第十二話 お誘い(一)
鉛筆を置いてぐぐっと背伸びする。首を左右に傾ければ何とも小気味よい音が鳴った。
手元のスケッチブックから視線を動かす。視界に映るのは店の片隅にあるお絵描きコーナーで。誰も座っていない席を見ていると寂しいという気持ちが強まった。
その寂しさの原因はわかっている。最近、香宮さんに会えていないからだ。
物憂げに溜息を吐く僕に対して周りの反応といえば――
「にーちゃんふられたのか?」
「ふられたのか。かわいそうに」
「まあ、人生まだまだこれからさ」
「売り上げに貢献してやるから元気出せよ」
と、近所の小学生たちに口々に言われてしまった。
小学生にぽんぽんと背中を叩かれながら慰められ、更には哀れみの目で見られている高校生の図がそこにはあった。傍から見たらそれはもう酷い図だろう。
僕のことを心配していると見せかけて言わずもがな小学生たちは半笑いしている。……どう考えても馬鹿にしているだろお前ら!
「売り上げ貢献とか言っているけど、夏休みの工作に使う材料が欲しいだけだろ」
叫びたい衝動を何とか堪えてそう指摘すれば、「バレたか」と舌を出すのだから始末に負えない。少しは包み隠せよな……。
僕ががっくりと肩を落としたのは言うまでもない。
「辛い時ぐらい店の手伝いなんてしなくてもいいんだぞ。いやまあ、それで響の気が紛れるなら止めはしないが……。それにしても、失恋かぁ……失恋は辛いよなぁ……」
と、父さんにも言われてしまった。
溜息ばかり吐いている僕を気遣っての言葉だろう。それはありがたい。あと、心配かけて申し訳ないとは思う……けど!
「何でどの人もこの人も僕が振られて落ち込んでいるって思っているんだよ……」
そう、何故か僕が失恋したとみんな思っているのだ。
言っておくが、告白して振られたから溜息を吐いている訳ではなし、告白して気まずくなったから香宮さんが店に来なくなった訳でもない。
少し前までは、夏休みといえども補習もあったので香宮さんはその帰りに店に寄ってくれていた。
でも、補習が終わった今、部活もない僕たちが学校に行く理由はなくて。つまり、香宮さんが学校帰りにこの店に寄り道することもないだけで。
香宮さんがここへ来てくれなくては、僕は彼女と話すことができない。そのことをまざまざと突きつけられている現実に僕はこうして溜息を吐いているだけで。
断じて振られた訳ではない。そう、振られた訳ではないのだ。振られてもいないし、そもそも告白もしていない。それが真実である。勝手に勘違いしないでもらいたい。
「告白……告白、かぁ……」
ぽつりと言葉を零す。考えたら顔が熱くなってきた。
「……って、いやいやいや!」
無意識に呟いてしまったことに自分自身でドン引く。何考えているんだよと内心で呆れながらも、けれどまた想像してしまって――
「……無理だな」
断言する。僕に告白なんて無理です。
告白以前の問題として、まず相手に会えないからこうして落ち込んでいるのだ。
尤も、話せていないとはいうものの、メールでの遣り取りは続けている。でも、メールで告白なんて嫌だ。気持ちを伝えるのなら、やはり直接会って言うべきだと僕は思うのだ。
「……って、なんで告白する体で考えているんだよ」
ぶんぶんと頭を振る。こんな思考回路になったのは、外野のせいだと思う。
第一、僕が鳴であることすら言えていないのに告白なんて……できるはずが、ない。
もう何度目かわからない溜息を吐いた時、ふと視線を感じた。
……何だこの既視感は。
そう思いつつ、恐る恐るそちらを見遣れば見えたのは紅い眼鏡で。
……見なかったことにしよう。
さっと視線を逸らしたがもう後の祭りである。
いつかの時と同じように、ばんっと店の扉が勢いよく開かれた。
「うわー、出たー」
「失礼だね。私は幽霊じゃないよ。というか、何だいその覇気のない声は」
扉を開けて店の中に入ってきた先輩が悪態を吐く。
紅い眼鏡はいつも通りだが、その姿は見慣れた制服姿ではなく私服姿だった。
チェックのワイドパンツに袖がふんわりとした白のシャツを着ている。
シンプルながらも普段よりも大人っぽい服装に一瞬でも見惚れてしまった。その事実が恥ずかしくて、先程とは違う意味で僕はそっと視線を逸らした。
目敏い先輩はそれに気づいたのだろう。にんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「何しに来たんですか?」
「酷い言い様だね。来たのが日咲ちゃんじゃなかったからって、私に当たるのはやめておくれよ」
図星である。言葉が刺々しくなってしまったと自分でも思ったから、僕は自分の非を認めた。
「……すみませんでした」
「ふふっ、相変わらず素直だねぇ。まあ、許してあげるよ」
小さく笑った後、先輩がこちらに近づいてきた。
かつかつとヒールの高いサンダルの音が響く。
足を止めて、先輩はまじまじと僕の絵を見てきた。そして、顎に手を当てて、「ほほー」と感嘆の声を上げた。
「日咲ちゃんから聞いてはいたけど、本当に絵が上手いんだね」
「それはどうも」
そういえば、先輩に絵を見せたことはなかったな。
先輩がこの店に来たのは、最初の邂逅の時以来だ。昼休み中に社会科室で話すことはあるけれど、お喋りしながらご飯を食べているだけだった。
まあ、褒められて悪い気はしない。たとえそれが、いつも僕をからかってくる人であろうとも、だ。
じいっと絵を見つめるその眼差しは熱い。でも、香宮さんのように好きな絵が見られて興奮しているという訳ではなくて……そう、何かを見極めているような感じがした。
何だろうと僕が不思議に思ったその時、先輩が口を開いた。
「流石は――」
一拍の間。眼鏡の奥の瞳がきらりと……いや、ぎらりと光った気がした。
「流石は、鳴さんだねぇ」
「いえいえ」
僕は謙遜した。「そうでしょうそうでしょう」と頷けるほど僕は高慢な奴ではない。どちらかと言えば自分の絵は上手い方だとは思うが、僕より上手い人なんてたくさんいることはちゃんと理解している。
と、ここで僕はぴたりと固まった。
……って、ちょっと待て。待て待て待て。今、先輩は何と言った?
さらりと言われた言葉を頭の中で反芻する。
――流石は、鳴さんだねぇ。
その言葉を思い出した時、僕は強烈なめまいに襲われた。




