12.パングラム
篠崎達は、立ち上がった西大島を見て、また車で移動かと思って部屋の隅に転がる荷物を取りに向かう。
すると、西大島が「荷物はこのままここに置いてかまいません。歩いてすぐの所ですから」と言って、右手を右横へ向けた。
一同が部屋を出て無人の廊下を通ると、篠崎がキョロキョロと辺りを見渡す。
「西大島さん、ここ本当に旅館ですよね? 誰もいないみたいですが」
「ええ。たまたま外出しているだけです」
西大島が「たまたま」を強調するのがどうも気になる篠崎だったが、開けっぱなしの玄関から流れ込む熱気に気持ちが持って行かれると、そんな疑念も霧散した。
「暑っつ……」
空調が効いた部屋の温度と外気の温度の差は、10度はあるのではないか。直射日光は暑いと言うより痛い。
でも、さすがに緑豊かな自然に囲まれているせいか、風が吹くとほんの少しは涼しく感じる。
我慢大会に参加しているような背広姿の西大島を先頭に、篠崎は菊川と曙橋に両サイドから挟まれ、ハンカチで顔を拭きながら土埃を上げて歩く。
そんな篠崎は、曙橋がどうしてあのような暗号の解き方を閃いたのかが気になって仕方なかった。
「ねえ、曙橋。なんで、あれ、閃いたの?」
問いかけられた曙橋は、下を向いたままボソボソッと言葉を返す。
「ああ、あれ? 暗号のひらがなをよく見ると、全部異なる文字――つまり、同じ文字が一つもなかったので、パングラムを思い出したから」
「パングラム? ……ああ、アルファベットの全ての文字を使って重複を最小限にして作る短文だっけ」
「そう、それ」
「ブラウン フォックス なんたら クレージー ドック」
「違う。The quick brown fox jumps over the lazy dog.」
「それそれ。本当に全部のアルファベットが入っているから不思議だよ」
「ところが、あの暗号、文字数を数えると全てのひらがなを使っていない。ならば、抜けているのが本当の暗号ではないかと閃いた」
「なるほどねぇ。その閃きは、僕には無理だなぁ」
「でも、あと一歩のところで菊川さんに解かれてしまった」
菊川は、横から「ブイブイ」と言って右手のVサインを突き出す。
「ちくしょー! 次は解いてみせる!」
「がんばれー」
曙橋は前を向いたまま、無表情で応援した。
「それはいいけど……西大島さん。まだ着かないのですか?」
「すぐそこです」
ところが、彼の言う『すぐそこ』は篠崎達の感覚を越えていた。
実際は、宿屋の建物から500メートル離れた場所に依頼主の家があったのである。
そこは九段下という表札を下げた大きな農家だった。




