貴殿がギルド長か
サンシャイン60通りから、少し外れた裏手。
レンはスマートフォンの画面と、目の前の建物を見比べた。
「……ここか」
華やかな大通りとは違い、そこにあったのは灰色の古びたビルだった。
レンはもう一度、画面に表示された住所を確認した。地図上の位置とも一致している。どうやら間違いない。
「着いたら連絡しろと言われていたな」
SNSを開き、先ほどまでやり取りしていた相手とのDMを呼び出す。
『到着した』
送信する。
それから、さほど待たなかった。
ビル脇の狭い階段から、一人の若い男が降りてきた。短い金髪。年齢はレンとそう変わらないように見える。
男はレンの顔を見るなり、足を止めた。
「あ、面接の人?」
「そうだ」
「おー」
男はまじまじとレンの顔を見たあと、楽しそうに笑った。
「すげー。本物だ」
「……?」
何が本物なのか、よく分からない。
「そうだが」
レンが真面目に答えると、男はますます面白そうな顔をした。
「とりあえず上がってください。三階なんで」
促され、レンは細い階段を上っていった。
◇
通されたのは、衝立で事務スペースと区切られた小さな応接場所だった。
革張りのソファに腰を下ろす。
ほどなくして、目の前のテーブルへカップが置かれた。
「どうぞ」
レンは会釈し、カップの中を覗き込んだ。
黒い。そして、この香り。
「…………」
嫌な予感がした。
以前ソウシに振る舞われた、あの黒い飲み物ではないだろうか。
レンは恐る恐るカップを持ち上げた。
一口。
「……っ」
強烈な苦味が舌を襲った。
やはり、あれだ。
レンは静かにカップを置いた。
――またこの薬湯か……。
どうしてこの国では、これほどまでに苦い飲み物が当然のように出されるのだろう。
身体に良いのか。眠気を飛ばすための薬なのか。それとも、これを好んで飲む文化なのか。
いまだに理解できない。
とはいえ、客として出されたものを残すのも礼を欠く。
レンは覚悟を決め、ほんの少しずつコーヒーを口に運んだ。
やがて、先ほどの金髪の男が紙とペンを持って戻ってきた。
「それじゃ、これに書けるとこだけ書いてもらって」
「むっ」
差し出された用紙へ目を落とす。
書かれている内容は分かる。
名前。住所。連絡先。
翻訳魔法によって、日本語の文字も意味として認識できている。
だが。
「…………」
レンは用紙を見つめたまま止まった。
「どうしました?」
「……書けぬのだ」
「えーっ? そうなの?」
「ああ」
翻訳魔法は、言葉を理解するための術だ。知らない文字の意味を認識することはできても、それを自分の手で正しく書く技術まで与えてくれるわけではない。
男は少し考え、首を傾げた。
「あれ? 外国の人だっけ?」
「……」
レンの頭に、ソウシの言葉が浮かんだ。
王国や魔王の話を、人前で不用意にしないこと。
魔法も、できるだけ見せないこと。
その忠告は守ると誓った。
「……詳しくは言えぬが、そんなところだ」
「へぇ……」
男は少し困った顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
「まあ、大丈夫だと思うんだけどなぁ。そしたら、ちょっと待っててくださいね」
「ああ」
レンは再びソファへ腰を下ろした。
◇
その頃、事務所の扉が開いた。
「ヒロさん、お疲れ様です」
「おう」
入ってきたヒロナリは上着を軽く整えながら、事務所の中を見回した。
「来てんのか」
「はい」
金髪の若い男がスマートフォンを取り出す。
「昨日からバズってた勇者の人なんすけど」
「勇者ぁ?」
ヒロナリが怪訝な顔をする。
「ダメ元で声かけてみたら、来れるってんで」
「何だそりゃ」
「あれ? ヒロさん知らないすか?」
差し出された画面を見る。
雨の池袋。
黒い鎧姿で街中を歩く若い男。
さらに画面を流せば、妙に近い距離から撮られた無表情の自撮りや、本人らしきアカウントも表示された。
「ほぉ……」
ヒロナリは衝立の向こうへ視線を向けた。
ソファへ座っているのは黒髪の青年だった。
SNSで見た鎧姿とは違い、今は黒いパーカーに濃いグレーのシャツ、黒のジーンズという、ごく普通の格好をしている。
だが。
妙に姿勢がいい。
ただ座って待っているだけなのに、背筋が崩れない。
何気なく事務所の中へ向けられる視線も、どこか普通ではなかった。
「……行ってみるか」
◇
衝立の向こうへヒロナリが姿を現した瞬間、レンは立ち上がった。
先ほどの金髪の男がその後ろにつき、自然に場所を譲る。
ヒロナリは迷うことなく奥側の席へ腰を下ろした。
その一連の動きを見て、レンはすぐに理解した。
部下が敬意を払っている。
席順も、この男を中心に決まっている。
――この者が責任者か。
レンは一礼した。
「遅くにわりいね。責任者の崎本だ」
ヒロナリは懐から名刺を取り出し、差し出した。
レンは両手で受け取る。
『池袋人材サービス』
『統括責任者』
『崎本ヒロナリ』
翻訳魔法を通して内容を読み取る。
統括責任者。
やはり、組織をまとめる立場らしい。
レンは改めて頭を下げた。
「貴殿が、この支部のギルド長か」
「…………」
ヒロナリの動きが止まった。
「冒険者のレンだ。よろしく頼む」
「ギルド……?」
聞き慣れない単語に、ヒロナリが眉を寄せる。
レンは当然のように説明した。
「ここでは、仕事の仲介と人員の管理をしているのだろう?」
「まあ……」
「ならば、俺の知る冒険者ギルドと大差あるまい。違うのか?」
「…………」
ヒロナリは一瞬考えた。
わざわざ訂正するのも面倒だった。
何より、本人の中で話が通じているのなら、それでいい。
ソファへ深く腰掛け直す。
「まあ、そんなもんだ」
「やはりそうか」
「……」
レンの中では、それで完全に腑に落ちたらしい。
「そうだ、ヒロさん」
「あ?」
金髪の男が登録用紙を持ち上げた。
「この人、外国の人らしくて。登録カード書けないらしくて」
「書けねぇ?」
「ああ」
レンは素直に認めた。
「ふーん」
ヒロナリは用紙を一瞥しただけで、特に気にした様子もない。
「じゃあ質問しながらやるから、おめぇが書いてやれ」
「わかりました」
「助かる」
レンが礼を言う。
金髪の男はペンを構えた。
「じゃあ……まず、名前は?」
「レンだ」
さらさらと書き込む。
「苗字は?」
「家名は捨てた」
「…………」
ペンが止まった。
「今は冒険者のレン。それだけだ」
「…………そっすか」
何とも言えない沈黙が落ちる。
レンには、その理由が分からない。
男は気を取り直し、次の項目を見る。
「スマホは……あるんだよね?」
「ああ」
レンは自分のスマートフォンを見せた。
「ただし、連絡手段は先ほど使ったSNSのDMになる」
「そっか。身分証ないって言ってたもんね」
「ああ」
「ふーーん」
ヒロナリが低く声を漏らした。
テーブルへ肘をつき、太い指を組む。
苗字なし。
身分証なし。
固定住所もないらしい。
まともな電話契約すらなく、連絡手段はSNSのみ。
ヒロナリはレンを興味深そうに眺めた。
「いいねぇ」
「?」
「なんのしがらみもねぇってわけだ」
「……」
レンは、その言葉を別の意味で受け取った。
家名も出自も問わず、個人の能力を見る。
そういう人物なのだろう。
――なるほど。
一方で、ヒロナリは改めて目の前の青年を観察していた。
顔はいい。かなりいい。
細身だが、身体はしっかり締まっている。
安物の服を着ているだけなのに、姿勢が崩れないせいで妙に見栄えもする。
周囲への注意の払い方も、普通の若者とは少し違う。
売れない俳優か、格闘家か何かだろう。
勇者だのギルドだのを真顔で口にしているところを見ると、少し頭はおかしいのかもしれない。
だが、少なくとも口だけの素人には見えなかった。
「君さぁ」
「なんだ」
ヒロナリが身を乗り出す。
その大きな顔が、ずい、とレンへ近づいた。
「腕っぷしには自信ある?」
レンは、それを能力審査だと理解した。
「剣術と格闘術ならば、一通り修めている」
「ほぉー」
ヒロナリの目が細くなる。
「いいねぇ」
レンもまた、その反応を見ながら感心していた。
単に人員を登録するだけではない。
実際に何ができるのかまで確認している。
仕事を仲介する者として、部下や登録者の能力を把握しているのだ。
――やはり、人を見る目を持ったギルド長らしい。
レンの中で、ヒロナリへの評価がまた一段上がった。
「じゃあ次」
金髪の男が用紙を見る。
「住所は?」
「今はない」
「……え?」
「訳あって、現在は流浪の身だ」
「あ?」
今度はヒロナリが聞き返した。
レンは少し考え、現代人にも分かるよう説明を足す。
「昨日は恩人の住居に、一晩世話になった。今は多少手持ちもある。今晩からは、自分でなんとかするつもりだ」
「…………」
ヒロナリは数秒黙った。
そして、ようやく意味を理解したらしい。
「待て待てお前、寝るとこねぇの?」
「そういうことになるな」
「……マジかよ」
「すまないが、この辺りで安く泊まれる宿に心当たりがあれば教えてくれないか」
「うーん……」
ヒロナリは腕を組んだ。
仕事を回すだけなら、それ以上面倒を見る必要はない。
ここで帰しても構わない。
だが、目の前の若者は今夜泊まる場所すらないという。
「しょうがねぇな」
「?」
「今日だけなら、そこ使えよ」
「……そこ?」
「向こうの応接室」
ヒロナリは顎で奥を示した。
「ソファあんだろ。事務所閉めたあとなら、寝てっても構わねぇよ」
「…………」
レンは一瞬、言葉を失った。
「宿まで……」
「宿ってほどじゃねぇよ」
「提供してくれるとは」
レンは真剣な顔で頭を下げた。
「厚遇なギルドだな」
「いや…」
「感謝する。ギルド長殿」
「まあまあ……」
ヒロナリは頭を掻いた。
「ギルドじゃねぇけどな」
「?」
「……もういい」
もはや訂正する気力もなくなった。
ヒロナリは金髪の男へ声をかける。
「おい」
「はい?」
財布を開き、何枚かの紙幣を取り出して渡した。
「おめぇもメシ食ってねぇだろ」
「あ、はい」
「レンくん連れてコンビニ行って、好きなもん買ってこいよ」
「あざっす!」
金髪の男は素直に喜んだ。
レンはそのやり取りを黙って見ていた。
仕事を仲介してくれる。
寝床を貸してくれる。
食事まで与えてくれる。
レンは改めて、ヒロナリを見た。
粗野な風貌。
大きな身体。
そして、ひときわ大きな顔。
だが部下の扱いにも慣れ、人の能力を見極め、行く場所のない者へ寝床まで用意する。
――有能なギルド長なのだろう。
一方のヒロナリも、レンを眺めていた。
妙な奴だ。かなり妙な奴だ。
だが、使えそうでもある。
腕っぷし。身軽そうな身体。
何のしがらみもない身元。
そして、あの立ち居振る舞い。
ハッタリだけとは思えない。
大きな案件でも、案外使い物になるかもしれない。
そんな双方の盛大な勘違いを抱えたまま、
池袋の夜は、こうして更けていった。




