普通に見える奴が一番足りねえの
「今のコンビニバイトの倍は稼がせてやるからよ」
ヒロナリのその言葉に、ソウシの中の『嫌な予感』が、総動員していた。
「…………」
改めて、目の前に立つヒロナリを見る。
中学生だった頃とは、随分変わった。
スーツ姿。首元から覗く、金の鎖のようなネックレス。片手には紙巻きタバコ。
つい先ほど渡された名刺には
『池袋人材サービス』
『統括責任者』
そんな肩書きが印刷されていた。
それだけなら、立派になったんだな、で済む話なのかもしれない。
だが、どう考えても。
ちょっと怪しい。
数年ぶりに偶然再会した同級生へ、いきなり
『今のバイトの倍を稼がせる』
そんな話を持ちかけるものなのだろうか。
「お前みたいなのが一人いると助かるんだよ」
「俺みたいなの?」
「ああ」
ヒロナリはタバコをくわえたまま、ソウシを上から下まで見た。
「パソコンとか詳しそうだし」
「まあ……普通には使えるけど」
「あと、見た目も普通だし」
「それ、褒めてないから」
「褒めてるって」
ヒロナリは笑った。
「うち、普通に見えるやつが一番足りねえの」
「…………」
――いや、それ。
めちゃくちゃ怪しくない?
警戒心がさらに一段階上がった。
普通に見える人間が必要。何のために?
どういう仕事で?
ヒロナリは、そんなソウシの内心など気づいていないような顔で、タバコを吸っている。
やがて短くなったそれを口から離し、地面へ落とした。
靴底で、ぐり、と火を踏み消す。
「…………」
ソウシはその足元を見る。
――それもどうなんだよ。
言いかけて、またやめた。
数年ぶりに会ったばかりだ。わざわざ注意して空気を悪くする必要はない。
そんな理由をまた自分へ言い聞かせる。
すると、ヒロナリが少しだけ身体を寄せた。
「昔、お前には世話になったからよ」
「……」
その一言で、ソウシの頭の中へ中学時代の光景が一瞬で蘇った。
ごみ箱の中にあった上履きを元の場所へ戻したこと。
隠されていたノートを本人へこっそり渡したこと。
誰もいない場所でだけ普通に話したこと。
そして。
『別に。仲良くないよ』
『たまたま拾ったから……返しただけだよ』
「…………覚えてたのか」
思わず口から出た。
ヒロナリは、少しだけ目を細めた。
だが、その問いに正面から答えることはしなかった。
「だからさ」
「今度は俺がお前を助けてやるよ」
「……」
「美味い仕事、回してやれるぜ」
ヒロナリは気軽な調子で続けた。
「浪人しながらコンビニバイトじゃキツいだろ?」
少し間を置く。
「な?」
ソウシは何も返せなかった。
実際キツい。
金はない。
家賃は安いし食費も削っている。
それでも。
予備校代も、教材費も、生活費も。
勝手には消えてくれない。
バイトを増やせば当然、その分だけ勉強時間が削られる。
もし、今と同じ時間で倍。
それだけ稼げるのなら。
助かる。
間違いなく助かる。
けれど。
「…………」
怪しい。
それも、かなり。
ソウシは黙ったままヒロナリを見る。
ヒロナリも、ソウシを見ている。
断らなければ。
ここで
『いや、いい』
そう言えば済む。
それだけのはずなのに。
喉の奥で、言葉が止まる。
『昔、お前には世話になった』
その一言が、妙に残っていた。
覚えていた。
ヒロナリは。
あんな小さなことを。
自分では、何もできなかったと思っていた。
助けたうちにも入らないと思っていた。
それでも覚えていた。
その事実に、ほんの少しだけ。
救われたような気がしてしまった。
そして、同時に
あの時、みんなの前でヒロナリを切ったことも。
思い出してしまう。
「…………」
ソウシが黙り込んでいると、ヒロナリは急にすっと身体を離した。
「まあまあ」
「……え?」
先ほどまでの圧が嘘のように消える。
「そう重く考えねぇでさ」
声もまた気楽なものへ戻っていた。
「別に今のバイト辞めろって言ってるわけじゃねぇよ」
「……」
「登録だけしておけば、こっちから案件の連絡が届くから」
「登録?」
「ああ」
ヒロナリは頷く。
「その中でさ」
「これなら出来そうだなってやつだけ来りゃいい」
「忙しい時は断ってもいいし」
「……」
「別に毎日働けとか言わねぇよ」
登録。
だけ。
その言葉がソウシの頭の中へ残った。
別に、今働くと決めるわけではない。
連絡が来たとしても、嫌なら断ればいい。
仕事内容を見て、怪しかったらやめればいい。
登録するだけ。
それなら。
ヒロナリの顔も立つ。
昔のことへのこの妙な後ろめたさも。
少しは軽くなるかもしれない。
何よりまだ何の仕事も受けてはいない。
「……登録」
「ん?」
ヒロナリが顔を向ける。
ソウシは、ほんの少しだけ迷った。
それから、
「登録……だけなら」
「おー!」
「うわっ」
突然、声がでかくなった。
「そうか! ありがとな!」
がしっ。
いきなり手を握られる。
「ちょ……」
「いやー、助かるわ!」
「……」
ぶんぶんと、握られた手を揺らされる。
その勢いに押されながら、ソウシは妙に鮮明に思い出した。
――あぁ。
――俺、こいつの。このテンション。
――苦手だった。
中学生の頃。
まだ今ほど暗い顔をしていなかったヒロナリが、妙にテンション高く一方的に話一方的に話しかけてきた時と何も変わっていない。
「じゃ、早速だけどさ」
「まだ何かあんの?」
思わず、少し嫌そうな声が出た。
「明日の午後、空いてる?」
「明日?」
「事務所で登録するから。顔だけ出せよ」
「……」
明日。午前中は予備校だ。
午後は。特に予定はない。
勉強はするつもりだった。
だが『予定がある』と言い切れるような分かりやすい用事ではない。
断ろうと思えば、断れる。
はずだった。
「…………わかった」
結局、口から出たのはその言葉だった。
「おう!」
ヒロナリが満足そうに笑う。
そのまま二人は連絡先を交換した。
ソウシはスマートフォンで時間を確認する。
「……やば」
そろそろ本当にバイトへ向かわなければならない。
「じゃあ、俺もう行くから」
「おう。また明日な」
「……うん」
ソウシは、南池袋公園をあとにした。
バイト先のコンビニへ向かう。
少し歩いたところで、ポケットへ手を入れた。
先ほどもらった名刺を取り出す。
『池袋人材サービス』
「…………」
改めて見る。
やっぱり。
「ちょっと怪しいよな……」
小さく呟く。
警戒心は消えていない。
むしろ、話す前より増えている気すらする。
それなのに、結局明日事務所へ行く約束をしてしまった。
ソウシはしばらく名刺を見つめていた。
捨ててしまえば。
何となく、全部なかったことにできる気がした。
でも、できなかった。
結局、名刺はポケットへ戻した。
◇
ソウシの背中が少しずつ遠ざかっていく
やがて、見えなくなった。
ヒロナリは、しばらくその方向を眺めていた。
「…………」
それから、ポケットからスマートフォンを取り出す。
もう一本、紙巻きタバコをくわえた。
火をつける。
その直後
スマートフォンが震えた。
「あ?」
画面を見る。
そのまま通話へ出る。
「もしもし」
少し間。
「あ?」
ヒロナリの眉がわずかに動く。
「これから登録希望者?」
電話の向こうから。
事務所にいる舎弟の声が聞こえる。
詳細を聞き。
ヒロナリは煙を吐いた。
「わかった。すぐ戻る」
短く返す。
そのまま切ろうとして
「あ」
思い出したように付け足す。
「あと、明日の午後にも登録希望者入れとけ」
タバコを指に挟む
「すぐ動けそうな案件も用意しとけよ」
返事を待ち
「おう」
通話を切った。
「…………」
煙が、夕方の空気へゆっくり溶けていく。
ヒロナリの口元が少しずつ、悪い形に歪んだ。
――覚えてたのか。
さっきソウシは、そう聞いた。
「……はっ」
覚えている。もちろん。覚えている。
ごみ箱へ捨てられた上履きが
ある日、元の場所へ戻っていたこと。
隠されたノートが何も言わず手元へ返ってきたこと。
誰もいない時だけ普通に話しかけてくれたこと。
全部。
覚えている。
そして。
同じくらい。
『別に。仲良くないよ』
あの言葉も。
『たまたま拾ったから……返しただけだよ』
あの言葉も覚えている。
忘れるわけがない。
助けてくれた、それは本当だ。
あの頃、誰も自分の側へ立とうとしなかった中で。
ソウシだけは、ほんの少し手を伸ばした。
それも本当。
でも、最後には人前でその手を引っ込めた。
それも、ヒロナリの中にはずっと残っていた。
「…………」
それでもヒロナリは、ソウシという人間を。
嫌というほど知っている。
昔からそうだった。
面倒事が嫌い。
波風を立てたくない。
巻き込まれたくない。
だから逃げる。距離を取る。
なのに。
誰かが本当に困っていると。
完全には見捨てられない。
そして、自分に負い目を感じれば
もっと強く出られなくなる。
「……はっ」
ヒロナリは、短く笑った。
「お前はそれでも」
タバコの煙を吐く。
「結局、断れねぇんだよなぁ……ソウシ」
感謝していないわけではない。
むしろ、あの頃のことを覚えているからこそ。
特別なのだ。
助けてくれた奴。
自分を切った奴。
その両方。
だから、今度は自分の側へ引っ張ってやる。
ヒロナリは、ゆっくり歩き出した。
向かう先は、池袋人材サービスの事務所。
これから、新しい登録希望者が来る。
その人物が。今日、池袋中を騒がせ。
SNS上で二千人を超える『従者』を抱えた男だとは、まだヒロナリは知らない。
南池袋公園の木々が夕暮れの風にざわめく。
ヒロナリの影が、長く伸びた。
不穏な夕闇の中へ。
その影は溶け込んでいく。
――には。
少し
太すぎて
丸すぎた。




