46:彼女はそれを知っている
〈視点/ISEKAI大樹店/元・プレイヤー〉
半信半疑も最初はあった。しかしすぐに薄れて消えた。
誰かが言う。
あれを知っている、と。
誰かが言う。
あれに斬られたことがある、と。
本日、この会場でデビュー戦を迎えた新人、新城千尋の腕前は到底ビギナーのそれではなく。いくらかの観客に、ある過去を想起させていた。
そう。スサノオ神が口を滑らさずとも、時間の問題だったのだ。
かつては顔を隠していようと。今は名前も違おうと。
根本の技術も、得手とする立ち回りも鈍っていない。
(……ああ、そうだ。あれだよ)
たとえばここに、背筋を震わす女性がある。
彼女は覚えている。フィールドを縦横無尽に駆け回る[戦士/遊撃兵]、その時々で殺すべき相手を正確無比に見定め襲いかかる傭兵の牙は、食らいついた相手を決して離さず、攻撃は最大の防御、という言葉を体現していた。
「……なあ。アイツってよ、たしか、この前」
「……ああ。あの武器、使うのは初めて、って感じ、だったよな……?」
近くから、そんな言葉が聞こえてきた。七日前、このフロアで、マッチング成立の場面を直に見ていた連中だろう。
(……不思議じゃない。何も)
そう、驚くには値しない。
剣も。ナイフも。弓も。槍も。銃も。棍も。杖も。
状況に応じてあらゆる職と武器を使いこなしていた奴ならば、新武器の習熟など造作もあるまい。近似の分野から経験値を引っ張って、七日もあれば——殺し方に、千一番目の追加は容易い。
ほら。
今の闘い方にも、過去の経験が、生きている。
(——ああ。あの時と、同じ音だ)
盾を持たない遊撃兵の守りは、弾きだった。
敵の攻撃を、受けて競ることを決してせず。ひたすらに弾く、逸らす。
その様は壮絶の一語。さながら普段、受ければ折られ、武器を失い終わるが必至の猛打に晒されることが日常であったような――分霊の人間でなく、桁外れの怪物とでも鎬を削り続けてきたが故に染みついた【生存の術】である気配がそこにはあった。
攻められながら攻め返す。
守りと同時に切り傷刻む。
攻撃が最大の防御ならば、極められた防御もまた最強の攻撃足り得る。完璧な弾きはどちらが攻めているのかを曖昧にし、尋常ならざる圧迫で身の以前に精神を刻み尽くした。幻想闘祭に挑む気力の、根本すら断つように。
故に、そのプレイヤーはこう忌まれたのだ。
一つの勝負で千の傷、終わりし頃には心を殺す刃の化身——
——サウザンドキル、と。
(覚えてる。私は、お前に、殺された)
二年前。
彼女は幾度もサウザンドキルと対戦し、敗北し、挑みかかりを繰り返し——
——あの日、彼の他、アリーシャやヴォルケンノタスと共にパーティを組み、【英雄】と対戦した一人だった。
そして、勝利の後の感想戦を経て、ファンフェスを引退していた。
もうあんなものはゴメンだと思いながら対戦を見るのはやめられないで、特に負け側がどんな反応をするかばかりが気になる性格の悪さを自覚していて、今日は地元であの一ノ瀬が対戦するとかで、また凡人の手酷い負け模様が見られると思い足を伸ばした。
思ってもみない。
悪夢にまで見た怨敵が、実体をもって現れるなんて。
(……冗談じゃない)
今回こそ無様に負けろ、いや、あんなふうな勝ち方をまた晒して孤立しろ、と期待した。スサノオ神の口から、正体が明かされた時は。
今は、自分が何を考えているのか、自分でもわからない。
二年ぶりに見た、サウザンドキル——勝利のために勝負する斬り捨ての権化は、傷ついた仲間を助けた。
今まで公に使ったこともない武器で、正面から向かい合っては踏みつぶされるだけの怪物を、無謀にも相手取っている。
(……ありえない。らしくない。隅から隅まで、何やってんだ)
弾く、弾く、弾く、弾く。
一撃でもまともに受ければ刀身ごと分霊を真っ二つにされる勇者の剣を、繊細緻密な二丁銃剣の手数でもって凌ぎ続ける。
明確に過ぎる劣勢。合理を踏み外した不利。……刃より先に、心が折れるプレッシャー。
なのに、そいつは笑っている。
歯を食いしばり獰猛に、意気などまるで衰えず。
溺れ死にそうな恐怖に晒されながら——どう見てもこの状況を。
ファンフェスを、楽しんでいる。
(なんだよ、それ)
彼女は、思う。
なんでこいつは、またこの場所に戻ってきたのか。
前回の勝利……その結果、再起不能な傷を刻まれていた事は、去り際に見た表情でわかった。試合に勝ちこそしたものの、もう彼は、勇者と向き合うなど考えられない状態になった……それこそ、反撃で致命的なカウンターを浴びるように。勝利と引き換えに、勝利なんかより大切なものを失って。
彼女もあれで、エンブレムをしまった。
サウザンドキルとは違う形でも、同じ痛みの傷……自分がやってきたことは間違いだった、と思い知らされて。
彼も彼女も、同じ日にファンフェスをやめたのだ。
なのに彼はあの中にいて。
彼女は窓の外で見ている。
(……なんでこんなの、今になって)
彼女の絶望は、単純に実力差だ。それはきっと、まさに今、二丁銃剣で勇者と向かうあう少年が実感しているであろう感覚と近しい。
目の前の怪物には及ばない、近くにいるのは今だけで、いずれ大差をつけられて、背も見えないくらい引き離される……あの日、あの対戦で、戦力にならないと切り捨てられた時のやるせなさは、夢を、希望を捨てるに値する重量だった。
その重みはとても無視などできない現実感で、大好きな競技でプロになって最強を目指そう、などという薄っぺらな戯言が、藁のように虚しくなった。
夢を目指す道中に味わう「もっとやりたい」の億倍は降りかかる「もういやだ」があまりにリアルに目に見えて、頭が、急に利口になったのだ。
それから過ごした二年間。
変わった日々は順当に、予想通りの楽しさで。対戦の日々で味わっていた、頭と心臓と胃と手と足と、もっともっと奥底が焦げ付いて異世界にでも転生したくなるような無念とは無縁の無難な日常は、温い風呂に浸かり続けているように夢見心地で——。
(……ちくしょう。ああ、ちくしょう)
——だったら、今どうして、客席で歯を食いしばっているのか。
やる側から見る側の娯楽になったお祭り。無責任に飛ばす野次。私ならもっとうまくやれる、てんでなっちゃいないと嘯いていたこの口。
そんな全てに反吐が出る。自分が窓の向こうにいないのが、悔し過ぎて腹が捩れる。今日までずっと、あの敗北のせいにしてきた。あれのおかげで目が覚めた、今となっては感謝していると笑って言えた。
(んなわきゃ、ねえじゃん)
本当に、なんてところで気が付くのか。
何を、他人のせいになどしてきたのか。
拳を握りしめると、蛇口をひねるように涙が溢れた。
自分がファンフェスを辞めたのは、強すぎる誰かのせい、なんかではない。何処にでも誰にでも——あんな怪物たちにも普通にあったに違いない挫折から、立ち上がるのを放棄した己のみっともなさだけが原因だった。
(やっと、同じランクに立てたと思ったら。まだ全然、遠かったってだけじゃんよ)
今こそ彼女は、あの時の悔しさ、怒り——直視し切れなかった感情の正体を掴む。
それは同時に、もう一つの事実をも直視させ、苦笑が溢れて抑えられない。
(そうだ。どれだけ冷めた振りをしても、二年間もほったらかしにしてても——)
あの高揚は、痛みと共にあった楽しさは。
焦げ付く悔しさも含め、まだ確かに胸に残っている。
古い煤の下で脈打った、過ぎ去ったあの頃の悔いが、この日、確かに目を覚ました。
(何度負けても、誰に負けても知ったことか。私がお前をブッ倒してやる、サウザンドキル)
踵を返す。行われている試合はまだ途中だが、最後までそれを見ている時間も惜しい。彼女の中では今こそ、もっと大事な勝負が始まった。他人ではない、自分の戦いが。
……まずは。
卒業の時、道具を纏めて寄贈してしまった母校に寄ろう。
「あれ、姉ちゃん? 見てかないの?」
「用事思い出した。先帰る。後で結果教えて。……ああ、それと」
「んー?」
「お前の言った通りだったわ。またやりたくなっちった、ファンフェス」
「ふふ。ねー、だから言ったじゃん! 姉ちゃん、負けず嫌いだもん!」
一人が去り、一人が残る。残された少年は顔を上げ、「あ!」と驚く。
目を離していた隙に、状況は一変していた。
『おっとぉ! ついに、ついについについに来ましたここで来た! この混沌こそ醍醐味、幻想闘祭神器戦! 一体どこまで盛り上がってくれるのかぁーーーーっ!』
実況妖精が叫び、少年は大窓を見上げ、ぽかんと口を開ける。そして子供ならではの、正しく観客としての、客観的で率直な思いつきを述べた。
「すっげー涼しそー。あー、今年も海の世界行きてーなー。姉ちゃんに連れてってもらおー」




