第二十三話
「あぁ、メイドとしての話ね……」
良かった、これでこのお茶を落ち着いて飲める。
ベッドの端に腰掛けて彼女の話を聞いたところによると、つまりは午後の仕事もほっぽって私の部屋につきっきりにすると、そういうことらしかった。仕事の話で本当に良かった。これ以上ミーナに関する悩みが増えしまってたら、抱え切れずに受け入れてたかもしれない。
「……ってか、仕事は良いの、それ?」
「あんなの全然大丈夫だって。あれはあの人が我儘言うから行ってるだけで……ホント、こんなことなら始めから断っとけば良かった」
ミーナはそんな風に答えたけれど、何とも気になる単語が有った。
誰だよあの人って、レヴィラトのことなのか? ミーナもレヴィラトも、あの空いた時間に会っていたということか? そんな感じはしないけれど、しかしじゃあ一体誰の事だろう。仲の良い同僚だろうか。
ずず、とお茶を行儀悪く啜って飲んでも、まぁその人物が浮かぶわけでも無く。
っていうか有耶無耶になっていたけど、だから私、ミーナのことで色々悩んでいたんだよな。
いきなりあんなことが有ったから、随分遠い事に感じてしまう。
……というよりも、彼女がその時にしてくれた色々が、そんな悩みや疑念を、遠ざけてしまっていた。
そう、私、彼女が転生者じゃないかって疑ってたんだけど。
何だかそんな色々が、どうでも良くなってきた。
彼女とレヴィラトとのことも、色々と。
彼女の淹れたお茶を飲むと、何だか気持ちが落ち着いてくるようで。
……ずっと、ミーナと張り合って、レヴィラトに振り向いて貰おうとしていた私だけど、けれど、よくよく考えたら、それは凄い空回りだろう。
彼女が一度でも、キツネとそういう素振りを見せただろうか? カマキリに相対していた姿は何だか似た物同士だったけれど、それは私を心配してのことなのだし、それにそれくらいしか見当たらないし。ミーナが私に、文字を教わるならレヴィラトが良いと言ったのは、ひょっとすると、私の態度からレヴィラトが好きだということを察してのことだったのかも知れない。……まぁ割と、自分でも態度に出過ぎてると思うので、例えその件が違っていたとして、ミーナが私の想いに気付いている可能性はある。
それなら、もし彼女がレヴィラトと恋をしてて、そして私の想いに気付いているなら、態度で示すか、言ってくれる筈だ。叶わない恋の後押しをして笑うような、そんな子じゃない。そう思う。この二週間で、知った風に語るのは、いけないだろうか。
私はゲームをしているんじゃない。
彼女だって、ゲームをしているんじゃない。
良い加減、ゲームの知識で人を測るのは止めて、彼女自身を見よう。勿論、綺麗な容姿は羨ましいし、真っ直ぐな性格も、こちらが思わず僻んでしまうほどだ。けど、そんな彼女が私の友達なら、それはまた誇らしいじゃないか。私の前世の親友だって、似たような物だった。私より秀でてるところが有って、そこが羨ましくて、そして私の方も彼女より自信の有る場所をこっそり持っていて、そこは誇らしくて。きっと親友も同じようなことを思っていたんだ。だから、私がミーナに劣等感を頂きつつも、髪は勝っていると心内で思ってるように、彼女もまた、大抵のことが比べるまでもなく、無意識に勝っていると感じていても、私の思わぬところに劣等を感じているかもしれないし。
彼女は、ゲームの中の登場人物じゃない。
彼女は、ヒロインを演じているんじゃない。
私に優しくしてくれたのは、ゲームのミーナなんかじゃ、そんな知らない誰かじゃ、決してない。
「……………ねぇ、ミーナ」
そう、思った途端。
「うん?」
気が付いたら、口から、言葉が漏れていた。
「私ね、キツネのこと好き」
あんまりにも、あっさりと。
けれど後悔や何かが浮かぶことはなく、代わりに、ゆったりとした安堵が広がった。
これは、伝えておかないと、いけないような気がした。
彼女と対等に立つために。
彼女と距離を縮めるために。
つまりそう、私からの、宣戦布告だ。
そんな私の言葉に、ミーナは。
「……………………え? あ、っ……………え?」
完全に、パニックになっていて。
そして、そんなミーナの反応をぼけっと眺めてから、ようやく。
レヴィラトじゃなくて、キツネと言ってしまったことに、気付いたのだった。
「……………………あぁ」
言い間違えたのか。けれど、不思議と冷静だった。
いきなりの、彼女が本当のミーナなら知らない筈の言葉に、訊き返す訳でもなく、頭が真っ白になっているらしい、ミーナ。
その様子を見て、あぁ、やっぱりか、と、どこか落胆する心と、そして、あぁ、そうなんだ、と、どこか喜ぶ心が、胸の内に広がる。
落胆したのは、彼女が転生者だと分かったから。
そして喜んだのも、彼女が転生者だと分かったから。
彼女が転生者なら、私も彼女の場所にいれたかもしれないのだ。私が羨む何もかもを持った、ヒロインの場所に。もしもそこが転生者じゃなく、レヴィラトや他の攻略対象と同じ様に本人だったなら、そこには入れないんだと、諦めも付いたけれど。けれど彼女が、ミーナの中の誰かがそんな場所に立っているのなら、どうして私はここにいるんだと、恨みたくなってしまう。黒いもやもやが胸の内を覆って、それがどうしようもなくて、彼女が妬ましくて。抑えようもない嫉妬が出てきてしまう、そんな自分に落胆して。
彼女が転生者なら、私に優しくしてくれた、友達になってくれた彼女は、私の知らない誰かじゃなく、私の知っている彼女なのだ。言い間違えた私に、取り繕うこともなく、いつもの様に慌てて、いや、いつも以上に慌てて、いっぱいいっぱいになってしまっている様子の彼女に、仮面を被ったり、自分を偽ったりする真似が出来るだろうか? 彼女が私にしてくれた沢山のことが、それが全て彼女の本心からのことで、そしてそんなミーナと、私は友達になれた。彼女に向ける嫉妬も、彼女に向ける好意も、全て、彼女が受け取ってくれるから、そんな彼女に喜んで。
「あ、あのっ、…………今、キツネ、って」
「……うん。間違っちゃった、何でこんな大事な時に間違うんだろ」
あはは、と照れ隠しに頭を掻く。ようやく言葉が出てきた、といった様子だったミーナは、私の返答に完全に口を開けて、動かなくなってしまった。信じられないというように、口を震わせて、けれど何も言わずに。
「……えっと、ミーナ?」
声を掛けども、反応が無い。
……そこまで驚くかな、あ、いや、そうか。
何しろ普通に考えて、物語のヒロインが転生者である方が自然だ。私みたく、いざその時が来ないと望んだ世界に転生したことすら知れない脇役が転生者だなんて、想像できないだろう。多分今までに他の転生者にも会ったことが無いのだろうな、百年以上生きてきて初めてなら、こうなっても不思議じゃないか。
そう自分なりに考えたけれど、私は、思い違いをしていた。
彼女は驚いているのではなく。
この城に来たばかりの、私のように、喜んでいたのだ。
しばらく待って、ようやく、ミーナが声を洩らした。
『…………ね、え………わ…、分かる、の? 聞こえ、てる、……の?』
極度に興奮し、掠れ切っているミーナの声。切れ切れなその声は、けれど確かに日本語で。
リュリスじゃない、他の誰かの声で日本語が聞けたのが久し振りで、そしてこのタイミングで日本語を使ったミーナにちょっと感心して、思わず声を洩らした。
『おぉ………………こっちで喋るの、懐かしいね』
久し振りだったからちょっと妙なイントネーションだったかも知れないけれど、まぁそれはご愛嬌だろう。
だなんて、私はのん気にそう洩らしたのだけれど。
『………………………………』
彼女は聴いているのかいないのか、またも目を見開いたまま固まってしまった。どこまで驚いてるんだ、と彼女の反応をオーバーに思いつつも、もう一度、今度は日本語で尋ね掛ける。
『…………ミーナ、聞こえてる?』
『………………うん』
『……え、あっ………うそ、泣くの?』
呆然と答えたミーナの頬を、つう、と一滴の涙が零れた。予想もしてなかった出来事に、ちょっと戸惑ってしまう。私が転生者で悲しかったわけでは、勿論無いだろう。きっとこれは、嬉し涙、なのだろうけど。
……それでも、そんな彼女の反応が、未だに理解出来ないままで。
彼女は掠れた声のまま、必死に何か喋ろうとしているようだった。
白い頬が、赤く染まって、目には涙が溜まって、けれど見開かれたままで。
『………………う、ん。 ごめっ………こ、これ、……嬉しっ、なみ…………ごめんっ………!!』
『…………』
その様子を見て、言葉が出てこなくなった。
ようやく、この時になって、彼女がどれ程嬉しかったかが、分かったのだ。
まともに、聞こえてこない言葉。涙が溢れているそれ以上に、溢れているのだろう想いが、胸を詰まらせて、言葉を詰まらせて。
……あぁ、覚えがある。彼女のあの涙は、それは、だって、私も、この世界へ来れたんだと知った時、同じような涙を流したのだから。信じられなくて、表し切れなくて、喜ぶだけじゃ足りなくて、もちろん、泣くだけでも足りないような。そんな思いを知っている私だからこそ、彼女の喜びが、胸を詰まらせて、それ以上の言葉を止めてしまう。
けれど、だって。
だって、……だって、私が、転生者だっただけだよ? なのに、……私がこんなに苦しくなるほど、そんなに、……そんなに素直に、喜ばないで欲しい。そんな、そんな風に喜ばれると、それは、私だって、泣いてしまうじゃないか。
『……あは、…………………』
泣きたくなくて、茶化すような言葉を言おうとしたのに、それ以上出て来なくなってしまう。こんなの、こんな気持ち、……とてもじゃないけど、喋れるはずがない。
ミーナは何かを言おうとして、顔をくしゃ、と歪めて、もう一度、歪んだまま、頑張って笑みを浮かべて。
『わ、……わ、たしっ、…………ず………っ…』
やっぱり長くは持たずに、またも飛び飛びに、そして顔もくしゃくしゃに歪んでしまう。
何で、何でそうなるの? どうしてそんなに、そんなに苦しそうに、夢だって言われるのを怖がっているように喜ぶの? 私は、違う、貴方がそんなに喜ぶなんて、考えてもみなくて。
もう一度、ミーナが、震えた息を整え、笑顔を浮かべて。
『ず、ずっと、………、ず、……と、……………まっ…………っ、………まっ、…てた、………まってたん、っ………、だ、………よ?』
幾度かつっかえたけれど、きっと、伝えたかったのだろう、きちんと最後まで、彼女はそう言った。ずっと、待っていた。私を?
ずっと、ずっと。
待っていた?
私を、……いや、きっと、彼女と同じく、転生した者ということだろう。
ずっと、転生してくる誰かを、待っていた。
つまり、……彼女は、寂しかったのか?
出会えて、こんなにも、感極まってしまう程に。
嬉しくて、どうしようも無くなるほどに。
それほどまでに、寂しかった。
寂しかった?
魔王城にいて?
ずっと、攻略対象達と、暮らしてきて?
彼女は、寂しかったのか?
――それは、そうだ。
……そんなの、そんなの、寂しいに決まっている。
ミーナの泣き笑いが、胸を突いて、遂に、私までもが視界が歪んで。
例え、私のように虐げられていなくとも。
例え、周りが温かく、前世でプレイし、憧れた、乙女ゲームの世界だとしても。
寂しくて、仕方ないに、決まってるじゃないか。
『………………っ』
声が漏れる。涙が頬を伝う。あぁ、泣かないなんて、無理だ。
寂しい。
転生したら、寂しいんだ。
私は、16年間、ずっと苦しかった。誰も私のことを知らない世界。誰も私を見てくれない世界。それは、勿論、鱗のことも有ったけれど、それだけじゃなくて。鮮明に覚えている前世のことが、本当に下らない日常のことが、心の底から好きだった漫画のことが、大嫌いだった勉強のこととかが、ここでは、どんなことも何も、どこにも、吐き出せないのが、苦しかった。誰も聞いてくれない。誰にも通じてくれない。誰も知らないし、誰も体験していないし、誰も理解できない。話せる筈もないし、手放せる記憶じゃないし、抱えていられる大きさじゃないし。
前世の夢を何度も見て、見て、見て、それが悲しくて、だけどそんなことを話せる相手もいなくて。
ふと思い出した何かの曲が有って、それを一人で何度も口遊んで、タイトルって何だっけ、と考えても、誰も、誰一人、そんな曲を知らなくて、私も、その内にどんな曲を口遊んだのか、忘れてしまって……!
懐かしい名前が浮かんで、誰だっけ、てしばらく分からないままでいると、やがて顔が出てきて、それから想い出が出てきて、大して仲良くも無かったのに、つまらない、印象に残らないような出来事ばかりが思い出されて、それが、それが本当に懐かしくて、つらくて、悲しくて!!
それが、私は、16年。
…………それじゃあ彼女は?
彼女は、だって、魔族であり、ヒロインであり。
私とは正反対の生活だっただろう。蔑まれなくて、疎まれなくて、厭われなくて。羨ましいし、妬ましいし、ほんとうに、どうして私じゃなかったのか、とお腹の中に、黒い感情が沸き出すくらいに。けれど、じゃあ、じゃあ彼女と代わりたいかと訊かれると。
そう尋ねられると、きっと、ついさっきの、彼女の涙の意味を知る前の私だったら、絶対に首を縦に振っていただろう。何を差し置いても、彼女は羨ましかった、その筈だった。
でも。
『っ…………』
滲んだ視界の中でぼんやりとしか見えないけれど、精一杯に、彼女を抱き締める。
この二週間を共にしたミーナの、明るい笑顔の下に隠された、弾んだ言葉の下に隠された……いや、もう、隠していたことすら忘れてしまったような、そんな、そんな遠い遠い、昔を懐かしむ、寂しがる彼女。どこまでも遠くて、届かなくて、隔絶されてしまった世界を、それでも忘れられなくて、それすらも忘れてしまったような。
誰にも話さない言葉は、忘れてしまう。
誰にも話せない想いは、忘れてしまうんだ。
それが寂しくて仕方が無くても、誰かに溢したくて仕方が無くても、だから、仕方が無くて。
もし、今、私が彼女と代わりたいかなんて、そんな問い掛けをされたなら。
……それは、決して、例えそれが彼女を助けることになるとしても。
そんなの、絶対に、ごめんだ。
どこにも行かない、夢じゃない。
ここに、私がいるから。好きなだけ、話を聞くから。
精一杯に抱き締めた私を、それ以上の力で抱き締めるミーナ。
もう、寂しくなんか、ないから。




