第11話 帰る場所は誰が決める
セリアが戻ったのは、《淫獄》の光が夜へ変わる少し前だった。
「3人は北へ向かった。そのあと偽の痕跡を見失い、街道沿いの宿駅へ戻っている」
「信じさせられたのか?」
「少なくとも、今夜すぐ小屋へ戻る様子はない。宿駅の位置も確認した」
レオナが、ファステの説明をもとに作った地図へ宿駅の位置を書き加える。
「追手が使う道と、町へ向かう道が重なっている」
「追手を避けて町へ出る道はある?」
ファステが尋ねた。
「調べる必要がある。安全な脇道が残っていれば使える」
2人は夜遅くまで地図を見比べていた。
◇
翌朝、レオナは槍と盾を身につけた。
その隣には、外套を着たファステが立っている。
「ファステも行くのか?」
「私がいれば、道と町の印を見分けられる」
「セリアが行けばいい」
「セリアは宿駅を見張る。追手が戻ってこないか確認する者が必要だ」
レオナが答えた。
「私が守る。危険があれば引き返す」
「でも――」
「朝斗」
ファステは俺から目をそらさなかった。
「外のことを知るのが、私の役割でしょう?」
役割表へ自分で書いた言葉だった。
認めておいて、危険だから出るなと言うのは違う。
「人工の光が夕方へ変わる前に戻ること。必ずレオナと一緒にいること」
「分かった」
それでも、2人をそのまま出す気にはなれなかった。
2人が炭焼き小屋へ戻ったとき、入口を開く前にそれを知る方法が欲しい。
声が届かなくても、戻ってきたことだけは分かる目印。
そう望むと、足元の床から乾いた音がした。
表面の一部が割れ、小さな黒灰色の欠片が2つ浮き上がっている。
2つ拾い、それぞれへ渡す。
「持っていてくれ」
「何ですか?」
「《淫獄》の一部だ。目印くらいにはなるかもしれない」
何の反応もない。
ただの石にしか見えなかった。
レオナは片方を腰袋へ入れた。ファステは少し迷い、首元の小袋へしまった。
2人が第2接続地点を通り、炭焼き小屋へ出る。
入口を閉じる直前、ファステが振り返った。
「行ってきます」
「必ず戻れよ」
入口が閉じた。
◇
待つしかない時間は長かった。
リディアと豆の支柱を作り、ミラの食料整理を手伝い、何度も天井の光を見る。
昼を過ぎ、光が赤くなり始めた。
2人は戻らない。
「遅い」
「まだ完全な夜ではありません」
アクアリアが落ち着かせようとする。
「夕方になる前に戻る約束だ」
第2接続地点を開く。
向こうには無人の炭焼き小屋があるだけだった。
「レオナ! ファステ!」
返事はない。
「開けたままにしないほうがいい」
セリアが入口の外を確かめて戻る。
「追手が戻れば見つかる。小屋へいないなら、ここで呼んでも届かない」
入口を閉じる。
どこにいる。
何が起きた。
怪我をしていないか。追手に見つかったのか。町へ続く道を見つけ、そのまま先へ進んだのか。
何も分からない。
また入口を開きたくなる。
だが、開けても2人はいない。危険を増やすだけだ。
「居場所が分かればいいのに」
床へ置かれた地図を見る。
「今どこにいるのか。無事なのか。危険なら、すぐ戻れと伝えられれば」
俺が渡した石を思い出した。
《淫獄》の一部。
登録住民が持っている、2つの石。
「つながれ」
返事はない。
「2人の場所を教えろ」
視界の端に、細い光が浮かんだ。
『ファステ・フェルン』
『レオナ・グラーデ』
それだけだった。
理由も使い方も表示されない。
だが、名前を意識すると、胸の奥に2つの方向が伝わってきた。
同じ方角。第2接続地点から離れ、街道があるはずの方向へ動いている。
距離まで分かる。
「見つけた」
「何をです?」
「2人だ。どこにいるか分かる」
アクアリアの表情が変わる。
「見えるのですか?」
「姿は見えない。方角と距離だけだ」
2つの反応は重なっている。
一緒にいる。
その事実だけで呼吸が楽になった。
次の瞬間、ファステの反応が鋭く跳ねた。
言葉ではない。身体の奥から突然押し寄せたような、強い恐怖だった。
状態を示す反応なのか。
答えを考える間もなく、今度は同じ強さの脈動が2度、明確に重なった。
危険を知らせようとする、ファステ自身の意思を感じた。
「何か来た」
「負傷ですか?」
「分からない。でも、危険だと知らせてる」
戻れ。
今すぐ接続地点へ戻れ。
強く念じる。
俺の意思が、石へ届いた感覚があった。
◇
少し前、ファステとレオナは泥へ残った荷車の轍を見つけていた。
レオナが地面へ膝をつく。
轍の中央には、細い車輪が2本並んだような跡が続いている。
「荷を運ぶだけの車輪ではない。重い檻を安定させるため、中央にも補助輪をつけている」
道端の枝には、黒と赤に染め分けられた細い荷紐が引っかかっていた。
「その色は知ってる」
ファステの顔が強張る。
「追手が、人を運ぶ馬車へつけていた紐です」
「なら、この先に奴らの移送路がある。安全な町への道を探すなら、先に位置を把握しておく必要がある」
そのとき、後方の森から足音が聞こえた。
ファステの胸に恐怖が走る。
首元の石に赤い線が浮かび、触れていないのに淡く脈打った。
「石が……」
自分の恐怖へ反応したのだと、ファステには直感的に分かった。
朝斗へ知らせたい。
危険が近づいていると伝えたい。
ファステが石を強く握ると、赤い線が2度続けて明滅した。
その直後、石がさらに熱を持った。
「熱い」
小袋から出すと、黒灰色だった石に赤い線が浮かんでいる。
一定の間隔で脈打っていた。
「朝斗だろう」
レオナが森の奥を見る。
「戻れと言っている」
「分かるの?」
「命令を伝える道具なら、分からせるように作る」
轍は街道の先へ続いている。
「追えば、移送先や追手の拠点が分かるかもしれない」
レオナは槍を握る。
「でも、後ろから来る者がいる。戦えば帰還が遅れる」
「どうするの?」
「お前が決めろ」
ファステが目を見開く。
「私が?」
「この土地を知る案内役はお前だ。今進むか、道を覚えて戻るか」
轍の先には、追手たちが使う移送路があるかもしれない。
戻れば、手掛かりを失う可能性もある。
石が何度も熱を伝える。
帰れ。
朝斗の命令が、言葉を使わず繰り返されている。
ファステは轍と、炭焼き小屋へ戻る道を見比べた。
「戻ります」
「朝斗に命じられたからか?」
ファステは首を横へ振った。
「道は覚えました。今は戻って、みんなに伝える。次は追手がいないことを確かめてから来ます」
「分かった。なら、私が後ろを守る」
2人は轍へ枝で印をつけ、来た道を引き返した。
◇
2つの反応が、第2接続地点へ近づいてくる。
すぐに入口を開こうとして、手を止めた。
ファステから届く危険の感覚が、まだ消えていない。
追われたまま入口を開けば、外から見られるかもしれない。
待つ。
距離は近づいている。
やがて危険の脈動が止まった。
代わりに、帰還を求める穏やかな反応が届く。
「今だ」
入口を開く直前、2人の石へ意思を送る。
開ける。
炭焼き小屋に立つファステの手元で、赤い線が白く変わった。
入口が開く。
レオナが外を確認し、ファステを先に通した。自分も後ろ向きに入り、最後まで槍を外へ向けている。
2人が戻ると、入口を閉じた。
「遅い」
叱るつもりだったのに、出てきた声は震えていた。
「ごめんなさい。でも、追手が人を運ぶ馬車の跡を見つけた」
レオナが街道図を広げる。
「場所は覚えた。明日、セリアと確認する」
「怪我は?」
「ない」
2人の姿を見て、ようやく安心できた。
ファステは手の中の石を見つめている。
「これ、何なの?」
「《帰還石》だと思う。2人の居場所が分かった。危険だという合図も届いた。俺から戻れと伝えることもできる」
「最初に、ファステの強い恐怖が伝わった。そのあと、危険を知らせる合図が2度来た」
「最初の反応は、私が何もしなくても出た。危険を知らせたいと思って握ったら、次の光が出たの」
自動で状態を知らせる反応と、本人が送る合図は別らしい。
「私たちがどこにいるか、ずっと分かるの?」
「石を持っていれば分かる」
「私が知らせなくても?」
「ああ」
当然だと思った。
「そのほうが安全だ。今日だって、2人が一緒にいて、戻ってきていることが分かった」
「そう……」
「これから外へ出る住民には、全員持ってもらう」
ファステは石を握った。
喜んでいるようには見えなかった。
「便利じゃないか?」
「便利だと思う。今日も助かった」
「なら――」
「でも、朝斗」
ファステが俺を見る。
「帰る場所は、自分で決めたい」
「決めていい。命令が届いても、身体を動かすのはファステだ」
「うん。だから今日は、私が戻ると決めた」
言葉の意味が、よく分からなかった。
結果は同じだ。
俺が戻れと伝え、ファステは安全な《淫獄》へ戻ってきた。
それでいいはずだった。
ファステは《帰還石》を首元の小袋へ戻した。
俺の中には、2人の位置が今もはっきり分かる。
すぐ近くにいる。
もう、見失わない。




