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胃が痛い。
吐きそうだ。
玉座の前で床にひざまずきながら、俺は額にものすごく汗をダラダラ流していた。
周囲から刺さる視線が痛い。
痛すぎる。
無数の、好奇心と蔑みが混ざったような視線が俺の体に突き刺さっていた。
でもそんなことで吐きそうになっているわけじゃない。
昨夜遅くに、成人祝いだからこっそり厨房からくすねたお酒を飲んだら、そこから記憶がない。
つまりだ。
高いのか安いのかわからないお酒を飲み、味もわからないまま記憶を失って朝を迎えたというわけだ。
そもそもコップ一杯も飲んでいないはずなのに、お酒ってこんなに大変なのかよ。
うっぷ……吐きそうだ。
今日は十五歳を迎えた王族が、その血の正統性を国中に見せつける大イベント『披露の儀』だ。
天井を見上げれば、開演の合図として第一王子と第二王子の放った数千の蝶が、色鮮やかな光の帯となって舞い踊っている。
あまり妖精の魔法を目にすることがなかった俺は『すげえ』とだけ思った。
一応これでも兄を尊敬している弟として通ってはいるので、できた弟風に兄たちに目線を送ってみる。
すると「ふふん」と鼻息吹いて威張った顔で俺のほうを品定めするように見ているのに気づいた。
威張れるだけの実力を持っているらしいので別にそれほど悪い気はしていない。
そんな兄たちの背中で堂々と羽ばたいているのが妖精の翼だ。まあ要は魔力の塊ってことだ。
そして今天井でこれでもかというほど存在感を示している無数の蝶と、兄たちの何重もの美しい翼。
それこそがこの国における王族の証であり、王位継承権という名の超プレミアチケットらしい。
これまでは、俺は誰よりも優秀で、一番玉座に近い天才王子だと周囲からチヤホヤされていたはずだったのだ。
「……示せ、アーサー」
頭上から重低音が響いた。親父の声――この国を統べる妖精王の声だ。
声の圧だけで空気が振動しているのが感じられる。
圧が強すぎて今にもちびってしまいそうだ。
「はい、父上」
こう見えて猫をかぶることだけは欠かさなかったので善良な王子で通ってる俺はきれいな姿勢で立ち上がると、ピシッと正しい礼儀作法とやらで一礼する。
そして兄たち同様に蝶を出すために全身の魔力を右手へ一点集中でかき集めた。
するとぽわぽわと温かいモノが集まっていく。
これが魔力だ。
——ふわ、ふわっ。
静まり返った大広間に解き放たれたのは、かろうじて形を保っている三色の蝶。
たったの三体。
それになんだか羽が歪んでいる気がする。
でもまあみすぼらしくても蝶を出すことには成功した。
よっしゃー!
これでかろうじて王族の証は示せた!
ギリギリセーフ!
チケット獲得!
これからも王子としての贅沢な暮らしが保証されることに喜んだのもつかの間、大広間がシーンっと静まり返っていた。
どうしたんだみんな。
俺が蝶を出せたことに驚いて声も出ないってか?
だが違うようだ。
みんなの視線はどうやら俺の背中に集まっているようだった。
釣られて俺も背中を見てみる。
なんで~?
光の翼はおろか、ちっちゃな羽が一枚すら生えていなかった。
いやいや待ってほしい。王家に名を連ねない平民の人たちだって、魔法を使う時は二枚の羽を生やす。
俺まさか平民以下なのか……?
ざわざわと、蔑むような嫌悪感さえ感じる声が大広間を揺らし始める。
「羽すら……生えぬのか?」
「なんとも滑稽な……」
「蝶もたったの三羽。人の血が混ざった私生児とはいえ、これほどとは……」
その通りすぎて耳が痛いね。
だが俺自身、まったくの平民ってわけじゃない。
母は人族の貴族の出で、親父が一夜の過ちで作った子供。
要するに私生児ってやつだ。
もしくは婚外子っていうんだっけか?
俺のことをバカにしたやつらの顔を覚えてやろうと周囲を睨むように見渡す。
見慣れない貴族たちと見覚えのある貴族。
半々ってところか。
その中に王族の血を引くばかりに私生児の俺なんかに会うたびペコペコしていた貴族たちの顔も見えた。
みんな一瞬で手のひらを返して道端の生ゴミを見るような目で俺を見ている。
おいおい切り替えが早すぎるだろ。
その時、ズンと部屋全体が揺れた。
地震か?
親父が玉座から立ち上がっただけだった。
背中には神々しさを感じる光を放つ巨大な八枚の翼。
親父が靴のかかとをコツンと鳴らしただけで、広間全体を埋め尽くすほどの蝶の群れが一斉に溢れ出す。
桁が違いすぎる。
世界を滅ぼす魔王かよ。
「翼を持たぬ者を、息子と呼ぶことはできぬ」
親父の声には、怒りすら入っていなかった。
一瞬これもパフォーマンスの一種かと思ったがそんな人じゃあない。
ただ道を歩いていて足元のアリを踏み潰した時のような完全な無関心。
それが親父の息子たちに対する平等な反応だ。
「この者は王子ではない。ただの半端物の出来損ないだ。よって王位継承権を剥奪する。また王都からの追放を命じる!」
終了~。
俺の王子人生、十五歳にして完結。
ジ・エンド。
とまあ、なんとも思っていないようにふるまってみたもののショックは大きい。
親父の圧に負けてか三羽の蝶が儚く弾けて消えた。
翼ゼロ。
蝶三羽。
そして王都からの追放。
お先真っ暗だ……
父上が去った後も、俺はショックで動けなかった。
そんな俺の横を貴族たちが嘲笑を残して次々と去っていく。
だが、何よりも俺の心を木っ端微塵に叩き割ったのは聞き覚えのある吐息――もとい、ため息だった。
婚約者のエリナ。
エリナ・フォン・シルフィード公爵令嬢。
サラサラの白銀の長髪が特徴的で、俺に対してはいつも冷たい目をしているが……まあ俺以外に対しては基本的に何があっても動じずに常にほほ笑んでいるイメージだ。
そんなエリナは俺が世界で一番愛する婚約者だ。
いくら俺が将来に期待されていないお気楽な王子様だからって、婚約者に対しては常に誠実に愛情を注いできたつもりだ。
だからこそ婚約者のため息が怖い。
恐る恐るエリナがいたほうに顔を向けてみると、絶対零度の冷たい瞳をした彼女とバチッと目が合った。
あまりの氷の視線に思わず目をそらしてしまう。
やべえ……失望されちまったかもしんねえ……
互いに向かい合ったまま、エリナはしばらく俺の前から動こうとしなかった。
俺が何か言うのを待っているようだ。
沈黙が重い。
胃が痛い。
こんなことになってしまって、エリナに謝罪を述べようにも、言葉が出ない。
それどころか、「いや、これには深いワケが」みたいなクソ見苦しい言い訳しか浮かんでこない自分が心底嫌になる。
俺が必死に頭をフル回転させていると——
エリナは一礼することすらなく、スッと背を向けて去っていった。
去り際の後ろ姿すら完璧で美しいのが、また俺の惨めさを引き立てる。
誰もいなくなった大広間で俺はひとり残され、どうしようもない虚しさに身動きが取れなかった。
頭が真っ白になってどうしていいのかわからなくなってしまう。
謝罪の言葉を叫べばいいのか、後を追いかけて泣きすがればいいのか。
その後、どうやって部屋に帰ったのかすら覚えていない。
覚えているのは、部屋を追い出される寸前までエリナに送る手紙を書いては消してを繰り返していたことだけだった。




