第6話 灰色の部屋に設計図を
食事を終えた。
ミラが残った肉を細く切り分け、火のそばへ並べる。完全な保存食にはできなくても、生のまま床へ置いておくよりは長く持つらしい。
その作業を手伝いながら、俺はミラへ《淫獄》について説明した。
ここは俺の固有スキルによって作られた領域であること。
登録住民になっても、人格や記憶は変化しないこと。
俺の命令へ従う義務はなく、条件を満たせば住民登録を解除できること。
そして、元の場所へ戻す方法はまだ分からないこと。
「つまり、帰せるかどうかも分からないのに呼んだわけだ」
「そうなる」
「ずいぶん勝手な話だね」
「否定はできない」
俺は召喚画面を開いたまま答えた。
『3回目通常《住民召喚》』
『必要《淫獄石》:300個』
『所持《淫獄石》:345個』
『実行可能』
ミラには表示が見えていない。それでも、俺が何を見ているのかは察しているらしい。
「説明は終わった。今度こそ回す」
「止めても無駄なんだろうね」
「次に来る人にも、全部話して」
ファステの言葉にうなずく。
「約束する」
必要な話は済ませた。全員の意見も聞いた。
俺は欲望だけで動いているわけではない。
順序を守り、考えたうえで決めている。
「実行する」
『《淫獄石》を300個消費します』
『3回目通常《住民召喚》を実行しますか?』
「実行する」
『《淫獄石》を300個消費しました』
『所持《淫獄石》:45個』
『3回目通常《住民召喚》を開始します』
灰色の床へ召喚陣が広がる。
今度は何を持つ人が来る?
寝床を作れる人か。道具を作れる人か。それとも、外を安全に歩ける人か。
俺には選べない。
それでも、期待せずにはいられなかった。
光の中へ、1人の成人女性の姿が形作られていく。
片膝をつき、焦げた筒を胸へ抱えている。灰金色の髪は乱れ、革の作業着の肩と裾には焼け焦げた跡があった。腰の工具帯には、金槌、折尺、墨壺に似た道具が並んでいる。
女性の前へ召喚結果が表示された。
『SR 《焼け落ちた工房の設計士》 リディア・ハウゼン』
「SR――」
口へ出しかけて止める。
レアリティを本人へ伝える必要はない。
「火は!?」
リディアが目を開くなり叫んだ。
立ち上がろうとして、床へ手をつく。咳き込みながら周囲を見回し、自分の服を叩いた。
「消えている……? ここはどこ? 工房は?」
「落ち着いてくれ。ここに火事はない」
「あなたは誰?」
「白瀬朝斗。ここは《淫獄》っていう別の空間だ」
「別の空間?」
リディアは立ち上がると、焦げた図面筒を抱えたまま後ろへ下がった。
「私を工房から連れ出したの?」
「俺の召喚で、ここへ呼んだ」
「召喚……」
「先に謝る。あなたの許可は取ってない」
リディアの目が鋭くなる。
「戻して」
「今は戻す方法が分からない」
「今すぐ戻して! 弟子たちが外にいるの。全員逃げたか、私はまだ確認していない!」
焦げた図面筒が、彼女の腕の中できしんだ。
「工房の中に残っていたのか?」
「弟子は裏口へ向かわせた。でも、あの子たちの1人が戻ってきたかもしれない。私は図面を取りに入って、それから梁が――」
リディアは頭上を見上げる。
灰色の天井には、燃える梁も煙もない。
「あなたが呼んだせいで、確認できなくなった」
「……悪かった」
「謝れば工房が戻るの?」
「戻らない」
「なら、簡単に謝らないで」
言葉が胸へ刺さった。
アクアリアも、ミラも、元いた場所に残してきたものがある。3回目なら違う結果になるとは限らないと分かっていた。
それでも俺は回した。
「帰す方法は探す。それまでは、ここで危害を加えない。俺の命令に従う必要もない」
「信用できると思う?」
「今すぐは無理だと思う。だから、見て決めてくれ」
リディアは答えず、俺たちを順番に見る。
傷の残るファステ。短杖を持つアクアリア。包丁と木杓子を持つミラ。そして、何も持っていない俺。
「全員、あなたに召喚されたの?」
「私は違う」
ファステが答えた。
「私は自分で朝斗についてきた。アクアリアさんとミラは、召喚された」
「あなたは、ここから出られる?」
「朝斗と一緒なら」
「1人では?」
「まだ、試してない」
リディアは眉を寄せた。
「まだ?」
「外には、私を追っていた人たちがいるかもしれないから」
その答えを聞いても、リディアの警戒は消えなかった。
当然だ。
「事情は説明する。そのあと、ここでどうするかはリディアが決めていい」
「私の名前まで知っているのね」
「召喚されたときに表示された」
「ほかには?」
「《焼け落ちた工房の設計士》」
「……そう」
リディアは焼け焦げた服へ目を落とした。
「間違ってはいないわ」
◇
事情を聞き終えても、リディアは協力すると言わなかった。
代わりに、《淫獄》の中を歩き始めた。
壁へ手を当て、床を靴の踵で軽く叩き、天井までの高さを目で測る。工具帯から折尺を取り出し、何歩かごとに距離を書き留めようとして、紙がないことに気づいた。
「何をしてるんだ?」
「見れば分かるでしょう。調べているの」
「残ると決めたのか?」
「決めていない。でも、すぐ戻れないなら、この場所が安全かどうかは知っておく必要がある」
リディアは火のそばへ向かう。
ミラが乾燥させている肉と、寝床代わりに集めた葉を交互に見た。
「ここで火を使っているの?」
「煙は壁から外へ出せる」
「火事は?」
「燃える壁じゃない」
「壁が燃えなくても、服と寝床と人は燃えるわ」
言われてみれば、そのとおりだった。
「火と寝る場所が近すぎる。生肉と焼いた肉を分ける場所もない。水を置く容器も、汚れた水を捨てる場所もない」
リディアは俺たちの荷物を見回す。
「それに、この人数が同じ部屋で眠るの?」
「今夜は、そのつもりだった」
「着替えは?」
「……順番に、見ないようにする」
「正気?」
今度はミラまでうなずいている。
「あたしも、そこはどうにかしてほしいと思ってたよ」
「先に言ってくれ」
「次を呼ぶことしか考えてない王様が、聞く耳を持ってるようには見えなかったからね」
「持ってる」
「今、初めて持ったんじゃないのかい?」
反論したかったが、ファステまで視線をそらした。
「材料がないんだ。木を切る道具もない。石は外から運べるけど、壁を作れるほど持ってくるには時間がかかる」
「材料なら、周りにあるでしょう」
リディアが灰色の壁を叩く。
「これは壊せない」
「壊す必要はないわ。あなた、この場所の明るさを変えて、煙を外へ出させたと言ったでしょう?」
「できたけど」
「なら、壁も動かせるかもしれない」
「試したことはない」
「試しなさい」
「簡単に言うな」
「何も試さずに、できないと決めるほうが簡単よ」
リディアは腰を落とし、火のそばから燃え残った炭を1本拾った。
灰色の床へ、黒い線を引く。
「これが今の部屋。火はここ。食料はここ。全員が眠る場所はこの辺り」
四角の中へ、次々と線が増えていく。
「まず火を壁際へ移す。排煙する場所を固定して、周りを厨房にする。隣は食料庫。入口を近づけすぎると、外から戻った汚れを食料の近くへ持ち込むから離す」
「寝る場所は?」
「反対側。朝斗の部屋と、女性たちの部屋を分ける」
「俺だけ1人なのか?」
「当然でしょう」
3人の女性が、ほぼ同時にうなずいた。
「分かった」
「女性用の寝室も、いずれ個室へ分けられるよう余白を取る。今すぐ全員分を作れないとしても、着替える場所と、内側から閉められる場所は必要よ」
内側から閉められる。
その言葉に、ファステが床の線を見る目を止めた。
「ファステは、どんな部屋がいい?」
リディアが尋ねる。
「私が決めてもいいの?」
「暮らす人間が決めなくて、誰が決めるの?」
ファステはしばらく迷い、小さく答えた。
「入口が、内側から閉められる部屋がいい」
「分かった。鍵まではすぐ作れなくても、扉を押さえられる形にはする」
リディアが線を足す。
「アクアリアは?」
「水を置ける場所が必要です。できれば、清潔な水と使用後の水を分けられるようにしてください」
「水場と排水ね。ミラは?」
「火を使う台と、肉を切る台を分けたい。食料庫は涼しいほうがいいね。それと、あたしの包丁を寝床のそばへ置かなくて済む場所が欲しい」
「全部正しいわ」
「俺の希望は?」
「あなたは何が欲しいの?」
聞かれて、改めて床の線を見る。
厨房。食料庫。寝室。水場。
少し前まで、この場所には灰色の壁と床しかなかった。
それが、俺の望みへ応えて明るくなり、空気が動き、煙まで排出できるようになった。
ならば、部屋も作れる。
全員が安全に眠れる場所。
食料を守る場所。
火を使う場所。
「全部欲しい」
「欲張りね」
「王の場所なんだ。必要なものをそろえるのは当然だ」
床に描かれた間取りを見つめる。
この線のとおりに、壁が立つところを想像する。
灰色の一室が、暮らせる拠点へ変わる。
「《淫獄》。この設計どおりに、部屋を分けてくれ」
何も起こらなかった。
床に描かれた線も、周囲の壁も変わらない。
「できないの?」
ファステが不安そうに尋ねる。
「全部を一度には無理らしい」
何も起きなかっただけで、構造を変えられないと決まったわけじゃない。完成した間取りを一度に求めたのが大きすぎたのかもしれない。
なら、要求を小さくすればいい。
「《淫獄》。まず、この線に沿って床を少しだけ盛り上げてくれ」
床へ引かれた黒い線の1本を指す。
しばらく待つと、線の下が指1本分ほど持ち上がった。
「動いた」
「それだけ?」
リディアは厳しい顔のままだったが、盛り上がった床へ近づいた。
「今は、これが限界ならな」
俺は次の線を指す。
「同じ高さまで上げてくれ」
2本目も動いた。
続けて3本目、4本目。床に描かれた間取りが、低い灰色の仕切りへ変わっていく。
「今度は、この仕切りを全部、俺の腰まで高くする」
仕切りは動かなかった。
「全部同時じゃない。この1本だけだ」
目の前の仕切りだけを見て、強く望む。
灰色の仕切りが、ゆっくりと膝の高さまで伸びた。そこで止まる。
「まだだ。もう少し」
「朝斗、無理なんじゃない?」
「動いてる。なら、まだできる」
俺が諦めなければ、《淫獄》も応える。
膝までだった仕切りが、少しずつ高くなる。腰を越え、胸元へ届き、やがて俺の背より高い壁になった。
次の仕切りへ移る。
1枚ずつなら動かせる。高さが足りなければ、同じ要求を繰り返せばいい。
食料庫が欲しい。
安全な厨房が欲しい。
ファステが内側から閉じられる部屋を作りたい。
全員が安心して眠れる場所を、俺の王国にそろえたい。
望みは、壁を動かすたびに強くなっていった。
床が大きく震えた。
「何?」
リディアが炭を落とし、全員が立ち上がる。
俺がまだ動かしていなかった仕切りが、床へ描かれた線に沿って一斉にせり上がった。
俺たちのいる中央部分を残し、空間が分かれていく。壁の一部が四角くへこみ、棚になる。厨房として描かれた場所では、火を置くための台が床から持ち上がり、その上だけ天井へ向かう空気の流れが生まれた。
食料庫は中央より少し狭く、空気もわずかに冷たい。
反対側には2つの寝室ができた。
扉はない。寝台もない。窓も装飾もなく、どこまでいっても灰色のままだ。
今の俺が作れるのは、設計された基礎構造までらしい。
それでも、もう1つの空っぽな箱ではなかった。
最初に俺1人で完成した間取りを求めたとき、《淫獄》は動かなかった。
大きな変化が起きたのは、低い仕切りが実際に形となり、全員がその先にある自分たちの暮らしを意識し始めたあとだ。
ファステは、内側から閉められる寝室を欲しがった。
アクアリアは、清潔な水を置ける場所を求めた。
ミラは、安全に料理できる厨房と食料庫を必要とした。
リディアは、自分の設計を本物の建物にしたがっていた。
俺の要求を小さく分けたことだけが、理由なのか。
それとも――。
「住民の欲しいものが、ここに蓄積されてるのか?」
《淫獄》へ問いかける。
返事はない。
「朝斗?」
「明るさを変えたときより、今の変化はずっと大きかった。俺が欲しがっただけじゃなくて、ここにいる全員が自分の部屋を欲しがったから動いたのかもしれない」
「仮説としては面白いわね」
リディアが新しい壁を指でなぞる。
「でも、この場所は何も答えてくれないのでしょう?」
「答えないなら、次も試せばいい」
住民が増えるほど、欲しいものも増える。
その欲望が《淫獄》へたまり、新しい能力を開くのだとすれば、召喚することと領域を成長させることは最初からつながっている。
まだ仮説にすぎない。
だが、今まで起きたことには説明がついた。
「一瞬で……」
リディアが壁へ近づき、両手で触れる。
叩き、厚みを確かめ、棚へ体重をかける。それから厨房と食料庫を何度も往復した。
「寸法まで、私が描いたとおり」
「だから言っただろ。ここは俺の意思へ応える」
「普通は応えないのよ」
「《淫獄》では応える」
俺が答えると、リディアは壁を見たまま笑った。
召喚されてから初めて見せる、警戒でも怒りでもない表情だった。
「こんな建材、見たことがない。継ぎ目も支柱もないのに自立して、しかも設計へ合わせて形を変えるなんて」
「気に入ったのか?」
「建物として興味があるだけ。あなたを許したわけではないわ」
「分かってる」
「本当に?」
「アクアリアにも似たようなことを言われた」
「なら、何度でも言われなさい」
リディアは工具帯から折尺を取り出し、新しい壁を測り始めた。
◇
リディアは一通り確認を終えると、俺の前へ戻ってきた。
「この場所の設計に協力してもいい」
「本当か?」
「条件があるわ」
「聞く」
「設計については、専門家として私の意見を聞くこと。住民の安全を無視した変更には反対させてもらう」
「分かった」
「まだある。私を元の場所へ戻す方法を探すこと。少なくとも、弟子たちの安否を確かめる可能性を勝手に捨てないこと」
「約束する」
「簡単に約束しないで。できるかどうかも分からないのでしょう?」
「だから、方法を探すことを約束する。必ず帰せるとは言わない」
リディアが俺の目を見る。
「……それならいいわ」
「ほかには?」
「私の設計を、王の一言だけで勝手に変えないこと」
「ここは俺の領域だけど」
「だからこそよ。あなたが思いつきで壁を動かせるなら、住民は安心して眠れない」
ファステが内側から閉じられる部屋を求めた理由を思い出す。
俺がいつでも壁を消せる場所では、扉を作っても完全には安心できない。
「住民が使っている部屋は、本人の同意なしに変えない」
「言葉だけでは信用しない。でも、今はそれでいいわ」
リディアは新しくできた壁と、床に残る設計線を見回した。
「なら、しばらくここにいるわ。あなたが約束を守る人間か、見届けさせてもらう」
『3回目通常《住民召喚》が確定しました』
『召喚住民:リディア・ハウゼン』
『状態:滞在中』
『通常《住民召喚》実行回数:3回』
簡単には信用しない。
それでも、リディアは自分の条件を示し、自分の意思でここへ残ることを選んだ。
3回目も当たりだった。
水、料理、そして建築。
召喚するたびに、この場所へなかったものが増えていく。
「次は、水場ね」
リディアが床に残った炭の線へ、新しい四角を足した。
「水はアクアリアが作れる」
「作った水をどこへ置くの? 飲む水と身体を洗う水を、同じ場所へためるつもり?」
「容器が必要か」
「容器だけじゃない。排水も、便所も必要。人数が増えるなら、浴室も作ったほうがいいわ」
「浴室」
その言葉で、余計な想像が浮かんだ。
水色の髪を濡らすアクアリア。
赤い髪をほどいたファステ。
火のそばで汗を流していたミラ。
そして、煤で汚れた作業着を脱ぐリディア。
4人の成人女性が、新しく作られた浴室で身体を洗う。
想像を止めようとするほど、細部が鮮明になる。
同時に、頭の中へ1,000という数字が浮かんだ。
4回目の召喚。
次の1人が来れば、浴室や排水を完成させられるかもしれない。それだけではない。外を調べられる人、道具を作れる人、食料を増やせる人。
住民が増えれば、欲しいものも増える。
欲望が増えれば、《淫獄》はさらに成長する。
なら、次を呼ばない理由はない。
もっと呼びたい。
この場所を、もっと早く完成させたい。
『《淫獄石》を955個獲得しました』
『所持《淫獄石》:1,000個』
「もう貯まった」
思わず口元が緩む。
「何が?」
リディアが警戒するように尋ねた。
「次の召喚に必要な石」
「私を呼んだばかりでしょう?」
「でも、必要数に届いた」
「だから呼ぶの?」
「今すぐとは言ってない」
アクアリアが、また同じやり取りだと言いたそうに目を閉じた。
ミラは新しい食料庫へ肉を運びながら、呆れた声を出す。
「部屋が増えても、食べ物は増えてないよ」
「分かってる。次は外を調べられる人が必要かもしれない」
「来る相手を選べないのでしょう?」
アクアリアが指摘する。
「選べない。でも、今までの3人は、そのとき必要な力を持ってた」
「次も同じとは限りません」
「それでも回せる」
俺は表示を開く。
『4回目通常《住民召喚》』
『必要《淫獄石》:1,000個』
『所持《淫獄石》:1,000個』
『実行可能』
少し前まで、ここには何もなかった。
今は厨房がある。食料庫がある。寝る場所も分けられた。
あと1人呼べば、次の問題も解決できる可能性がある。
「今日は、もう回さないよな?」
ファステが確かめるように尋ねた。
「今日とは限らない」
「朝斗」
「今すぐは回さない」
嘘ではない。
リディアが作った区画を確認し、今夜どこで眠るか決める必要がある。寝具も扉もない。外から運び込むものも多い。
先にするべきことは分かっている。
召喚できるからといって、すぐ実行する必要はない。
俺は画面を閉じず、新しく生まれた通路を見た。
灰色の一室は、もう小さな王国へ変わり始めている。
今夜ではない。
眠ったあとか、必要なものを運び終えたあとか。
いつ回すかを決めていないだけで、回さないという選択肢は、もう残っていなかった。




