第七話 襲来者
仕入れたばかりの商品を棚に並べていた僕はその手を止めた。
……誰かに見られている?
先に言っておくが、僕は決してナルシストでもなければ自意識過剰でもない。
それでも、視線を感じるのだ。
店の中に客はいない。父さんは奥の部屋で再放送のドラマを観ている。それならば、その視線は外からしかない。
商品を整理するふりをしてちらりとそちらを窺えば、窓からひょっこりと顔を出している怪しい人物が一人いた。
あれで隠れているつもりなのだろうか……。
寧ろ隠れるつもりはあるのかと問いただしたい程には、その人物は堂々と僕を見ていた。
ぱちり、とその人と視線がかち合う。そうかと思えば、その人はさっと身を隠して僕の視界から消えた。
あ、逃げた。
そう思ったのも束の間、ばんっと店の扉が勢いよく開かれた。おいおい、大丈夫か扉よ。
「気づかれたのなら仕方がないな。やあやあやあ、はじめまして」
堂々と店内に入ってきたのは一人の女子高生だった。彼女が着ている制服は見慣れたもので、僕が通っている高校のものだった。
ただ、校章は僕のものと色が違う。僕の学年の色は青。その緑色の校章は、彼女が一つ上の学年だということを示している。
掛けている紅い眼鏡と片方に緩く結われた三つ編みから、その女子高生は知的に見える。だが、先程の彼女の言動がそれを台無しにしていた。
見た目に反して突飛な行動をする子。うーん、何だかなじみのあるワードだ……。
その女子高生は、軽く手を挙げてまるで親しい人に会ったかのように挨拶してきた。だが、彼女が言ったように、僕たちは『はじめまして』のはずだ。
訝しげに見つめる僕に臆することなく、女子高生は近づいてきた。
そして、頭から爪先まで遠慮なくこちらを見てきて、「ふむふむ」と一人頷いた。
「……えっと、どちら様ですか?」
じろじろと見つめられて良い気はしない。一歩後退して僕は訊ねた。
距離を取られた女子高生が気分を害した様子はない。寧ろ、くすりと面白そうに笑った。
「そんな警戒しないでよ少年。傷つくじゃないか」
「はぁ……それで、貴女は誰ですか?」
「人に訊く前に、まずは自分から言うのが礼儀ってものだよ少年」
……何言ってるんだこの人。
いきなり馴れ馴れしく接してくる女子高生に僕は引いた。
突然現れたと思ったら、そんなことを言ってきて。この人こそ礼儀がなってないのでは、と思ってしまった。
「まあ、警戒心を持つことは大事だよ。あの子にももっと警戒心を持ってもらいたいものだね。君もそう思わないかい、高瀬くん?」
「あの、何で僕の名前を知ってるんですか?」
「ん?ああ、君は私のことを聞いていないのか」
こっちは色々と知っているけど、と女子高生が呟く。
「色々って?」
何やら気になることをのたまった彼女を訝しげに見遣るが効果はなかった。
「貴女は、一体誰なんですか?」
もう一度僕は訊ねた。
女子高生がわざとらしくこほん、と一つ咳をする。そして、すっと背筋を伸ばして高らかに言い放った。
「改めてはじめまして。私の名前は香宮明実。君と同じ高校に通う、君よりも一つ年上の、言うならば君の先輩さ」
「……はぁ」
「ふふ、興味なさそうな反応だね」
「いや、どう反応すればいいのかわからなかっただけです」
「そうかそうか。それなら、これはどうだろう。私は、君のクラスメイトである香宮日咲ちゃんの従姉妹さ」
「香宮さんの……」
苗字からして「おや?」とは思ったが、いざ明言されたら確かに目元が似ている気がする。
見た目と行動のギャップも香宮さんとそっくりだ。だが、香宮さんと違ってこの人は身長が高くて大人っぽい。私服を着て化粧でもしたら、大学生と言われても僕は信じるだろう。
「それは私が老けているって言いたいのかい?全く、デリカシーのない男は嫌われるよ」
「す、すみません」
憤慨する先輩に慌てて謝った。「決してそういうことを言いたかった訳じゃなくて……」と弁明していて、はたと気づく。
……何で僕の考えていたことがわかったんだろう。
「それはだね、私が読心術を使えるからだよ」
「えっ」
「というのは嘘。全部口に出ていたよ」
人差し指でとんとんと先輩が自分の唇を叩いた。
「口は禍の門。気をつけなさいな」
「あ、はい……」
言われて押し黙る。全くもってその通りだ。
女性に年齢のことを訊くのは良くない。以前、父さんもそう言っていた。何処か哀愁が漂っていたが、昔何かあったのだろうか。
……って、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「それで、その先輩が何でここに?」
僕は気を取り直して先輩に訊いた。文房具を買いに来ただけには見えなかったから。そもそも、買うつもりはあるのだろうかとさえ思えてきた。
先輩が待っていましたと言わんばかりに口を開く。
「いやなに、ただの興味本位で」
「興味本位って……」
「おっと変な勘違いはしないでおくれよ。別に、君に恋愛感情がある訳ではないし、告白しに来た訳でもないから」
「そんなことはわかってますよ」
たとえ相手が美人であろうと、こんなアクが強そうな人は願い下げである。
即座に否定すれば、先輩は特に気にした様子もなく「それなら良かった」と笑った。
「あの子が興味を示した人がどんな殿方が気になってね。ついでに悪い虫なら駆除しようかなって思って」
あの子、とは香宮さんのことだろう。先輩と僕が共通認識している相手は彼女しかいないから。
……というかちょっと待て。今、さらっと恐ろしいことを言わなかったかこの人。
「駆除……」
思わず零せば、「冗談だよ」と先輩がニヒルな笑みを浮かべた。
絶対に冗談じゃないだろう!
この人に会ってまだ数分だけど、僕はそう確信した。
「あとね、ちょっと確認したいことがあって」
「確認?」
「高瀬くんは、あの子から何処まで聞いているんだい?」
「聞いているって何を……」
僕は首を傾げる。何のことだかさっぱりわからない。
先輩はそんな僕を見て、大げさなぐらい肩を竦めた。
「……そうか、何も知らないのか」
憐れむように、残念そうに、先輩は言った。その声には落胆の色が滲んでいた。
「一体何のことですか?」
訊けば先輩が一瞬逡巡したように見えた。
僕を見つめた後、一つ息を吐いて吐き出した。
「君は特別だからね。教えてあげる」
僕に近づいて、先輩が小さな声でそっと告げた。
「あの子には、秘密があるんだよ」
「秘密って?」
「そう簡単には教えてあげないよ。知りたければ日咲ちゃんに訊きなさいな」
僕のことを小馬鹿にするかのように、先輩が鼻で笑う。
むっと僕は顰め面になる。ほんと失礼だなこの人。
僕が憤慨していたら、ふいに無機質な音が鳴り響いた。
先輩はごそごそと鞄をあさくって、中からスマホを取り出した。音の発信源はそれのようだ。
「もしもし?ああ……うん、直ぐ行くよ」
直ぐに通話を終えた先輩が、すたすたと歩いて行った。出口にではない。店の奥――レジの方へ行き、レジ横の陳列棚からボールペンと少し大ぶりの付箋を抜き取った。
「これくださいな」
「……まいどあり」
僕もレジの方へ向かい、そのまま会計をする。
おつりと商品を先輩へ渡せば、彼女はそれを受け取って鞄の中に仕舞った。……いや、違う。仕舞ったのは財布だけだ。
先輩は買ったばかりのボールペンと付箋を袋から取り出した。そして、付箋にさらさらと何かを書き出した。
訝しげにその様子を眺めていれば、先輩が「よし」と独りごちてさっと付箋を一枚切り離した。
「はいこれ」
流れるように差し出されたそれを僕は受け取る。そこには、こう書かれていた。
――明日の昼休み、社会科室にて待つ。
「果たし状かよ」
眉間に皺を寄せて思わず突っ込む。
けらけらと先輩が笑った。
「あ、扉の鍵の心配はしなくてもいいよ。社会科室の扉は鍵が壊れているからね。建て付けは悪いけど、鍵がなくてもちゃんと開くから」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「それじゃあ、また明日ねー」
「あ、ちょっと!」
ひらひらと手を振って、先輩は颯爽と去って行った。見事なまでの言い逃げである。
「何だったんだ一体……」
肩の力が抜けた途端、どっと疲れが押し寄せてきた。
「まるで嵐みたいな人だったな……」
月並みの言葉だがそうとしか言えなかった。
何事もなかったように店内は静かで。だけど、僕の手に残された付箋がさっきまでの遣り取りが現実のものであったことを証明している。
「……香宮さんの秘密って何だろう」
ぽつりと呟かれた僕の疑問に答えてくれる者は誰もいない。答えを知っているはずの人は、僕に謎を提示するだけして去ってしまったのだから。
ちらりと手元の付箋を見遣る。
社会科室。ここに行けば、香宮さんの秘密がわかるのだろうか。
――そうか、何も知らないのか。
先輩の言葉が頭の中を過る。
何も知らないって……何がだよ。
がしがしと頭を掻く。嵐が去った今、僕の心はぐちゃぐちゃになっていた。
何故か無性に悔しくて腹が立つ。ばん、とレジカウンターに八つ当たりすれば、その振動からかレジ横の商品がばらばらと零れ落ちた。
……ああもう、腹立つなぁ!




