第38話 死霊王の答え
雪原を冷たい風が吹き抜けていた。
亡霊巨人は崩れ去り、先ほどまで村を包囲していた死霊たちも動きを止めている。
巨人の核にされていた青年は、アスカの治療によって一命を取り留めていた。
そして、青年が告げた情報によって、その場の空気は再び張り詰めていた。
導師は世界樹へ向かった。
世界を作り直すために。
その言葉を聞いてから、ネクロスは明らかに様子を変えていた。
ハヤト:「おい、ネクロス。」
ネクロス:「なんだい?」
ハヤト:「世界樹について何か知ってるんだろ?」
ネクロスはすぐには答えなかった。
先ほどまで浮かべていた余裕のある笑みも、今は消えている。
ネクロス:「場所なら知っている。」
ハヤト:「導師がそこで何をするつもりなのかは?」
ネクロス:「知らない。」
ハヤト:「本当に?」
ネクロス:「本当だよ。」
セレナはネクロスの表情を注意深く観察した。
少なくとも、嘘をついているようには見えなかった。
セレナ:「あなたも、導師が世界樹へ向かったことは知らなかったのね?」
ネクロス:「ああ。」
ガルデ:「仲間じゃねぇのか?」
ネクロス:「違う。」
ネクロスは静かに首を横に振った。
ネクロス:「導師は魔王軍の一員ではない。」
アスカ:「では、なぜ魔王軍に協力していたのですか?」
ネクロス:「互いに利用価値があったからだ。」
ネクロス:「我々には導師の知識と技術が必要だった。」
ネクロス:「導師には魔王軍の持つ魔力や資源が必要だった。」
ハヤト:「つまり、仲良しじゃなかったってことか?」
セレナ:「どうしてあなたが言うと急に軽くなるのよ。」
ハヤト:「分かりやすいだろ?」
セレナ:「まあ、分かりやすいけど。」
ネクロスはそんな二人を見て、小さく息を吐いた。
ネクロス:「導師は誰にも従わない。」
ネクロス:「人間にも興味はない。」
ネクロス:「魔族にも興味はない。」
ネクロス:「そして、おそらく魔王にもね。」
フローネ:「それでは、導師の目的は何なのですか?」
ネクロス:「それこそ、私が知りたい。」
ハヤトは眉をひそめた。
今までの出来事が少しずつ繋がっていく。
黒い魔石を使った実験。
黒の工房。
人体実験。
そして、今回の亡霊巨人。
導師にとって、全てが何かの準備だったのかもしれない。
ハヤト:(世界を作り直す、か。)
ハヤト:(ろくなことじゃなさそうだな。)
ヴェルミナは少し離れた場所で黙って話を聞いていた。
生命共有術を使った影響で、まだ顔色は悪い。
それでも、導師という名前が出るたびに表情が険しくなっていた。
ヴェルミナ:「ネクロス。」
ネクロス:「なんだい?」
ヴェルミナ:「あなた、本当に何も聞かされていなかったの?」
ネクロス:「ああ。」
ネクロス:「どうやら私たちも、かなり前から導師の駒だったらしい。」
ヴェルミナ:「気に入らないわね。」
ネクロス:「奇遇だね。」
ネクロス:「私もだ。」
ハヤト:「お前ら、そこは仲良いんだな。」
ヴェルミナ:「良くないわよ。」
ネクロス:「良くないね。」
今度は二人の声が綺麗に重なった。
ガルデ:「仲良いじゃねぇか。」
ヴェルミナ:「違う!」
ネクロス:「違う。」
セレナ:「そこまで揃うと、逆に説得力がないわね。」
一瞬だけ、戦場らしからぬ空気が流れた。
だが、ハヤトはすぐに表情を戻した。
まだ終わっていない。
目の前にいるのは、四天王の一人なのだ。
◆◇◆
ネクロスはゆっくりと杖を持ち上げた。
それに反応するように、周囲に漂っていた黒い霧が再び集まり始める。
ハヤトも剣を構えた。
ハヤト:「やっぱり、まだやるんだな。」
ネクロス:「当然だろう?」
ネクロス:「導師について話したからといって、君たちの味方になったわけではない。」
ハヤト:「まあ、そうだよな。」
ガルデ:「そこで納得すんのかよ。」
ハヤト:「だって敵だし。」
ネクロス:「君は時々、妙に物分かりがいいな。」
ハヤト:「時々は余計だ。」
フローネも剣を構えようとした。
その時、ハヤトが一歩前へ出る。
フローネ:「勇者様。」
ハヤト:「大丈夫だ。」
フローネ:「まだ何も言っていません。」
ハヤト:「無茶するなって言うつもりだっただろ?」
フローネ:「当然です。」
ハヤト:「今回は本当に無茶しない。」
セレナ:「信用できないわね。」
ガルデ:「信用できねぇな。」
アスカ:「信用できません。」
ハヤト:「なんで全員即答なんだよ!」
フローネは思わず小さく笑った。
先ほどまで意識を失い、今にも命を落としそうだった人間が、もういつもの調子に戻っている。
それを見ているだけで、胸の奥にあった不安が少しだけ薄れていった。
フローネ:(本当に、心配ばかりかける人ですね。)
その時、ヴェルミナが立ち上がろうとした。
しかし、身体に力が入らず、その場で大きくふらつく。
ハヤト:「危ない!」
ハヤトは慌ててヴェルミナの身体を支えた。
ヴェルミナ:「ちょっと、急に触らないでよ。」
ハヤト:「倒れそうになったのはお前だろ!」
ヴェルミナ:「誰のせいでこんなに疲れてると思ってるの?」
ハヤト:「俺です。」
ヴェルミナ:「分かってるなら、もう少し申し訳なさそうな顔をしなさい。」
ハヤト:「ごめんなさい。」
ヴェルミナ:「素直すぎるのも腹が立つわね。」
ハヤト:「どうすりゃいいんだよ!」
ヴェルミナはハヤトの腕を借りて立ちながら、小さく笑った。
ヴェルミナ:「私は今回は見ているわ。」
ハヤト:「それがいい。」
ヴェルミナ:「その代わり、負けたら許さない。」
ハヤト:「分かった。」
ヴェルミナ:「それと、死んでも許さない。」
ハヤト:「それはさっき聞いた。」
ヴェルミナ:「だったら守りなさい。」
ハヤト:「了解。」
二人のやり取りを、フローネは黙って見ていた。
なぜか少しだけ面白くない。
ヴェルミナがハヤトの腕につかまっていることが、妙に気になってしまう。
フローネ:(どうして私は、こんなことを気にしているのでしょう。)
答えは出なかった。
少なくとも、今は考えている場合ではない。
フローネは気持ちを切り替え、目の前のネクロスへ剣を向けた。
フローネ:「勇者様。」
ハヤト:「おう。」
フローネ:「今度こそ終わらせましょう。」
ハヤト:「もちろん!」
ネクロスはその様子を黙って見ていた。
そして、またあの言葉を口にする。
ネクロス:「理解できないな。」
ハヤト:「それ、何回目だよ。」
ネクロス:「何度考えても分からないからね。」
ネクロス:「君は死ぬことが怖くないのか?」
ハヤト:「怖いよ。」
あまりにも即答だったため、ネクロスの方が一瞬黙った。
ネクロス:「怖いのか?」
ハヤト:「当たり前だろ。」
ハヤト:「死にたくないし、痛いのも嫌だ。」
ハヤト:「できれば楽して生きたい。」
セレナ:「勇者とは思えない発言ね。」
ハヤト:「本音なんだから仕方ないだろ!」
ネクロス:「なら、なぜ他人のために命を懸ける?」
ハヤトは少し考えた。
難しい理由など考えたこともなかった。
目の前に助けを求めている人がいたから助けた。
それだけだった。
ハヤト:「助けたいと思ったから。」
ネクロス:「それだけかい?」
ハヤト:「それだけ。」
ネクロス:「自分が死ぬかもしれないのに?」
ハヤト:「その時は、その時になってから考える。」
セレナ:「だから毎回死にかけるのよ。」
ハヤト:「今いいところなんだから黙っててくれ!」
ネクロスはしばらくハヤトを見つめていた。
ハヤトの答えには、立派な思想も理屈もなかった。
それでも、ネクロスが何度絶望を見せても、ハヤトは最後まで立ち上がった。
そして、一人ではなかった。
仲間たちも同じように立ち上がり続けた。
ネクロス:「やはり、理解できない。」
ハヤト:「じゃあ、分かるまで考えればいいじゃん。」
ネクロス:「何?」
ハヤト:「分からないなら考えろよ。」
ハヤト:「生きてれば、そのうち分かるかもしれないだろ。」
ネクロスは目を見開いた。
死者を操り続けてきた自分に対して、生きて考えろと言う。
あまりにも皮肉な言葉だった。
それなのに、不思議と腹は立たなかった。
ネクロス:「生きて、考えるか。」
ハヤト:「そう。」
ネクロス:「面白い。」
ネクロスは初めて、心から楽しそうに笑った。
ネクロス:「ならば、その答えを聞かせてもらった礼に。」
ネクロス:「私も全力で相手をしよう。」
ハヤト:「結局戦うんじゃねぇか!」
次の瞬間、ネクロスの魔力が爆発した。
◆◇◆
黒い霧から無数の槍が生み出された。
その全てが一斉にハヤトたちへ向かって飛んでくる。
セレナ:「散開!」
ハヤトは横へ飛んだ。
ガルデは戦斧で槍を弾き飛ばす。
フローネは素早く前へ踏み込み、ハヤトへ迫っていた槍を斬り落とした。
アスカは仲間たちへ強化術を展開する。
アスカ:「身体能力を強化します!」
アスカ:「長くは持ちません!」
ハヤト:「十分!」
ハヤトは一直線にネクロスへ走った。
ネクロス:「正面から来るのか。」
ハヤト:「俺、細かい作戦苦手なんだよ!」
セレナ:「自慢することじゃないわよ!」
ネクロスが杖を振る。
ハヤトの足元から黒い腕が何本も伸びた。
ハヤト:「うおっ!」
避けきれない。
そう思った瞬間、巨大な戦斧が黒い腕をまとめて吹き飛ばした。
ガルデ:「行け!」
ハヤト:「助かる!」
ネクロスは後方へ飛ぶ。
しかし、その先にはフローネがいた。
フローネ:「逃がしません!」
ネクロス:「挟まれたか。」
フローネの斬撃を、ネクロスは杖で受け止める。
その一瞬。
セレナ:「今よ!」
雷撃がネクロスの足元へ直撃した。
ネクロス:「くっ!」
初めて、ネクロスの体勢が大きく崩れる。
アスカ:「勇者様!」
ハヤト:「おう!」
ハヤトの身体を強化術の光が包み込む。
剣を握る手に力が入る。
ネクロスもすぐに体勢を立て直し、目の前に巨大な黒い障壁を展開した。
ネクロス:「来い、勇者!」
ハヤト:「言われなくても!」
ハヤトは全力で剣を振り抜いた。
剣と障壁が激突する。
凄まじい衝撃が雪原を走った。
ハヤト:「おおおおおおおお!!」
ネクロス:「まだだ!」
黒い障壁に亀裂が入る。
ネクロスが魔力を注ぎ込む。
それでも、亀裂は止まらない。
ハヤト:「これで!」
ハヤト:「終わりだぁぁぁぁ!!」
障壁が砕け散った。
ハヤトの剣がネクロスの杖を斬り飛ばす。
その勢いのまま、剣先が胸元の黒い魔石を捉えた。
パキン。
小さな音が響く。
黒い魔石に亀裂が走る。
そして。
完全に砕けた。
ネクロス:「……。」
ネクロスの身体から黒い魔力が抜けていく。
ゆっくりと膝をついた。
ハヤトも荒い息を吐きながら剣を下ろした。
ハヤト:「終わった……。」
ガルデ:「お前、最後だけ全部持っていきやがったな。」
ハヤト:「勇者だからいいだろ。」
セレナ:「そういう時だけ勇者を使うのやめなさい。」
◆◇◆
ネクロスは雪の上に座り込み、自分の手を眺めていた。
身体が少しずつ光の粒へ変わっている。
四天王として蓄えてきた魔力が、砕けた魔石と共に失われているのだ。
ネクロス:「そうか。」
ネクロス:「これが敗北か。」
ハヤト:「初めてなのか?」
ネクロス:「少なくとも、こんな負け方は初めてだ。」
ネクロスはハヤトを見る。
その表情は不思議なほど穏やかだった。
ネクロス:「勇者。」
ハヤト:「なんだ?」
ネクロス:「最後まで、君のことは理解できなかった。」
ハヤト:「そうか。」
ネクロス:「だが。」
ネクロス:「理解してみたいとは思った。」
ハヤトは少しだけ笑った。
ハヤト:「だったら、少しは進歩したんじゃないか?」
ネクロス:「そうかもしれないね。」
周囲にいた死霊たちの身体も、少しずつ光に包まれていく。
村人たちは息を呑んだ。
死者たちの顔から険しい表情が消えていた。
まるで長い眠りから解放されたように、穏やかな表情を浮かべている。
ネクロス:「どうやら、私の支配もここまでらしい。」
ハヤト:「ちゃんと返してやれよ。」
ネクロス:「返す?」
ハヤト:「家族との別れだよ。」
ネクロスは少しだけ目を見開いた。
そして、静かに笑った。
ネクロス:「最後まで、君らしいな。」
死霊たちは一人ずつ光となり、空へ昇っていく。
村人たちは泣きながら、その光を見送っていた。
今度こそ。
本当の別れだった。
ネクロスの身体も、すでに半分以上が光へ変わっている。
ネクロス:「世界樹へ向かえ。」
ハヤト:「やっぱり何か知ってるのか?」
ネクロス:「詳しいことは知らない。」
ネクロス:「だが、導師が世界樹を利用するつもりなら、時間はあまり残されていないはずだ。」
ハヤト:「分かった。」
ネクロス:「それと。」
ネクロスは一度だけ空を見上げた。
ネクロス:「導師を甘く見るな。」
ネクロス:「あの男は、目的のためなら世界そのものを壊す。」
ハヤト:「最初から甘く見てないよ。」
ネクロス:「そうだったね。」
ネクロスの身体がさらに薄くなる。
最後に、ネクロスはハヤトへ視線を戻した。
ネクロス:「勇者。」
ハヤト:「ん?」
ネクロス:「生きて考える。」
ネクロス:「もし次があるなら、試してみるよ。」
ハヤト:「そうしろ。」
ネクロス:「では、さようなら。」
死霊王ネクロスは静かに光となった。
雪原に残っていた黒い霧も消えていく。
長かった戦いが終わった。
フローネは剣を鞘へ収めた。
フローネ:「終わりましたね。」
ハヤト:「ああ。」
フローネ:「それでは、勇者様。」
ハヤト:「ん?」
フローネ:「休んでください。」
ハヤト:「今すぐ?」
フローネ:「今すぐです。」
ハヤト:「でも、まだやることが。」
ヴェルミナ:「休みなさい。」
反対側から低い声が聞こえた。
ハヤトが振り向くと、ヴェルミナが腕を組んで睨んでいた。
まだ顔色は悪い。
ヴェルミナ:「私の生命力まで使って助かったのに、また倒れたら許さないわよ。」
ハヤト:「分かったよ。」
ガルデ:「お前、すっかり頭が上がらなくなったな。」
ハヤト:「うるさい。」
セレナ:「しかも二人に。」
ハヤト:「二人?」
ハヤトは首を傾げた。
フローネ:「セレナ?」
ヴェルミナ:「どういう意味かしら?」
セレナ:「別に。」
アスカは何も言わず、静かに三人を見ていた。
アスカ:(これは、思っていたより面倒なことになりそうですね。)
ハヤトだけは、何が面倒なのか全く分かっていなかった。




