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ふたつのふたりの金曜日  作者: 枯木


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8/11

三年生の七月・第四週

 昼下がりの静かな図書室に入ったとき、カウンターの図書委員は、ちらっとこちらを見ただけですぐに視線を手元へ戻した。そのほかには誰もいない。


 終業式のあとにソラと約束したのは、ちょうど先週のことだった。夏休みの間は図書室で会うという約束だ。その約束があるから、夏休み中だというのに、はるばる学校までやってきた。


 昨晩になって、時間を決めておくのを忘れたことに気づき、いつ行くべきかと迷った挙げ句、お昼を食べてすぐに家を出てきた。


 そうしてここに着いてから、かれこれ一時間以上は待っている。ひょっとするとソラは朝一番に来て、わたしが来ないからしびれを切らして帰ってしまったのかもしれない。そんな心配をしつつも、図書室が閉まるまでは待つつもりだった。


 冷房の設定温度が高かった。窓からの日差しを受けると、じんわりと汗ばんでくる。せめてカーテンがを遮ってくれるといいのだが、図書委員に操作してもらわないと閉めることができない。例の図書委員は、退屈を隠そうともせず、死んだ顔をしてスマホをいじっている。あれに話しかけるくらいなら、少しばかりの暑さに耐えている方がマシだ。


 じっと座っているのもつらくなって、本を物色することにした。あまり図書室に出入りするほうではなかったから、色々な本の並ぶ本棚を眺めるのには心が踊った。


 フィクションもノンフィクションもある。専門書も新書もある。図鑑も辞書も、絵本も紙芝居もある。


 目についた大きな絵本を取り出して眺めてみる。本の中にちょっとした仕掛けが施されたもので、幼稚園児の頃に買ってもらって夢中になった記憶があった。あれは今、どこにしまってあるのだろう。


 ソラが来るとき、これを真剣な顔で読んで待っていたら面白いだろうか。なんてことを考えた末、結局、一冊の小説を取って机に戻った。


「あ、来てたんだ」


 戻った机にソラがいた。私が置いていった本を見つけたのだろう、その隣の席に座っている。


 ソラは制服姿だった。夏休み中は部活で出入りする生徒がほとんどだから、ジャージを着ていてもとがめられることはないだろうに、それでも、ソラは制服を着ていた。私も制服を着てきて正解だった。休みの日にわざわざセーラー服で外に出るのは妙な背徳感があった。


「ねーこれ」


 ソラが一冊の本を頭上に掲げる。いつもどおりの元気な声量が図書室の静寂を破った。けれども、二人以外に利用者はいないし、あの図書委員もきっと注意しに来ることはないだろうから、構わないことにした。


「なに?」

「マンガ、持ってきたの」

「へえ、マンガか」


 そう言って受け取ったマンガには、表紙にかわいい二人の少女が描かれていた。ソラの好きそうな絵だと思った。貸していたライトノベルの表紙の絵に、どことなく雰囲気が似ていた。


「これね、レイナに貸してあげる」

「え、うん、ありがとう」


 普段、マンガを読むことはほとんどない。家の本棚にもない。だから率直なところ、あまり興味をそそられなかった。でも、ソラが私のためにマンガを持ってきてくれた、その事実がただいとおしかった。両手に載せたその本が、この上なく尊く感じた。


 ものは試しで表紙をめくってみる。色鮮やかな巻頭カラー、そこにも二人の少女がいる。さらにページをめくる。美しくも強烈にかれる描き出し、それに続く不可解なセリフ、見たこともない世界、冒険の始まり。いつも小説を読むときに感じるのとはまた違う、鮮烈な感覚が脳をいた。


 久しい感覚だった。小説を読むとき、かつてはあったはずの感覚だった。現実世界から解離して、物語の世界に入り込む感覚。本の最後まで、現実に帰って来られなくなるような感覚を。どうして忘れていたのだろう。


 ページをめくると奥付だった。現実に戻ってきた。まるで白昼夢の最中に起こされたような気分だった。


 本を閉じる。隣で、腕を枕にしたソラが横向きにこちらをのぞいていた。その表情は、にんまりと得意げにしていた。


「どうだった?」

「……面白い……面白かった」

「でしょー?」


 いつもソラから聞くような素朴な感想が、つい漏れてしまった。理由なんてない、ただ面白い。どうして面白いのかと言い連ねるのは、物語の価値をおとしめるような気さえしてしまう。言葉で語ってはいけない。物語を感じなければいけない。この続きも、もっと。


「なあ、二巻は?」

「家にあるよ」

「家かあ…………」


 夢の続きを見たいのに、もう眠れない。打ちひしがれそうだった。今からソラの家に行こう、と提案する、すんでのところで踏みとどまった。


「来週、持ってきてくれる?」

「うん、わかった」

「約束な?」

「うん、やくそく」


 小さな小指どうしを絡めて、また約束を交わした。


 ソラが自分の本を読み始める。もちろん、先週私が貸した本である。今度はこちらが眺める番だ。物語の世界を旅する、その横顔を。


 さっき借りてきた小説を読むのは、ついに忘れてしまった。


 それから夏休みが終わるまで、毎週一冊ずつマンガを読んだ。マンガと、ソラと、両方がすぐそばにあった四週間、これがずっと夏の白昼夢だった。今から寝ても、続きを見ることはかなわない夢。決して戻らない遠い日々の物語が、確かにあった。


 ソラから借りたマンガは、この四冊だけだった。続きは持っていないという。


 夏休みが終わって、私は本屋に赴いた。普段は立ち入ることのない、コミックのコーナーに、あのマンガの五巻を見つけると、それを買って金曜日に持っていった。


 ソラと一緒に、物語の続きを楽しんだ。けれどもそれは、夢の続きではなかった。ソラが本を持ってきてくれることに、きっと意味があったのだ。


 やがて夏は終わり、秋がやってきて、ソラの夏服姿も見納めとなった。短くはかない夏だった。

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