第十七話 向日葵の僕、空白の彼女
体育祭も学校祭も終わり、授業があるいつも通りの毎日が戻って来た。
休み時間の香宮さんといえば、小説を読んでいる。そんな彼女に、僕は相変わらず話し掛けられないでいた。
……いやだって、香宮さん小説読んでいるし。折角好きなことをしているというのに、それを邪魔してしまうのはやっぱり憚られるもので。
「全く、君のヘタレ具合は相変わらずだねぇ」
そんな現状を話せば先輩は呆れたように溜息を吐き、トマトジュースを飲んだ。
全くもってその通りなので、悲しきかな、反論が出来ない。
ぐぬぬと唸る僕を見て、ぷはっとストローから口を離した先輩が楽しそうに続けた。
「ちょっとは男らしくなったかと思えばこれか。全く、そんなことで悩んでないで、話し掛ければいいのに。あー、見ていてもどかしい」
「五月蠅いですよ」
「言っておくけど、もうデートのお誘いは私は手伝ってあげないからね。自分で頑張りなさい」
「言われなくても」
売り言葉に買い言葉。しまったと思った時にはもう遅い。
「ほぉー、言ったね?」
ニヤリといやらしい笑みを浮かべた先輩に、僕は頭痛がした。
あっはっはと笑い声が辺りに響き渡る。……うう、畜生。
項垂れていたら、止まないと思っていた笑い声が不意に止まった。
あれ、と思い顔を上げると、先輩が口を開いた。
「まあ、相変わらずなのはいいことでもあるんだけどね」
「……そうですね」
先輩の言葉に僕は相槌を打つ。
相変わらずの僕たちの関係。劇的な変化もなく、けれど、途切れることなく続いている。
それだけで、今は十分だ。
小さく笑みを浮かべる僕を先輩がちらりと横目で見遣った。
「色々と頑張ろうとしている高瀬くんに、小さな秘密を一つ教えてあげましょう」
口元に人差し指を当てて、茶目っ気たっぷりに先輩が言う。
「秘密?」
「どうして、日咲ちゃんは虹文堂を訪れたのでしょーか?」
「どうしてって……」
教えてあげると言ったのに、問いかけてくるとはこれ如何に。
でも、先輩は教えてくれる気はないらしい。僕が言葉を返すのを待っている。
僕は思い出す。駅で迷っていた香宮さんを虹文堂へ道案内したあの日のことを。
確か、あの時香宮さんは色鉛筆を何本か買っていたっけ。
「画具を買うため、でしょう?文房具屋なんですし」
「それじゃあ、何故数ある文房具屋さんの中から、日咲ちゃんは虹文堂を訪れたのでしょーか?」
「何故って……」
確かに、虹文堂以外にも文房具屋なんてたくさんある訳で。
「日咲ちゃんに虹文堂という文房具屋の存在を教えて、更に言えば、その文房具屋の一人息子である君と会わせて、関わりを持たせようとしていたのは誰でしょーか?」
そこまで言われて、僕は察した。
目の前の先輩はニヤニヤと笑っていて。
僕は訝しげに目を細めた。
「先輩が仕組んだんですか?」
「仕組んだとは人聞きの悪い。私はただ、可愛い可愛い従姉妹が、気になっている男の子ともっと関わりを持てるように、ちょっとお節介を焼いただけだよ」
先輩曰く、高校生になった香宮さんは、『たかせひびき』という昔会った少年と同じ名前の人――つまり、僕が同じクラスにいたことを先輩に伝えたらしい。
「私としても、昔から日咲ちゃんが言っていた『たかせひびき』という少年が君なのかどうか気になってね。調べてみたら、日咲ちゃんが通っていた小学校と同じだったし、何となく確信はしていたのだけどね。まあ、実際に日咲ちゃんと話をさせてみるのが一番かな、と思って。それで、日咲ちゃんに虹文堂を紹介したってわけ」
私にかかれば、一個人のことを探ることなんて容易いことだからね。
なんてことないように先輩が言ってのけた。だが、その顔は面白そうに笑みを浮かべたままだ。
……怖っ!この人マジで怖っ!
思わず顔が引き攣った。
戦慄しつつ、ふと僕は思い出す。
そう言えば、虹文堂が僕の家であることを知った時、香宮さんが「そういうことか……」とか何とか呟いていたような気がする。
その時に香宮さんも察したのだろう。僕と関わりを持たせるために、先輩がこの店を紹介したのだと。
そして、僕たちは関わりを持った。先輩の思惑通りに。
「いやもうほんとこの人マジで怖い……」
「失礼な奴だな君は」
項垂れる僕に文句を言いつつも先輩は何処か得意げだった。
……そのドヤ顔ムカつくなぁ!
*
目の前にある空白に、色を埋めていく。
何本もの色鉛筆で満たされた棚を見て、よし、と僕は独りごちる。
空っぽになった箱を持ち上げてレジカウンターの方へ向かおうとしたその時、ちりんちりんと鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
身を翻して、反射的に言葉を発する。
店の中に入って来たその人が、僕の姿を認めて、僕をじっと見つめて、そして――
「こんにちは、響くん」
「こんにちは、日咲さん」
優しく微笑んだ日咲さんに、僕の顔も自然と緩んだ。
変わらないようでいて、実はあれから少しだけ変わったことがある。
そう、僕たちはお互いに名前で呼び合うようになったのだ。
そうなったのは誰かさんのせい……もとい、おかげである。誰かさんとは言わずもがな。
とは言っても、名前で呼び合う時と場所に制限はあるのだけれども。
名前呼びに関してまだ照れはあるけれど、嬉しいことこの上ない。
それと、嬉しいことは他にもあって――
「せめて虹文堂を訪れた時だけでも、自信を持って響くんに話し掛けられるように頑張るね!」
日咲さんがそう言ってくれた時、僕は本当に嬉しかった。
そんな彼女に「まあ、気楽にね」などとしか言えなかった自分を殴りたくなったけれど。
もっと気の利いた言葉が言える人間になりたいと一人で落ち込んだものだ。
僕の手元の箱を見て、日咲さんが首を傾げる。
「品出し中?」
「いや、今終わったところだよ。あ、日咲さんが欲しがっていた色の色鉛筆も補充しておいたから」
「やったー!」
声を弾ませて日咲さんが先程まで僕がいた棚へと歩いて来た。そして、直ぐに何本かの色鉛筆を手に取って真剣に吟味し始めた。
僕はそんな彼女を見てくすりと笑みを零す。「ごゆっくり」と声を掛けて、静かにその場を立ち去った。
箱を片した後、いつものようにレジカウンターで絵を描いていると、満足した様子の日咲さんが目の前に現れた。
「お願いします」
「まいどあり」
会計をした後、慣れた様子で日咲さんはお絵かきコーナーの席に座った。買ったばかりの商品を机の上に置いて、鞄の中からスケッチブックを取り出しつつ、ふと思い出したかのように彼女が言う。
「そう言えば、昨日鳴さんのイラスト投稿されていたね!」
「……そうだね」
はいそうです。昨日、イラスト投稿しましたよ。
と、内心で言いつつ、僕は曖昧に頷いた。
日咲さん曰く、昨日は早く寝たので投稿に気がついたのは今日の朝だったとのこと。
まあ、僕も結構遅くに投稿したからな……。投稿しようと思ったら塗り忘れを発見して、何だかんだ色々と修正していたら、遅くなってしまったのだ。人間、誰しも譲れないものがあるんです。
「今回の絵も素晴らしかったなぁ……。あー、わたしの語彙力がもっとあったら、この感動を言葉に表すことができるのに!一言しか感想書けなかった!」
「あはは……」
うっとりとしていたかと思えば、悔しそうに日咲さんは地団駄を踏んだ。
僕は苦笑いすることしか出来なくて。
そう、僕が鳴であることを知りながらも、日咲さんは前と同じように接してくるのだ。
「響くんの秘密をバラすようなことはしないよ。その代わり、これからも鳴さんの絵のことを響くんに話してもいいかな?」
日咲さんのその言葉に僕は驚きつつも了承した。
好きなものについて語る日咲さんを見られるのは僕としても嬉しいことだから。
「やっぱり鳴さんの絵は最高だね!」
……でも、ちょっとだけ鳴に嫉妬してしまうのは、ここだけの話。
「それで、今日は何を描こうか」
日咲さんが落ち着いたところで、僕は言葉を投げ掛ける。
うーん、と首を捻って、日咲さんは少し悪戯っぽく笑った。
「それじゃあ、夏が恋しいので、向日葵で」
「好きだね向日葵」
「うん。大好きだよ。今も昔も」
そして、彼女は続ける。蕾が綻ぶようなあの笑顔で。
「響くんもね」




