鴎の逃避行
旅行とはただ観光だけを目的にしていたのか?
コルフ島で静養した後、静養という名の旅行が多くなり、自然とウイーンの滞在は少なくなっていく。
生前本当に沢山の旅をしたわ。
ウイーンの宮廷の争うに疲れ果てた私が南の島へ静養してから、夫との帰国の条件に好きに傍を離れる自由を手にした。
但し大事な行事や家族の祝い、夫の要請にはウイーンを離れたわ。
でも娯楽というよりほとんど療養や実家に帰る旅も多かった。
極端なダイエットと行き過ぎた運動が逆に身体を蝕んだためよ。
後年坐骨神経痛、欝病、貧血、心臓左心室の肥大症、下肢水腫症、便秘、更年期障害本当に沢山ね。
ほとんど栄養を極端にとらなかったり、運動のし過ぎから現れた病気ばかりね。
貴方達と違って効果的な薬や治療法の少なかった時代だもの。
結局空気の良い静かな温かい場所での静養か温泉療法くらいしかなかったのだけど。
私の旅行に言い口実だったの。
回数が一番多かったのはなんといっても、実家ポッセンフォーヘン城やミュンヘンの訪問にフェルダフォンクのホテルシュトラフ(現ゴルフカイゼリンエリーザベトホテル)を訪問した。
あまりに滞在が多いのでトレーニングルームも新設するほどだった。
二階のスイートからの窓からは湖がとても綺麗で素敵だったわ。
ここはシュタルンベルグ湖の湖畔に建つそれこそポッセンフォーヘン城とベルグ城が眼下に見え、山々が聳え立つ美しい風景。
フランクなスタッフ、そして美味しい食事と静かな環境が好きだった。
中規模のホテルでとても過ごしやすくて好きな場所でした。
私は拒食症と思っている人が多いみたいだけどそうではないわ。
気分で体重が増える度に食事したくなくなるの。
でも気分がいい時には頂くわ。
だってこのホテルは今も営業していて、私の為に考えられたメニューの数々を今も残しているのよ。
通算24回毎回2.3週間の滞在よ。
親族が亡くなって訪れる機会が少なくなって、最後は亡くなる4年前だったわね。
あとはバートイシュルのカイザーヴィラね。
でもここは帝室の夏の保養所だから、オーストリアにいなきゃいけない時に。
ウイーンにいたくないけれど帝国内にいる時ね。
ウイーンでは王宮以外では夫が建ててくれたヘルメスヴィラに滞在したわ。
丘の上に「エリーザベトのプチトリアノンパレス」と呼ばれている館にいたわ。
今写真館がそれよ。
ここで写真の整理や本を読んだり、お茶をしたり日中過ごしたの。
私の隠れ家ね。
隠れ家大好きだったわ。
あとハンガリーのゲデレー城とブタ王宮、オッフェン宮もよく滞在した。
30代~40代の乗馬を好んだ頃はゲデレー城が大好きで良く過ごしたわ。
そして定期的に訪問したのは40代で発症した坐骨神経痛の治療のためのアムステルダム通い。
後は定期的な療養のバートギッシンゲン、バートマムハイム、メラーノなどの治療を目的にした旅行をしてた。
マリーヴァレリーが結婚するまでよく一緒に旅行に連れて行ったわ。
外国への興味と教養と語学堪能になってほしいし、やはり私の一番の理解者で旅の良さを知ってほしいから。ヴァレリーは特にハイデルベルグが特にお気に入りで結婚後はフランツサルバトーレとも訪れたのね。
15歳になったヴァレリーがハイデルベルグの美しさを日記に書いているわ。
「見どころをさっと観光した後、私達は坂を下りてお城の傍のレストランで食事して、それからまた観光。廃墟巡り、惜しいみんな壊れてしまったといい人がいますが。私は大喜び。保存状態のいい子の廃墟は想像豊かにしてくれます。
無償で残る城よりも千倍面白い」
1883年、84年、1885年、86年もヴァレリーとはい出るベルグを訪れたわ。
あの廃墟感が私と娘を魅了したのね。
最後に残ったマリアやマチルダ、ゾフィーともパリや旅行に一緒に会ったわね。
特にマチルダとはとても良く気があったので良く過ごしたわね。
私のお気に入りの兄弟はカール・テオドールとマチルダよ。
ヘレーネ(ネネ)は頼れる存在だった。
没頭したのは馬術と狩猟にイギリス、アイルランド、
後年はギリシャ旅行そしてコルフ島のアキレイオン荘の建築はギリシャ古代への傾倒よ。
でも高齢になる遠出が困難になったので、スイスに行く事が多くなる。
ジュネーブ湖は海みたいで好き。
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私があまりに外国滞在が多いので、ウイーンの新聞や宮廷ではさまざまな噂されたわ。
私が皇帝陛下を裏切って不倫している。
不義の子を産んだ。
目も葉もないものばかり、私は男が嫌い。
汚らわしいまで思っているの。
15歳で恋や愛と勘違いして、夫の褥で何をするかも知らないのにほぼ義務感だけで身体を重ねた。
SEXはただ苦しく嫌らしく、醜い行為と思ってしまったの。
だから………夫以外でそんな事しないわ。
でも世間は乗馬に熱中したらイギリスのベイ・ハミルトン卿怪しい、イギリスのエドワード皇太子かも?
アルシンドラーシ伯爵と怪しいマリーヴァレリーは伯爵との子供だ。
そう言ったまったく事実と異なるアバンチュール。
馬鹿みたい。
以前夫が不在の時に楽友協会主催の仮面舞踏会に正体を隠して参加した。
その時に市民の男性フリッツと話をしたわ。
彼私が皇后だと確信していたみたい。
私の年を見事に当てたから。
しばらく話をして、私が去る時に仮面をとろうと試みたけど失敗した見たい。
ある意味アバンチュールね。
後年お手紙を書いて怒らせたけど、なかなか面白い出会いだったわ。
でも私は異性という意味では男性は嫌いよ。
心が通じた相手は異性じゃなくて魂の繋がりだと思っている。
コルフ島でフランツヨーゼフ1世との話し合いである程度自由を手に入れたエリーザベト。ゾフィー大公妃も息子マクシミリアン大公が処刑された後、政治的発言や指導などから手を引いた。
「皇后の全てを受け入れる」そう言って、嫁姑戦争に一定の安定が訪れる。
但しエリーザベトは生涯義母を許す事はなかったし、ゾフィーも日記では嫌みな記録を残していたため。妥協という名の終結と思われる。
エリーザベトの旅行には大きくパターンが分かれる。
①身体の治療
マッサージ、葡萄治療、温泉治療
②趣味に興じた目的とした。
乗馬、古代ギリシャへの教養
③純粋に観光目的
④政治的公務か親族関係の交流等
しかしウイーンにあまり滞在しなかった事は事実であり、その事実はウイーン宮廷の貴族や皇室の権威を受けたい上流階級の達には人気がなく批判された。
ウイーン市民は下層級には人気はあったものの、めったにいない皇后に不満があり、自然と批判的な評価が定説になった。
しかし彼女の死がきっかけでその評価が一転する。




