デザート・一華
果歩と愛の遺体発見のニュースが流れた午前中、アトリエにいるとインターホンが鳴った。
ルイが「一華。お客だよ。また警察の方だよ」と、どこか楽しげな声で告げる。
また来たのか。
彫刻の手を休めると、リビングに通すようにルイに伝えた。
また小野寺だろうか。髪を後ろで結い、タンクトップに作業着用のパンツのままリビングへ行くと、ソファーに座っていた刑事二人が立ち上がり、深々と頭を下げた。
「警視庁捜査一課の滝川です」
「佐山です」
二人の刑事はどちらも若い。滝川は30代後半、佐山は20代後半といった印象だ。
警視庁捜査一課となると、この前の小野寺とはわけが違う。失踪ではなく、殺人の捜査で来たのだ。
私は向かいに座ると、滝川に挨拶をした。
「滝川さん、お久しぶりですね。同窓会の事件以来」
滝川は「ええ」と、愛想笑いすらせず、無表情に返してきた。
私を見る硝子のような瞳。鋭いけれど、感情を一切感じさせない。まるで鏡のようだ。
ふふふ……面白そう。私は内心で歓喜した。
「今日はどんなご用で?」
「はい。二、三お聞きしたいことがあります」
静かで鷹揚のない話し方。
だけど、その声は不思議とよく通る。
ルイがコーヒーを持ってくると、滝川は「お構いなく」と固辞した。
そういうわけにはいかないと言って、ルイはテーブルにカップを置く。
滝川は一瞥しただけで、カップに触れることもない。この前の小野寺とは対照的だ。
「先日亡くなった高橋さんと、遺体が発見された関本さん、小橋さん、行方不明の福島さんについて、お聞きしたいことがあります」
滝川の隣に座る佐山という若い刑事が言った。
私は滝川と佐山、二人の刑事を視界に入れる。
滝川は佐山に話を任せて、自分は部屋の中を見回したり、私を観察したりしている。
小野寺のように私の反応を見ているのだろう。
違うのは、その表情だ。小野寺は終始、柔らかく笑みをたたえた顔をしていた。
比べて、滝川は徹底的に無感情だ。
スーツもシャツも清潔そうでパリッとしている。
ネイビーのソリッドネクタイも形よく締めている。
髪、髭、爪、全て綺麗に処理されている。
生活感が微塵も感じられない。
隣にいる佐山は年齢相応といった感じだ。
シャツの首元、ネクタイの柄、色、締め方。スーツの着こなし。
話し方や仕草と、ありふれた人間だ。ありふれた人間が、ありふれた質問をしてくる。
私のアリバイ。おそらく智花が殺害された日時だろう。
「たぶん、その日は一日家にいたはずです。作品を作っていて……」
私は正直にありのままを話した。
私は家にいた。間違い無い。家にいて智花に最後の晩餐を振る舞い、サクシニルコリンを打って、意識がある状態で腹を開いて内臓を取り出したのだから。
あたり前だがそこは伏せた。
佐山が聞いてきたのは、私がどこにいたかだ。智花がどこにいたとは聞いていない。
話していて、智花に罰を与えたときを思い出した。薬のせいで感覚はあるから痛みも感じる。ただ、体は動かず声も出ない。
腹を切り裂かれて、内臓を掴み出されても。あのときの智花ったら、本当に可笑しかった。
「家にいたことを証明出来る方はいますか?」
「ええ。彼が。ずっと家にいましたから」
私はルイを指した。ルイが笑顔でうなずく。
「ご主人ですか?」
滝川が私を見ながら聞いてきた。
「いいえ。パートナーです」「そうですか」
うなずくと滝川は不意に立ち上がり、部屋の中を見回しながら歩き始めた。佐山が質問を投げてくる。
なるほど。私が滝川に「何を見ているのか?」気にしていて、佐山の質問に迂闊な返しをすることを狙っているのだろう。
見るなら見ればいいわ。ここには何も隠していない。
私は滝川から意識を切り離して、佐山の質問に対して、淀みなく返した。
「これは?」
滝川が声をかける。見ると、中学のときに作成した「蜘蛛の糸」の前に立っていた。
「私が中学のときに作ったものです」
「これを……。すごいですね。鬼気迫るものがある」
「ありがとうございます」
「白い……」
「えっ」
「この、大勢の手の白さ。普通に作ってこんなに鮮やかで、艶めかしい『白色』ができるのですか?石膏のようだ」
「磨き上げた結果かもしれませんね。そういうふうになるものは結構ありますよ」
滝川は黙ったまま、今度はしゃがみ込んで作品を見る。
「この土台は……地獄ですか?」
「ええ。おわかりになりますの?」
「蜘蛛の糸に群がるのは亡者、地獄の亡者ですから」
滝川は人差し指で、土台の棘部分と、本体の手の部分をなぞるように触れる。
私は一種の感動を覚えた。私の「蜘蛛の糸」に関心を持った刑事は、滝川が初めてだった。
小野寺も、目の前にこれがありながら何の関心も示さなかった。滝川はいったい何を「蜘蛛の糸」に感じたのか。
「失礼ですが、これはご自身を投影したのですか?」
「私を?」
「中学時代のあなたは過酷な環境にいました。そこから抜け出すという意思が反映されたものかと考えました」
「そうかもしれませんね」
「本来の『蜘蛛の糸』は亡者の重みで切れてしまうが、あなたは見事に手繰り寄せた。自らの才能で抜け出した」
「ええ」
私はうなずいた。
「関本さんと小橋さんとは親しかったのですか?中学時代に」滝川は作品を見ながら聞いてくる。
「いいえ。私が親しくできていたのは千尋だけです」
「それは橋本千尋さんですね」
「はい」
滝川は窓際に行くと「お庭を拝見してよろしいですか?」と、無感情に聞いてきた。
「どうぞ」
カーテンを開けると、滝川は「あなたも家庭菜園を?」と聞いてきた。
視線の先にはトマトがいくつも植えてある。
「ええ。やってみようかなって」
「橋本千尋さんの影響ですか?」
「はい。刑事さんも千尋の菜園を見たんですか?」
「ええ。あんなに完璧な庭は見たことがありません。そしてあなたの菜園も完璧だ。まるで鏡に映したように。何か彼女からアドバイスでも?」
「いいえ。ただ記憶に残っていますから」
「彼女ならこうすると理解して、菜園を作ったわけですね」
「そうですね。それが何か?」
「いえ」
短く答えると、滝川はソファーに戻った。
一時間ほど話しただろうか。滝川たちは、礼を言うと立ち上がった。
玄関まで送るときに「刑事さんは今回の犯人は捕まえられそうですか?」と、私は尋ねてみた。硝子のような瞳を見つめながら。
「ええ。犯人にはハンデがありますから」
「ハンデ?」
「異常者です。異常者はそうでないものには理解できません。反対に異常者にもそうでないものを理解することはできません。我々が普通に気にかかることを、気がつかない場合があります。どのような形にしても必ず跡が残ります。それに我々が気付くかどうかです」
「異常者なんですか?犯人は」
「私はそう見ています。常人にはない理で動いています」
それだけ言うと、滝川たちは帰って行った。
「変わった刑事だったな」
ルイがソファーに座っている私の後ろから声をかける。
「そうね。いろいろと気がついているのかもね。でも朧な点。線はつながらない」
現場と遺体を見て、そしてこの家に来て、何を得たのだろう?あの刑事に興味が尽きない。
ゾクゾクするとともに高揚する。
私が作品を仕上げて達成するまでに、どこまで気がつくだろう?
なるほど……競争ってこういうものなのね。
千尋がバスケの試合で感じていたのはこういう感覚なのかしら?自分でも気がつかないうちに笑っていた。
私の「収穫祭」は、まだ始まったばかりだ。




