第48話 黒きもの
世界樹の深部。
砕けた封印の奥から、黒い何かがゆっくりと這い出していた。
霧にも見える。
泥にも見える。
だが、どちらでもない。
黒い何かが触れた場所から、世界樹の壁が次々と黒く染まっていく。
アスカ:「下がってください!」
全員が一斉に後退した。
直後。
黒い何かが床を這うように広がり、先ほどまでハヤトたちが立っていた場所を飲み込んだ。
ハヤト:「なんだよ、これ!」
セレナ:「分からない!」
セレナ:「でも、絶対に触らないで!」
ハヤト:「見れば分かる!」
原初の王は黒い何かを見つめたまま動かなかった。
その表情には、明らかな警戒が浮かんでいる。
ハヤト:「おい!」
原初の王:「なんだ?」
ハヤト:「あれが何なのか知ってるんだろ?」
原初の王:「知っている。」
ハヤト:「だったら説明してくれ!」
原初の王は僅かに目を伏せた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
原初の王:「名はない。」
ハヤト:「は?」
原初の王:「少なくとも、我々は名を与えなかった。」
ガルデ:「名前なんかどうでもいい!」
ガルデ:「何なのかを聞いてんだ!」
原初の王:「世界の外から来たものだ。」
誰も言葉を発しなかった。
ハヤト:「世界の外?」
セレナ:「どういう意味?」
原初の王:「そのままの意味だ。」
原初の王:「あれは、この世界で生まれたものではない。」
原初の王:「遥か昔、世界樹の根が大地のさらに深くへ到達した時に、あれと接触した。」
アスカ:「それが、黒き力の始まり……。」
原初の王:「そうだ。」
ヴェルミナ:「じゃあ、黒い魔石は?」
原初の王:「あれに侵食された世界樹の魔力が結晶化したものだ。」
全員の表情が変わった。
黒い魔石。
これまで何度も見てきた。
魔物を変異させ人間を実験体にし死者すら操った。
その正体は世界樹の魔力が汚染されたものだった。
ハヤト:「導師。」
導師は答えない。
ハヤト:「お前、知ってたのか?」
導師:「一部は。」
ハヤト:「一部?」
導師:「黒い魔石が、世界樹に由来することは知っていた。」
ハヤト:「あれが封印されてることは?」
導師:「知らなかった。」
ハヤト:「じゃあ。」
ハヤト:「何も分かってないのに起こしたのか!?」
導師:「必要な実験だった。」
ハヤト:「ふざけんな!」
ハヤトが導師へ向かおうとする。
だが。
原初の王:「来るぞ。」
低い声が響いた。
次の瞬間。
黒い何かが弾けた。
◆◇◆
無数の黒い触手が空間全体へ伸びる。
ハヤト:「うおっ!」
ハヤトは剣で触手を弾いた。
フローネも迫ってきた触手を切り落とす。
だが斬られた触手は床へ落ちる前に霧となり、すぐに本体へ戻っていく。
フローネ:「再生しています!」
ガルデ:「だったら砕く!」
ガルデが戦斧を振り下ろす。
轟音。
黒い塊が大きく吹き飛んだ。
ガルデ:「どうだ!」
散らばった黒い霧が。
再び集まり始める。
ガルデ:「駄目か!」
セレナ:「普通に攻撃しても意味がない!」
ハヤト:「じゃあ、どうすんだよ!」
原初の王:「私が抑える。」
ハヤト:「できるのか?」
原初の王:「千年前にもやった。」
原初の王は前へ出た。
右手を掲げる。
白い光が広がった。
黒い何かの動きが止まる。
ハヤト:「おお!」
セレナ:「止まった……。」
だが原初の王の腕が僅かに震えていた。
アスカ:「無理をしています!」
原初の王:「封印から目覚めたばかりだ。」
原初の王:「長くは持たない。」
ハヤト:「どれくらい?」
原初の王:「十数える程度だ。」
ハヤト:「短っ!」
原初の王:「だから、早くしろ。」
ハヤト:「何を!?」
原初の王:「逃げろ。」
ハヤト:「嫌だ。」
原初の王:「……。」
即答だった。
原初の王がハヤトを見る。
ハヤト:「逃げたらどうなる?」
原初の王:「私が再び封じる。」
ハヤト:「お前も一緒に?」
原初の王:「そうだ。」
ハヤト:「じゃあ駄目だ。」
原初の王:「なぜだ?」
ハヤト:「せっかく千年ぶりに起きたのに、また寝るの嫌だろ。」
原初の王:「問題はそこではない。」
ハヤト:「俺にはそこも問題なんだよ。」
セレナ:「ちょっと待ちなさい。」
ハヤト:「何?」
セレナ:「あなた、まさか助けるつもり?」
ハヤト:「できるなら。」
セレナ:「相手は原初の王よ!」
ハヤト:「でも、悪い奴じゃなさそうじゃん。」
ヴェルミナ:「判断基準が軽すぎない?」
ハヤト:「だって。」
ハヤト:「世界を壊したのはこいつじゃなかったんだろ?」
原初の王:「私は多くの者を殺した。」
ハヤト:「それは後で聞く。」
原初の王:「後で?」
ハヤト:「今はあれを何とかする方が先だ。」
原初の王は何も言えなかった。
千年前。
人間も。
魔族も。
最後には自分を恐れた。
それが当然だと思っていた。
だが目の前の勇者は違う。
何も知らないだけかもしれない。
単純なだけかもしれない。
それでも迷わず助けると言った。
原初の王:「やはり、似ている。」
ハヤト:「誰に?」
原初の王:「千年前の馬鹿にだ。」
ハヤト:「だから俺じゃないって!」
◆◇◆
アスカは黒い何かを見つめていた。
原初の王の白い光によって動きは止まっている。
だがその間も周囲の魔力を吸収し続けていた。
アスカ:「待ってください。」
セレナ:「どうしたの?」
アスカ:「あれは再生しているのではありません。」
ガルデ:「じゃあ何だ?」
アスカ:「周囲の魔力を吸収して、失った部分を補っています。」
セレナ:「つまり。」
アスカ:「魔力を吸収できなくすれば、倒せる可能性があります。」
ハヤト:「どうやって?」
アスカ:「それを考えています。」
ハヤト:「頼む!」
アスカ:「簡単に言わないでください!」
珍しくアスカが強い口調になった。
ハヤト:「ごめん!」
セレナは周囲を見る。
世界樹の内部。
壁にも。
床にも。
大量の魔力が流れている。
ここは黒きものにとって無限に餌があるような場所だった。
セレナ:「場所が悪すぎる。」
アスカ:「はい。」
セレナ:「世界樹から切り離せれば。」
アスカ:「可能性はあります。」
ガルデ:「外に吹っ飛ばすか?」
セレナ:「どうやって?」
ガルデ:「俺が殴る。」
セレナ:「馬鹿なの?」
ガルデ:「他に案があるのか?」
セレナ:「……。」
ガルデ:「ないんだな。」
ハヤト:「じゃあ殴ろう。」
セレナ:「なんでそうなるのよ!」
その時ヴェルミナが何かに気付いた。
ヴェルミナ:「待って。」
ハヤト:「今度は何?」
ヴェルミナ:「世界樹から切り離す必要はないかもしれない。」
セレナ:「どういうこと?」
ヴェルミナ:「逆よ。」
ヴェルミナは黒い魔石を見る。
導師によって世界樹へ打ち込まれた。
大量の黒い魔石。
ヴェルミナ:「あれは世界樹の魔力を吸って、黒い力に変えてるんでしょう?」
アスカ:「はい。」
ヴェルミナ:「だったら。」
ヴェルミナ:「流れを逆にできない?」
アスカの目が大きく開く。
セレナもすぐに意味を理解した。
セレナ:「黒い力を。」
セレナ:「世界樹へ戻す?」
ヴェルミナ:「そう。」
アスカ:「可能かもしれません。」
ハヤト:「本当か!?」
アスカ:「ですが。」
ハヤト:「ですが?」
アスカ:「世界樹が耐えられる保証はありません。」
ヴェルミナ:「普通に戻したらね。」
ハヤト:「何か方法あるの?」
ヴェルミナは原初の王を見る。
ヴェルミナ:「あいつ、黒い力を白い光で止めてる。」
アスカ:「まさか。」
ヴェルミナ:「浄化できるんじゃない?」
全員が原初の王を見る。
原初の王:「できる。」
ハヤト:「できるの!?」
原初の王:「千年前は、力が足りなかった。」
原初の王:「だが。」
原初の王の視線がハヤトへ向く。
ハヤト:「嫌な予感がする。」
原初の王:「勇者。」
ハヤト:「やっぱり俺!?」
原初の王:「お前の力があれば、可能性はある。」
ハヤト:「また俺の力かよ!」
ガルデ:「人気者だな。」
ハヤト:「嬉しくない!」
原初の王:「嫌なら構わない。」
ハヤト:「やる。」
原初の王:「……。」
ハヤト:「何だよ?」
原初の王:「少しは考えろ。」
ハヤト:「考えてる時間ないだろ!」
原初の王はほんの少しだけ笑った。
原初の王:「本当に。」
原初の王:「よく似ている。」
ハヤト:「だから誰にだよ!」
◆◇◆
作戦は決まった。
まずセレナとアスカが導師の術式を書き換える。
黒い魔石へ流れている世界樹の魔力を止め。
逆に黒きものから魔力を吸い出す流れを作る。
次にヴェルミナが魔石同士を魔法で接続する。
そして原初の王が吸い出した黒い力を浄化する。
最後にハヤトの勇者の力を原初の王へ流し込む。
問題は。
ガルデ:「導師はどうすんだ?」
全員が導師を見る。
導師はずっと黙ったままだった。
ハヤト:「お前。」
ハヤト:「邪魔する?」
導師:「……。」
ハヤト:「どっちだよ?」
導師は黒きものを見る。
自分が求めた世界を作り直す力。
だが現実は違った。
利用するはずだった力は世界そのものを喰らおうとしている。
導師:「私の計算は。」
導師:「間違っていた。」
ハヤト:「お。」
セレナ:「認めるのね。」
導師:「だが。」
導師:「まだ修正できる。」
ハヤト:「は?」
導師は魔法陣へ歩いていく。
ハヤト:「何する気だ?」
導師:「術式の制御権は私にある。」
導師:「書き換えるなら、私が最も速い。」
セレナ:「信用しろって?」
導師:「必要ない。」
導師:「結果だけ見ろ。」
ハヤト:「嫌だ。」
導師:「何?」
ハヤト:「一緒にやるなら。」
ハヤト:「ちゃんと説明しろ。」
導師:「時間がない。」
ハヤト:「だから短く説明しろ。」
導師は黙る。
セレナが思わず吹き出した。
セレナ:「あなた、本当に相手が誰でも変わらないわね。」
ハヤト:「何が?」
セレナ:「何でもない。」
導師は一度だけ目を閉じた。
そして。
導師:「術式を反転させる。」
導師:「黒きものから魔力を吸い出し、原初の王へ送る。」
ハヤト:「その後は?」
導師:「原初の王が浄化する。」
ハヤト:「危険は?」
導師:「全員死ぬ可能性がある。」
ハヤト:「却下。」
導師:「他に方法はない。」
ハヤト:「じゃあ。」
ハヤト:「死なないようにやれ。」
導師:「無茶を言う。」
ハヤト:「俺はいつも言われてる。」
ヴェルミナ:「自覚あったのね。」
ハヤト:「あったよ!」
黒きものが震える。
原初の王の白い光に亀裂が入り始めていた。
原初の王:「話は終わったか?」
ハヤト:「終わった!」
原初の王:「ならば始めろ。」
ハヤト:「行くぞ!」
全員が動き出す。
人間。
魔族。
勇者。
原初の王。
そして導師。
本来なら決して同じ場所に立たなかった者たちが。
一つの敵を前に初めて同じ方向を向いた。
その光景は。
千年前。
人と魔が共に世界樹を守った時とどこか似ていた。




