第62話 勇者先生
翌朝。
王都の訓練場には、朝早くから大勢の衛兵が集まっていた。
昨日の訓練が予想以上に好評だったらしい。
ハヤトが到着した時には、すでに百人近い衛兵が整列していた。
ハヤト:「増えてない?」
フローネ:「増えましたね。」
ハヤト:「昨日五十人くらいだったよな?」
フローネ:「勇者様から直接指導を受けられると聞いて、希望者が増えたそうです。」
ハヤト:「嫌な予感しかしない。」
フローネ:「勇者様。」
ハヤト:「何?」
フローネ:「教えるのは私が手伝います。」
ハヤト:「ありがとう!」
即答だった。
フローネは思わず笑った。
昨日の訓練でハヤトに一人で指導を任せると危険だということは、十分に理解していた。
ハヤト:「でもさ。」
フローネ:「何でしょう?」
ハヤト:「フローネって今日も仕事あるだろ?」
フローネ:「あります。」
ハヤト:「大丈夫なの?」
フローネ:「午前中はこちらを手伝う許可をいただきました。」
ハヤト:「わざわざ?」
フローネ:「……。」
ハヤト:「フローネ?」
フローネ:「勇者様一人では心配だからです!」
ハヤト:「なんで怒るの!?」
フローネ:「怒っていません!」
どう見ても少し怒っていた。
ハヤトには理由が分からなかった。
◆◇◆
訓練が始まった。
ハヤト:「まず。」
衛兵たちが真剣な顔で注目する。
ハヤト:「攻撃されたら。」
衛兵:「はい!」
ハヤト:「避ける。」
衛兵:「……。」
ハヤト:「その後。」
ハヤト:「斬る。」
衛兵:「……。」
静寂が流れた。
フローネが額を押さえる。
フローネ:「勇者様。」
ハヤト:「何?」
フローネ:「昨日から何も成長していません。」
ハヤト:「分かりやすいと思うんだけど。」
フローネ:「勇者様にしか分かりません。」
衛兵の一人がおそるおそる手を挙げる。
衛兵:「勇者様。」
ハヤト:「はい。」
衛兵:「避ける時の足運びを見せていただいても?」
ハヤト:「いいよ。」
衛兵が木剣を構える。
ハヤト:「普通に来て。」
衛兵:「分かりました!」
衛兵が踏み込む。
木剣が振られる。
その瞬間、ハヤトの姿が消えた。
衛兵:「え?」
ハヤト:「こんな感じ。」
声は衛兵の後ろから聞こえた。
衛兵:「……。」
ハヤト:「分かった?」
衛兵:「全く分かりません!」
ハヤト:「えぇ!?」
フローネ:「勇者様が速すぎます。」
ハヤト:「じゃあ、ゆっくりやる。」
もう一度。
衛兵が攻撃する。
今度はハヤトも速度を落とす。
横へ半歩身体を僅かに捻り木剣をかわす。
フローネ:「今です。」
全員がフローネを見る。
フローネ:「相手が剣を振る直前、肩が僅かに動きました。」
フローネ:「勇者様は、その動きを見てから身体をずらしています。」
衛兵:「なるほど。」
ハヤト:「そうなの?」
フローネ:「勇者様が驚かないでください。」
ハヤト:「無意識だった。」
フローネ:「でしょうね。」
ハヤト:「ひどい。」
衛兵たちが笑う。
昨日と同じだった。
ハヤトが実演する。
フローネが説明する。
一人ではまともに教えることができなかったハヤトもフローネが隣にいれば非常に分かりやすい教材になった。
衛兵:「勇者様!」
ハヤト:「何?」
衛兵:「複数に囲まれた場合はどうしますか?」
ハヤト:「全員倒す。」
フローネ:「勇者様。」
ハヤト:「はい。」
フローネ:「一般兵向けの指導です。」
ハヤト:「逃げる。」
フローネ:「正解です。」
ハヤト:「俺、先生向いてない?」
フローネ:「お気付きになりましたか。」
ハヤト:「もう少し否定してよ!」
また笑いが起きた。
◆◇◆
昼。
午前の訓練が終わった。
ハヤトは訓練場の隅へ腰を下ろし、水を飲んでいた。
フローネも隣へ座る。
ハヤト:「疲れた。」
フローネ:「昨日よりは良かったですよ。」
ハヤト:「本当?」
フローネ:「少しだけ。」
ハヤト:「セレナみたいな言い方するなよ。」
フローネ:「事実です。」
ハヤトは水を飲む。
しばらく二人とも喋らなかった。
だが不思議と居心地は悪くない。
ハヤト:「なあ。」
フローネ:「何でしょう?」
ハヤト:「俺が王都にいる間。」
ハヤト:「ずっと訓練手伝ってくれる?」
フローネ:「……。」
ハヤト:「嫌ならいいけど。」
フローネ:「嫌ではありません。」
返事が妙に早かった。
ハヤト:「よかった。」
フローネ:「ですが。」
ハヤト:「何?」
フローネ:「勇者様自身も、教え方を覚えてください。」
ハヤト:「努力します。」
フローネ:「本当に?」
ハヤト:「たぶん。」
フローネ:「勇者様?」
ハヤト:「絶対!」
フローネは小さく笑った。
フローネ:「分かりました。」
ハヤト:「じゃあ明日もよろしく。」
フローネ:「はい。」
ごく普通の会話だった。
それなのにフローネは少しだけ嬉しかった。
明日もハヤトと会う理由ができた。
そう思ってから自分の考えに気付く。
フローネ:(……会う理由?)
少しだけ頬が熱くなった。
ハヤト:「どうした?」
フローネ:「何でもありません!」
ハヤト:「また怒った!?」
フローネ:「怒っていません!」
ハヤトにはやはり何も分からなかった。
◆◇◆
午後。
ハヤトには、もう一つの仕事があった。
王都東部。
城壁の外に広がる森林地帯。
最近、大型の魔獣が目撃されているらしい。
被害が出る前に討伐する。
王国特別指南役兼遊撃官。
その仕事だった。
ハヤト:「一人で?」
騎士:「はい。」
ハヤト:「みんなは?」
騎士:「通常任務がありますので。」
ハヤト:「フローネは?」
騎士:「副団長にも仕事があります。」
ハヤト:「そうだよな。」
少しだけ心細かった。
旅を始めた頃ならむしろ一人の方が楽だと思ったかもしれない。
だが今は仲間と一緒に戦うことが当たり前になっていた。
ハヤト:(まあ。)
ハヤト:(魔獣一匹だろ。)
ハヤト:(なんとかなるか。)
森へ入ろうとした。
その時背後から声がした。
ヴェルミナ:「置いていく気?」
ハヤト:「うわっ!?」
振り返る。
ヴェルミナが立っていた。
普通に。
ヴェルミナ:「何よ、その反応。」
ハヤト:「なんでいるんだよ!」
ヴェルミナ:「散歩。」
ハヤト:「王都の外まで?」
ヴェルミナ:「そういう散歩もあるわ。」
ハヤト:「絶対嘘だろ。」
ヴェルミナ:「細かい男ね。」
ハヤト:「普通に考えておかしいから!」
ヴェルミナはハヤトの隣へ並ぶ。
ハヤト:「本当に来るの?」
ヴェルミナ:「暇だもの。」
ハヤト:「まだ完全に回復してないだろ。」
ヴェルミナ:「魔獣一匹くらい大丈夫よ。」
ハヤト:「無理するなよ。」
ヴェルミナ:「心配?」
ハヤト:「するよ。」
ヴェルミナ:「ふふ。」
ハヤト:「何?」
ヴェルミナ:「何でもない♡」
ハヤト:「その笑い方やめろ。」
ヴェルミナ:「嫌よ。」
◆◇◆
森の奥。
魔獣はすぐに見つかった。
巨大な熊型の魔獣。
普通の熊より何倍も大きい。
木々をへし折りながらこちらへ向かってくる。
魔獣:「グォォォォォ!!」
ハヤト:「でかい。」
ヴェルミナ:「どうする?」
ハヤト:「倒す。」
ヴェルミナ:「作戦は?」
ハヤト:「正面から。」
ヴェルミナ:「でしょうね。」
ハヤトが剣を抜く。
魔獣が突進してくる。
昔なら少しは緊張したかもしれない。
今は違った。
動きが見える。
力の流れも分かる。
次に何をするのかもなんとなく予測できた。
ハヤトは一歩踏み込む。
剣が閃いた。
ドォン!!
魔獣の巨体が地面へ倒れる。
一撃だった。
静寂。
ハヤト:「終わった。」
ヴェルミナ:「……。」
ハヤト:「何?」
ヴェルミナ:「強くなったわね。」
ハヤト:「そう?」
ヴェルミナ:「最初に会った頃とは全然違う。」
ハヤト:「お前。」
ハヤト:「最初に会った時、俺のことどう思ってた?」
ヴェルミナ:「馬鹿。」
ハヤト:「今は?」
ヴェルミナ:「強い馬鹿。」
ハヤト:「変わってないじゃん!」
ヴェルミナは楽しそうに笑う。
だが本当の答えはもちろん違った。
ヴェルミナ:(大好きな馬鹿。)
口にはしなかった。
まだ今はハヤトが逃げると分かっていたから。
◆◇◆
夕方。
屋敷。
ハヤトが玄関を開ける。
ハヤト:「ただいま。」
使用人:「お帰りなさいませ。」
ハヤト:「ただいま。」
ヴェルミナも後ろから入る。
ヴェルミナ:「疲れた。」
ハヤト:「散歩だったんだろ?」
ヴェルミナ:「長い散歩だったわ。」
ハヤト:「やっぱり散歩じゃないじゃん。」
その時、使用人がハヤトへ一通の封筒を差し出した。
使用人:「勇者様。」
ハヤト:「何?」
使用人:「こちらを。」
ハヤト:「手紙?」
使用人:「先ほど、騎士団副団長がお持ちになりました。」
ハヤト:「フローネ?」
封を開ける。
明日の衛兵訓練について。
訓練内容。
注意点。
そして最後に。
『明朝、こちらから屋敷へ伺います。』
ハヤト:「わざわざ迎えに来るの?」
ヴェルミナ:「へえ。」
声の調子が変わった。
ハヤト:「何?」
ヴェルミナ:「別に。」
ハヤト:「その顔。」
ハヤト:「絶対別にじゃないだろ。」
ヴェルミナ:「別に。」
ヴェルミナは笑っている。
だが目だけは手紙を見ていた。
翌朝、フローネがハヤトの屋敷へやって来る。
この時のハヤトはまだ知らない。
それが一度や二度では済まなくなることを。
そしていつの間にかフローネがこの屋敷を訪れること自体が当たり前の日常になっていくことを。




