2
翌朝。
俺の旅立ちは、驚くほどに簡素なものだった。
見送りがないとは予想していたが、やっぱり誰もいないのは心に来る。
この期待は裏切ってほしかったものだ。
今まで横柄な態度をとったとかそんなわけじゃないんだから、メイドのひとりやふたりくらい俺の見送りに出てきてくれたっていいじゃないか。
とまあこんなところでいつまでも文句を言うわけにはいかないので、渡された荷物を確認する。
革袋に入った数日分のカチコチの乾燥肉。
人質の歯でも折る気かと言いたくなる硬度のパン。
そして手慰みにもならん程度の大銀貨が少々。
……ふむ。
世間ではこれを路銀と呼ぶらしいが、俺の知る路銀の定義とは多少なりとも乖離があるように思えてならない。
「世直しと武者修行の旅……ねぇ。体裁だけは一丁前に整えた追放劇というわけか」
誰が聞いてるわけでもないがぶつくさ文句を言ってみる。
今回の王子追放は、世間的には武者修行の旅ということになっている。
まさか王子一人で旅をしていてその実、追放されたからあてもなくさまよっているだけでしたーなんて。
誰も思わないだろう。
俺だって思わないね。
風が吹き抜ける城の裏門の前で、俺は革袋を肩に担ぎ直しながら鼻で笑った。
まあいい。
豪華な後宮で甘やかされて肥え太るだけの人生よりは、幾分かスリリングで結構じゃないか。
……と、無理やり自分を納得させようとしていた俺の前に、実に嫌みな面下げた男が現れた。
第二王子のレオン。
俺の腹違いの兄だ。
こいつもムカつくほど顔がよくて……ムカつくんだよなあ。
「フン、出来損ないの私生児が。命があっただけありがたく思え」
まぶしくて目がくらみそうな金ピカの豪華な衣装に身を包み、これ見よがしに周囲に蝶を飛ばして俺を挑発してくる。
こんな安っぽい挑発に乗るほど馬鹿ではない。
しかし……うーむ、相変わらずおめでたい頭をしているなこの愚兄は。
光るエフェクトをつければ偉くなったと錯覚するのは思春期特有の症状だぞ。
遅れて思春期が来ましたーってか?
「いいかアーサー? 父上は追放とおっしゃった。つまりお前が二度とこの王都に足を踏み入れることは許されない。もし街中でその汚い面を見かけたら……俺の手で容赦なく処刑させてもらうからな」
一言多いなこいつ。
言われなくても出ていくってのに。
「へいへい、わかりましたよ兄上殿」
俺は心の中で舌を出して中指を立てつつ、表面上は恭しく肩をすくめて見せた。
「頼まれなくたってさっさと出て行ってやりますよ。では、永遠にお会いしないことを切に祈っております。アデュー」
「……どこまでも不遜な奴め。とっとと消え失せろ」
背後から飛んでくる負け犬の遠吠えのような罵声が飛んでくる。
可愛い弟の門出にもっとこう……ないもんかね、この愚兄は。
ただもう会わないかもしれない今となってはどこか可愛げすら感じる。
そんな自分にも、兄に対しても、心底呆れてやれやれとため息を吐いた。
それほど仲の良くない兄の見送りに後ろ髪をひかれるわけもなく、王都の大通りを鼻歌混じりにまるで散歩するかのように歩き、一度も振り返ることなく王都の門をくぐり抜けた。
厳しい検問もなくそのまま通されたのは意外だった。
てっきりここで荷物検査を称して持ち物没収されて追い出されるものだと思っていた。
こんなことなら城から宝飾品のひとつやふたつ持ってくればよかった。
さておき。
「ふぅ……」
自由だ!
手入れされた街道を一人歩きながら、俺は大きく伸びをした。
私生児という蔑みの視線や、ドロドロした王家の権力闘争からも解放されたのだ。
縛られてばかりのクソみたいな人生だったが、せっかく生きて城の外に出られたんだ。
こんな最初の一歩でウジウジ悩んでいても胃が痛くなるだけ。
だったら今やりたいことをやろう。
「まずは……海を目指すとしようかね」
以前に図書室で読んだことがある。
海は湖よりも大きく、見渡す限り青い水で満たされた広大な場所。
それが海。
一度でいいから、生で拝んでおきたかった。
ついでに水着の美人なねーちゃんでも拝めれば最高なのだが。
後々エリナにバレたときが怖いのでちょびっとだけ拝むことにしよう。
確か海があるのは南の方角だったはず。
ここから徒歩で十日ほど行ったところにある大都市【ランヴィル】へ向かう。
そこから出ている交易馬車に乗れば、およそひと月ほどで海の見える港町へ着く計算だ。
何事もなければ、だが。
……が、ここでひとつ、壊滅的な問題にぶち当たる。
そう、お金の問題だ。
持たされた哀れな小銭では、馬車代どころか数日分の宿代で消滅する。
つまり俺に課された第一目標は、ランヴィルで金を稼ぐこと。
これ一択だった。
前途多難である。
◇
ひたすら足を動かし続けること十日。
途中で野宿を重ね、川も見当たらなかったせいですっかり全身から浮浪者と同じ香ばしい異臭を漂わせ始めていた。
毎日欠かさず風呂に入っていた俺にとってこの臭いがとにかくキツイ。
臭いと疲れに耐えながら、俺はようやく重厚な石造りの外壁に囲まれた都市ランヴィルへとたどり着いた。
最初の目算通りきっかり十日で到着した自分をほめてやりたいね。
それと残念ながら道中では何も起こらなかった。
魔物に襲われたり盗賊に襲われたり。
冒険と言えばこういうハプニングが定番らしいが、馬に乗った巡回兵が通る整備された街道から外れなければこんなもんだ。
盗賊に襲われるなんて、たいてい街道を走れないやましいことをしている奴らだけだ。
しかしまだ昼前の早い時間に到着できてよかった。
街に入って宿をとって終わり、なんてことにならずに済みそうだ。
「街に入る人はこちらを! 商人はあちらの大扉から入ってください!」
ランヴィルは大門と小門があり、どうやら徒歩は小門から入るらしい。
なので俺は列に並ぶ。
簡単な手荷物検査と犯罪歴確認だけされた。
犯罪歴確認の方法だが、血液を特殊な紙に垂らして変色すれば犯罪者とのことだ。
もしかしたら追放されたことが犯罪歴としてカウントされているんじゃないかとひやひやしたが、そんなことはなかったようだ。
門番の「通っていいぞ」の一言で門を通り抜ける。
何事もなく通り抜けることができた俺はホッと胸をなでおろす気持ちだ。
ランヴィルは交易都市と言われているだけあって賑わっていた。
王都とはまた違った喧騒があちらこちらから聞こえてくる。
見たところかなり活気があるようだ。
活気があるところはお金の巡りもいい。
これなら金を稼ぐ方法はなんだってありそうだ。
それはさておき、どこにいけばいいのだろうか。
街ゆく人に尋ねると急いでいるのか手だけでくいっと掲示板を指した。
教えてもらった掲示板に近づくと、街の簡易地図が張ってあった。
見たところ、どうやらランヴィルは噴水広場を中心に、東西南北へ大通りを構えた円形の都市。
まるで羅針盤のような形の都市だった。
ただこの地図は簡易的すぎて詳しいことは何も書いていない。
防犯上の都合なのかもしれないな。
とりあえず街の中を見て回るか。
街ゆく人を見る限りじゃあ貴族とは言えない軽装ばかりなので、ここは平民を中心に回っている街なんだろう。
だからこそ店は王都の見栄っ張りども――貴族をターゲットにした品ぞろえとは違うはずだ。
俺はふらふらと、大通りを中心にいろいろ商店を見て回りながら歩き回る。
建物の二階が住居で一階を店にしている人や、地面に布を敷いただけの店もあった。
そもそもの店構えが王都とも違った。
確か王都は居住区と商業区が切り離されていたはずだ。
「お?」
行先不明のまま歩いているとそれらしい看板を見つけた。
何の店か確認しようにも、文字が書いていない。
木彫りの、剣と盾の看板。
この看板の目印……本で見たことがある。
たぶんこれが冒険者ギルドだな。
自分の記憶なんて到底信じられたものじゃないが、剣に盾だなんてどう見ても冒険者ギルドだろ。
違ったら、そのときはそのときだ。
とはいえ、夢にまで見た冒険者ギルドだ。
冒険者は荒くれものが多くガサツな人が多いらしい。
ここはいっちょかますか。
最初は気迫と勢いが大事だってよく言うしな。
そう意気込んで、バーン! と勢いよく扉を開け放つと、「なんだぁ?」といった感じで一斉にこちらへと視線が向いた。
そうそうこれこれ。
この注目されている感じ。
すごくいい。
「ギルドへようこそ!」
注目される気持ちよさに酔いしれていると、ちょうど入り口正面にある受付カウンターから声をかけられた。
どうやらちゃんと冒険者ギルドであっていたようだ。
声の主を見る。
声の主は、豊満な胸元を惜しげもなくアピールしているお姉さんだった。
おお!
すばらしい!
視線のやり場に困るほどの良質な立体感。
この愛くるしさはウサギ獣人だったりするのかもしれない。
耳は生えていないが、荒くれどもがいる場所なんだ。
こんなに可愛らしいんだからきっと自衛のために隠しているんだろう。
それに乱暴に扉を開けたにも関わらず愛想よく接してくれている。
これぞ冒険者ギルドの醍醐味ってやつだな。
「十五歳になったのでね。冒険者登録しにきたんだ」
自信満々に言うとあちこちから「なんだルーキーかよ」と声が聞こえてきた。
乱暴者の冒険者っぽく入っただけで別にルーキーじゃないとは言っていない。
「なるほどですね! それではこの魔石に手をかざしてください! 名前と適性を調べます!」
お姉さんはそう言いながらカウンターの奥から水晶をとってきた。
適正?
よくわからないが言われるがまま、目の前の水晶に手を乗せる。
ぼんやりとぼやけて光り始めた。
しばらくすると表面に文字列が浮かび上がった。
「お名前はアーサーさん……家名はなし、ですね。適性は……」
お姉さんがほほ笑んだ。
あ、追放されたから家名なしになるのね。
ここでフェイルメール王家のことがバレなくて安心安心。
一国の王子が何やってんだって話だからな。
「適正は……やりましたね! 風です!」
教えてくれるお姉さんは嬉しそうだった。
適性は、どうやら魔法の属性適性を見ていたらしい。
風……か。
どことなく嬉しく感じる。
なんたって俺の婚約者は風の名家、シルフィード公爵令嬢だからな。
ただ受付のお姉さんが嬉しそうにしている理由が知りたくなったので聞いてみることにした。
「風だといいのか?」
「そうですね。なんといってもここはシルフィード公爵様の領地ですから! 風の精霊様に祝福されているんですよ!」
へえ風の精霊様に祝福を……………
って、え?
「ここってシルフィード公爵領なの?」
「そうですね!」
受付のお姉さんは元気に答えて、続けて教えてくれた。
「公爵様の邸宅はここにはございませんが、この地図で見るとここから南側がすべて公爵様の領地、となりますね」
受付のお姉さんが、ランヴィルの地図とはまた別の地図を出してきた。
王国全体とまではいかないが、かなり大きめの地図だ。
公爵領はそれほどデカいのか。
知らなかった。
てことは、領地内をほっつき歩いてると、もしかしたらどこかでエリナに会うかもしれないってことか……
「教えてくれてありがとな!」
その後いくつか注意事項の説明を受けてから、お姉さんの丁寧な案内のもと、必要な手続きを済ませた。
頭に説明を入れたつもりだがすでにすっぽり抜け落ちたかもしれない。
講義でもそうだったが、難しいことを聞いてると眠くなってしまうんだから仕方ない。
すべての工程が終わると安っぽい金属プレートを渡された。
どうやらこれが身分証になるようだ。
俺は首からプレートを下げて、不敵な笑みを浮かべた。
いや、意味はないんだけどね。
「よし。ではさっそくドラゴン退治でもしてこようか」
「無理言わないでください!」
お姉さんは困ったようにあたふたした。
「ドラゴンはともかくとして、そもそも実績もない駆け出しの冒険者にいきなり討伐依頼なんて出せるわけないです!」
「……。俺のような駆け出しにはどんな仕事があるんだ?」
「駆け出しが最初に受ける依頼は、決まってこれです」
そう言って受付のお姉さんが何かをバンっと叩きつけた。
バインバインと揺れるそれに合わせて俺も顔を上下させる。
……おっといけない。
受付のお姉さんが目の前に叩きつけてきたのは、束になった封筒。
「ずばり市内での郵便配達! 手紙や小さな荷物を、指定されたお屋敷や商店に届けるお仕事です!」
「郵便配達?」
え?
冒険者ってそんなことまですんの?
「これはですね、駆け出しの冒険者が足で覚えるためと、もしこれからここを拠点にするなら、街の人々に顔と名前を売るために絶対に必要なことなんです。信用がない冒険者には、誰もいい仕事なんて頼まないんですから」
うぐっ……
正論すぎてぐうの音も出ない。
しかしこれを達成すれば晴れて俺も一人前の冒険者。
「分かったよ。そのお使い業務、やればいいんだろ?」
「ふふ、いいお返事ですね。それじゃあ頑張ってくださいね、アーサーさん!」
「じゃあ行ってくるね」
配達用バッグを肩に担ぐ。
肩が抜けそうなほどずしりと重たい。
これは……確かに駆け出しに選ばれるわけだ。
颯爽とギルドから出ていこうとすると「アーサーさん! あとひとつだけ!」と呼び止められた。
どうしたのかと振り返ると、
「丘の上の屋敷は最後にお願いしますね!」
へいへい。
俺は手だけで了解と返事すると建物を出た。
「これ全部か……」
びっしり詰められたバッグに目を落とすと気分も一緒に落ちた。




