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イラつき全開で小屋を飛び出した俺の目に飛び込んできたのは、地獄絵図のような光景だった。
集落のいたるところで火の手が上がり、黒煙が夜空へと舞い上がっている。
逃げ惑うネズミ族の住民たちを、下品なニヤニヤ笑いを浮かべた男たちが追い回していた。男たちの身なりはチンピラ風だが、着ているのは揃いの揃った上質な革鎧だ。
「ヒハハハッ! 逃げるな逃げるな! ネズミのガキども、特にメスは高く売れるんだからよぉ!」
「おい、傷をつけるな! 大事な『商品』なんだぞ!」
「オオカミのガキどもより高値で売れるってなあ! こんなぼろい商売ねえぜ!」
耳を疑うような汚い怒号。
ティナを庇うように物陰に身を潜めながら、俺は頭の中で急速に情報を整理していた。
――そうか。繋がったぞ。
街の警備のおっちゃんが言っていた、人さらい。
そして、この森の奥で大人しくしているはずの巨大狼が暴れ出し、ネズミどもに捕縛される羽目になった(これは自業自得)、一連の出来事。
全部、こいつらの仕業か!
俺の知りうる話では、そもそも狼たちは縄張り意識が強く、森の一番奥で大人しく暮らしてるはずだ。それに巨狼ともなれば森の守り神と称えられてもおかしくないはず。それがどうしてネズミと敵対を……?
ここから先は俺のただの憶測でしかない。
おそらくなのだが、歴史の古い貴族は秩序を重んじる家門が多い。森を開拓して新しい土地を手に入れたいのは新興貴族たちだ。森を開拓するのに邪魔な生き物を排除するためにチンピラどもを雇った。さらには金になる狼の子供を連れ去ったことで親狼が激怒し、居場所を追われたネズミ族が追い詰められ……って感じか?
森の中で争って死んでいくのであれば自然の摂理。
頼まれたって王族としての責任なんてクソだし果たすつもりはないが、ひとりの男として目の前で虐げられようとしている弱き者を放置しておくわけにはいかない。
俺の中で何かがプツンと切れる音がした。
「アーサー様……?」
「ティナ。ちょっと隠れてな」
俺はティナを物陰に押し込み、堂々と姿を現した。
「おい、そこの下品なツラした害虫ども」
怒号と悲鳴が飛び交う広場で、俺の声は恐ろしいほど静かに響いた。
「あぁん? なんだこのガキは?」
「ハッ、死にたくなきゃ引っ込んで――」
言いかけたチンピラの間合いに、俺は一瞬で踏み込んでいた。
――ガツンッ!!
「がはっ!?」
無駄のない最小限の足さばきから最短最速で放たれた、容赦のない掌底がチンピラの顎を突き上げる。脳を揺らされた男が白目を剥いて崩れ落ちた。
優雅でド派手な大魔法を貴ぶ妖精王国では、誰も見向きもしない格闘術。
おそらく妖精の国で知る人はほとんどいないだろう。
まさしく初見殺しの技だった。
「な、なんだこいつ!? 捕まえろ――」
襲いかかってくる二人のチンピラ。
一人の突き出してきた腕を払い、肘関節を逆に叩き折る。同時に、もう一人の膝裏を蹴り抜いて体勢を崩させ、後頭部へ鋭い膝蹴りを叩き込んだ。
俺は自称王族最弱とはいえ、王国最弱ではないのだ。
「ぐあああっ!?」
「雑魚が」
冷たい笑みを浮かべつつ、俺は胸元から【彼女ら】を呼び出した。
――ふわっ。
俺の周囲を舞う、淡い光を纏った三匹の蝶。
妖精の魔力――すなわち妖力によって活動する、王家の眷属。
「行け」
指示と同時に、二匹の蝶が風を巻いて飛び立ち、群がるチンピラどもの目元を掠めて視界を奪う。残る一匹は俺の肩にとまり、風の魔力で俺の足取りを軽くしてくれた。
「な、なんだこの蝶はっ……!? 前が見え――ぶふっ!?」
目くらましに惑わされた男の懐に滑り込み、みぞおちに拳を叩き込む。そのまま旋回してさらにほかの男の首筋へ手刀を叩きつけた。相手を圧倒して瞬く間に倒していく。反撃の隙も与えない。
大魔法なんて派手な芸当はできなくても、風の補助と格闘術の組み合わせで下っ端どもを叩きのめすくらいなら造作もない。
「ヒッ……化け物め!」
「逃げろ、こいつヤバい――!」
俺が目の前の雑魚を素手で一掃すると、残りのチンピラどもは腰を抜かして逃げ出し始めたが、逃がすわけない。倒したチンピラが持っていたナイフを拾い上げると、的当ての要領で逃げるやつらの背中に突き刺す。
「――はっ。ただのガキかと思えば、随分と小器用なマネをするじゃねえか」
重苦しい圧迫感とともに、集落の炎を背にして一人の男が歩み出てきた。
背には身の丈ほどもある無骨な大剣。この一帯を仕切るならず者の親分というわけか。見るからに修羅場を何十とも潜り抜けてきた本物の手練れだ。
「団長……! こいつ、いきなり襲いかかってきて――」
「引っ込んでいろ、役立たずども」
「――ぁ……なんで?」
親分もとい団長は冷たい視線でチンピラを睨みつけると無慈悲にも斬り殺した。こうも命が軽いと嫌になっちゃうね。
「待たせたな」
そう言って団長は俺に向かって大剣を軽く構えると不敵に笑い始めた。それだけで場の空気がズシリと重くなる。
まいったな……こいつは下っ端とはワケが違うぞ。
冷や汗が頬を伝う。
一歩踏み出した瞬間、団長の姿がブレた。
「ッ――!?」
疾風のごとき踏み込みからの横一文字。
間一髪、肩にとまっていた蝶のアシストで身体を後ろへ飛ばして直撃を避ける。だが、大剣が切り裂いた風圧だけで胸元の服が弾け飛び、肌に赤い筋が奔った。
「ほう、やるじゃあねえか。だが――どこまで保つかな!」
「くそっ……!」
二匹の蝶を飛ばして牽制の風刃を放ち、至近距離へ飛び込んで関節を狙う。だが、相手の分厚い鎧と圧倒的な筋力の前では、俺の小細工はまるで通用しなかった。
肘関節を取ろうとした腕を力任せに振り払われ、強烈な蹴りが俺の腹を穿つ。
「ガハッ……!?」
視界がグラリと揺れ、地面を激しく転がった。
必死に立ち上がろうとするが、激痛で膝がガクガクと震える。
肺から空気が抜けたせいか酸欠で目がチカチカする。
だめだ……力が足りねえ……!
風の結界も在庫切れ…
決定打もねえ……!!
経験の差もあるだろうが、圧倒的な実力差がそこにはあった。
大剣を掲げ、団長が俺を見下ろしながら残酷な笑みを深めた。
「終わりだ、ガキ」
素早く動けない俺に対してゆったりと上段に構えた大剣が振り下ろされる絶望の一撃。
この一撃にカウンターを合わせる。
(動け、動け! 動けよ俺の体!)
立ち上がるだけでもいっぱいいっぱいなのに、無理矢理カウンターを狙って体を動かすも一手間に合わず。
団長の明らかな隙に対して、俺より先に団長の大剣が俺に届く。
「アーサー様――ッ!!」
――ドスッ。
俺の拳と団長の大剣が互いの体を貫きあう寸前に間に何かが割って入った。
鈍い、嫌な音が響いた。
「――なん……だ……と」
「……え?」
目の前に広がったのは、聞き慣れた愛らしい声と、小さな背中だった。
「ティ……ナ……?」
俺を庇うように間に割って入ったティナの胸元から、大剣の先端が突き抜けていた。
そのおかげで大剣は軌道が逸れて、俺の拳が先に団長の胸を貫いた。
真っ赤な血が、俺の顔にバシャッと飛び散る。
続けて団長も大きく音を立てて地面に倒れる。
「あ……が……あーさー……さま……無事で……よかっ……」
糸が切れた人形のように、小さな身体が俺の腕の中に崩れ落ちた。
手の中に伝わる、急速に冷たくなっていく熱。
真っ赤に染まる服。
「ティナ! ティナ!! 頼む、目を開けてくれ……っ! ティナ!!」
抱きかかえるが、返事はない。呼吸も、鼓動も、感じられない。俺がギュッと抱きよせると、腕が力なくダランと垂れる。
俺のせいで。俺が情けないせいで、この素直で可愛い女の子が死んだ。
毎日目を輝かせて俺の話を聞いてくれた優しい瞳が、もう開かれることは二度とない。
「う……うああああんっ! ごめん……ごめんなティナ……っ!! 守れなかった……!」
情けなく鼻水を垂らし、ボロボロと涙を溢れさせながら、俺は冷たくなったティナを強く抱きしめた。
俺は女の子ひとり守れない。
俺はなんて弱いんだ。
そう泣きわめく。
実際に近しいものが亡くなるのは、これが初めての経験だった。
「ティナ……てぃな…………てぃ……な……?」
突然ティナが光り出した。
何が起こったのかわからない。
傷跡が、魔力で紡がれた糸で縫い合わされていく。
みるみるうちに傷がふさがり、何もなかったかのように完全に治っていた。
「あー……さー……さま」
ゆっくり目を開けるティナ。
俺は力いっぱい抱きしめた。
ありがとう……
生きていてくれてありがとう……
そのまま俺は、ティナを抱きしめたまま、泣き続けた。




