第十六話
「ふむ、フィルシがそんなことを?」
いつも通り、文字をなぞりながら、キツネに魔族の話を聞こうとした時に、ふと気になって尋ねてみたのだ。
「……まぁそうですね、魔王の体制に、反対する魔族も出てくるようになりましたが」
レヴィラトは、やっぱり感情の読めない声で続ける。
「確かに今の魔族の姿勢には、反省点も見受けられるでしょう。しかし、だからと言って勇者と手を取り合うなどと考えるのはおかしな話ですよ」
「……勇者?」
別に勇者の話をしていなかったのに、そのワードが出てきた。
そう、彼が魔王を裏切るのは、勇者と手を結んだからで。
何の気なしに繰り返した風を装ったけれど、実際は字を書くのも疎かに、耳に神経を集中させる。
「いえ、……人間の中に、魔族に協調を訴えながら、己は幾多の魔族の血を流している男がいるのですよ。 ………フィルシは彼の意見も汲むべきだと言っていて、…………すみません、言っても栓の無い話でしたね」
「いえ、ありがとうございます」
「……それと、文字が大きく歪んでいますよ」
「うえっ!?」
呆れた様な口調に、慌てて手元に目を遣った。
見るも無残な文字に、溜め息を吐く。これじゃあ魔法陣で使える筈も無い。もう一度手本を見て、それを正しくなぞって行って。
「……良いですね、そうです、そう」
レヴィラトに褒められるのも、随分慣れてきた。何しろ、隙あらば文字についてコメントするのだから。それも大抵がポジティブな物だし。だからむしろ調子付いてペンが走る、のだけれど、この時のレヴィラトの声は、ほんの少しだけ上の空の様子で、ふと気になって、手を止めて顔を上げた。
そうしたら。
整った端正な顔に、いつも張りついていた作り笑顔が。
確かに、その瞬間、掛かっていなかった。
彼の目が、私の顔を捉えている。悲しそうな表情。苦しそうな表情。悔しそうな表情。そして、怒りの表情。そのどれをとっても説明し得なくて、だから、複雑に入り混じっていたのだろう。それ以外にも沢山の感情が、けれどどれも決して良いとは言えない表情たちが、唯一、懐かしむような顔を除いて、ただ暗い内面を混ぜ合わせていて。
「……どうかしましたか?」
にこ、と微笑んだレヴィラト。まるで幻のように消えてしまったその一瞬が、けれど目に焼き付いて、いつもなら恥ずかしがって直ぐに逸らすのに、 まじまじと彼の顔を見てしまう。
今のは、今の顔は。
……彼は、何かを、私に重ねていた?
誰かの姿を、懐かしんでいた?
ぼんやりとそう考えていたら、キツネがふ、と微笑んだ。完璧に計算された笑顔だけれど、しかしつまりは完璧な微笑みで。『どうしたんですか?』と尋ね掛けてくるような、そんな笑み。
「ほら、この文字、綺麗に書けていましたよ。それとも、読みを忘れてしまいましたか?」
「………いえ」
……今、確かに見たんだ。
キツネが仮面に隠した、その下の顔を。
見たいと思っていた、見せて欲しいと思っていた顔を。
けれど、嬉しさは沸いてこなかった。
そんな、喜べるわけも無い。
あんなに悲しそうな、苦しそうな顔を、喜べるわけが。
……やっぱり、私は、彼のことを何も知らないんだ。
そんなことを思いながらペンを走らせていると、「……リュリス」と呆れた声が降ってきた。ミーナも「うわぁ……」と引いている。
「え? ……あ」
ペンの先に焦点を合わせると、物凄く暴れ放題で、書いた私ですら判読できない文字が書かれていた。
……勿論その後も、集中が切れ切れになったのは言うまでもない。
注意されて何度反省しても、結局レヴィラトのあの表情が気になって、そして文字が崩壊して……の繰り返しで。
結局いつもより早めにお開きということになってしまって、本当に、反省の限りです。
けれどその分、自由な雑談時間が取れた。
ミーナも交えての、雑談。
……こういう時間なら、今まで見て取れなかった二人の関係性も、見出すことができるのではないだろうか。
ミーナは、初めて私に会った時のように固くはなく、けれど今私に接するように軽くもなく、そう、丁度私が接するのと同じように、レヴィラトと話すようだった。そしてレヴィラトも、私に接するようにミーナに接する。雑談しながらそんな観察を続けていると、話題が再び図書館でのフィルシとの遭遇へ移った。
「戻ってきた時、随分と仲が縮まってたみたいでしたよ」
「……フィルシとですか?」
他人の恋バナをするようなノリのミーナに、けれど眉を顰めるレヴィラト。そんなにフィルシが嫌いなのだろうか。
「あ、あれは、色々有ったというか……」
っていうかその話は別に良いじゃないか、そういう恥ずかしい話題は、別の機会に回して欲しい。
けれど私の想いを汲んでくれるつもりはないようで、お淑やかなキャラを忘れたかのように、にやにやと笑うミーナ。
「そうですよね、フィルシ様に鱗を褒められて、嬉しかったんですよね! 頬擦りし合っちゃって……見てるこっちが恥ずかしかったですよ」
んなにやにやしながら言うな、見られた本人が一番恥ずかしいに決まってるだろう。っていうかそれ、どちらかと言うとデリケートな話題なんだから、その、もうちょっと語るテンションを考えようよ。いやまぁ良いんだけどさ、でもほら、割と私、ミーナの前で鱗のこと気にしたこと多かったと思うんだけどね?
「あぁ、そう言えば、フィルシはああ見えて少女趣味なところが有ったんでしたっけ」
「……少女趣味」
レヴィラトの言葉を、物凄く微妙な表情で繰り返した。何だよ、それってキツネから見ても少女趣味なのか? 私は全少女の憧れの的なのか? ……もう、キツネがそんなことを言うから、全然悪い気がしないじゃないか。
「アレでって言うのは失礼ですよ、まぁ……確かに、仕事の時を見てたら想像はできないですけど」
「いえ、仕事だけじゃなく、見た目からも想像できません」
「あ、あはは……」
あぁもう、面倒だ。こういう、知ってるのに知らないフリをしないといけない話題は、対応に困ってしまう。いや、私から言わせて貰っても、フィルシのそのイケメンな見た目、そして仕事中の残虐な側面からは、どう頑張っても少女趣味だなんて言葉は出てこない。けれどまぁまさか「すぐ生皮剥がすのって、鱗に憧れてるからだったんですかねー」とかそんなことを言えるわけもなく。いや言わないけど。
「もう、レヴィラト様はフィルシ様に冷たいんですから……」
「……まぁフィルシがどうかはさておき、そうですね、確かにリュリスは、私が見てきた鱗持ちの女性の中でも一番可愛いと思いますよ」
「っですよねですよね!! ……って言っても、私ユリくらいしか知らないんですけど」
あはは、と頭を掻くミーナ。何だかイラッと来た、けど、それもやっぱり恥ずかしいからで。何だ、何なんだキツネ、そんなに褒められると照れてしまう。舞い上がってしまうぞ!!
茹蛸のように頬が赤く染まって、赤い鱗の上からでもばれてしまってからかわれたけど、けれどその後もしばらく声が出せないままでいた。
何と言うか、その、好きになれるにはまだ日が掛かりそうとか思ったけれど、もうこの調子だとあっという間に鱗への好感度MAXになってしまいそうだ。お願いだから、お世辞だろうと本音だろうと、その笑顔と一緒にそんな声音で言わないで下さい。私、貴方のことが好きなんですから、そういう不意打ちの攻撃は対処に非常に困るんです。もう本気も本気、どころか妄想が加速して5割増し程の意味合いで受け取ってしまうので。
文字の練習は早めに切り上げたけれど、雑談が終わったのはいつもよりもずっと遅い時間だった。今まで取って来なかったミーナも交えての明るい雑談は、これ以上無いくらい楽しくて、終わる頃になると、「明日もまたお喋りしたいです」と自分から言ってしまう程だった。勿論「文字の勉強がまだたくさん残ってますよ」と苦笑されてしまったけれど、きっと、何だかんだで喋れるはずだ。
……そうだな、ミーナとレヴィラトの関係は、……感触で言えば、やっぱり、距離は凄く近いみたいだった。それはまぁ、ミーナが誰とでも楽しく話せる、というのが大きいかも知れないけれど。けれどもそう、…………その、何となく、だけれど。私とレヴィラトの距離と、ミーナとレヴィラトの距離の差は、お互いの過ごした時間くらいしか違わないように……それも随分と小さな差に思えてしまったのだ。
随分と都合の良い観察眼だな、と胸の内で呟いたけれど、それでもやっぱり、弾んだ心は全然落ち着かなかった。




