鴎の美の追求
いかにして美の伝説は生まれたのか?
少女時代そして新婚生活の頃、私自身そんなに美に目覚めていたわけではなかった。
ママに年頃になった私を伯母様の嫁ぎ先のザクセン王国の宮廷にへ送り出したわ。
よい相手がいるのではってね。
でも一人で帰っときたの。
別に私はいいのよ。
それよりもポッシー館が懐かしかったから。
ママはパパとの結婚生活に幻滅していたのにどうして私達に結婚させようとしたのかしら?
今でも不思議。
ヘレーネ以外結婚生活は幸せとは言い難いものになったのに!
少女時代はなんの好き嫌い、食べたくないなんてなかった。
バイエルン料理を美味しくいただいていたわ。
だからこんなに食にこだわりと偏りが出るなんて考えもしなかった。
確かに昔からごだわりは強くて、やりたくない事はてこでもしなかったけど
フランツと結婚して子供達を義母に奪われて、何もする事がなくなった。
子供に会わせてもらっても1時間の監視付き。
どうあがいても私を義母親とは認めなてくれない。
母として皇后としても。
私は私。
他のものを押し付けないで!!
私は抗うわ!
でもどうやって?
何をしたらいの?
ラクセンブルク宮殿で1人で泣き暮らした。
私の子供達は義母に奪われた。
何をしたらいいというの?
でも私のやる事は全て否定され非難され虐げられる。
夫以外は。
夫が愛を囁く。人民が熱狂的に私を賛美してくれるのは?
外見が美しいがいかに人に影響を与えるのか?
夫が私の意見を聞いてくれるために。
私の側近が私の忠実な僕になる様に。
そして国民の求める私になる為に。
私の美の追求は髪の毛、そして細いウエスト、そして痩身な美しい顔。
遠くからでも美しいと思わせる姿。
そして肌と若さを。
そして美を武器にして立ち向かったわ。
小さな短い勝利だった。
つかの間の……。
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私がコルフ島から帰ってから美に対してすごくナーバスになっていたと思うの。
美容にいいと思われる事はなんでもしたわ。
そのために時間と自身の我慢したもの。
男性の崇拝者は私を崇拝する立場にいるだけよ。
私基本的には男性は嫌いよ。
勿論心を通わした相手とは別よ。
ヴェネチアで写真コレクションをしている話でたわね。
そう他国の外交官を通じていろんな職、身分に問わず送る様に依頼していた。
沢山の国から送られてきたわ。
それを全て整理して、衝立に張ったりしていたのよ。
帰国後、1864年弟のカール・テオドールがザクセンの王女と結婚するの。
その式に出る為にザクセンドレスデンに行ったわ。
義弟がウイーンに書き送ったそうよ。
「目がくらむほど美しく当地の人々はまるで熱にうなわれているみたいです。
これほどの影響を与えられる人を見たことがありません。
ヘレーネも同じ衣装を着ていましたが、稚拙な模写にすぎません」
私はその日白の星の縫い取りのあるドレスに豊かな栗色の髪にはスターダイヤの髪飾りを沢山。
胸には椿のブーケコサージュを飾って扇を持った。
髪は三つ編みにトップでまとめてまるで王冠の様に結い上げている。
式では花嫁のお株を奪ったみたい。
銀のクローバーの刺繍の薄紫のドレスに銀のレースのケープ、ダイヤの王冠を飾り複雑に編み込まれた髪は自慢よ。
また義弟は語るわ。
「我が皇后を前に当地の人々は茫然自失の状態です」
ザクセン王妃も友人の手紙で語る。
「皇后様の美しさと愛らしさはこの地にどれだけの興奮を巻き起こしたか。
貴方には想像出来ないでしょう。
冷静なザクセン人があれほど熱狂するのを見たのは初めてです。
頭の中も、口も耳も全てあの方への賞賛にあふれています」
この滞在中にドレスデンの逗留の間にルドルフに手紙を書いたわ。
「貴方方と一緒にいられたらどんなにいいか。
つまらなくてすぐ帰りたいと思っているのにまだ4日間こちらにいないといけません。
淋しくてたまりません」
ザクセンの帰国の汽車を待っている時に随行員に言ったの。
「何時でしょう?」
私をぽかんと見ながらこう答えたわね。
「日没後1分経った所でございます陛下」
私を太陽に例えてザクセンから太陽が消えようとしていると言いたかったみたいだった。
その後のアメリカ公使の肉親への手紙にもうかいたのですって。
「すでに何度もお伝えしているように。
皇后様の美貌は奇蹟です。
背が高くすらりとし、体格は素晴らしく明るい褐色の豊な髪、やや低いギリシャ的な額、優しい瞳、甘
い微笑みを浮かべる真っ赤な唇、耳に心地よい静かな声、時に内気で時にこの上なく優雅な物腰」
この公使は後に私の隣に座ったの。
別の章でも語ったけれど、私パンチのガラスをこぼしたの夫が出際よくかたずけてくれたのだけど。
見ていた彼はすごく可愛らしいと自分が詩人でないのを悔やんだんですって。
でも美貌が評判にならばなるほど野次馬は増えて群衆はやっきになった。
私はそんな光景が嫌で不安になる。
どうしても心が不安定になってしまうの。
でも美の追求はやめられない。
特にこの髪は私は髪の奴隷と言っていたわ。
この髪にいっそう私は殉じたい
私の余生命力も
血液の最良エキスも
この編み髪のに譲ってしまいたい
ああ 我が存在こぞって
絹のウェーブに乗り移ればいい
髪だけがいよいよ豊かに波打ち
私の方はぐったちと永眠するまで
長くて綺麗で豊かな髪は美人の象徴よ。
その為にまずは理髪師と身分は2の次3の次。技術よ。技術よ。
私はある理髪師に目をつけたの。
ブルグ劇場の専属理髪師ファイファリック・アンゲラよ。
ブルグ劇場の女優の髪型がすごくきれいだったので、理髪師を調べさせたの。
それが彼女だった。すぐに契約したいから交渉したわ。
年2千グルデンの契約よ。
義母は一番怒ったわ。
「恥知らずな」ってね。
伝説のヘヤークラウンは彼女なしでは成り立たなかった。
毎日の髪の手入れに3時間。
彼女に白い手袋をさせて前掛けにマジックテープを仕込んでブラッシングしていたそうよ。
私が抜け毛を嫌うから。
私髪のこだわりが強すぎて彼女に手をあげることもあったの。
貴方達の時代にはパワハラっていうのよね。
でも彼女を大切にはしていたのよ。
ずっと私が死ぬまで専属だったし。
宮廷では結婚したら退職しないといけないのだけど。
私彼女が結婚したいと言って来た時にはフランツに頼み込んで銀行員だった彼を私付きの秘書官にしたわ。そうしたら退職しなくていいのよ。
彼女が体調不良になると公務も中止したの。彼女私の束縛に嫌になると突然病気願いを出すの。
もう大変よ。
ギリシャ講師に愚痴を言ったわ。
「こんな日が続くとまいってしまうわ。
あの子はそれを知ってわざとしているのよ。
あぁ~私はこの髪の奴隷~~」
ってね。
髪を整えてブラッシングをして、ファニーは櫛についた髪の毛を銀の深鉢に乗せる。
私と彼女の視線が合う。
私は無言の叱責を、そして彼女は後悔と自責の念をこめた表情の後。
ベールを外されて、私は首を傾けて。彼女は地面に消える様な仕草で言うの。
「皇后陛下の足下に平伏します」
小声でつぶやき一連の儀式は終了する。
「私は自分の髪を感じる」
ギリシャ講師はこういったわ。
「陛下は王冠の代わりに御髪を戴いているのです」
「違うのは王冠の方がずっと楽にあつかえられるの」
結い過ぎて頭痛がよくしていたわ。
そういう時はリボンで髪を所所結ばせて風を通したり、重さを軽減したりしていたの。
髪の儀式で重要なのは洗髪の儀式よ。
その日は絶対に公務は入れない。
卵黄30個とブランディーを混ぜたものをシャンプーにして刷毛で塗る。
1時間放置、お湯ですすいで胡桃の煮だし汁ですすぎされ、薔薇水で最後のすすぎ。
この後髪を乾かす為に女官が温風をあおぐ。
この間私は語学の勉強に費やすの。
後は体操も日課にしたわ。
王宮や他の宮殿にも簡単な体操室を造っていたわ。
簡単な物よ。
棒を並べてヒップアップや吊り輪につかまり懸垂。
そしてお風呂に入る。
ちゃんと湯舟よ。
水風呂。
晩年には入浴後に頭痛と耳鳴りもしたけど止めなかったわ。
お湯はいつもなんだかのエキスを入れた。
オリーブオイル入りやソルトバス、牛乳のお風呂を。
マッサージに顔には苺、ヨーグルト。肉、蜂蜜のパック、薔薇水のローション、蜜ろうの口紅、軟膏、伝統的なニキビ退治用クリーム。
そして寝る時は枕なしの睡眠。
御酢を浸したお腹周りのベルト。
後1日3度の体重測りもあたりまえよ。
グラムが大事よ。
王宮でいる時はこれがダイエットの基準になるの。
172CMの慎重でウエストは51CM、体重は45~50Kまでを一生保った。
顔は隠せても全身は隠せない。若い頃と変わらぬスタイルは強迫観念の様になっている。
ダイエットは今では駄目なのばっかりしていたみたいね。
卵白と塩だけの飲みもの、オレンジジュースだけ、肉汁だけ、野菜だけ、牛乳にはすごくこだわったわ。
朝はラスクとハーブティーを。
お昼は簡単に、夜は食べない時もあったわ。
お酒もいただいた。
でもね。全然食べない訳じゃないのよ。
旅先で気分のいい時はコースを頂いたわ。定宿の今はゴルフカイゼリンエリーザベトホテルでは「皇后のメニュー」という本になっているくらい。
ちゃんと食べていたの。
身内自分の姉弟達との食事はいただいたわ。
気分次第なの。
でもね甘いものは好き。
Dメル、Gナーなんかの上客よ。
菫の砂糖漬け今でも販売されているわよね。
タルトも大好きよ。
チョコレートも。鉄分入りをよく頂いたわ。
貧血気味だったから。
アイスクリームも大好き。
朝食になぜかダイエットって甘いパンケーキをいただいてたの。
必要最小限の栄養もとらなかったから晩年は皴が多くなって傘と扇で隠したわ。
それと歯ね。
婚約時に義母に歯を磨きなさいと黄色い歯を責められて、歯科医にすごく通ったわ。
歯磨きもちゃんとしてた。でもきちんと噛まないといけないのよね。
私顎を使う食べ物をたっていたから結局入れ歯を使用するめに合うの。
運動は必須よ。
乗馬、フェンシング、吊り輪、ストレッチ、競歩よ!
私牛乳をよく飲んでいたので、運動する事で足を折ったりした事はなかったわね。
意外でしょ。
私は写真は30歳過ぎで、肖像画は直接のモデルでの画も42歳で全て拒否したわ。
だって美しいという私を伝説にするため。
でもね。
私を知らない人にも褒めてくれるのよそんなお年には見えないって。
美は私を私である事を認めてくれる。
だから美を失った瞬間私は隠者になるわ。
醜い姿を晒したくないの。
だから傘と扇で顔を隠していたわ。
でも髪は銀色混じりにはなっていたけれど、ちゃんとヘアークラウンに結い上げていたのよ。
私は伝説になった。
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パリで有名な画家に夫妻で肖像画の製作依頼をしたわ。
フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターてご存じ?
ドイツのバーデン大公妃に絵の師匠として社交界デビューした画家よ。
主に宮廷画家として19世紀最も好まれた肖像専門画家だったの。
フランスでルイフィリップ国王に重宝がられ、各国の王侯貴族に引っ張りだこになった有名画家。
彼はその人物の特徴は掴みながらも品よく描いてモデルの要求を満足させる天才だったの。
依頼は数多くあっそうよ。
ヴィクトリア女王一家、ユージェニー皇后、スペインのイザベラ2世女王、ベルギー王妃、ロシアのマリア皇后書き足らないわ。
1864年夫の招きで私もモデルになって残したわ。
じっとしているの苦手だからデッサンだけよ。
完成した画は大変素晴らしい出来だった。
同じ画を三枚、そして別の画を二枚をね。
肖像画は王室の権威を見せつける為の手段でもあるから、大体が豪華で優美ないでたちで描かれるの。
でも私の二枚は普段いえ、夜の寝間着姿。
わかるかしら?
これは特別にある人物のためにだけ描いたもの。
そうフランツ私の夫よ。
一つは斜め後ろにネグリジェと着て髪をほごいた私。
もう一枚は真正面で前で髪を絡ませて微笑んで佇む私。
どちらもフランツの執務室に飾られたわ。
そうほとんど特定の人間しか見れないわね。
彼すごく気に入って。こういったのよ。
「本当の皇后の姿を表したポートレイトを描いた作品はこれが初めてだ」
私がいなくても私をこの画で思い出してね。
そんな私の意志を感じるポージングでしょ。
エリーザベトの美に関する執着はすざましく。
美容の日課はまさにエキセントリックで、今では逆効果なものもあった。
食事の極端なかたより、オレンジだけ、液体だけ。
しかもウイーンで滞在した時は特にその傾向が強かった。
旅行先ではフルコースを完食する時もあり、特にお気に入りの親族と共にする時はその傾向が強かったという。
その方酔った食生活で後年は逆に皺が目立ってしまった。
そして年齢を感じるとあんなに撮らせた写真を三十年でぴたりとやめた。
モデルデッサンも42歳で禁止した。
後年の写真は若い頃の元にモンタージュするか?
肖像画は想像して描くしかなかった。
外に出る時は扇、傘で顔を隠す。
身体のラインは若い頃と変わらずスリムだったので、更にエリーザベトの美伝説は続く。
晩年尚座骨神経痛の症状のない時は競歩を7、8時間ぶっ通しで歩き女官を悩ましたといいます。
但しこの運動と牛乳の摂取が彼女の骨粗鬆症の防止になったと思われる。




