第十三話(三)
「畜生、引きこもりの弊害がここで出るとは……」
「ははは……」
何やらぶつぶつと呟いている香宮さんに、僕は空笑いを零した。
取り敢えず、悪態を吐けるぐらいには回復したと受け取っておこう。
「心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
「本当に?」
「本当だよ。まあ、今から遊園地の方に行って遊び回る体力なんてないけど」
「遊園地行きたかった?」
「ううん。遊園地よりも植物園に引きこもっていたい」
「ははは……」
そういうところだぞ香宮さん。
ずっと引きこもっているのは良くないよと注意したいところだが、残念ながら僕も似たようなものなので何も言えない。一応、店の手伝いで商品を運んだり掃除をしたりしてそれ相応に動いてはいるものの、運動部に所属している人よりは確実にその運動量は少ないだろう。
まあ、今の時期は家に引きこもっている方がある意味正解なのかもしれない。じゃないと、こうなってしまうから。今更後悔しても遅いけれど。
「ごめん、香宮さん」
「何で高瀬くんが謝るの?」
「だって、香宮さんが体調悪いことに気づけなかったし……」
「高瀬くんが謝ることじゃないよ。どう考えてもわたしが悪い。自分の体調管理もできていない、引きこもりのわたしが悪いの」
まあ、引きこもりをやめる気は更々ないけどね。
朗らかに香宮さんが笑う。
「高瀬くんって、本当に面倒見が良いよね。お店行こうとしていた時に道案内してくれたし、テスト勉強も付き合ってくれたし、こうして色々と面倒見てくれているし」
「面倒見が良いというか、ほっとけないというか……」
「ほんと、昔と変わらず優しい人だよ」
「優しい訳じゃないよ……って、え?」
昔と、変わらず……?
思わず首を傾げた僕に、香宮さんはがっくりと肩を落とす。それはそれは深い溜息まで吐かれてしまったが、それがどうしてか僕にはさっぱりとわからなかった。
「やっぱり、覚えてないよね……」
「え、何?どういうこと?」
「そうだよね。あの時しか話したことなかったもんね……」
「は、え?」
自分に言い聞かせるように「仕方がない、仕方がないよ」と唱える香宮さんの言葉に僕は首を傾げるばかりだ。そんな僕に少しいじけつつも香宮さんが説明する。
「実はわたし、数年前に高瀬くんとお話をして、絵を貰って、更には一緒に絵を描いたことがあるのですよ」
「……えええっ!」
思わず叫べば周りの人の視線が僕に集まった。五月蠅くしてすみません。
でも、今はそれどころじゃなくて!
「は、え、いつ?いつの時の話?」
「小学生の時だね」
「小学生の時……」
小学生の時の交友関係を思い出そうとするが、ダメだ、全然思い出せない……。当時、比較的仲が良かった人の顔が朧気に浮かぶだけで、クラスメイトの顔すら思い出せない。
僕は昔から他人と広く浅く付き合うタイプの人間だった。その弊害が、今ここで出てくるとは……。
頭を抱えて唸る僕とは裏腹に、香宮さんは口元を緩ませた。
「ふふっ、悩んでる悩んでる」
「……あの、香宮さん。もしかして楽しんでる?」
「ちょっとだけ」
クスクスと笑う香宮さんを恨めしげに見遣る。それでも、彼女は笑っているだけでなかなか教えてはくれない。
人の気も知らないで!
心の中で叫んだけれど、どう考えても思い出せない自分が悪いので僕はすぐに白旗を掲げた。
「降参です。教えてください」
「よろしい。それならば教えてあげましょう」
悪戯っぽい笑みを浮かべて香宮さんは話し始めた。
「昔々の、とある夏休みの時のお話です。小学校にある花壇の前で、一人の女の子が泣いていました」
……何で昔話風なんだ?
そう思ったが、突っ込まないでおいた。ここで変に突っ込んで話が脱線してしまったら困るのは僕の方だから。
僕は静かに香宮さんの話に耳を傾ける。
「女の子が泣いていると、そこに一人の男の子がやって来ました。
男の子は女の子にどうして泣いているのかを訊ねます。
女の子は泣きながら男の子に話しました。
女の子が泣いていた理由。
それは、大切に育てていた向日葵が、もうすぐ咲きそうだった向日葵が、花を咲かせる前に無残にも折られていたからでした」
夏休み。
泣いている女の子。
無残にも折られて、茎だけが残された向日葵。
その言葉たちを聞いて、ゆっくりと記憶が蘇ってくる。
――ああ、そうだ。だから僕は、懐かしいと思ったのか。
完全に忘れた訳じゃない。ちゃんと僕の中で、その記憶は確かに残っていたんだ。
「未だ泣き続ける女の子に、男の子は――」
その男の子は……僕は、その女の子に――
「折られた向日葵の代わりに、僕は向日葵の絵をその女の子に描いてあげて……それで、その後一緒に絵を描いたんだ……」
「……正解」
香宮さんは何処か安心したようにほっと息を吐き、そして、嬉しそうに声を発した。
「良かった良かった。やっぱりあの時の男の子は高瀬くんで間違いなかったんだ」
「あの時の女の子って香宮さんだったんだ……」
「そうだよ。やっぱり、気づいていなかったんだねぇ」
「えっと……その、完全に忘れていた訳じゃなくて、ですね……」
「ほおー?」
「顔を覚えていなくて……」
「ほおー?」
顔を逸らす僕を香宮さんがじいっと見てくる。
あの時の女の子が香宮さんだったという驚きと、言われるまでそれに気づかなかった気まずさと罪悪感、そして、香宮さんからの痛いほどの視線が僕を襲う。
暑さからではない汗をダラダラと流していると、不意に香宮さんがぷっとふき出した。
「まあ、わたしも名前だけしかわからなかったし、仕方がないよ。さっきも言ったけど、わたしと高瀬くんあの時しか喋ったことなかったし、同じクラスじゃなかったし。それに、わたしあの後転校したからね」
「そうなの?」
「うん。転校する前に一生懸命育てていた向日葵が咲いている姿を見たいと思っていたら、ああなっていて。凄く悲しくなって泣いちゃって。そこに高瀬くんが現れて、絵を描いてくれて。わたし、本当に嬉しかったの」
――ありがとう。
香宮さんが蕾が開くように優しく笑った。その笑顔が記憶の中の女の子と重なった。
僕は何だか照れくさくなって、先程とは違う意味で顔を逸らした。
「だから、高校生になって、座席表に高瀬くんの名前があったからそれはもうびっくりしたよ。あの時の男の子とまさか同じ高校で同じクラスになるとは思っていなかったからねぇ」
「言ってくれれば良かったのに」
「だって、人違いだったら恥ずかしいし……それにね、高瀬くん。話し掛けるのって凄く勇気がいることなんだよ?」
「ああ、それは同感」
頷きに思わず力が入ってしまったが致し方がないだろう。なんせ、話し掛けられずにずっと悩んでいた人物がここにいるのだから。
「ずっとずぅっと訊きたいと思っていたんだけどなかなか訊けなくて。まあ、何だかんだあって今に至るけど、こうして確認できて良かったよ。こんなことなら、さっさと訊いておけば良かったー」
肩の荷が下りたと言わんばかりに香宮さんが脱力した。
そんな香宮さんを眺めつつ、僕は漸くわかった。
香宮さんが美術の時間で僕を向日葵と称したのは、僕が最初に香宮さんに描いた絵が向日葵だったからなのだろう。
あ、この人ってあの絵を描いた人だ。
そう思うことが僕にもあって。
その人が描いた絵が――その人の成したことや為したことが、その人の印象そのものとなっているなんてことは誰にだって身に覚えがあるだろう。
そして、先輩が言っていた香宮さんの秘密。それは、僕と香宮さんが昔会ったことがあるということを言っていたのだろう。
それならそうと先輩も言ってくれれば良かったのに……。
と、一瞬考えたが、多分あの人は僕たちのこの状況を楽しんでいたのだろう。うん、そうだ。そうに違いない。あの人ならやりかねない。
僕が思考に浸っていると、何かを思い出したかのように「そう言えば」と香宮さんが口を開いた。
「高瀬くん、さっき何か話そうとしていたよね」
……忘れてた。
香宮さんからの思いも寄らない打ち明けに失念していたが、僕は僕で香宮さんに打ち明けることがあったんだった。
何かもう色々あって先程までの緊張感が消え失せてしまった。でも、やっぱり少しは緊張はするもので。
……ええい、男は度胸だ!
「僕も、香宮さんにずっと言いたいと思っていたことがあって……」
「何かな?」
「実は……僕が、鳴なんだ」
半ば叫ぶようにして僕は言い放った。
……言えた。漸く、言えた。
胸のつかえが取れたと同時に不安が押し寄せてくる。
僕は恐る恐る香宮さんの様子を窺う。
香宮さんは目を大きく見開いた。
……ああ、やっぱり驚いている。
僕は次に発せられるであろう言葉を想像した。「何で言ってくれなかったの」と、悲しむだろうか。それとも、攻めるだろうか。わからない。僕にはわからない。
僕は待った。香宮さんの言葉を。
香宮さんの小さな唇が動く。そして、――
「やっぱり!」
香宮さんは嬉しそうに目を輝かせながら叫んだ。
……あれ、思っていた反応と違うぞ?というか、「やっぱり」って?
目をぱちぱちと瞬かせ呆気にとられている僕のことなどお構いなしに、香宮さんがずずいと距離を近づけてくる。
「本当に?本当に高瀬くんが鳴さんなの?」
「う、うん」
興奮した様子の香宮さんに戸惑いながらも僕は何とか頷いた。
「いやー、そうなんじゃないかなぁと思ってはいたんだけど、まさか本当にそうだったとは!」
「え?」
ごめん、ちょっと意味がわかない。
「香宮さん、僕が鳴だってことに気づいていたの?」
「うーん、何となくだよ何となく」
「何となく……」
「いつぞやのコンクールで見た高瀬くんの絵と、鳴さんの絵を見た時の衝撃というか感動というか興奮というか……何かこう、ビビッと来た感じがね、似ていてんだー」
「ビビッと……」
凄く抽象的なことを言われて、僕は何とも言えない顔になった。
「あれだよ。女の勘ってやつだよ」
「それ何か違くない?」
何故か自慢げにうんうんと頷く香宮さんに何とか突っ込んでみたものの、僕の頭は混乱したままだった。
「鎌をかけてみたこともあったんだけど、高瀬くん全然引っかからなかったしねぇ」
香宮さんが少し悔しそうに顔を顰めた。
すみません。先輩の鎌かけには見事引っかかりました……じゃなくて!
あんなにも頑張って隠していたというのに……打ち明けるかどうかについてもあんなにも悩んでいたというのに……まさか、気づかれていたとは!
「僕が鳴だって気づいていたのに、鳴の絵についてあんなに語っていたの?その……本人を目の前にして恥ずかしくなかったの?」
そう問えば、香宮さんはきょとんとしつつも何ともなしに答えた。
「わたし、高瀬くんが絵を描いた時も大体はしゃいでいるよ?」
……そうだ。そうだった。僕が絵を描けば、素直に喜んで、嬉しがって、僕の絵を好きだと言ってくれる。
――わたし、あなたの絵が好きだな。
いつかの夏に聞いた言葉。
あの時からそうだった。この子は、こういう子だ。
……変わらないなぁ。
そう、変わらない。絵を描いて、他愛もない話をして笑い合う。僕たちはあの頃から変わらないことをしていたんだ。
何だか可笑しくなって僕は笑った。
そんな僕を見て、不思議そうに香宮さんが首を傾げた。
僕が一頻り笑い終わったところを見計らって、香宮さんがぱんと手を叩いた。
「さてさてさーて、お互いに色々と打ち明けられたという訳で……」
「という訳で?」
「向日葵畑に戻ろう!」
「却下」
「何で!」
香宮さんの発言を僕はにべもなく却下した。
案の定、香宮さんは不服そうに頬を膨らませた。そんな彼女に僕は言ってやる。
「また体調悪くなったらどうするの」
「その時はまたお世話になります」
「こらこら」
結局、香宮さんの押しに負けて、僕たちは再度向日葵畑へと繰り出すことになった。
そういえば、あの時も香宮さんの押しに負けて、もっと絵を描いてあげたんだったっけなぁ……。
昔のことを思い出しつつ、感慨に耽る。
いろんな意味でこの子に弱いのは、どうやら昔からだったらしい。
前を歩く香宮さんに気づかれないように、僕はまた小さく笑うのだった。




