第50話 侵食
黒い光が爆発した。
ハヤト:「導師!」
衝撃波が世界樹の内部を駆け抜ける。
ハヤトたちは咄嗟に腕で顔を覆い、その場に踏みとどまった。
導師の身体から溢れ出した黒い魔力が、天井近くまで一気に噴き上がる。
セレナ:「何なのよ、この魔力!?」
アスカ:「下がってください!」
アスカが防護結界を展開する。
直後、黒い魔力が結界へ激突した。
結界の表面に無数の亀裂が走る。
アスカ:「くっ……!」
ガルデ:「アスカ!」
アスカ:「まだ持ちます!」
ハヤトは黒い光の中心を睨んだ。
そこには導師がいる。
だが、様子がおかしい。
導師は自分の胸を押さえたまま、苦しそうに身体を丸めていた。
首元まで広がっていた黒い紋様が、すでに顔の半分へ達している。
導師:「いつからだ……。」
導師:「いつ、私の中へ……。」
原初の王:「黒い魔石を扱い続けた時点で、すでに侵食は始まっていたのだろう。」
導師:「あり得ない。」
原初の王:「なぜだ?」
導師:「私は全て検査した。」
導師:「肉体も。」
導師:「魔力も。」
導師:「精神も。」
導師:「異常はなかった。」
原初の王:「だから気付かなかった。」
導師:「何?」
原初の王:「あれが侵すのは、肉体だけではない。」
原初の王:「魔力だけでもない。」
原初の王は導師を真っ直ぐに見つめる。
原初の王:「欲望だ。」
導師の表情が止まった。
ハヤト:「欲望?」
原初の王:「黒きものには意思がない。」
原初の王:「自ら考えることもない。」
原初の王:「ただ、触れた者の欲望を利用して広がる。」
セレナ:「じゃあ……。」
原初の王:「力を求める者には力を与える。」
原初の王:「知識を求める者には知識を見せる。」
原初の王:「世界を変えたい者には、それが可能だと思わせる。」
ハヤトは導師を見る。
黒い魔石を研究し人体実験を繰り返し世界を作り直そうとしていた男。
全てが導師自身の意思だったのか。
それとも。
ハヤト:「お前……。」
導師:「違う。」
ハヤト:「まだ何も言ってないぞ。」
導師:「私の意思だ。」
導師はゆっくりと顔を上げる。
導師:「研究も。」
導師:「実験も。」
導師:「世界を作り直そうとしたことも。」
導師:「全て私自身が選んだ。」
ハヤト:「そうか。」
導師:「黒きものに操られたことにすれば、私は被害者になれる。」
導師:「だが、それは事実ではない。」
導師は自分の黒く染まった手を見る。
導師:「私は自分の意思で始めた。」
導師:「そして。」
導師:「自分の意思で失敗した。」
ハヤト:「……。」
導師:「責任は私にある。」
ハヤトは何も言わなかった。
今まで導師を許せないと思っていた。
それは今も変わらない。
導師が何人を傷つけたのか。
何人を実験に使ったのか。
その事実は消えない。
だが自分の失敗を黒きもののせいにしなかったことだけは少し意外だった。
◆◇◆
導師の身体が大きく揺れた。
再び黒い魔力が溢れ出す。
導師:「ぐっ……!」
原初の王:「離れろ!」
ハヤト:「導師!」
導師:「来るな!」
ハヤトの足が止まった。
導師:「私の中に。」
導師:「ある。」
ハヤト:「何が?」
導師:「本体だ。」
全員の表情が変わる。
原初の王:「確かなのか?」
導師:「ああ。」
導師は胸元を押さえる。
その奥で黒い光が脈打っていた。
ドクン。
導師のものではない鼓動が響く。
導師:「先ほど術式を反転させた時。」
導師:「黒い力は私を経由していた。」
セレナ:「まさか……。」
導師:「あれは、その時に移ったのではない。」
導師:「もっと前から私の中にいた。」
アスカ:「では、先ほど浄化した黒い力が……。」
導師:「こちらへ戻ってきた。」
ハヤト:「なんでだよ!」
導師:「本体に戻っただけだ。」
黒きものは消えていなかった。
周囲へ漏れ出していた力を浄化しただけだった。
その中心。
本体そのものはずっと導師の中に潜んでいた。
ヴェルミナ:「いつからなの?」
導師:「分からない。」
導師:「最初に黒い魔石へ触れた時かもしれない。」
導師:「研究を始めた時かもしれない。」
導師:「あるいは。」
導師は一度だけ目を閉じる。
導師:「世界を作り直したいと願った時には、もういたのかもしれない。」
ハヤト:「お前、いつから研究してるんだ?」
導師:「三十七年前だ。」
セレナ:「そんなに前から?」
導師:「ああ。」
導師:「最初は単純な疑問だった。」
ハヤト:「何だ?」
導師:「なぜ人間と魔族は争うのか。」
誰も言葉を挟まなかった。
導師:「調べた。」
導師:「人間の歴史を。」
導師:「魔族の歴史を。」
導師:「戦争を。」
導師:「宗教を。」
導師:「魔王を。」
導師:「勇者を。」
導師:「だが、どこにも始まりがなかった。」
セレナ:「だから、世界樹に辿り着いた?」
導師:「そうだ。」
導師:「人と魔が元は共に生きていたことを知った時。」
導師:「私は理解したと思った。」
導師:「現在の世界そのものが間違っているのだと。」
ハヤト:「だから全部やり直すって?」
導師:「そう考えた。」
ハヤト:「極端すぎるだろ。」
導師:「今なら分かる。」
導師は小さく息を吐く。
導師:「私が間違っていた。」
ヴェルミナ:「今さらよ。」
導師:「ああ。」
ヴェルミナ:「あなたが実験に使った人たちは戻ってこない。」
導師:「分かっている。」
ヴェルミナ:「分かっているなら。」
ヴェルミナは拳を握る。
怒りは消えていない。
消えるはずもなかった。
ヴェルミナ:「勝手に死んで終わらせないで。」
導師が初めてヴェルミナを見る。
ヴェルミナ:「生きて。」
ヴェルミナ:「自分がやったこと全部。」
ヴェルミナ:「背負いなさい。」
ハヤトはヴェルミナを見る。
どこかで聞いたような言葉だった。
ハヤト:(生きて考えろ、か。)
ネクロスとの最後の会話を思い出す。
もしかすると。
ヴェルミナも同じことを考えているのかもしれない。
導師:「それができれば。」
ヴェルミナ:「できればじゃない。」
ヴェルミナ:「やるのよ。」
導師:「……。」
その時導師の身体が再び痙攣した。
◆◇◆
黒い紋様が一気に広がった。
導師:「ぐあっ……!」
ハヤト:「おい!」
原初の王:「限界だ!」
導師が膝をつく。
背中から黒い霧が噴き出す。
霧は導師の周囲へ集まり。
人の形を作り始めた。
セレナ:「分離してる?」
原初の王:「違う!」
原初の王:「肉体を奪おうとしている!」
ハヤト:「どうすればいい!?」
原初の王:「導師から引き剥がす!」
ハヤト:「どうやって!?」
原初の王:「勇者の力を使え!」
ハヤト:「また俺か!」
原初の王:「他にいない!」
ハヤト:「分かったよ!」
ハヤトは導師へ走る。
だが。
導師:「来るな!」
ハヤト:「今度は何だよ!」
導師:「切れ。」
ハヤト:「は?」
導師は顔を上げる。
黒い紋様は片方の目にまで達していた。
それでも意識は残っている。
導師:「私ごと切れ。」
ハヤト:「嫌だ。」
導師:「即答するな。」
ハヤト:「嫌なもんは嫌だ。」
導師:「確実な方法だ。」
ハヤト:「他を探す。」
導師:「時間がない。」
ハヤト:「だったら急いで探す!」
導師:「合理的ではない。」
ハヤト:「うるさい!」
ハヤトは導師の胸ぐらを掴む。
ハヤト:「さっきヴェルミナに言われただろ!」
ハヤト:「勝手に死んで終わらせるな!」
導師:「私は多くの人間を殺した。」
ハヤト:「知ってる!」
導師:「許されると思うのか?」
ハヤト:「知らん!」
導師:「……。」
ハヤト:「俺が決めることじゃない!」
ハヤト:「お前が助かった後で。」
ハヤト:「お前が傷つけた奴らに聞け!」
導師は言葉を失った。
ハヤト:「だから今は。」
ハヤト:「生きろ!」
黒い霧がハヤトへ襲いかかる。
フローネ:「ハヤト!」
剣が閃く。
フローネが黒い霧を切り払った。
フローネ:「話は後です!」
フローネ:「今は導師を助けます!」
ハヤト:「おう!」
ガルデ:「ったく。」
ガルデは戦斧を構える。
ガルデ:「敵を助けることになるとはな!」
セレナ:「もう今さらでしょ!」
アスカ:「方法を探します!」
ヴェルミナも導師を見る。
ヴェルミナ:「絶対に死なせないわ。」
導師:「なぜだ。」
ヴェルミナ:「あなたには。」
ヴェルミナ:「生きて後悔してもらうからよ。」
導師:「……酷い理由だ。」
ヴェルミナ:「褒め言葉として受け取っておくわ。」
◆◇◆
原初の王は導師の胸元を見つめていた。
黒きものの本体。
肉体と魔力。
そして。
導師の意思に深く根を張っている。
単純に切り離せば導師も死ぬ。
だが。
原初の王:「一つだけ方法がある。」
ハヤト:「あるのか!?」
原初の王:「危険だ。」
ハヤト:「今さらだろ!」
原初の王:「勇者。」
原初の王:「お前が導師の内側へ入る。」
ハヤト:「……。」
ハヤト:「どういう意味?」
セレナ:「私も聞きたい。」
原初の王:「黒きものが寄生しているのは肉体だけではない。」
原初の王:「精神の深部に根を張っている。」
原初の王:「ならば。」
原初の王:「精神そのものへ入り。」
原初の王:「内側から切り離す。」
ハヤト:「そんなことできるの?」
原初の王:「私が道を作る。」
ハヤト:「危険って?」
原初の王:「戻れなくなる可能性がある。」
フローネ:「駄目です!」
即答だった。
ハヤト:「フローネ。」
フローネ:「他の方法を探してください!」
原初の王:「時間がない。」
フローネ:「それでもです!」
ハヤトは黙る。
フローネの顔を見る。
本気で心配している。
ヴェルミナも何も言わないが同じ顔をしていた。
ハヤト:「大丈夫。」
フローネ:「その言葉は禁止です!」
ハヤト:「そうだった。」
こんな時なのに。
少しだけ笑ってしまう。
ハヤト:「じゃあ。」
ハヤト:「帰ってくる。」
フローネ:「……。」
ハヤト:「絶対に。」
ヴェルミナ:「約束できる?」
ハヤト:「する。」
ヴェルミナ:「破ったら?」
ハヤト:「怒られる。」
ヴェルミナ:「それだけじゃ済まさないわよ。」
ハヤト:「怖いな。」
ヴェルミナ:「だったら戻ってきなさい。」
ハヤト:「分かった。」
ハヤトは原初の王を見る。
ハヤト:「やってくれ。」
原初の王:「覚悟はいいか?」
ハヤト:「たぶん。」
原初の王:「そこは言い切れ。」
ハヤト:「大丈夫。」
フローネ:「勇者様!」
ハヤト:「違った!」
こんな時までいつものハヤトだった。
原初の王は小さく笑う。
そしてハヤトの額へ手を伸ばした。
原初の王:「行くぞ。」
白い光が広がる。
ハヤトの意識が遠のいていく。
最後に見えたのは。
心配そうにこちらを見つめる仲間たちだった。
そして次に目を開いた時。
ハヤトは知らない場所に立っていた。
そこには一人の少年がいた。
まだ幼い白い髪の少年。
少年は黒い魔石を手の中で見つめていた。
ハヤト:「誰だ?」
少年が振り返る。
その顔には見覚えがあった。
若い頃の導師だった。




