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第十八話 小さな回想

 照りつける日差しの中、わたしは歩いていた。首元を汗が流れる。それが気にならないほど、心はうきうきとしている。

 もうすぐ、向日葵の花が咲きそうなのだ。ずっと世話をしてきた。本当ならわたしの他にも係の子がいたのだけれど、他の子たちはいつからか来なくなった。

 毎日水をやって、雑草が生えてきたらちゃんと取っていた。ずっとずっと花が咲くのを待っていたのだ。

 向日葵は一番好きな花だ。眺めていると元気になってくるし、夏だと感じられるところが好き。

 ジョウロに水をためる。蛇口を閉めてジョウロを持つとずしっときた。この重さにもすっかりと慣れた。

 早く早くという気持ちと共に足を動かす。でも、水はこぼさないように気をつけて持っていく。

 校舎の角を曲がって、花壇が見えてきたその時だった。

 水が溢れるのも気にせず急いで花壇へと駆けつける。

 わたしはその場に立ちすくんだ。


「なん、で……」


 かすれた声が口から出た。目の前の光景が信じられなくて動けなくなった。

 花壇の向日葵は咲いていなかった。

 いや、咲いていないどころか、花壇に向日葵なんてなかった。

 そこにあったのは、無惨にも折られて茎だけが残っている状態のものだった。


「誰が、こんなことを……」


 昨日はちゃんと向日葵はあった。花が開きそうなぷっくりとした蕾が確かにあったのだ。


「どうして?どうして、こんなことをするの……?」


 咲き誇った向日葵を見て欲しくなったのだろうか。その気持ちはわからなくもない。

 ――だけど、だけど!


「こんなのってあんまりじゃないか……!」


 わたしはその場に座り込んだ。

 視界がどんどんにじんでいく。そして、ついにわたしは涙を流した。

 涙が流れるのは、悲しさと悔しさと虚しさからだ。

 わたしは、この夏休み中に引っ越しをする。だから、向日葵を育てるのがこの学校での最後の仕事なんだと思って今までやって来たのだ。

 向日葵の面倒を一番見てきたのは、自分だとはっきりと言える。一番花が開くのを楽しみにして来たのも自分だと言える。

 それなのに、どうして……どうして、そんなわたしが努力の結晶を奪われないと行けないのか。どうして、その姿を見ることができないのか。

 涙が次から次へと溢れてくる。けれど、折られた向日葵は勿論戻って来ることはなくて。

 暫く泣いていると、じゃり、と土を踏む音が聞こえて来た。

 咄嗟に顔を上げる。すると、そこには男の子が一人いた。

 こちらを見て立ち止まっている。

 男の子は近づいて来て、おずおずと訊ねてきた。


「何で泣いているの?」

「……向日葵を育てていたんだけど折られちゃっていて……大切に育てていたのに……もう直ぐ咲きそうだったのに……」


 言っている間に、また涙が溢れて来た。でも、男の子がいる前で泣くのは何だか恥ずかしかったのでごしごしと目を擦った。

 男の子は暫し何やら悩んだあと、わたしの隣に座って来た。


「ちょっと待っていて」


 そう言って、男の子は持っていた鞄の中からスケッチブックと色鉛筆を取り出した。

 スケッチブックを開いて、何かを描いている。

 すんすんと鼻を鳴らしながら、わたしはその様子を見ていた。

 暫くすると、「できた」と男の子が呟いた。


「はい、これ」


 差し出されたそれを受け取る。

 真っ白な紙には、大輪の向日葵が描かれていた。

 見ていないのに細やかに描かれた向日葵はとても生き生きとしている。


「あげる」


 男の子の言葉は少なかったけれど、それがわたしのために描いてくれたのだと思うと嬉しかった。


「……ありがとう」


 やっと笑ったわたしに、男の子はふうと息をついた。わたしが泣き止んで安心したらしい。


「よかったら、一緒に絵でも描かない?」

「うん、描く!」


 日陰に移動して、よいしょと二人並んで座った。

 紙をもらって何を描こうかと二人で話す。

 それから、二人で絵を描いた。

 たくさんしゃべって、いろんな絵を描いて、その絵を交換した。

 学年が一緒のことも知った。

 貸してもらった色鉛筆には『高瀬響』と名前が書かれていた。

 ――高瀬響くん。

 心の中でそっと名前を唱える。何度も、何度も。

 顔はわからない。だけど、男の子は花が咲いた向日葵のように、きらきらとした笑顔でいるのだろう。

 受け取った絵を見遣る。一番上の紙に描かれた向日葵は輝いて見えた。



   *



 それから数年後、わたしは彼の名前を見つけることになる。

 同じクラスに『高瀬響』という男の子がいたのだ。

 わたしの胸は高鳴った。

 ――どうやって、話しかけよう。高瀬くんはわたしのことを覚えているだろうか。

 でも、臆病なわたしは話しかけられなかった。もし、高瀬くんがあの時のことを覚えていなかったらという不安もあった。

 ――ああ、わたしが他人の顔がわかる普通の子だったら、たとえ成長していたとしても高瀬くんの顔がわかったかもしれないのに。高瀬くんに普通に話しかけられたかもしれないのに。

 結局わたしは何もできない。訊きたいのに、話しかけたいのに、それができなかった。



 そんなわたしにチャンスがやってきた。美術の時間に高瀬くんとペアを組むことになったのだ。

 高瀬くんが絵を描いている姿を眺める。あの頃よりも背丈が大きくなった。そのことを意識してちょっとだけ緊張してしまう。

 顔はわからないから描けない。でも、わたしの中で、高瀬くんの第一印象は決まっているから、何を描くのかは迷わない。

 ――気づいてくれるかな。気づいてくれるといいな。

 心臓の音が五月蠅い。「せーのっ」という掛け声と共にわたしたちは描いた絵を見せ合った。

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