第56話 帰還
世界樹の心臓。
青い光は、今も力強く脈打っていた。
世界へ流れ出す魔力も安定し、黒きものの気配は完全に消えている。
長かった戦いはようやく終わった。
ハヤト:「よし。」
ハヤトは勢いよく立ち上がった。
そしてその場で大きくふらついた。
フローネ:「勇者様!」
ヴェルミナ:「ちょっと!」
左右から伸びた手が同時にハヤトの腕を掴んだ。
ハヤト:「……。」
右にはフローネ。
左にはヴェルミナ。
二人ともハヤトを睨んでいる。
ハヤト:「大丈夫。」
フローネ:「禁止です。」
ヴェルミナ:「禁止ね。」
ハヤト:「二人とも厳しくない!?」
セレナ:「自業自得よ。」
アスカ:「勇者様の魔力は、ほとんど残っていません。」
ハヤト:「そんなに?」
アスカ:「先ほど人と魔の力を繋いだ時に、大半を消耗しています。」
ガルデ:「今日は終わりだな。」
ハヤト:「でも帰らないと。」
フローネ:「帰ることと無理をすることは別です。」
ハヤト:「じゃあ、どうする?」
ガルデ:「運んでやろうか?」
ハヤトはガルデを見る。
巨大な身体。
太い腕。
そしてニヤニヤと笑っている顔。
ハヤト:「嫌だ。」
ガルデ:「即答かよ。」
ハヤト:「絶対変な運び方するだろ。」
ガルデ:「肩に担ぐだけだ。」
ハヤト:「荷物じゃん!」
ヴェルミナ:「似たようなものでしょう?」
ハヤト:「人間です!」
フローネは小さく笑った。
その手はまだハヤトの腕を掴んだままだった。
反対側ではヴェルミナも離していない。
セレナはその様子を見る。
そして小さくため息をついた。
セレナ:(本人だけ何も気付いてないのよね。)
アスカも同じ光景を見ていた。
アスカ:(今は言わない方が面白そうですね。)
二人は何も言わなかった。
◆◇◆
世界樹の心臓を出る前にハヤトは一度だけ振り返った。
巨大な青い光。
その中にはもう原初の王の姿はない。
それでもどこかで見られているような気がした。
ハヤト:「じゃあな。」
返事はない。
ハヤト:「今度会った時は。」
ハヤト:「千年前の勇者の話、ちゃんと聞かせろよ。」
ヴェルミナ:「誰に話してるの?」
ハヤト:「原初の王。」
ヴェルミナ:「もういないでしょう。」
ハヤト:「世界樹と一緒に見てるって言ってたから。」
ヴェルミナ:「聞こえてると思う?」
ハヤト:「たぶん。」
ヴェルミナ:「適当ね。」
ハヤト:「聞こえてなくても別にいいよ。」
ハヤトは前を向く。
その時、世界樹の心臓が一度だけ強く光った。
ドクン。
ハヤト:「お。」
ヴェルミナ:「……。」
ハヤト:「聞こえてた。」
ヴェルミナ:「偶然じゃない?」
ハヤト:「絶対聞こえてたって。」
ヴェルミナ:「はいはい。」
そう言いながらヴェルミナも少しだけ笑っていた。
◆◇◆
帰りの通路。
行きに見た黒い魔石は全て砕けていた。
世界樹の壁を侵食していた黒い筋も消え代わりに青い光が流れている。
アスカ:「完全に浄化されています。」
セレナ:「ひとまず安心してよさそうね。」
ガルデ:「ひとまず?」
セレナ:「外の問題が残ってるでしょう。」
ガルデ:「人間と魔族か。」
ハヤト:「大丈夫だろ。」
セレナ:「何を根拠に言ってるのよ。」
ハヤト:「さっきパン分けてたじゃん。」
セレナ:「世界中があの二人みたいなら苦労しないわよ。」
ハヤト:「でも。」
ハヤト:「できる奴が二人はいた。」
セレナ:「……。」
ハヤト:「だったら。」
ハヤト:「三人目もいるかもしれない。」
ハヤト:「四人目も。」
ハヤト:「そうやって増やせばいいだろ。」
セレナは何も言わなかった。
ヴェルミナもハヤトの言葉を聞いていた。
簡単な話ではない。
千年間積み重なった憎しみが一日で消えるはずもない。
それでも不可能だとは以前ほど思わなくなっていた。
ヴェルミナ:「あなたなら。」
ハヤト:「ん?」
ヴェルミナ:「本当にそうしそうね。」
ハヤト:「何を?」
ヴェルミナ:「人間と魔族を集めて。」
ヴェルミナ:「とりあえず一緒に飯を食べよう、とか言いそう。」
ハヤト:「いいじゃん。」
ヴェルミナ:「否定しないのね。」
ハヤト:「腹減ってる時に喧嘩すると余計イライラするだろ。」
セレナ:「理由がそれ?」
ハヤト:「大事だぞ。」
ガルデ:「それは分かる。」
アスカ:「ガルデさんは黙っていてください。」
ガルデ:「なんでだよ。」
笑い声が世界樹の内部に響いた。
その少し後ろを導師が一人で歩いていた。
ハヤトは振り返る。
ハヤト:「おい。」
導師:「何だ?」
ハヤト:「遅れてる。」
導師:「分かっている。」
ハヤト:「肩貸そうか?」
導師:「いらない。」
ハヤト:「じゃあゆっくり歩く。」
導師:「先に行け。」
ハヤト:「全員で来たんだから。」
ハヤト:「全員で帰ればいいだろ。」
導師は足を止めた。
ハヤト:「どうした?」
導師:「お前は。」
導師:「いつもそうなのか?」
ハヤト:「どういう意味?」
導師:「敵だった人間にまで。」
導師:「何事もなかったように話しかける。」
ハヤト:「何事もなかったとは思ってないぞ。」
導師:「なら、なぜだ?」
ハヤト:「今は一緒に帰ってるから。」
導師:「……。」
ハヤト:「それじゃ駄目?」
導師:「理解できない。」
ハヤト:「またそれかよ。」
導師:「だが。」
導師は一歩進む。
導師:「以前ほど不快ではない。」
ハヤト:「それ褒めてる?」
導師:「好きに受け取れ。」
ハヤト:「じゃあ褒められたことにする。」
導師:「勝手にしろ。」
二人はまた歩き始めた。
◆◇◆
世界樹の外へ出た瞬間、柔らかな風が吹いた。
空は青い。
世界樹を覆っていた黒い侵食も完全に消えていた。
巨大な枝には鮮やかな緑の葉が広がっている。
光が葉の隙間から降り注ぎ森全体を照らしていた。
ハヤト:「綺麗だな。」
フローネ:「はい。」
ヴェルミナ:「世界樹がこんな姿だったなんて。」
セレナ:「伝承に残ってないの?」
ヴェルミナ:「魔族の伝承だと。」
ヴェルミナ:「近付いてはいけない恐ろしい場所だったから。」
ガルデ:「全然違うな。」
アスカ:「長い年月の中で。」
アスカ:「伝承そのものが変わったのでしょう。」
フローネ:「私たちが見つけた村と同じですね。」
千年前の村。
人と魔が共に暮らしていた場所。
そこに残されていた歴史。
ハヤト:「帰ったら。」
ハヤト:「あの本も持って帰った方がいいのかな?」
セレナ:「世界樹戦争記?」
ハヤト:「うん。」
セレナ:「そうね。」
セレナ:「人間にも。」
セレナ:「魔族にも。」
セレナ:「知る権利があると思う。」
ヴェルミナ:「大騒ぎになるわよ。」
セレナ:「でしょうね。」
ヴェルミナ:「戦争が悪化する可能性もある。」
セレナ:「あるわ。」
ハヤト:「それでも隠すの?」
二人がハヤトを見る。
ハヤト:「前の奴らが隠して。」
ハヤト:「今こうなってるんだろ?」
セレナ:「……。」
ハヤト:「だったら。」
ハヤト:「今度は隠さない方がいいんじゃない?」
セレナは少し考える。
セレナ:「そうね。」
ヴェルミナ:「簡単にはいかないでしょうけど。」
ハヤト:「簡単じゃなかったら。」
ハヤト:「難しいままやればいい。」
ヴェルミナ:「何よ、それ。」
ハヤト:「俺にも分からん。」
ヴェルミナは思わず吹き出した。
ヴェルミナ:「本当に馬鹿ね。」
ハヤト:「なんでだよ。」
フローネも笑っていた。
◆◇◆
一行は忘れられた村へ戻った。
世界樹戦争記を回収し残されていた石碑も記録する。
セレナ:「これでよし。」
ハヤト:「終わった?」
セレナ:「この村でできることはね。」
ハヤト:「じゃあ帰ろう。」
ガルデ:「どこへだ?」
ハヤト:「え?」
ガルデ:「王都か?」
ガルデ:「魔族領か?」
ガルデ:「それとも、ネクロスと戦った村か?」
ハヤト:「……。」
セレナ:「考えてなかったのね。」
ハヤト:「帰るって言ったら王都かなって。」
ヴェルミナ:「普通に考えればそうでしょうね。」
フローネ:「ですが。」
フローネ:「現在の状況を国王へ報告する必要があります。」
セレナ:「世界樹のことも。」
アスカ:「境界が消えたことも。」
ガルデ:「導師のこともな。」
全員が導師を見る。
導師:「好きにしろ。」
ハヤト:「お前も来るんだぞ。」
導師:「分かっている。」
ヴェルミナ:「逃げたら。」
ヴェルミナ:「私が捕まえるわ。」
導師:「今のお前に捕まるほど弱くはない。」
ヴェルミナ:「喧嘩売ってる?」
導師:「事実だ。」
ハヤト:「また始まった。」
セレナ:「放っておきなさい。」
ハヤト:「そうする。」
ヴェルミナ:「放っておかないで!」
ハヤト:「どっちだよ!」
◆◇◆
その日の夕方。
一行は北方山脈へ戻る道を歩いていた。
世界樹は少しずつ遠ざかっていく。
ハヤトが先頭を歩きその隣にフローネ。
少し後ろにヴェルミナがいた。
ハヤト:「腹減った。」
フローネ:「さっき食べたでしょう。」
ハヤト:「戦ったから。」
フローネ:「今日はほとんど戦っていません。」
ハヤト:「精神の中で戦った。」
フローネ:「それでお腹が減るのですか?」
ハヤト:「たぶん。」
ヴェルミナ:「また『たぶん』。」
ハヤト:「じゃあ絶対。」
ヴェルミナ:「何が絶対なのよ。」
ハヤト:「腹減った。」
ヴェルミナ:「知らないわよ!」
フローネは思わず笑う。
そして少しだけ考える。
世界は変わった。
これから自分たちも変わるのだろうか。
勇者の旅が終われば今のようにずっと一緒にいる理由もなくなる。
フローネ:(旅が終わったら……。)
胸の奥が少しだけ痛んだ。
視線の先にはハヤトがいる。
その少し向こうにはヴェルミナもいる。
フローネ:(私は……。)
今度は考えることを止めなかった。
フローネ:(勇者様と、離れたくない。)
初めて自分の気持ちをはっきりと認めた。
その瞬間。
ヴェルミナが隣へ並ぶ。
ヴェルミナ:「ねえ。」
フローネ:「何でしょう?」
ヴェルミナ:「あなた。」
ヴェルミナ:「もしかして。」
フローネ:「……。」
ヴェルミナ:「ハヤトのこと好き?」
フローネの足が止まった。
ハヤト:「ん?」
ハヤトが振り返る。
ハヤト:「どうした?」
フローネ:「何でもありません!」
ハヤト:「なんでそんな大声なの!?」
ヴェルミナはフローネの顔を見て全てを察した。
ヴェルミナ:「あら。」
フローネ:「……。」
ヴェルミナ:「そう。」
フローネ:「……違います。」
ヴェルミナ:「まだ何も言ってないけど?」
フローネ:「……。」
ヴェルミナは笑う。
だがその笑顔には少しだけ今までとは違うものが混じっていた。
ヴェルミナ:(やっぱり。)
ヴェルミナ:(そうなのね。)
ハヤト:「本当に何?」
フローネ:「勇者様は前を見て歩いてください!」
ハヤト:「なんで怒られたの!?」
ガルデ:「ははははは!!」
セレナ:「鈍いにもほどがあるわね。」
アスカ:「これは長くなりそうです。」
世界を救う戦いは終わった。
だが勇者ハヤトを巡る別の戦いが静かに始まりつつあった。




