名前かいたっすよ?
南池袋公園近くのコンビニ。
店内の奥、従業員用のバックヤードでは、売り場とは少し違う静けさが漂っていた。
バイトを終えたソウシは、なぜかまだ控室の机に座っている。
目の前に広げられているのは、自分の受験勉強用の教材ではない。
高校二年生の数学プリントだった。
その隣では、同じくバイトを終えたミキちゃんが椅子に腰かけたまま、身体ごと左右へくるくると回っている。
「……でね」
ソウシはシャーペンの先で、プリントの途中式を指した。
「ここは、さっき説明したのと同じだから」
「うんうん」
「三木さん、聞いてる?」
「聞いてりゅ~♪」
「…………」
くる。
くる。
ミキちゃんはまだ回っている。
ソウシは無言で彼女を見たあと、自分の手元へ目を落とした。
途中式、計算、答え。
プリントの大半が、自分の筆跡で埋まっている。
「……結局俺が解いてんじゃん!」
「あははっ!」
楽しそうに笑うミキちゃんを前に、ソウシは頭を抱えた。
◇
そもそもの始まりは、つい先ほど。
バイトを終え、ソウシが帰り支度を始めようとした時だった。
「パイセーン!」
やけに弾んだ声に振り返る。
ミキちゃんが一枚のプリントをヒラヒラさせながら近づいてきた。
「これ、明日提出のやーつ!」
「…………」
嫌な予感しかしない。
差し出されたプリントを見る。
ほぼ白紙だった。
「……あのねえ、三木さん」
「そういうのは自分でやらないと、あとで苦労するよ」
ソウシは少しだけ先輩らしく言い聞かせる。
そして、一拍置いて付け加えた。
「俺みたいに」
「自分で書いたっすよ?」
ミキちゃんはキョトンとした顔で言う。
「お?」
ソウシはプリントへ目を落とした。
まさか、珍しく自力で少しは進めてきたのか。
「珍し――」
「ほら!」
ミキちゃんが得意げに指を差す。
プリントの一番上、そこにはしっかりと
『三木まりな』
と書かれていた。
「お名前書いたっす!」
「…………」
「……珍しくなかったあああ!」
期待した自分が馬鹿だった。
「名前は宿題やったうちに入らないから!」
「えー。でも提出する人わかんなくなっちゃうじゃないすか」
「そこじゃない!」
そんなやり取りの末、ソウシは最終的に
――答えを教えるんじゃない、解き方を教えるだけ。
という建前で、机に座っていた。
そして現在。
解き方を教えるどころか、ほとんど自分で問題を解いている。
「パイセン、次これ~」
「だから、まず自分で考えて」
「考えてるっすよ~」
「椅子回りながら?」
「回った方が頭回るんで」
「絶対嘘だろ」
ミキちゃんは悪びれもせず笑った。
こうして宿題を手伝わされるのは、今回が初めてというわけでもない。
ソウシが文句を言う。
ミキちゃんが適当に聞き流す。
最終的には、なんだかんだで問題が解ける。
いつものことだった。
その時
ブブッ
机の上に伏せて置かれていたスマートフォンが短く振動した。
「あ」
ミキちゃんが先に気づき、指を差す。
「パイセン、スマホブルってる」
「ん?」
ソウシはシャーペンを置き、スマートフォンへ手を伸ばした。
画面を見る。
「…………」
一瞬、表情から力が抜けた。
――池袋人材サービス。
先ほど、南池袋公園でヒロナリと交換した連絡先からだった。
『明日14:00』
『こちらの事務所までお願いします』
続けて住所と位置情報が送られている。
ソウシは地図を開いた。
大通り沿いではあるが、入居している会社名を見ても、いまひとつ何をしている建物なのか分からない。どう見ても、立派なオフィスビルという雰囲気ではなかった。
「…………」
やっぱり、ちょっと怪しい。
そう思う。
思うけれど。
明日は登録するだけだ。
仕事を受けると決めたわけではない。
その考えに留めて、スマートフォンを伏せようとした時。
ミキちゃんが、こちらを見てニヤリとした。
「パイセン、彼女すか?」
「違うよ……ハァ……」
「ちょっ、あははは!」
あまりに現実的なため息混じりの否定に、ミキちゃんが吹き出した。
「マジなテンションで否定するのやめれます? かわいそすぎるんだけど」
「誰が」
「彼女」
「だから彼女じゃないって」
「つまんな~い」
「何を期待してんの」
ソウシはスマートフォンを再び伏せた。
ヒロナリの件について考えるのも、今は面倒だった。
「ほら。宿題戻るよ」
「は~い」
ミキちゃんは気のない返事をしながら、自分のスマートフォンを触り始める。
どう見ても宿題へ戻る人間の動きではない。
そして案の定、
「あ!」
「今度は何」
「そういえばぁ」
ミキちゃんが画面をこちらへ向けた。
「パイセンがこの間拾った、顔面つよつよ勇者くん?」
「…………」
「めっちゃバズってたっすね!」
「……まだ?」
「え、待って!」
ミキちゃんは楽しそうに画面をスクロールしていく。
「すご!フォロワー五千人超えてるし!」
「えぇぇ……」
ソウシは思わず頭を抱えた。
「また増えてんの……?」
バイトへ来る前に見た時点でも、すでにかなり増えていた。
それが数時間の間に、さらに膨れ上がっている。
画面には、鎧姿で池袋を歩くレン。
本人による削除依頼。
至近距離から撮影された無表情の自撮り。
よく分からない誓いのような文章。
知らない間に、どんどんSNS上の存在感だけが強くなっている。
「顔やっば」
ミキちゃんが素直に呟いた。
「ウチもフォローしちゃお」
「ダメ」
「えぇ~?」
「……いいから」
ソウシは誤魔化すように数学プリントへ視線を戻した。
「三木さん」
「はいはい」
「ここポイントだから聞いて」
「はぁ~い」
絶対に聞いていない返事だった。
「……で、この式をこうして――」
「でも」
「何」
「パイセン頭イイから、ほんと助かるっす」
「……」
ソウシのシャーペンが止まった。
「頭良かったら浪人してないから」
「え?」
「何」
ミキちゃんは本気で分からないという顔をした。
「じゃあ、なんで数式解けるっすか?」
「高二の問題だからだよ!」
「あはははははは!」
「ちょ、声!」
店内まで聞こえるのではないかと思うほど、ミキちゃんは大笑いした。
「なにそれ! パイセン自分で自分刺してるじゃないすか!」
「三木さんが刺してんだよ!」
「ウケる~!」
ソウシはため息をつきながら、再びプリントへ向かった。
◇
しばらくして、数学プリントは、ほぼすべて埋まった。
誰が解いたのか、そこは考えないことにした。
「やったぁ~♪」
ミキちゃんが完成したプリントをヒラヒラさせる。
「これで提出できる~」
「……三木さんの宿題なんだからね」
「わかってるっすよ」
ミキちゃんはご機嫌なまま帰り支度を始めた。
バッグへプリントをしまい、スマートフォンを入れ、出口へ向かう。
その途中で、ふと振り返った。
「パイセンって」
「ん?」
「なんだかんだ頼んだら、やってくれますよね♪」
「…………」
ソウシは深いため息をついた。
「はぁ……それ褒めてないよね」
「めっちゃ褒めてるっすよ♡」
「はいはい」
「じゃ、おつかれっした~!」
「お疲れ」
元気のいい声を残して、ミキちゃんはバックヤードを出ていった。
ドアが閉まる。
急に静かになる。
「…………」
ソウシは一人、机に残された。
頼まれると断れない。
それは、まあ否定しない。
ただ、ことミキちゃんの宿題に関しては。
それだけではなかった。
バイトが終わったあと、こうして二人で机へ座って
くだらない話をして
文句を言いながら問題を解いて、笑われて。
そんな時間を、ほんの少しだけ嬉しいと思っている。
――なんてことは。
絶対に、認めたくない。
「…………はぁ」
また大きなため息が出た。
ソウシは机の上を片づける。
シャーペンをしまい、スマートフォンをポケットへ入れ、荷物を持った。
「帰って、あーにゃんの配信見よう……」
結局、ソウシはいつもの場所へ逃げることにした。




