フリルの森の少女Ⅱ
「本っ当にすみませんでした!!」
「あ、いえ、そんな、頭を上げてください」
ツバメは湖の畔で過去を生きた侍ですら見事だと言わせるほどの華麗な土下座を披露していた。
平に頭を下げるツバメの頭上には、すでに服を着て困ったように狼狽える獣人の少女。
どうしたらいいかわからないといった様子で身振り手振りを繰り返している。
「僕が悪いんです……本当にすみませんでした。死ねと言われれば死にます。煮るなり焼くなり好きにしてください」
「そ、そこまで言わなくてもいいですよ! もう私は大丈夫ですから……」
その言葉に、ツバメは恐る恐る頭を上げて少女の顔色を伺う。
あまりにも卑屈すぎるツバメの言動に若干引きはしているものの、顔を若干赤らめているだけで少女は笑顔だった。少しぎこちなかったが。
いい子だ。なんていい子なんだ――
ツバメは現世では引きこもり故に女性と触れ合う機会など全くなかった。
もうなんだったら幻想の世界の生き物だと思っていたくらいにだ。いや、目の前にいる獣人の少女は紛れもなく幻想の世界の生き物なのだが。
そんな女性の裸を欲望に囚われてまじまじと見てしまっていた。
正確に言えば、見とれてしまっていた。
「あ、ありがとうございます、うう……」
「げ、元気出してください」
突然泣き出したツバメの様子に対応に困り果てる少女。
とりあえず落ち着いてもらおうと、少女はツバメの頭を撫でてあげた。
「よしよし。私は怒っていませんから。ちょっと驚いちゃいましたけど……」
なんなのだこの子は? 天使か?
女の子ってみんながみんなこんな優しい生き物なのか?
普通男に裸を見られたら、そいつを八つ裂きにするようなものだとばかり――
「ゆ、許してくれるんですか?」
「はい。こちらこそ、変な物を見せてしまってごめんなさい、ね」
いやいや、とんでもございませんよ。
本当にいいものを見せてもらいましたとも、ええ。
なんて言えばよりこの場の空気がめんどくさいものに変わることくらいは理解できるほどにツバメも冷静になったので、ジャパニーズ・ドゲザを解き、立ち上がる。
「遅れちゃいましたけど、私の名前はハル。この近くの村に住んでる者です、あなたは?」
「神谷 燕っていいます」
「カミヤ、ツバメ……?」
「長いと思ったら、ツバメでいいですよ」
と、ここでツバメはこの状況の奇っ怪さに気づく。
(あれ……言葉が、通じてる?)
先ほどからお互いに意思疎通ができていることに気づいたツバメ。
ここが異世界であることはもう疑いようもない事実だ。
なぜなら目の前には現世ではいくら探しても見つからないであろう獣の耳を携えた少女がいるのだから。
だが、ならばなぜその少女と言葉を交わせているのだろうか?
(転移するときに、神様がなんかしたのかな?)
よくよく考えてみれば、いきなり異世界に飛ばされて言葉も通じない環境で1年も生きろっていうのは無茶な話なのかもしれない。
ややご都合主義的な展開ではあるが、まあ神様がそのへん上手くやったのだろうと思うことにした。
「ツバメさん、でいいですか? ツバメさんはこの森で何をなさってたんですか?」
「え?」
「このフリルの森は村の人達しか道を知らないと思ってたんですけど……」
どうしようか。
多分、僕がどこから来たのかを聞いているのだろう。
正直に他の世界から飛んできましたって言うか? いや、それはマズイのではないだろうか?
神様のゲームに参加させられて、別の世界からやってきましただなんて、いくら異世界とはいえ信じてもらえる保証はない。
そもそも、まだこの世界における物事の価値観が完全に推し量れていないのだ。下手なことを言ってもマズイ。
ここは適当に誤魔化すしかない。
「実は、その、迷っちゃいまして」
「迷った……?」
ハルはツバメの言葉に不思議そうに小首をかしげる。
――流石に、適当すぎるか?
「そうですか。それは困りましたね!」
「へ?」
「この森って木が多くてちゃんと整ってる道が少ないんですよ。外から来た人だと、迷っちゃいますよね」
「え、あ、まあはい」
まるで疑ってないかのようにハルはツバメの話に同調する。
この子、大丈夫か? こんな怪しさ満点の男の言葉を鵜呑みにして。
「それだったら、とりあえず私の村に来ませんか?」
「へ?」
「小さな村ですけど、とってもいいところなんですよ! 迷子になってしまったなら、わかりやすい場所に出た方がいいですし」
「あ、いや、そ、その」
それはありがたい。ありがたすぎる。
ハルが村まで案内してくれるというなら、ここで遭難して飢えで死ぬということもなくなるし、この世界の集落にも行ける。願ったり叶ったりだ。
だが、大丈夫なのか?
今は、ゲームの真っ最中なのだ。
対戦相手のいるこのゲームでは、常に警戒は厳にしておかなければならないだろう。
この子の言うことを、そのまま信じてもいいのか?
他のプレイヤーの刺客ってことは――
「…………」
柔らかい笑みを浮かべながら、ツバメの言葉を待つハル。
その表情からは、とても何か裏があるようには思えなかった。
(――そんなわけないか)
そもそもゲームが始まったのだってついさっきだ。
他のプレイヤーだってこの異世界に慣れるのに必死で、とても刺客とかを用意する余裕なんてないだろう。
ここは素直にハルの提案に乗ろう。
「そ、それじゃあお願いします」
「――はい!」
◆
ハルのような優しい少女に会えてよかった。
ツバメがそう思えたのは、一重に異世界の情報をこんなにすぐに得ることができたということだ。
もちろんこんなに可愛くて優しい少女と話ができるこの状況に舞い上がっているというのもあるが、とにかく。
「この世界には、他にも色んな種族がいるんだね」
「はい、私みたいな獣人族の他にも竜人族や魚人族、エルフさんやドワーフさんもいますね。もちろんツバメさんのような人間さんもいらっしゃいます」
やっぱりいるのかクールビューティの象徴、エルフ。流石は異世界。
――ツバメとハルの案内について行き、森を移動していた。
その道すがらで、この世界について様々な情報を聞き出していた。
といっても、世間話をしている程度のものだが。
「やっぱり、色んな種族がいるんだなぁ」
「あの、ツバメさん。私からも聞いていいですか?」
ハルの問いかけに、ツバメは頷く。
「――もしかしてツバメさんって、別の世界からいらっしゃったんですか?」
「うぇっ!!?」
思わず変な声が出てしまった。
まさしく言い当てられてしまい、ツバメは返す言葉に迷う。
っていうか、この世界では別の世界から人が来ることがわりと常識なのか?
「ど、どうしてそう思ったの?」
「先ほどから私の住んでる場所のことを"この世界"って言ってますし、それって別の世界を知ってる人だから使う言い回しですよね。それに種族や地理のことについても知らないことが多すぎますし……」
そうか。それはわかって当然だ。
あまりに自然と会話が成立していたものだから、こちらの言い回しについて気を使うことすら忘れていた。
この子、無条件で人を信じるほど素直な子だが、決して頭が悪いわけじゃないようだ。
だが、こちらも簡単にネタばらしするわけにはいかない。
「もし、本当に僕が別の世界から来たって言ったら、どうする?」
「それは――」
ハルは少し言葉を溜めて、薄く微笑みながら答えた。
「――素敵だなぁって思いますよ」
「え?」
「子供の頃にお母さんが読んでくれたおとぎ話にあったんです。悪人に囚われの身にされてしまったお姫様。そのお姫様を助ける別の世界からやってきた勇敢な騎士様のお話」
――おとぎ話、か。
今のこの状況は、確かにおとぎ話にしても遜色はないかもしれない。
その実は神々のゲームに巻き込まれた、なんとも情けない一般人のお話だけどな。
「すっごく好きなお話だったんです。お姫様のために戦う騎士様がとても大好きで、格好良くて。だから、違う世界から来た人にすごく憧れてたんですよ」
目をキラキラさせながら、嬉しそうに語るハル。
――これは、使えるかもしれないな。
女の子と話し込むという初めての経験から少し舞い上がっていたツバメだが、少しだけ思考はゲームのことに寄せる。
この子の信用を得ると同時に僕のあやふやな立場を何とかできるかもしれない。
「――その通りだよ、僕は違う世界からやってきたんだ」
「わあ、やっぱり!」
ツバメの告白に、キラキラをした笑顔で応えてくれるハル。
「実はとある悪者がこの世界にやってきてね。その悪者を退治するために僕はこの世界にやってきたんだ。その時に、森で迷っちゃってね」
ツバメの話を興奮気味に頷きながら聞き入るハル。
――心苦しいが、僕の嘘を信じてもらおう。
異世界からやってきたというのも嘘ではないし、それが原因で迷子になっていたのも本当だ。
ただ、その本当の目的をちゃんと説明しても理解してもらえる自信はなかった。
まあ、この子ならなんの疑いも持たずに信じてくれそうではあるが。
それならば、ハル好みの設定を用意してやれば信用も得やすい。
「そうだったんですね……それならちゃんと私から村の人にも事情を説明します、そうすれば――」
「いや、ハルには申し訳ないんだけど、このことは黙ってて欲しい」
ツバメの言葉にハルは疑問符を浮かべる。
「あんまりこの事実を広めたくないんだ……異なる世界の存在をこの世界の人達に知られると、悪人達がそれに勘付いてよからぬことをしだすかもしれない。最悪、殺されちゃうかもしれないんだ」
「そ、そうなんですか……」
「だから、もし村の人達に僕のことを聞かれたら行き倒れた旅人とでも言って欲しい。村の人たちを守るためにも、お願い」
これで、僕の立ち位置が正体不明の怪しい迷子から旅人に書き換えることができる。
必要以上に異世界のことを他人に触れ回る必要はないし、何よりハルが特殊なだけで異世界の存在を信じる人なんてハナからこの世界にはいないかもしれない。
まあ行き倒れた旅人なんて設定も十分に怪しいのだが、今よりマシだろう。
「わかりました。村の人たちを守るためですもんね」
「わかってくれてありがとう」
ハルはツバメの話を何一つ疑うことなく了承した。
「――でも、そうなっちゃうと違う世界のことを知ってしまった私は、その悪人達に襲われるかもしれないんですよね」
「あ……」
そうか、今の話だとそういうことになってしまうのか。
即興で考えたにしては悪くないかと思ったんだけど、少し甘かったな。
でも今更否定するわけにもいかない。
「――大丈夫だよ」
ツバメはなけなしの勇気を振り絞って、ハルの左手を優しく握り締める。
「その悪人が来ても、僕が守ってあげるから。ハルには指一本触れさせはしないよ」
「あっ……」
ツバメからしたらあまりにもキザったらしいその言葉も、ハルから見ればそれは大層輝いて聞こえたらしく。
「――はい!」
今まで見たことない大輪の花のような笑顔で、ハルは応えてくれた。
その純真無垢な笑顔を目の当たりにしたツバメは大きな罪悪感を抱えると共に、暴れる心臓を抑えるのに必死だったのは言うまでもない。




