第十三話(四)
「……マジか」
辺りを見回して愕然と呟く。
「何でこんなことに……」
僕の呟きに答えてくれる者はいない。
そろそろ帰ろうかと出口を目指していて、ふと後ろを向いたら香宮さんがいないことに気がついた。
そう、僕と香宮さんは見事(?)はぐれてしまったのである。
慌てて辺りを探したのだが香宮さんの姿はなくて。
「迷子フラグ回収とか全然嬉しくないって……」
僕は人目も憚らず思い切り項垂れた。
――もしわたしがはぐれちゃったら見つけてね。
植物園に着く前に香宮さんが言っていた言葉を思い出して、これはもうわざとではないのかと一瞬でも疑ってしまったが仕方がないだろう。
来た道を戻ってみるがいない。どうしたものかなぁと考えて、ふと、僕は足を止めた。闇雲に探すよりも確実に香宮さんの居場所が何処なのかを知れる手段があることに気づいたからだ。
ポケットの中からスマホを取り出して、連絡先を表示する。
そう、電話をして香宮さんに今何処にいるのか訊けば良かったのだ。
通信手段がなかった昔なら兎も角、今はこうして文明の利器がある。科学の力は偉大だと、スマホを弄りながら思う。
勿論、機器があれば良いという訳でもない。
連絡先交換しておいて良かった。先輩、ありがとうございます。
心の中で先輩のお節介に感謝する。あの時先輩が言ってくれなかったら、何だかんだで連絡先を交換せずにこのまま来てしまっていた気がする。
電話を掛ければ無機質な音が数回鳴った後、声が聞こえてきた。
「もしもし?高瀬くんですか?」
「はい、高瀬ですよ。というか、画面に僕の名前表示されているよね?」
「確認は大事だよね」
電話でも相変わらずの対応で僕は呆れてしまった。
「高瀬くん今何処にいるの?」
「それはこっちの台詞だよ。迷子フラグ回収しなくてもいいから」
「別に好きで回収した訳じゃないよ!わたしはただ、ちっちゃい子がハンカチを落としたから拾ってあげていただけですー。それで、気がついたら独りぼっちになっちゃっていて……頑張って高瀬くんを探してあげているんです!」
「おーけーおーけー、取り敢えず事情はわかったよ……ってちょっと待って、僕の方が迷子になったみたいに言わないで!」
念のために言っておくが、迷子になっているのは勿論香宮さんの方である。
でも、これは僕も悪いのだろうか。いや、確かに気がつかなかった僕も悪いとは思うけど、一番の原因は香宮さんが歩き回ったからだと思うのだが……。
香宮さんがその場に留まっていてくれていれば僕も見つけられたかもしれない。だが、方向音痴の香宮さんが歩き回ったら事態が余計悪化するのは目に見えていることで……だからこそこうなっている訳で……。
でも、僕を探し回ってのことだしなぁ……。
考えれば考える程頭が痛くなってくる。まあ、起きてしまったことはどうしようもない。切り替えよう。
「全然見つからないから、園内放送でも掛けてもらおうかなぁって思っていたんだけど……」
「それはやめてくれ」
即座に否定すれば、「ええー」と少し残念そうな声が聞こえてきた。いやいや、何でそこで残念がるんだよ。
高校生にもなって迷子のアナウンスをされるとか……ダメだ、恥ずかし過ぎて死んでしまう。
未遂に終わって良かったと、僕はほっと息を吐いた。
「というか、電話してくれれば良かったのに」
「いやぁー、恥ずかしながら、電話のことをすっかり忘れていたんだよね」
えへへ、と照れたように香宮さんが笑った。失念していたのは僕だけではなかったらしい。
「それで、今何処にいるの?」
「出口付近」
「おお……」
「何、その感嘆の声は」
「いやー、出口付近まで行けたんだなぁって思って」
感動して思わずそう言えば、「失礼な!」と香宮さんが怒った。「ごめんごめん」と一応謝ったけれど、心の中では奇跡だなと思ってしまっている自分がいる。いやだって、まさか出口付近にいるとは思わなかったから、こうして来た道を戻っていた訳だし。
僕は踵を返して、電話口の香宮さんに語りかける。
「兎に角、今からそっちに向かうから絶対に動かないでその場にいてよ。いい?絶対に、だよ」
「そんなに念を押さなくても大丈夫だよ」
「大丈夫じゃなさそうだから何度も言ってるんだよ」
「はいはいわかりました。それでは、お待ちしております」
――絶対に、見つけてね。
最後にそう残して、通話は切れた。
僕は走り出す。出口に向かって。香宮さんがいる場所に向かって――。
*
「さて、香宮さんは何処にいるのかな」
出口付近に辿り着き、早速香宮さんの姿を探す。
もう一度スマホで電話してみようかなと思った時、ちょうど香宮さんを見つけた。
「あ、いたいた」
その姿を認めてほっと安堵の息を吐く。
どうやら香宮さんは僕に気づいていないらしい。少し不安げに辺りを見回していた。
急いで香宮さんに駆け寄ろうとした、のだが――
「ん?」
踏み出そうとした足を止める。
何故なら、一人の若い男が彼女に近づいたからだ。
男は親しげに香宮さんに話し掛けている。「香宮さんの知り合いかな?」と一瞬思ったが、何やら様子が可笑しい。
人の良さそうな笑みを浮かべる男に対して、香宮さんはきょとんとした様子で不思議そうに首を傾げている。だが、次第に困惑した表情へと変わっていった。
ここからでは会話の内容は聞こえてこないが、二人が知り合いであるという可能性はその表情を見れば消え失せた。
……まさか、ナンパ?
その考えに至って、僕は慌てて香宮さんの元へと駆け寄る。
近づけば近づく程会話の内容が聞こえてくる。
「ねぇ、一緒に回ろうよ」
「え、ええと……」
下品にニヤニヤと笑う男に、香宮さんは困ったように眉を曇らせた。
あ、これナンパ確定だわ。
そう察した瞬間、怒りが込み上げてきた。全くもって不愉快極まりない。巫山戯んなよこのナンパ野郎!
ずんずんと二人に近づいて、僕は香宮さんの手を掴んだ。
はじかれたように香宮さんが振り返る。大きく見開かれた目が僕を認めた。
驚きの後、その目に浮かんだのは怯えだった。それは男に向けていたものと同じで――まるで知らない人を見るように、香宮さんが僕を見つめてくる。
その眼差しに一瞬たじろいだものの、手に力が込められたのを感じて僕は我に返った。
多分、香宮さんは僕の手を振り払おうとしたんだと思う。でも、僕はその手を離さなかった。
「この子、僕の連れなんで」
男を睨みつけて僕は冷たく言い放った。瞬間、香宮さんの手から力が抜けた。
怯んだ男を一切見ることなく、香宮さんを引っ張るようにしてその場を後にする。男が追いかけてくることはなかった。
僕は……僕たちは、歩いた。
僕も香宮さんも何も喋らない。
ずんずんと無言で歩いてゲートをくぐり抜ける。香宮さんが小走りになっているのはわかっていたが、僕は歩調を緩めなかった。
「楽しかったね」
「うん!」
そう言って、一組の親子が僕たちの側を通り過ぎて行く。その親子だけじゃない。周りの人たちは誰もが楽しそうに笑い合っている。
そんな中、僕たちの間には笑顔もなければ会話もなかった。
抵抗することなく香宮さんが後ろを歩いているのは行きと同じなのに、その空気は全然違っていて。
他の人の邪魔にならない所まで移動して、僕は漸く香宮さんの手を離した。
ゆっくりと振り返って香宮さんを見遣る。香宮さんも僕を見た。その目には先程のような怯えはなかったが、代わりに困惑の色を含んでいた。
「さっきの人、知らない人だよね?」
自分でも驚くぐらいに低い声が出た。まるで自分が発したものじゃないようにも思えたが、それは確かに僕の口から発せられたものだった。
「……多分、そうだと、思う」
気まずそうに視線を逸らして香宮さんが答える。
多分って……。
曖昧なその言葉を聞いて、頭にかっと血が上った。
「……何だよそれ」
ぐっと手に力が入る。
「あんなの、ナンパに決まってるだろ!見ればわかるだろ!」
気づいた時には怒鳴っていた。
びくり、と香宮さんの肩が震える。僕の声から逃れるように、香宮さんの顔が俯いていく。
そうさせたのは自分のせいだと理解しているのに、その反応が更に僕を苛立たせた。
止めろ。言うな。
そう思いつつも、止まれない。
「何でそんなこともわからないんだ!」
感情のままに僕は言い放った。
息が、苦しい。
周りの人が僕たちを見ていることには気づいていたがそんなことはどうでもよかった。
僕が気になるのは目の前にいる、ただ一人のことだけで――。
「ごめんなさい……」
零れ落ちた言葉は震えていて。周囲の音に掻き消されるぐらい酷く弱々しいものだった。
香宮さんがぎゅっと唇を引き結ぶ。その目に涙が滲んだが、それが零れることはなかった。
悲しみに歪む顔を見て、少しだけ頭が冷えた。
落ち着きを取り戻すために、一つ大きく息を吸って吐き出す。
何とか感情を押し込めて、絞り出すように僕は言う。
「……帰ろうか」
「……うん」
彼女をこのまま置いていく選択肢なんてものはなくて。
香宮さんを駅まで送らなければ。
その考えが頭の片隅に残っていた。
香宮さんを駅まで送る。それはいつも通りのこと。
けれど、僕たちの間でいつものような会話は一切ない。目を合わせることすら一度もなくて。
「……迷惑かけてごめんなさい」
小さな呟きに僕は何も応えなかった。




