第52話 欲望の底
ハヤトは真正面から黒い影を殴りつけた。
ハヤト:「うおおおおお!!」
拳が黒い影へ突き刺さる。
金色の光が弾けた。
だが、黒い影は吹き飛ばない。
逆に、ハヤトの腕へ絡みついてくる。
ハヤト:「うわっ!」
少年:「ハヤト!」
ハヤトは慌てて腕を引こうとする。
しかし、黒い影は離れなかった。
指先から腕へ。
腕から肩へ。
冷たい何かが身体の中へ入り込んでくる。
ハヤト:「まずい!」
少年:「どうするの!?」
ハヤト:「分からん!」
少年:「考えてから殴ってよ!」
ハヤト:「ごもっとも!」
黒い影が一気にハヤトを包み込んだ。
視界が暗闇に閉ざされる。
少年:「ハヤト!!」
少年の声も遠ざかっていった。
◆◇◆
ハヤトが目を開くと、見覚えのある場所に立っていた。
ハヤト:「ここ……。」
王都だった。
大通りには大勢の人が集まっている。
誰もが笑顔でハヤトを見ていた。
民衆:「勇者様!」
民衆:「勇者様!」
民衆:「世界を救った英雄だ!」
ハヤト:「何だ、これ……。」
歓声が響き渡る。
道の両側から花びらが舞う。
その先には巨大な城が見えた。
フローネがハヤトへ駆け寄ってくる。
フローネ:「勇者様!」
ハヤト:「フローネ?」
フローネ:「おめでとうございます!」
ハヤト:「何が?」
フローネ:「世界を救ったではありませんか!」
ハヤト:「俺が?」
フローネ:「はい!」
フローネは嬉しそうにハヤトの手を取る。
ハヤト:(おかしい。)
何かがおかしい。
ついさっきまで導師の精神の中にいたはずだ。
黒きものと戦っていた。
なのにここはあまりにも平和だった。
セレナ:「何ぼーっとしてるのよ。」
ハヤトが振り返る。
セレナ。
アスカ。
ガルデ。
そして。
ヴェルミナもいる。
全員が無事だった。
ハヤト:「お前ら……。」
ガルデ:「なんだ、その顔?」
ハヤト:「いや。」
ヴェルミナ:「変なハヤト。」
ハヤト:「いつものことだろ。」
ヴェルミナ:「自覚あるのね。」
いつもの会話だった。
胸の奥が緩む。
もう戦わなくてもいい。
誰も傷つかない。
誰も死なない。
世界は救われた。
そんな考えが。
自然と頭の中へ入り込んでくる。
ハヤト:(終わったんだ。)
その瞬間、違和感が消えそうになった。
ハヤト:「……。」
だが一つだけ気になることがあった。
ハヤト:「導師は?」
セレナ:「誰?」
ハヤト:「え?」
セレナ:「導師って誰よ?」
ハヤトは固まった。
フローネも。
アスカも。
ガルデも。
ヴェルミナも。
不思議そうにハヤトを見ている。
ハヤト:「黒きものは?」
アスカ:「何のことでしょうか?」
ハヤト:「原初の王。」
ガルデ:「知らねぇな。」
ハヤト:「世界樹は?」
ヴェルミナ:「何それ?」
ハヤト:「……。」
理解した。
ハヤト:「これ。」
ハヤト:「偽物だ。」
周囲の歓声が一瞬で止まった。
◆◇◆
王都から音が消えた。
数千人いたはずの人々が全員同時にハヤトを見る。
誰も動かない。
誰も瞬きをしない。
ハヤト:「うわぁ……。」
ハヤト:「怖っ。」
フローネ:「どうして?」
ハヤト:「何が?」
フローネ:「ここなら幸せでしょう?」
ハヤト:「……。」
フローネ:「誰も死にません。」
セレナ:「戦わなくてもいい。」
アスカ:「傷つくこともありません。」
ガルデ:「全部終わった。」
ヴェルミナ:「ずっとここにいればいいじゃない。」
ハヤトは仲間たちを見る。
姿も。
声も。
全部同じだった。
それでも。
違う。
ハヤト:「嫌だ。」
ヴェルミナ:「どうして?」
ハヤト:「だって。」
ハヤト:「お前らじゃないから。」
全員の表情が消えた。
ハヤト:「フローネは俺が無茶したらもっと怒る。」
ハヤト:「セレナはこんな素直に褒めない。」
セレナ:「そこ?」
ハヤト:「アスカは何だかんだで容赦ない。」
アスカ:「……。」
ハヤト:「ガルデは世界を救った程度で俺を英雄扱いしない。」
ガルデ:「……。」
ハヤト:「ヴェルミナは。」
ヴェルミナ:「私は?」
ハヤトは少し考える。
ハヤト:「たぶん、もっと面倒くさい。」
ヴェルミナ:「……。」
偽物のヴェルミナの眉が動いた。
ハヤト:「そこだけ本物っぽいな。」
次の瞬間。
ヴェルミナ:「誰が面倒くさいのよ!!」
ハヤト:「うおっ!?」
偽物のヴェルミナが殴りかかってきた。
ハヤトは咄嗟に避ける。
ハヤト:「なんで幻なのに怒るんだよ!」
ヴェルミナ:「知らないわよ!」
ハヤト:「お前、本当に偽物だよな!?」
ヴェルミナ:「失礼ね!」
ハヤト:「分からなくなってきた!」
その瞬間王都の景色に亀裂が入った。
ハヤト:「え?」
空が割れる。
城も。
道も。
人々も。
全てがガラスのように砕けていく。
そして再び暗闇が戻ってきた。
◆◇◆
ハヤトは暗闇の中に立っていた。
目の前には黒い影がある。
だが先ほどとは姿が違う。
黒い影はハヤトと同じ姿になっていた。
黒いハヤト:「なぜ拒む?」
ハヤト:「喋れるのか?」
黒いハヤト:「これは、お前の声だ。」
ハヤト:「気持ち悪いな。」
黒いハヤト:「お前の望みを見せた。」
ハヤト:「俺の望み?」
黒いハヤト:「戦いの終わった世界。」
黒いハヤト:「仲間が誰も傷つかない世界。」
黒いハヤト:「お前が英雄として認められる世界。」
黒いハヤト:「違うのか?」
ハヤトは少し考えた。
ハヤト:「まあ。」
ハヤト:「嫌いじゃない。」
黒いハヤト:「ならば、なぜ拒んだ?」
ハヤト:「簡単だろ。」
ハヤト:「偽物だったから。」
黒いハヤト:「違いなどない。」
ハヤト:「ある。」
黒いハヤト:「どこに?」
ハヤト:「全部。」
黒いハヤト:「理解できない。」
ハヤト:「最近それ言う奴多いな。」
ネクロス。
導師。
そして今度は黒きもの。
どいつもこいつも同じようなことを言う。
ハヤト:「別に理解しなくていいよ。」
黒いハヤト:「……。」
ハヤト:「俺だって、自分のこと全部分かってるわけじゃないし。」
黒いハヤト:「お前には欲望がある。」
ハヤト:「あるよ。」
黒いハヤト:「楽をしたい。」
ハヤト:「したい。」
黒いハヤト:「死にたくない。」
ハヤト:「絶対死にたくない。」
黒いハヤト:「愛されたい。」
ハヤト:「……。」
ハヤトは一瞬黙った。
黒いハヤト:「否定しないのか?」
ハヤト:「まあ。」
ハヤト:「好かれるより嫌われる方がいい、なんて奴は少ないだろ。」
黒いハヤト:「ならば。」
黒いハヤト:「全て与えよう。」
暗闇の中に無数の光景が浮かんだ。
王都で英雄になる自分。
豪華な城。
金。
名誉。
平和な世界。
仲間たち。
フローネ。
ヴェルミナ。
全てがハヤトを求めている。
ハヤト:「……。」
黒いハヤト:「望め。」
黒いハヤト:「全て手に入る。」
ハヤト:「いらない。」
黒いハヤト:「なぜ?」
ハヤト:「自分で手に入れる。」
黒いハヤト:「苦しむぞ。」
ハヤト:「もう苦しんでる。」
黒いハヤト:「失うかもしれない。」
ハヤト:「怖いな。」
黒いハヤト:「ならば。」
ハヤト:「でも。」
ハヤトは黒い自分を見る。
ハヤト:「最初から全部決まってる方が。」
ハヤト:「つまらないだろ。」
黒いハヤト:「……。」
ハヤト:「フローネが何考えてるか分からない。」
ハヤト:「セレナがいつ怒るか分からない。」
ハヤト:「アスカはたまに怖い。」
ハヤト:「ガルデは雑。」
ハヤト:「ヴェルミナは面倒くさい。」
どこか遠くから。
ヴェルミナ:「誰が面倒くさいのよ!!」
ハヤト:「え!?」
ハヤトは思わず周囲を見る。
だが誰もいない。
ハヤト:「今、聞こえた気がした。」
黒いハヤト:「……。」
ハヤト:「まあいいか。」
ハヤトは黒い自分へ向き直る。
ハヤト:「そういう分からない奴らと。」
ハヤト:「分からないまま一緒にいる方が。」
ハヤト:「俺は好きだ。」
黒いハヤト:「理解できない。」
ハヤト:「だから。」
ハヤトは拳を握る。
ハヤト:「分からないなら。」
ハヤト:「勝手に俺の答えを作るな。」
黒いハヤト:「……。」
ハヤト:「俺が決める。」
金色の光がハヤトの身体から溢れ出した。
◆◇◆
黒いハヤトの身体に亀裂が走る。
黒いハヤト:「なぜだ?」
ハヤト:「知らん。」
黒いハヤト:「なぜ欲望を拒める?」
ハヤト:「拒んでない。」
黒いハヤト:「何?」
ハヤト:「欲しいものは欲しい。」
ハヤト:「楽もしたい。」
ハヤト:「死にたくない。」
ハヤト:「みんなと一緒にいたい。」
ハヤト:「でも。」
ハヤト:「お前から貰うのは嫌だ。」
黒いハヤト:「違いは?」
ハヤト:「気分。」
黒いハヤト:「……。」
ハヤト:「そんな顔するなよ。」
黒いハヤト:「私は、お前の姿をしている。」
ハヤト:「じゃあ俺が今どんな顔してるか反省しろ。」
黒いハヤト:「意味が分からない。」
ハヤト:「俺もだ。」
黒いハヤトの身体にさらに亀裂が広がる。
ハヤト:「でも。」
ハヤト:「一つだけ分かった。」
黒いハヤト:「何だ?」
ハヤト:「お前。」
ハヤト:「そんなに強くないだろ。」
黒いハヤト:「……。」
ハヤト:「だから人の欲しいもの見せて。」
ハヤト:「自分から受け入れさせる。」
黒いハヤト:「黙れ。」
初めて声が揺れた。
ハヤト:「図星?」
黒いハヤト:「黙れ。」
ハヤト:「嫌だ。」
黒いハヤト:「黙れ!」
黒い影が膨れ上がる。
ハヤト:「やっぱり。」
ハヤトは笑った。
ハヤト:「お前。」
ハヤト:「焦るんだな。」
黒い影がハヤトへ襲いかかる。
その瞬間、背後から声が聞こえた。
少年:「ハヤト!」
ハヤトが振り返る。
少年の導師が白い空間の向こうから走ってくる。
少年:「これ!」
少年が何かを投げる。
ハヤト:「うおっ!」
咄嗟に受け取る。
剣だった。
いつも使っているハヤトの剣。
ハヤト:「感謝!」
少年:「どういたしまして!」
黒い影が迫る。
ハヤトは剣を構えた。
ハヤト:「今度こそ。」
金色の光が剣を包む。
ハヤト:「出ていけぇぇぇぇ!!」
剣を振り抜く。
金色の斬撃が黒い影を真正面から切り裂いた。
黒いハヤト:「なぜ……。」
ハヤト:「知らん!」
黒いハヤト:「お前も欲望を持つ人間だ。」
ハヤト:「そうだよ!」
黒いハヤト:「ならば、なぜ支配できない?」
ハヤト:「欲しいものがあるのと。」
ハヤト:「言いなりになるのは別だろ!」
黒い影が砕ける。
暗闇に無数の亀裂が広がった。
黒いハヤトは最後まで理解できないようにハヤトを見ていた。
そして完全に消えた。
◆◇◆
白い空間が戻ってきた。
少年がハヤトの隣へ立つ。
少年:「終わった?」
ハヤト:「たぶん。」
少年:「また、たぶん?」
ハヤト:「仕方ないだろ。」
少年:「頼りない勇者。」
ハヤト:「うるさい。」
少年は笑う。
その身体が少しずつ光り始めていた。
ハヤト:「おい。」
少年:「何?」
ハヤト:「大丈夫なのか?」
少年:「分からない。」
ハヤト:「お前までそれ言うの?」
少年:「でも。」
少年は自分の胸を見る。
今まであった。
黒い筋が消えていた。
少年:「軽くなった。」
ハヤト:「そうか。」
少年:「ねえ。」
ハヤト:「何?」
少年:「大人の僕。」
少年:「本当に悪いことをしたんだよね?」
ハヤト:「ああ。」
少年:「たくさん?」
ハヤト:「たくさん。」
少年は少しだけ俯く。
少年:「じゃあ。」
少年:「逃げちゃ駄目だね。」
ハヤト:「そうだな。」
少年:「ちゃんと生きないと。」
ハヤト:「そうだ。」
少年は顔を上げる。
少年:「伝えて。」
ハヤト:「何を?」
少年:「僕が知りたかった答えは。」
少年:「世界を壊さなくても見つかったって。」
ハヤト:「分かった。」
少年:「それと。」
ハヤト:「まだあるの?」
少年:「ありがとう。」
ハヤト:「……。」
少年:「僕を見つけてくれて。」
ハヤトは少し困ったように頭を掻く。
ハヤト:「俺は。」
ハヤト:「お前を助けに来たっていうより。」
ハヤト:「黒いやつを追い出しに来ただけだけど。」
少年:「そういうところ。」
ハヤト:「何が?」
少年:「何でもない。」
少年は笑った。
次の瞬間白い光が全てを包み込んだ。
ハヤト:「うわっ!」
視界が真っ白になる。
身体が引っ張られる。
遠くから誰かの声が聞こえる。
フローネ:「ハヤト!」
ヴェルミナ:「ハヤト!」
セレナ:「起きなさい!」
ガルデ:「戻ってこい!」
アスカ:「反応があります!」
そしてもう一つ低い声が聞こえた。
導師:「……勇者。」
ハヤトは目を開いた。




