第55話 境界の消えた世界
世界樹の心臓が力強く脈打っていた。
青い光が壁を走り、世界中へ魔力を送り出していく。
千年前に分けられた人の力と魔の力は。
ハヤトを通して、再び一つに繋がった。
ハヤトは床に仰向けになったまま。
しばらく動こうとしなかった。
ハヤト:「疲れた……。」
セレナ:「でしょうね。」
ハヤト:「もう今日は何もしたくない。」
ガルデ:「珍しくまともな判断だな。」
ハヤト:「俺だって休む時は休むよ。」
フローネ:「本当ですか?」
ハヤト:「なんで疑うの?」
フローネ:「これまでの勇者様を見てきたからです。」
ハヤト:「反論できない。」
ヴェルミナ:「そのまま寝てなさい。」
ハヤト:「そうする。」
ヴェルミナ:「珍しく素直ね。」
ハヤト:「本当に疲れたんだよ。」
ヴェルミナは小さく笑った。
その時アスカが世界樹の心臓を見上げる。
先ほどまで不安定だった魔力は今では穏やかに循環していた。
アスカ:「世界樹の状態は安定しています。」
ハヤト:「じゃあ、本当に終わった?」
アスカ:「世界樹については。」
ハヤト:「その言い方やめて。」
アスカ:「ですが、気になることがあります。」
ハヤト:「ほら来た。」
セレナ:「何?」
アスカ:「世界樹から流れ出す魔力の性質が変わっています。」
ヴェルミナ:「性質?」
アスカ:「以前は、人間が利用する魔力と魔族が持つ魔力には僅かな違いがありました。」
ガルデ:「そうなのか?」
セレナ:「大まかには同じだけどね。」
セレナ:「魔族の魔力は、人間より世界樹の影響を強く受けていると言われていたわ。」
アスカ:「ですが、今は違いを感じません。」
ハヤトは身体を起こした。
ハヤト:「それって。」
ハヤト:「何かまずいの?」
原初の王:「分からない。」
ハヤト:「またそれ?」
原初の王:「千年前には起きなかったことだ。」
セレナ:「つまり。」
セレナ:「人間にも魔族にも、同じ魔力が流れ始めた?」
アスカ:「おそらく。」
ヴェルミナは自分の手を見る。
確かに身体の中を流れる魔力が以前とは少し違っていた。
弱くなったわけではない。
むしろ身体に馴染んでいる。
ヴェルミナ:「変な感じ。」
ハヤト:「大丈夫?」
ヴェルミナ:「たぶん。」
フローネ:「その言葉は信用できません。」
ハヤト:「俺以外にも適用されるの!?」
フローネ:「当然です。」
ヴェルミナ:「だそうよ。」
ハヤト:「なんで嬉しそうなんだよ。」
ヴェルミナ:「仲間だから?」
ハヤト:「そこで疑問形?」
ヴェルミナ:「うるさい。」
原初の王は二人を見ながら。
僅かに目を細めた。
◆◇◆
突然世界樹の心臓から光が溢れた。
ハヤト:「今度は何!?」
全員が身構える。
だが攻撃ではなかった。
光はそれぞれの前に集まり鏡のような形になる。
その中に遠く離れた場所の光景が映し出された。
セレナ:「これ……。」
原初の王:「世界樹の記憶だ。」
ハヤト:「記憶?」
原初の王:「違う。」
原初の王:「現在の世界を映している。」
最初に見えたのは人間の王国だった。
城壁の上で兵士たちが混乱している。
王国の周囲を覆っていた巨大な魔法障壁がゆっくりと消えていた。
フローネ:「王都の結界が……。」
次の光景。
魔族の領地。
巨大な城を覆っていた紫色の結界も同じように消えていく。
ヴェルミナ:「魔王城まで。」
ハヤト:「壊れたの?」
原初の王:「違う。」
原初の王:「必要がなくなった。」
ハヤト:「どういうこと?」
原初の王:「あれは。」
原初の王:「異なる魔力を持つ者を拒絶するために作られたものだ。」
セレナ:「人間の結界は魔族を拒み。」
アスカ:「魔族の結界は人間を拒んでいた。」
原初の王:「そうだ。」
ヴェルミナ:「でも。」
ヴェルミナ:「今は魔力が同じになった。」
原初の王:「だから。」
原初の王:「結界は人と魔を区別できない。」
誰もすぐには言葉を発しなかった。
千年間。
人間と魔族を隔てていた境界。
それが今消えた。
ハヤト:「いいことじゃない?」
セレナ:「簡単に言わないで。」
ハヤト:「なんで?」
セレナ:「人間と魔族は千年間戦ってきたのよ。」
セレナ:「結界がなくなったということは。」
セレナ:「今まで入れなかった場所にも、互いに入れるようになったということ。」
ガルデ:「攻め放題ってことか。」
セレナ:「最悪の場合はね。」
ハヤト:「……。」
ヴェルミナ:「人間も魔族も。」
ヴェルミナ:「急に仲良くなるわけじゃない。」
フローネ:「むしろ。」
フローネ:「混乱が起きる可能性の方が高いですね。」
ハヤト:「せっかく世界樹直したのに。」
セレナ:「世界を救えば全部解決すると思ってた?」
ハヤト:「ちょっと。」
セレナ:「甘い。」
ハヤト:「ですよね。」
◆◇◆
光景が変わった。
人間の国境。
一人の兵士が消えてしまった結界の前に立っている。
その向こう側魔族の兵士も立っていた。
互いに武器へ手を伸ばしている。
ハヤト:「おい。」
誰も動けない。
ここから声を届けることはできない。
人間の兵士が剣を抜く。
魔族の兵士も武器を構える。
フローネ:「やめて……。」
距離が縮まる。
一歩。
また一歩。
二人が武器の届く距離へ入った。
そして人間の兵士が口を開いた。
人間兵:「……どうする?」
魔族兵:「知らん。」
人間兵:「結界、消えたぞ。」
魔族兵:「見れば分かる。」
人間兵:「攻めてくるのか?」
魔族兵:「そっちこそ。」
二人とも動かない。
剣も下ろさない。
だが攻撃もしなかった。
しばらく睨み合いが続く。
その時魔族兵の腹が鳴った。
人間兵:「……。」
魔族兵:「……。」
人間兵:「腹減ってるのか?」
魔族兵:「うるさい。」
人間兵:「飯あるけど。」
魔族兵:「毒じゃないだろうな?」
人間兵:「俺も食ってる。」
魔族兵:「なら食う。」
人間兵:「食うのかよ。」
魔族兵:「腹が減っている。」
人間兵:「正直だな。」
二人は武器を持ったままその場に座った。
人間兵が袋から硬いパンを取り出す。
半分に割り魔族兵へ渡した。
魔族兵:「硬い。」
人間兵:「文句言うなら返せ。」
魔族兵:「嫌だ。」
ハヤト:「……。」
セレナ:「……。」
ガルデ:「……。」
ヴェルミナ:「何これ。」
ハヤト:「いいんじゃない?」
セレナは小さく笑った。
セレナ:「そうね。」
セレナ:「最初は。」
セレナ:「このくらいでいいのかもしれない。」
◆◇◆
世界樹が映す光景はゆっくりと消えていった。
これから何が起きるのか誰にも分からない。
人間と魔族が再び戦うかもしれない。
新しい争いが生まれるかもしれない。
逆に千年前のようにもう一度共に生きられるかもしれない。
ハヤト:「結局。」
ハヤト:「やってみるしかないな。」
原初の王:「お前はそればかりだな。」
ハヤト:「駄目?」
原初の王:「いや。」
原初の王:「千年前の我々には。」
原初の王:「足りなかった考えかもしれない。」
ハヤト:「そう?」
原初の王:「我々は。」
原初の王:「二度と失敗しないことばかり考えていた。」
原初の王:「その結果。」
原初の王:「失敗そのものを恐れた。」
ハヤト:「失敗したら。」
ハヤト:「また直せばいいだろ。」
原初の王:「簡単に言う。」
ハヤト:「簡単じゃない?」
原初の王:「簡単ではない。」
ハヤト:「じゃあ。」
ハヤト:「大変だけどやる。」
原初の王はしばらくハヤトを見る。
そして小さく笑った。
原初の王:「本当に。」
原初の王:「あの勇者によく似ている。」
ハヤト:「千年前の?」
原初の王:「ああ。」
ハヤト:「どんな奴だった?」
原初の王:「馬鹿だった。」
ハヤト:「それ以外!」
原初の王:「無謀だった。」
ハヤト:「悪化した!」
原初の王:「人の話を聞かなかった。」
ハヤト:「俺より酷くない?」
セレナ:「そっくりじゃない。」
ハヤト:「どこが!?」
フローネ:「かなり似ています。」
ハヤト:「フローネまで!?」
ガルデが大声で笑う。
アスカも口元を僅かに緩めていた。
ヴェルミナはそんなハヤトを見ながら笑っている。
導師だけが少し離れた場所から見ていた。
ハヤトはそれに気付く。
ハヤト:「何してんの?」
導師:「何がだ?」
ハヤト:「一人だけ離れて。」
導師:「私はお前たちの仲間ではない。」
ハヤト:「そうだけど。」
導師:「それに。」
導師:「これから私は裁かれる。」
ハヤト:「そうだな。」
導師:「否定しないのか?」
ハヤト:「なんで?」
導師:「……。」
ハヤト:「やったことは消えないって。」
ハヤト:「自分で言ってただろ。」
導師:「ああ。」
ハヤト:「だから。」
ハヤト:「ちゃんと帰ろう。」
導師:「帰る?」
ハヤト:「お前が傷つけた奴らのところに。」
導師:「……。」
ハヤト:「逃げるなよ。」
導師:「逃げない。」
ハヤト:「ならいい。」
導師:「それだけか?」
ハヤト:「それだけ。」
導師は少しだけ目を伏せる。
そして。
導師:「分かった。」
短い答えだった。
だが今度は自分で選んだ答えだった。
◆◇◆
世界樹の心臓から一本の光が伸びた。
光は原初の王の身体へ繋がる。
ハヤト:「何?」
原初の王:「時間らしい。」
ハヤト:「時間?」
原初の王:「世界樹は目覚めた。」
原初の王:「ならば。」
原初の王:「私がここにいる必要はない。」
ハヤト:「待て。」
原初の王:「何だ?」
ハヤト:「消えるの?」
原初の王:「そうではない。」
原初の王:「世界樹へ還る。」
ハヤト:「それ。」
ハヤト:「ほぼ同じじゃない?」
原初の王:「違う。」
ハヤト:「本当に?」
原初の王:「おそらく。」
ハヤト:「お前も『おそらく』って言うんじゃん!」
原初の王:「初めてだからな。」
ハヤト:「不安になること言うなよ!」
原初の王の身体が少しずつ光に包まれていく。
ヴェルミナ:「また会えるの?」
原初の王:「分からない。」
ヴェルミナ:「そう。」
原初の王:「だが。」
原初の王は全員を見る。
原初の王:「今度は眠るつもりはない。」
原初の王:「世界樹と共に。」
原初の王:「この世界を見ている。」
ハヤト:「だったら。」
ハヤト:「ちゃんと見てろよ。」
原初の王:「何を?」
ハヤト:「人間と魔族がどうなるか。」
ハヤト:「俺たちも。」
原初の王:「ああ。」
原初の王は最後にハヤトを見る。
原初の王:「勇者。」
ハヤト:「ん?」
原初の王:「今度こそ。」
原初の王:「私を殺さずに済んだな。」
ハヤト:「俺は前の勇者じゃないって。」
原初の王:「知っている。」
原初の王:「だから言った。」
ハヤト:「……。」
原初の王:「ありがとう。」
光が強くなる。
そして原初の王の姿は世界樹の心臓へ溶けるように消えていった。
ドクン。
世界樹が力強く脈打つ。
ハヤト:「行ったか。」
セレナ:「みたいね。」
ハヤト:「じゃあ。」
ハヤトは大きく伸びをした。
ハヤト:「帰るか!」
ガルデ:「軽いな、お前。」
ハヤト:「だって終わったんだろ?」
アスカ:「今度こそ。」
ハヤト:「本当に?」
アスカ:「おそらく。」
ハヤト:「みんなそれ言うようになってない!?」
笑い声が世界樹の心臓に響いた。
だが地上ではすでに新しい時代が始まりつつあった。
人間と魔族を隔てていた境界は消えた。
千年間続いた常識も少しずつ崩れ始めている。
世界を救う戦いは終わった。
次に待っているのは救われた世界でどう生きるかという戦いだった。




