第8話 5人目は畑を作る
『5回目通常《住民召喚》』
『必要《淫獄石》:3,000個』
『所持《淫獄石》:3,000個』
『実行可能』
俺は表示を閉じなかった。
「本当に、今からまた呼ぶのか?」
セリアは呆れたというより、理解できないものを見る目をしていた。
「今だから呼ぶんだ」
「私が来てから半日も経っていない」
「セリアが来たから、人里の方角も追手の存在も分かった。生活道具も手に入った。外へつながる場所も増えた」
「それで、次も同じように役立つ者が来ると思っているのか」
「可能性は高い」
「根拠は?」
「今までの4人」
「それを根拠とは呼ばない」
ミラが干しかけの肉を指す。
「人だけ増やしても、食べ物は増えないよ」
「だから、食べ物を増やせる人が必要なんだ」
「来なかったら?」
「来た人ができることから、次の解決方法を考える」
自分でも、以前より迷いがなくなっているのが分かる。
召喚すれば、問題が見つかる。
今までと同じなら、問題を解決できる住民が現れる。
住民が増えれば欲望が増え、《淫獄》も成長する。
この循環が続くなら、止めるより回したほうがいい。
「実行する」
『《淫獄石》を3,000個消費します』
『5回目通常《住民召喚》を実行しますか?』
「実行する」
『所持《淫獄石》:0個』
召喚陣の光が、形成されたばかりの共用区画へ広がる。
現れたのは、土の入った小瓶を片手に持つ成人女性だった。
日に焼けた肌。背中まで伸びた深緑色の髪。生成りの作業着には、乾いた泥と白い染みが幾重にも残っている。
腰には種袋、移植ごて、剪定鋏。革手袋をはめた手には、最後まで離さなかったらしい小さな布袋が握られていた。
『SSR 《塩害の村を実らせた農術師》 エルネ・ヴァルト』
「SSR――」
そこまで口にして止める。
アクアリアと同じ最高のレアリティ。
しかも農術師だ。
食料を増やしたいと考えた直後に、作物を育てられる人物が現れた。
「ここは……畑ではありませんね」
エルネは立ち上がらず、灰色の床へ手をついた。
指で表面をこすり、匂いを確かめる。それから周囲を見回した。
「朝でも、夜でもない。風も土の匂いもない。ここはどこです?」
「《淫獄》っていう、俺のスキルで作られた場所だ。俺は白瀬朝斗」
「私を呼んだのは、あなたですか?」
「そうだ」
エルネは手にした布袋を胸元へ引き寄せた。
「戻してください。この種を、村へ届けなければなりません」
「今は戻す方法が分からない」
「では、なぜ呼んだのです?」
「ここで食料を育てたかった」
エルネが灰色の床を見下ろす。
「ここには畑を作れません」
即答だった。
「農術師なんだろ?」
「農術師は、何もない場所から土と太陽を生み出す魔法使いではありません」
「でも、塩害の村を実らせた」
「なぜ、それを……」
「召喚されたときに表示された」
エルネは作業着に残る白い染みへ触れた。
「洪水のあと、畑へ塩が残りました。水を流し、土を入れ替え、塩に耐える作物を選び、数年かけて小さな畑を回復させたのです」
胸元の布袋を握る手へ力が入る。
「今日、ようやく本畑へ種をまくはずでした。村に残された、最後の種です」
「それを持ったまま呼ばれたのか」
「あなたに呼ばれたのです」
静かな声だったが、責める気持ちは隠されていなかった。
「帰す方法は探す」
「それまでは、この種を使えと言うのですか?」
「無理に使わせるつもりはない」
「当然です。これは私だけの種ではありません」
SSRでも、呼べばすぐ食料問題が消えるわけではない。
土も日光もない。種はあっても、エルネが使うことを拒めば何も始まらない。
それでも、農術師が来た。
必要なものがないなら、そろえればいい。
「土があれば、育てられるのか?」
エルネが俺を見る。
「土だけでは足りません」
「何が必要だ?」
「まず、外を見せてください」
◇
エルネは炭焼き小屋の周囲で土を何度も掘った。
外へ出た瞬間、第2の接続地点を開いたときに感じた視線が頭をよぎった。
驚きと焦りを含んだ、姿の見えない誰かの視線。
今は何も感じない。
セリアも周囲を警戒しているが、異変を察した様子はなかった。
気のせいだと決めつけるつもりはない。だが、正体の分からない視線だけを恐れて、必要な作業を止めるつもりもなかった。
表面の落ち葉をよけ、黒い腐葉土を指でほぐし、その下にある土を小瓶へ分けていく。
セリアは周囲を警戒し、アクアリアは水の状態を調べる。俺はエルネが選んだ土を木桶へ入れた。
「この森の土は使えます。ただし、畑の表面だけを剥がすように持ち帰ってはいけません」
「どうして?」
「森を壊します。必要な場所から、必要な量だけです」
エルネは炭焼き小屋へ入ると、床へ落ちた細かな木炭を集めた。
「炭も使うのか?」
「細かく砕けば、水と養分を保ちやすくなります。焚き火の灰も少量なら使えます」
「魔獣の残りは?」
「状態を見なければ分かりません。骨や血は使えますが、腐らせ方を間違えれば畑ではなく毒になります」
何でも土へ混ぜればいいわけではないらしい。
「外界のものを運び込めるなら、試験用の小さな栽培床は作れます」
「小さな、か」
「最初から広い畑を作り、失敗して種を失いたいのですか?」
「それは困る」
「なら、まず試します」
エルネは腰へ下げた種袋を押さえた。
「村の種は使いません。私が試験用に分けていた豆と薬草があります。それだけです」
「十分だ」
「育てられれば、です」
◇
《淫獄》へ戻ると、全員が動き始めた。
リディアは厨房から離れた壁際へ、栽培床の位置を炭で描く。
ミラは焚き火の灰と、魔獣から取り除いた残りを分ける。
アクアリアは木桶を浄化し、エルネが指定した量だけ水を満たした。
セリアはもう一度外へ出て、落ち葉と腐葉土を集める。
「私も運ぶ」
ファステが木桶へ手をかける。
「傷は?」
「重いものは持たない。土を少しずつ運ぶだけ」
俺が止める前に、エルネが小さな籠を渡した。
「これに半分だけ入れてください。痛みが出たら、すぐやめること」
「分かりました」
ファステは籠を持ち、セリアと一緒に外へ向かった。
少し前まで、1人で外へ出ることさえ怖がっていた。
今は自分から土を運ぼうとしている。
「ここへ畑を作れば、外へ食料を探しに行く回数も減る」
俺が言うと、ミラがうなずいた。
「毎日、何が食べられるか賭けなくて済むなら助かるよ」
「薬草も育てられるなら、治療に使えます」
アクアリアも栽培床の予定地を見る。
「私は、食料庫へ入れるものが欲しいわ。空の棚を設計したわけではないもの」
リディアが言った。
全員が畑を欲しがっている。
住民の欲望が機能を開くという仮説が正しいなら、作れるはずだ。
「《淫獄》。ここに畑を作ってくれ」
何も起きない。
「また大きく求めすぎたんじゃない?」
リディアに言われ、床へ描かれた四角を見る。
部屋を作ったときと同じだ。
完成したものを一度に求めても、《淫獄》は動かない。
「畑じゃなくていい。まず、運んだ土を置けるように、この四角の中だけ床を沈めてくれ」
灰色の床が、わずかに震えた。
炭で囲まれた部分だけが、指の長さほどゆっくり沈んでいく。
「止めて」
エルネが声を上げた。
「まだ浅いぞ」
「試験用なら十分です。深くする前に、排水を確かめます」
エルネはくぼみへ少量の水を流した。水は床に染み込まず、底へたまる。
「このままでは根が腐ります」
「水が抜ければいいのか?」
「抜けすぎても育ちません。余った分だけを外へ逃がす必要があります」
俺はくぼみの底を見つめた。
「必要以上の水だけ、下へ流してくれ」
返答はない。
底へたまっていた水が、少しずつ減り始めた。完全には消えず、表面を濡らす程度で止まる。
エルネが指で底へ触れた。
「今、どこへ流れたのです?」
「分からない。《淫獄》が処理した」
「分からないものを畑に使うのですか?」
「必要な量は残ってる」
「しばらく観察します。急にすべて抜けるようなら使えません」
信用はされていない。
それでも、試すことは認められた。
運び込んだ腐葉土、砕いた木炭、少量の灰を、エルネの指示で混ぜる。魔獣の骨と内臓は、処理方法が決まるまで別の場所へ置いた。
小さなくぼみが、黒い土で満たされる。
灰色しかなかった《淫獄》に、初めて土の色が生まれた。
◇
「まだ種はまきません」
エルネが天井を見上げた。
「何が足りない?」
「光です」
「明るくはできる」
俺が望むと、《淫獄》全体がさらに明るくなる。
しかしエルネは納得しなかった。
「これは日光ではありません」
「見ただけで分かるのか?」
「熱がない。影の向きも変わらない。植物は明るければ育つわけではありません」
「どんな光ならいい?」
「朝に明るくなり、昼に温かくなり、夜には暗くなる光です。植物にも休む時間が必要です」
「ここには朝も夜もない」
「だから畑を作れないと言ったのです」
また足りない。
土を作れば、次は光。
光を作れば、その次にも何かが必要になる。
だが、問題が具体的になるほど、《淫獄》へ何を求めればいいかも分かる。
「朝と夜があれば、みんなも楽か?」
「時間が分からないのは不便ね。作業の区切りもつけにくいわ」
リディアが答える。
「眠る時間が分かるなら助かるよ」
ミラも天井を見る。
「朝になったら起きて、夜になったら眠りたい」
ファステの望みは単純だった。
セリアは入口へ目を向ける。
「外へ出る時刻も合わせやすくなる。暗くなる時間を知らずに探索へ出るのは危険だ」
「水の生成と魔力の回復にも、休息の周期があるほうが望ましいです」
アクアリアも賛成する。
全員が、朝と夜を欲しがっている。
「《淫獄》。ここにも朝と夜を作ってくれ」
返答はない。
すぐには何も変わらなかった。
俺は栽培床の横へ座り、目を閉じる。
朝の光を思い出す。
大学へ向かうときに浴びていた光。時間がたてば頭上へ移り、夕方には赤くなり、夜には消える。
住民たちが朝に起きる。
ミラが厨房で火を起こす。
セリアが明るいうちに外を調べる。
リディアが時間を測りながら作業する。
アクアリアが夜に休み、ファステが朝を恐れず迎える。
その中心で、エルネの作物が育つ。
「必要なんだ。ここで暮らすために」
閉じていた瞼の向こうが、赤く染まった。
目を開く。
灰色の天井から、柔らかな光が差していた。
これまで空間全体が同じように明るかったのとは違う。光には方向があり、床へ人の影が伸びている。
頬へ、かすかな温かさを感じた。
「変わった」
ファステが両手を光へ伸ばす。
「まだ日光と同じかは分かりません」
エルネは慎重に言いながら、土と自分の手へ落ちる光を交互に見た。
「ですが、試す価値はあります」
彼女は腰の種袋から、小さな豆を3粒と、薬草の種を取り出した。
「村の種は使わないのか?」
「これは試験用です。すべてを賭けるのは、土と光を確かめてからです」
土へ小さな穴を開け、1粒ずつ種を入れる。
アクアリアが細い水を落とした。
全員が栽培床を見つめる。
「すぐには出ないのか?」
「種は道具ではありません。命には時間が必要です」
「分かってる」
「分かっていない顔です」
エルネは土の表面を整える。
その指が止まった。
土が、わずかに盛り上がっている。
小さな亀裂から、白い根がのぞいた。
「まさか」
エルネが土へ顔を近づける。
豆の殻が割れ、細い芽がゆっくりと持ち上がった。
「もう出た」
「こんなはずはありません。早すぎます」
「育たないよりいい」
「速ければよいというものではありません。中身を作らず伸びれば、収穫できない」
エルネは喜ぶより先に、芽の色と太さを確認した。
「今は異常ありません。ですが、観察が必要です」
「収穫まで、どれくらいだ?」
「この速度が続くなら、数日。ただし、保証はしません」
数日。
数週間でも、数か月でもない。
「十分だ」
「まだ何も収穫していません」
「でも、育つことは分かった」
エルネは小さな芽と、胸元の種袋を見比べた。
「帰れるまで何もしないより、この場所を調べたほうがよさそうです。試験栽培が終わるまでは協力します」
「本当か?」
「あなたに従うと決めたわけではありません。この環境を確かめたいだけです。それと、村へ戻る方法を探してください」
「約束する」
「農作業について、種を早く使えと命令しないことも条件です」
「分かった」
『5回目通常《住民召喚》が確定しました』
『召喚住民:エルネ・ヴァルト』
『状態:滞在中』
『通常《住民召喚》実行回数:5回』
◇
作業を終えたエルネが、木桶のそばで腕を洗う。
日に焼けた肌を水が流れ、指先から黒い土が落ちていく。深緑色の髪を片手でまとめ、汗を吸った作業着の襟を緩めた。
濡れた布が肌へ張りつく。
視線をそらそうとした先では、ファステも頬についた土を拭っていた。リディアは作業着の裾を払い、ミラは汗を流したいとぼやいている。
浴室が欲しい。
全員が身体を洗える場所が必要だ。
そう考えた瞬間、完成していない浴室を使う6人の姿まで想像してしまう。
湯気に包まれ、汗や土を洗い流し、安心した顔でくつろぐ姿。
それを毎日の光景にしたい。
浴室を作り、暮らしを豊かにし、もっと多くの住民を迎えたい。
目の前の6人へ向けた欲望と、まだ見ぬ次の住民を求める欲望が重なった。
欲望が膨らむ。
召喚画面を開く。
『6回目通常《住民召喚》』
『必要《淫獄石》:10,000個』
「10,000個……」
「さすがに、すぐには貯まらないでしょう」
アクアリアが安堵したように言う。
「今までより3倍以上だね」
ミラも少しだけ安心した顔をした。
だが、俺には届かない数字とは思えなかった。
100個も、300個も、1,000個も、3,000個も貯まった。
なら、10,000個も同じだ。
『《淫獄石》を3,600個獲得しました』
『所持《淫獄石》:3,600個』
「もう3,600個ある」
「今ので?」
リディアが信じられないように俺を見る。
「残りは6,400個だ」
10,000個という数字を見た直後なのに、もう3分の1を超えている。
灰色の床には、小さな緑の芽が立っていた。
住民たちはそれを、飢えから遠ざかるための希望として見ている。
俺には別のものも見えていた。
召喚した住民が問題を解決する。
住民の欲望が《淫獄》を成長させる。
成長した《淫獄》が、次の召喚を可能にする。
食料を消費するだけだった空間が、今は価値を生み出そうとしている。
ここはもう、逃げ込むだけの場所じゃない。
自分で食料を作り、人を増やし、さらに大きくなる領地だ。
必要数は10,000個。
所持数は3,600個。
残りは6,400個。
遠いとは思わなかった。




