎弟へ吐き捨てるように言うと、インスタントコーヒーを用意し始めた。




そして自分とレンのカップへ、白い小さな容器の中身を二つずつ。さらに角砂糖を三つずつ放り込んでいく。


レンはその手元をじっと見た。


――何を入れているんだ?




やがて目の前へ置かれた液体は、これまで見た黒とは違い、濁った茶色をしていた。




「……色が違う?」


「あ? お前もブラック派か?」




ヒロナリが眉をひそめる。


「チッ、何がうめぇんだよ、あんな苦いの」


「いや、いただこう」




意を決してカップを持つ。


昨日までの苦味を思い出しながら、一口。




「…………!」


レンの目が見開かれた。


苦味はある。


だが、それを包み込む甘みがある。舌触りもまろやかで、香ばしい香りだけが心地よく残った。




「うまい……!」


「だろ?」


ヒロナリは当然のように自分のカップを啜る。




レンは感嘆の眼差しを向けた。




「ギルド長は薬湯の調合にも長けているのか……!」


「あ? なんだ薬湯って?」




またひとつ。


レンの中で、ギルド長・崎本ヒロナリへの評価が上がった。




           ◇




 一息ついたところで、今日の仕事についての準備が始まった。




「まず、このアプリをインストールしてほしいんすよね。スマホ借りれます?」


「ああ……これか」


レンがスマートフォンを差し出すと、舎弟は慣れた手つきで操作を進めた。


やがて画面へ、黒いアイコンが追加される。




「仕事の連絡は今後ここからするんで、ここに通知が来たらすぐ反応してほしいんす」


「SNSではいけないのか?」


「ここに担当から連絡が来ることになってるっす。使い方は一緒なんで」


「なるほど…」


「あと、レンくんが迷子になった時に、これですぐ見つけられるようにもなってるんで」


「ほう……」


レンは感心した。




自分が遠方へ赴いていても、居場所を即座に把握できる。さらに同じ道具を通じて任務の追加指示まで届けられる。


「なるほど……遠隔地にいる冒険者に即座に連絡が取れるとは。このギルドは高度な仕組みを持っているのだな……」




「……なんかよくわかんねーけど、それでいっす」


舎弟はすでに細かな訂正を諦め始めていた。




そこへヒロナリが口を挟む。


「……じゃあ、仕事の説明するぞ」


「頼む」




「今日は初日だから、軽い任務からだ。ある荷物を受け取って、この事務所まで運んでもらう」


「……承知した」


荷物を受け取り、運ぶ。


それだけならば難しい仕事ではない。


新入りへ任せる最初の任務としては妥当なのだろう、とレンは考えた。




「ひとまず、池袋から東武東上線で上福岡駅まで向かってくれ。改札を出たら、追って担当から連絡させる」




「とう……何だと?」


「……おい、メモってやれ」


「うっす」




舎弟が紙へ文字を書き、それをレンへ渡した。


『東武東上線』


『上福岡駅』


文字の意味そのものは、翻訳魔法で読める。




「それをスマホに入れるか、駅員にその紙見せて聞け」


「なるほど……承知した」




目的地まで行き、荷物を受け取り、ここへ戻る。


実に単純な任務である。


レンはそう判断して、事務所をあとにした。




          ◇




レンが出ていったあと、舎弟が扉を見ながら口を開いた。




「今日は初日だから、テストすよね?」


「ああ」




ヒロナリはソファへ身体を預ける。




「奴は多分、単なる運搬作業には向かねぇだろうから、早めにもっとデカい案件に行ってもらうことになるだろうけどな……」




「そんな使えそうっすか?」


「まあな」


ヒロナリは昨夜見たレンの身体つきと、無駄のない立ち居振る舞いを思い返す。




「それより午後ももう一件あるからな。おい、一応あいつ、ちょくちょく見とけよ」


「うっす」





「それにしても…なんかいい匂いすんな」


「そうなんすよ!今朝からなんかいい匂いなんすよ!」




           ◇




 レンは地図アプリを頼りに、池袋駅へ向かっていた。


事務所から駅までなら、もう一人でも問題なく移動できる。これもソウシに教わった地図のおかげだった。




やがて、巨大な建物と絶え間なく人が出入りする入口が見えてくる。




「この巨大運搬拠点には初めて入るな……しかし、すごい人の数だ。一体ここに何があるというのだ……」




階段を下りる。


籠もった空気の匂い。




その先には、魔王城の大広間にも劣らない広さの空間が広がっていた。


そして、夥しい数の人間が行き交っている。




「……」




人だけではない。




 鉄道路線の名称。出口。窓口。店舗。別の店舗。催事案内。巨大な広告。飲み物が並ぶ鉄の箱。派手な絵で覆われた別の機械。売店。無数の小さな玩具が詰め込まれた透明な箱。




「う……」


レンは額を押さえた。


ドン・キホーテのときと同じだった。


視界へ入った文字。


耳へ入ってくる案内放送。


次から次へと翻訳魔法が意味ある情報へ変換し、それらが一斉に頭へ押し寄せてくる。




術を切れば楽になる。


だが、今回は任務中だ。


案内を読めなくなれば、目的地へたどり着くことができない。




「余計なものを見るな……必要な情報だけだ」


自分へ言い聞かせるように呟き、舎弟からもらったメモを見る。




『東武東上線』


「東か。東……東……」


顔を上げる。




少し先に案内板があった。


【東口方面】




「……あれだ」


迷いなく進む。




東武。


東口。




名前に同じ「東」が入っている以上、その方向にあると考えるのが自然だった。


少なくとも、レンにとっては。




しばらく歩くと、青い案内表示が現れた。


【西武池袋線 池袋駅】


「……?」


レンは足を止めた。




東へ来たはずなのに。


なぜ西なのだ。




「…………」


考えても分からない。




レンは係員のいる場所へ向かい、メモを差し出した。


「すまない。この場所へ向かいたい」


「あー、東武東上線ですね」




駅員はメモを見ると、慣れた様子で方向を指す。


「駅の反対側になりますんで、あそこの階段を下ってもらって、まっすぐ進んだところの濃い青の改札です」




「反対だと!?」


「はい」


「…………」




東と書いてあった。


だから東へ来た。


なのに目的地は反対側だという。


この国の鉄道は、いったいどういう仕組みになっているのか。




レンは再び、情報の渦巻く地下通路へ戻った。


「とにかく、ここを早く抜けなければ……」


案内された階段を下りる。




すると、すぐ左手に改札らしきものが見えた。


「ここか」


レンは再び係員へメモを見せる。


「すまない。東武東上線はここだろうか」




「あ、ここは東京メトロの改札なので、東武東上線はあの通路を突き当たりまで歩いて、向こうの階段を上がったところですね」




「下がったのを、また登るのか!?」


「はい」


レンはしばし無言になった。




          ◇




 そこから先は、完全な迷宮攻略となった。


言われた通りに進んだつもりが、違う階段を上がり、気づけば百貨店の中へ出た。




大量の人間に流され、押され、目的とは違う方向へ運ばれる。


ようやく人混みを抜けたと思えば、今度は人気のない寒々しい通路へ迷い込み、その先は行き止まりだった。




戻る。


人に聞く。


案内板を見る。


また迷う。




別の係員に聞く。


また階段を上がる。


敵はいない。


罠もない。


剣を抜く必要もない。




それなのに。


正しい道だけが、どうしても見つからない。


魔王城ですら、ここまで悪意のない構造ではなかった。




何度目かの駅員への質問を経て。


ようやく。




「……ここか」




濃い青の改札。


東武東上線。


間違いない。




レンはしばらくその文字を見つめた。


長い戦いだった。




さらに駅員の助けを借り、上福岡駅までの切符を購入する。


気づけば、すでに昼を回っていた。




「…………」


小さな切符を手にする。


任務そのものは、まだ始まってすらいない。




それなのに、すでに妙な疲労感があった。


レンはゆっくりと背後を振り返る。




人。


案内板。


階段。


通路。


改札。


四方八方へ伸びる、巨大な駅。




「なんだここは……」




深く息を吐く。




「魔王城も比にならない大迷宮か……」




 上福岡へ向かう切符だけは、ようやくその手に収まっていた。

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