第66話 剣王との再会
魔族領との国境。
かつて人間と魔族を隔てていた結界は、もう存在しない。
以前なら立ち入ることすら困難だった土地へ、ハヤトたちは普通に足を踏み入れていた。
もっとも普通なのは道だけだった。
周囲の空気は重い。
ハヤト:「……。」
フローネ:「……。」
ヴェルミナ:「……。」
ハヤト:「みんな静かだな。」
フローネ:「勇者様もでしょう。」
ハヤト:「まあ。」
ヴェルミナ:「緊張してる?」
ハヤト:「ちょっと。」
ハヤトは素直に答えた。
前方に古い砦が見えている。
剣王バルガスが指定した場所だった。
黒の工房で二度目に戦って以来、バルガスとは会っていない。
あの時も勝てなかった。
最初の戦いとは違った。
仲間と力を合わせれば多少は戦えるようになっていた。
だが最後には全員まとめて吹き飛ばされた。
バルガス:「弱い。」
あの一言まで今でも覚えている。
ハヤト:(怖くないって言ったら嘘だな。)
それでも足は止まらない。
ヴェルミナ:「ハヤト。」
ハヤト:「何?」
ヴェルミナ:「ここから先は一人で行くの?」
ハヤト:「手紙にはそう書いてあったから。」
フローネ:「納得できません。」
ハヤト:「昨日からずっと言ってるな。」
フローネ:「当然です。」
ハヤト:「大丈夫だって。」
フローネ:「禁止です。」
ハヤト:「そうだった。」
ヴェルミナ:「危なくなったらすぐ逃げなさい。」
ハヤト:「分かってる。」
ヴェルミナ:「本当に?」
ハヤト:「本当。」
ヴェルミナは少しだけハヤトを見る。
そして。
ヴェルミナ:「ちゃんと戻ってきてね。」
ハヤト:「おう。」
フローネ:「私も。」
ハヤト:「ん?」
フローネ:「待っていますから。」
ハヤト:「分かった。」
ハヤトは二人へ背を向ける。
そして一人で砦へ向かって歩き出した。
◆◇◆
古い砦。
かつて国境防衛に使われていた場所なのだろう。
石造りの城壁は部分的に崩れ門も半分壊れていた。
ハヤト:「誰もいないな。」
魔王軍の兵士もいない。
魔族の気配もない。
本当に一人だけで待っているらしい。
砦の中央へ進む。
広い中庭。
そこでハヤトの足が止まった。
男がいた。
巨大な黒剣。
二メートルを超える体格。
感情の読めない顔。
忘れるはずがない。
剣王バルガス。
バルガス:「来たか。」
ハヤト:「来た。」
バルガス:「遅い。」
ハヤト:「時間ぴったりだぞ。」
バルガス:「俺は昨日からいる。」
ハヤト:「それはお前が早すぎるんだよ!」
バルガス:「そうか。」
ハヤト:「そうだよ。」
久しぶりに会った。
だが何も変わっていない。
相変わらず会話が続かない。
ハヤト:「えっと。」
バルガス:「何だ。」
ハヤト:「手紙。」
バルガス:「送った。」
ハヤト:「知ってる。」
バルガス:「なら何だ。」
ハヤト:「なんで呼んだ?」
バルガス:「確かめるためだ。」
ハヤト:「何を?」
バルガスはゆっくり黒剣を肩から下ろした。
ハヤト:「……やっぱり?」
バルガス:「構えろ。」
ハヤト:「話し合いじゃないの?」
バルガス:「その後だ。」
ハヤト:「先に話そうよ。」
バルガス:「必要ない。」
ハヤト:「必要あるだろ!」
バルガス:「剣を見れば分かる。」
ハヤト:「何が!?」
バルガス:「全部だ。」
ハヤト:「絶対分からないだろ!」
ハヤトは思わず頭を抱えた。
ヴェルミナが会えば分かると言っていた理由が少し分かった気がする。
バルガスにとって戦うことそのものが会話なのだ。
ハヤト:「仕方ないな。」
剣を抜く。
昔ならここで自分から飛び出していた。
今は違う。
ハヤトは静かに構えた。
そして待つ。
バルガスの眉がほんの僅かに動いた。
バルガス:「変わったな。」
ハヤト:「そう?」
バルガス:「以前なら。」
バルガス:「もう斬りかかっていた。」
ハヤト:「反省したんだよ。」
バルガス:「そうか。」
次の瞬間、バルガスが消えた。
ハヤト:「っ!」
黒剣が迫る。
速い。
知っているこの速度。
人生で初めて何も見えなかった攻撃。
だが今は見えた。
ハヤトは剣を持ち上げる。
ガァァァァァン!!
砦全体が震えた。
足元の石畳に大きな亀裂が走る。
腕が痺れる。
肩が軋む。
重い。
相変わらず馬鹿みたいに重い。
だがハヤトは吹き飛ばされなかった。
バルガス:「……。」
ハヤト:「重っ……!」
バルガス:「受けたか。」
ハヤト:「俺も強くなっただろ?」
バルガス:「少しな。」
ハヤト:「少しかよ!」
黒剣が引かれる。
二撃目。
ハヤトは受け流す。
三撃目。
避ける。
四撃目。
今度は自分から踏み込む。
バルガスの剣とハヤトの剣がぶつかる。
ガキィィィン!!
火花が散る。
以前とは違う。
押し潰されない。
押し負けない。
だが互角ではない。
まだバルガスの方が上だ。
だがもう何もできないほどの差ではなかった。
ハヤト:(届く。)
初めてそう思った。
バルガスの横腹が見える。
剣を振れば届く。
一歩踏み込めば斬れる。
バルガスもそれに気付いていた。
それでも避けない。
ハヤトの選択を待っている。
ハヤト:「……。」
ハヤトは。
剣を止めた。
一歩後ろへ下がる。
そして構えを解いた。
バルガス:「なぜ止めた。」
ハヤト:「今日は。」
ハヤト:「お前を倒しに来たんじゃない。」
バルガス:「俺を斬れる機会だった。」
ハヤト:「知ってる。」
バルガス:「次はないかもしれん。」
ハヤト:「それでもいい。」
バルガスはハヤトを見る。
以前と同じ感情が読めない顔。
だがその目だけが少し変わっていた。
バルガス:「つまらんな。」
ハヤト:「悪かったな。」
バルガス:「だが。」
黒剣を肩へ担ぐ。
バルガス:「以前よりは面白い。」
ハヤト:「どっちだよ。」
バルガス:「両方だ。」
ハヤト:「意味分からん。」
バルガス:「そうか。」
相変わらずだった。
◆◇◆
二人は崩れた城壁へ腰を下ろしていた。
少し前まで剣をぶつけていたとは思えない。
ハヤト:「で。」
バルガス:「何だ。」
ハヤト:「本題。」
バルガス:「言え。」
ハヤト:「魔王と話したい。」
バルガス:「知っている。」
ハヤト:「だったら早い。」
バルガス:「和平か。」
ハヤト:「できれば。」
バルガス:「興味はない。」
ハヤト:「即答だな。」
バルガス:「人間と魔族が戦おうが。」
バルガス:「和平しようが。」
バルガス:「俺には大した違いはない。」
ハヤト:「じゃあ。」
ハヤト:「邪魔しない?」
バルガス:「それを決めるために呼んだ。」
ハヤト:「さっきので?」
バルガス:「そうだ。」
ハヤト:「何が分かったんだよ。」
バルガス:「お前が。」
バルガス:「まだ勇者であることだ。」
ハヤト:「……。」
バルガス:「強くなったからではない。」
ハヤト:「じゃあ何?」
バルガス:「黒の工房。」
バルガス:「覚えているか。」
ハヤト:「もちろん。」
バルガス:「俺との戦いを捨てた。」
ハヤト:「人が残ってたからな。」
バルガス:「勝ちたくなかったのか。」
ハヤト:「勝ちたかったよ。」
バルガス:「なら。」
ハヤト:「でも。」
ハヤトはバルガスを見る。
ハヤト:「勝つより。」
ハヤト:「助ける方が大事だった。」
バルガス:「そうか。」
ハヤト:「おかしい?」
バルガス:「馬鹿だと思う。」
ハヤト:「またそれ?」
バルガス:「だが。」
バルガスは少しだけ空を見る。
バルガス:「嫌いではない。」
ハヤト:「グラヴにも似たようなこと言われた。」
バルガス:「あいつと一緒にするな。」
ハヤト:「仲悪いの?」
バルガス:「うるさい。」
ハヤト:「聞いただけじゃん。」
ほんの少しだけハヤトは笑った。
バルガスも笑いはしない。
ただ以前のような圧力はなかった。
バルガス:「勇者。」
ハヤト:「何?」
バルガス:「俺は和平を支持しない。」
ハヤト:「うん。」
バルガス:「反対もしない。」
ハヤト:「うん。」
バルガス:「魔王の前へ行きたければ。」
バルガス:「好きにしろ。」
ハヤト:「いいの?」
バルガス:「俺の許可など必要ない。」
ハヤト:「じゃあなんで呼んだんだよ!」
バルガス:「お前を見たかった。」
ハヤト:「……。」
ハヤト:「言い方。」
バルガス:「何だ。」
ハヤト:「いや。」
ハヤト:「何でもない。」
バルガス:「変な奴だ。」
ハヤト:「お前に言われたくない。」
バルガスは立ち上がる。
ハヤト:「帰るの?」
バルガス:「用は済んだ。」
ハヤト:「待て。」
バルガス:「何だ。」
ハヤトも立ち上がる。
ハヤト:「今度。」
ハヤト:「ちゃんと決着つけよう。」
バルガス:「今日つけなかったのはお前だ。」
ハヤト:「今日は別の用事だったから。」
バルガス:「そうか。」
ハヤト:「次は。」
ハヤト:「勝つ。」
バルガスは初めてほんの僅かに。
笑った。
バルガス:「待っている。」
それだけ言って剣王は歩き出した。
ハヤトはその背中を見送る。
昔は届かない背中だった。
今もまだ少し遠い。
だがもう見上げるだけの相手ではなかった。
◆◇◆
国境付近。
フローネとヴェルミナが待っていた。
ハヤトの姿が見える。
フローネ:「勇者様!」
ヴェルミナ:「ハヤト!」
二人が同時に走り出す。
ハヤト:「ただいま。」
フローネ:「怪我は!?」
ハヤト:「ない。」
ヴェルミナ:「本当に?」
ハヤト:「本当。」
フローネ:「どこか痛くありませんか?」
ハヤト:「腕がちょっと痺れてる。」
フローネ:「怪我してるじゃないですか!」
ハヤト:「怪我じゃないって!」
ヴェルミナはハヤトの顔を見る。
大丈夫そうだった。
それだけ確認すると小さく息を吐いた。
ヴェルミナ:「それで?」
ハヤト:「ん?」
ヴェルミナ:「バルガスは?」
ハヤト:「邪魔しないって。」
ヴェルミナ:「そう。」
フローネ:「では。」
ハヤト:「一人目。」
ハヤト:「なんとかなった。」
フローネは微笑む。
だがヴェルミナは次の相手を思い浮かべていた。
ヴェルミナ:「次は。」
ハヤト:「グラヴ?」
ヴェルミナ:「ええ。」
少し離れた場所でガルデが待っている。
兄との未決着。
今度は剣だけでは終わらない。
ハヤトもそれを分かっていた。
剣王との三度目の邂逅は。
戦いではなく互いを認めることで終わった。
だが獣王グラヴとの再会はもっと難しい。
なぜなら。
次に向き合うのは強さではなく、諦めてしまった男の心なのだから。




