第51話 導師の記憶
何もない場所だった。
空もない。
地面もない。
音すらない。
ただ、どこまでも白い空間が広がっている。
その中央に一人の少年が立っていた。
白い髪。
細い身体。
そしてその手には小さな黒い魔石が握られている。
ハヤト:「ここが導師の精神の中?」
返事はない。
原初の王の姿も。
仲間たちの姿もない。
いるのはハヤトと少年だけだった。
ハヤトはゆっくり少年へ近付く。
ハヤト:「おい。」
少年は反応しない。
ただ手の中にある黒い魔石を見つめ続けている。
ハヤト:「聞こえてる?」
返事はなかった。
ハヤトがさらに一歩近付いた。
その瞬間景色が変わった。
◆◇◆
小さな家。
古びた机。
大量の本。
窓の外には。
雨が降っていた。
ハヤト:「うおっ!?」
突然現れた床に足を取られ。
ハヤトは危うく転びそうになる。
ハヤト:「何なんだよ、これ。」
少年は机に座っていた。
先ほどと同じ少年だ。
だが黒い魔石は持っていない。
代わりに古い本を読んでいる。
少年:「どうして?」
ハヤト:「え?」
初めて声が聞こえた。
だが少年が話しかけている相手はハヤトではない。
少年の向かい側。
一人の老人が座っていた。
老人:「何がだ?」
少年:「どうして人間と魔族は戦うの?」
老人:「昔からそうだからだ。」
少年:「昔っていつ?」
老人:「ずっと昔だ。」
少年:「どうして始まったの?」
老人:「知らん。」
少年:「じゃあ、どうして戦うの?」
老人は困ったように本を閉じた。
老人:「魔族は人間を襲う。」
老人:「だから人間は戦う。」
少年:「魔族は何で人間を襲うの?」
老人:「……。」
少年:「理由があるんじゃないの?」
老人:「お前は考えすぎだ。」
少年:「でも。」
老人:「世の中には、知らなくてもいいことがある。」
少年は黙った。
老人は席を立ち部屋から出ていく。
少年だけが残された。
ハヤトはその光景を見ていた。
ハヤト:(導師にもこんな時があったんだな。)
当然と言えば当然だった。
導師も最初から導師だったわけではない。
子供だった時がある。
疑問を持ち答えを探した時がある。
少年は再び本を開く。
少年:「知らなくてもいいことなんて。」
少年:「あるわけない。」
その目には強い光があった。
今の導師にも残っている。
知りたいという欲求。
その始まりだった。
◆◇◆
景色が再び変わる。
今度は大きな図書館だった。
少年は成長していた。
十代半ばほどに見える。
机には何十冊もの本が積み上げられている。
人間の歴史。
魔族との戦争。
勇者の記録。
魔王の記録。
あらゆる資料を読み漁っていた。
若き導師:「ない。」
若き導師:「どこにもない。」
若き導師は苛立ったように本を閉じる。
若き導師:「始まりが書かれていない。」
ハヤトは少し離れた場所から見ていた。
若き導師にはハヤトの姿が見えていない。
これは記憶だ。
過去に起きたことを見ているだけなのだろう。
若き導師:「人間の記録には、魔族が先に襲ったと書いてある。」
若き導師:「魔族側の記録には、人間が先に攻めたと書いてある。」
若き導師:「どちらも同じだ。」
若き導師:「自分たちは悪くない。」
若き導師:「全て相手が悪い。」
若き導師:「そんなはずがない。」
ハヤト:「お前。」
思わず声が出た。
当然、若き導師には聞こえない。
ハヤト:「最初は普通だったんだな。」
少なくとも今見ている少年は世界を壊そうとしていない。
誰かを実験に使おうともしていない。
ただ知りたかっただけだ。
どうして争っているのか。
その答えを。
◆◇◆
次の記憶。
地下室。
成長した導師が一人で研究をしていた。
年齢は二十代ほどだろう。
机の上には一つの黒い石が置かれている。
ハヤト:「黒い魔石……。」
まだ小さい。
そして形も不完全だった。
導師:「北方遺跡、第六層より発見。」
導師:「既知の魔石とは構造が異なる。」
導師:「周囲の魔力を吸収し、内部で別種の力へ変換している。」
導師は記録を書き続ける。
導師:「興味深い。」
黒い魔石へ手を伸ばす。
ハヤト:「触るな。」
当然届かない。
ハヤト:「おい!」
導師の指が黒い魔石へ触れた。
その瞬間黒い光が僅かに指先へ入り込んだ。
ハヤト:「……。」
導師は気付いていない。
何事もなかったように。
研究を続けている。
だがハヤトには見えた。
導師の腕。
本当に薄く黒い筋が現れていた。
ハヤト:「ここからか。」
黒きものが入り込んだ瞬間。
三十七年前。
導師自身ですら気付かなかった。
最初の侵食だった。
◆◇◆
記憶が進む。
導師の周囲に研究員が増えていた。
黒い魔石の研究は進みその力が明らかになっていく。
研究員:「先生。」
導師:「何だ?」
研究員:「この石は危険です。」
導師:「根拠は?」
研究員:「昨日、実験動物が変異しました。」
導師:「記録は確認した。」
研究員:「研究を中止するべきです。」
導師:「なぜ?」
研究員:「制御できていません。」
導師:「だから研究する。」
研究員:「ですが。」
導師:「分からないから止めるのか?」
研究員:「……。」
導師:「分からないから調べる。」
導師:「それが研究だ。」
言っていることは間違っていないようにも聞こえた。
だがハヤトは導師の腕を見る。
黒い筋が以前より広がっていた。
導師はまだ気付いていない。
いや気付けないのかもしれない。
ハヤト:(これが、黒きもののやり方か。)
原初の王が言っていた。
黒きものには意思がない。
ただ触れた者の欲望を利用して広がる。
導師は知りたかった。
だから黒きものはその欲求を利用した。
もっと知れ。
もっと調べろ。
止まるな。
その先に答えがある。
そう思わせながら少しずつ深く入り込んでいった。
◆◇◆
さらに記憶が進む。
研究室は変わっていた。
机の上には黒い魔石が大量に並んでいる。
そして部屋の中央には檻が置かれていた。
ハヤトの表情が変わる。
中にいるのは魔物だった。
黒い魔石によって変異している。
導師:「魔力吸収率、前回のおよそ三倍。」
研究員:「もう十分でしょう。」
導師:「何がだ?」
研究員:「危険すぎます。」
研究員:「これ以上は。」
導師:「まだ足りない。」
研究員:「先生。」
導師:「魔物だけでは不十分だ。」
研究員:「……何をするつもりですか?」
導師は黙る。
ハヤト:「やめろ。」
導師には届かない。
それでも言わずにはいられなかった。
導師:「人間で試す。」
研究員:「何を言っているんですか?」
導師:「魔族でもだ。」
研究員:「正気ですか!?」
導師:「人と魔。」
導師:「両方を調べれば。」
導師:「何が二つを分けているのか理解できる。」
研究員:「そんなことのために人を実験に使うんですか!?」
導師:「そんなこと?」
研究員:「……。」
導師:「千年以上続く戦争だ。」
導師:「数え切れないほどの人間と魔族が死んだ。」
導師:「その原因を突き止められる。」
導師:「その犠牲に比べれば。」
導師:「数人程度は。」
ハヤト:「そこだ。」
思わず拳を握る。
ハヤト:「そこで間違えたんだ。」
最初は戦争を止めたかった。
人間と魔族が争う理由を知りたかった。
なのにいつの間にか目の前にいる人間の命を数字として見るようになっていた。
ハヤト:(黒きものだけのせいじゃない。)
導師自身も認めていた。
選んだのは自分だと。
黒きものはその選択を少しずつ後押ししただけなのかもしれない。
◆◇◆
景色が崩れた。
研究所も。
檻も。
研究員たちも消える。
再び何もない白い空間。
その中央に少年の導師が立っていた。
今度はハヤトを見ている。
ハヤト:「見えるのか?」
少年:「誰?」
ハヤト:「ハヤト。」
少年:「知らない。」
ハヤト:「だろうな。」
少年はハヤトを見る。
少年:「どうしてここにいるの?」
ハヤト:「お前を助けに来た。」
少年:「僕を?」
ハヤト:「正確には。」
ハヤト:「大人になったお前。」
少年:「意味が分からない。」
ハヤト:「俺もよく分かってない。」
少年:「変な人。」
ハヤト:「よく言われる。」
少年は少しだけ首を傾げる。
少年:「僕は何になるの?」
ハヤトは答えられなかった。
目の前にいる少年にお前はこれから多くの人を傷つける。
何人もの命を実験に使う。
世界そのものを作り直そうとする。
そんなことをどう伝えればいいのか分からなかった。
少年:「悪い人?」
ハヤト:「……。」
少年:「顔に書いてある。」
ハヤト:「そんな分かりやすい?」
少年:「うん。」
ハヤトは頭を掻いた。
ハヤト:「悪いことはする。」
少年:「そっか。」
ハヤト:「驚かないの?」
少年:「未来の僕なんでしょ?」
ハヤト:「たぶん。」
少年:「じゃあ。」
少年:「まだ僕じゃない。」
ハヤトは目を見開く。
どこかで聞いた言葉だった。
原初の王。
同じ魂を持っていても生きた時間が違えば別人だと言った。
ハヤト:「そうだな。」
少年:「でも。」
少年:「どうしてそうなったの?」
ハヤト:「知りたかったから。」
少年:「何を?」
ハヤト:「人間と魔族が争う理由。」
少年:「見つかった?」
ハヤト:「見つかった。」
少年の顔が明るくなる。
少年:「何だった?」
ハヤト:「昔の奴らが。」
ハヤト:「大事なことを全部隠したから。」
少年:「……それだけ?」
ハヤト:「それだけじゃないと思う。」
ハヤト:「でも。」
ハヤト:「思ってたより馬鹿な理由だった。」
少年:「じゃあ。」
少年:「戦わなくてもいい?」
ハヤト:「たぶんな。」
少年:「よかった。」
少年は笑った。
その笑顔を見てハヤトの胸が痛んだ。
この少年は本当にただ答えが欲しかっただけなのだ。
その時だった。
少年の背後に黒い影が現れた。
音もなくゆっくりと少年へ手を伸ばす。
ハヤト:「後ろ!」
少年:「え?」
黒い手が少年の肩へ触れる。
瞬間、少年の身体が黒く染まり始めた。
ハヤト:「離れろ!」
ハヤトは走る。
黒い影が少年を包み込んでいく。
少年:「何これ!?」
ハヤト:「手を伸ばせ!」
少年が手を伸ばす。
ハヤトも手を伸ばす。
あと少し指先が触れる。
その瞬間黒い影の中から無数の声が響いた。
もっと知りたい。
全てを知りたい。
間違った世界を直したい。
争いをなくしたい。
世界を変えたい。
声は全て導師自身の声だった。
ハヤト:「うるさい!」
黒い影がさらに膨れ上がる。
ハヤト:「知りたいなら!」
ハヤトは少年の腕を掴んだ。
ハヤト:「自分で考えろ!」
黒い影がハヤトの腕へ絡みつく。
焼けるような痛みが走る。
それでも手を離さない。
ハヤト:「世界が間違ってるなら!」
ハヤト:「生きて直せ!」
少年:「痛い!」
ハヤト:「俺も痛い!」
少年:「じゃあ離してよ!」
ハヤト:「そっちじゃない!」
少年:「分かってる!」
ハヤト:「紛らわしい!」
こんな時なのに少年が少しだけ笑った。
ハヤト:「引っ張るぞ!」
少年:「うん!」
ハヤト:「せーの!」
二人が同時に力を込める。
黒い影が少年を引く。
ハヤトも引く。
少年:「無理!」
ハヤト:「諦めるな!」
少年:「そっちも!」
ハヤト:「分かってる!」
黒い影に一筋の光が入った。
ハヤトの身体から金色の光が溢れている。
勇者の力。
黒いものが初めて少年から離れた。
ハヤト:「今だ!」
少年:「うわぁぁぁぁ!!」
少年の身体が黒い影から抜ける。
ハヤトはそのまま少年を抱えて後ろへ転がった。
黒い影だけが白い空間に残された。
少年:「取れた……?」
ハヤト:「たぶん。」
少年:「たぶん?」
ハヤト:「俺に聞くなよ。」
少年:「助けに来たんじゃないの?」
ハヤト:「精神の中に入ったのも初めてなんだよ!」
少年:「頼りない。」
ハヤト:「お前、大人になっても同じこと言いそうだな。」
少年:「そうなの?」
ハヤト:「もっと腹立つ言い方で。」
少年は少し笑った。
だが黒い影は消えていない。
ゆっくりと形を変えていく。
少年ではなく今度はハヤトを見ていた。
ハヤト:「次は俺かよ。」
黒い影が広がる。
白い空間が一気に闇へ飲み込まれていく。
少年:「ハヤト!」
ハヤト:「大丈夫!」
少年:「その言葉。」
少年:「信用できない気がする。」
ハヤト:「なんでお前まで!?」
闇が迫る。
逃げ場はない。
ハヤトは少年を背中へ庇い。
剣を構えようとする。
だがここには剣がなかった。
ハヤト:「そうだった!」
少年:「どうするの!?」
ハヤト:「考える!」
少年:「今から!?」
ハヤト:「今から!」
黒い影が襲いかかる。
ハヤトは拳を握った。
そして真正面から黒い影へ殴りかかった。




