6.紅竜の苦悩
北の森をギルヴェルトたちより後に飛び立ったエンジだが、その飛行速度はトゥーラを追い越し、城へと到着していた。騎獣舎へは戻らず、デアの私室から見える庭園に降り立つ。庭園はエンジが出入りできるよう十分なスペースがとられていた。
ーバン!
大きな音をたてて、デアが部屋から窓辺のテラスへ出てくる。
『戻ったぞ』
「おかえり、遅かったね」
テラスに出てくる勢いこそあったが、冷静を装ってデアは言葉を返した。幼子が帰ってきた、と小躍りしそうなのを堪えてはいるが、隠しきれていない。デアは挨拶もそこそこに、忙しなくエンジの背に視線を向ける。……が、誰も乗っていない。
「あの子は!? なんで一緒じゃないの!?」
幼子も一緒に戻ってくるとデアは思っていたのに、なぜエンジだけ帰ってきたのか、と慌てていた。さっきまでの、まだマシだった冷静な装いはどこかへ蹴り飛ばしたようだった。
『ギルヴェルトがじきに連れ戻ってくる。我は運べぬと言ったであろうが…』
耄碌したか、と呆れた様にエンジが言うと、デアはエンジに詰め寄る。
「ええ!? ギルヴェルトがいたら乗せれたでしょ!?」
『デアよ…。幼子が1人で我に背に掴まっておれるとでも?』
「だから! ギルヴェルトが一緒…に…」
ギルヴェルトが一緒に乗れば大丈夫だっただろう、と言いかけて、デアは失敗を覚った。エンジが、デア以外を背に乗せないことを失念していたのだ。デアの子である幼子は例外なのだが。
(あああああああっ! 何て融通の利かない竜なんだ! うちの子、泣いてないかな…? はぁ〜、無事に帰ってきておくれよぉ…)
デアは自分の計画がまた狂ったことにガックリと崩れ落ち、心の涙を流した。
エンジはデアの項垂れた様子をじっと見ていた。正直、デアの行動が不可解であり少々鬱陶しいのである。
(まったく、女々しい奴だな。はじめからお前が来ればよかっただけだろうに)
エンジは駆け引きや搦め手を好まない。それ故に、デアが何かを画策しているのだろう、と解るが訊く気にはならないのだ。何をするつもりか訊けば、エンジは渋々でも協力するしかなくなる。一応主従関係ではあるし、何よりもエンジはデアを気に入っているのだから。しかし、直情型のエンジはいくら気に入った相手でも、いつまでもウジウジされるのは鬱陶しいのだった。
『我は騎獣舎に戻る』
「ええっ!? ちょっと待ってよ! あの子どうするのさ!?」
デアはエンジの尾にしがみついて、飛び立つのを止めようとした。
『だから、そのうちギルヴェルトと戻ってくると言ってるだろうが…』
このままデアといると、突拍子もないことを言われそうだ、とエンジは逃げるつもりだ。それに、トゥーラもいるのだから騎獣舎で待っていれば裏門側で幼子にも会えると考えていた。
「あの子が来たら一緒に行ってくれよぉ」
『ええいっ! 鬱陶しいわ!』
ぶんぶんエンジが尾を振り回しても、デアは放り出されることはなかった。腕力がないくせにエンジの尾に掴まっていられるのは、デアが規格外の魔法士だったからだ。でたらめな魔法で容易にエンジの尾に掴まっていた。喋る余裕もみせるほどだ。
「鬱陶しいって…酷い! 愛しい我が子が、やっと還ってきたんだよ!? 会いたいって思うじゃないか! 一緒にいたいって思うじゃないか! そんな俺のどこが鬱陶しいって言うんだ!?」
『全部だ! ぜんぶっ! はじめからお前が来ればよいのに、他人に委ねておいて、今さらぐだぐだ言うでないわ!』
直情型であっても短気ではないエンジがキレた。それほどデアのうじうじぐだぐだが煩わしかった。しかし、デアは気にすることなく捲し立てる。
「何て馬鹿なことを言うんだい!? あの子が俺の子だって解ったらまた呪われるじゃないか! もう絶対あんな目に会わないように呪い返しの魔法も、護りの魔法もめいっぱいかけたけど! あ、護りの魔法はちゃんと痛みを感じるようにはしたからね! だって痛いってわからないと危険だって気づかないからね! 俺だってちゃんと考えてるんだ! それでも何が起きるかわらないんだから対策は必要なんだよ!?」
『あぁ……、あの装身具にアホほど付与しているのか…』
デアの勢いに気圧されたエンジは冷静さを取り戻し、幼子の足にあったミスリル製の装身具を思い出していた。デアが「めいっぱい」と言うのであれば、恐ろしい装身具だと思い、遠い目をしている。しかし、それがあれば幼子の身の安全は保証されているし、その上でデアの庇護下にいれば何ら問題ない、ともエンジは思うのだった。
(いったい何を考えているんだか…。これ以上の策など要るのか? いや、訊くのは止したほうがいい、我の本能がそう告げている)
エンジの過去の経験という本能から、暴走してるデアは予想の遥か斜め上なことを言いだすに違いない、と確信していた。
「そうだよ! あの子に害なすモノか 『ともかく! 我は騎獣舎に戻る!』 …ちょっと!?」
これ以上は付き合ってられない、とエンジは翼を広げて飛び立とうとした。だが、それは叶わなかった。
デアが無詠唱で行使した【束縛】、蔦を模した拘束魔法によって阻まれたのだった。見た目は植物だが、魔力を込めた蔦はエンジの力でも引き千切れない。
(あまい! 俺から逃げようなんて激あまだよエンジ!)
黒い笑みを浮かべたデアはエンジに静かに告げる。
「逃がさないよ?」
『お前っ! ふざけるなっ!』
「ふざけてなんかないからね? エンジには、俺の計画を実行するのに大事な役目があるんだから」
(っ! とんでもないことを言いだすに決まっておる!)
拘束されて尾の先すら動かせなくなったエンジは、『聞きたくない』と吼えるがデアはお構いなしに続ける。
「簡単なことだよ。エンジがあの子を拾ったんだから、キミがこの城で片時も離れず育ててくれればいいだけ。そうしたら、俺はあの子の成長を間近で見れるし、いつでも会える。ね? 簡単でしょ?」
デアは否を唱えさせない口調で言った。
(簡単でしょ? じゃないわっ! 我が育てるなど無理に決まっている!)
エンジは威圧には屈しない、無理なものは無理だと言わねばならない、とデアを諭しにかかる。
『……デアよ、竜が人の子を育てられるわけがなかろう? お前が手元に置けないと言うなら、他の人間に育てさせろ』
「嫌だよ! そんなことしたら、城から離れた所で俺の知らない間に大きくなっちゃうじゃないか! 子どもの成長ってめちゃくちゃ早いんだよ!? しかも、里親とかできたら、そっちを父様とか母様とか呼ぶようになるし!」
(…様子を見に行こうと思えば簡単にできるだろうが! 要は、最後に言ってることが一番嫌なんじゃないか!)
エンジの推察通り、デアが魔法を使えば成長を見守ることは容易である。デアは自分以外を親と呼ぶことが我慢ならないのだ。だが、親子の名乗りを上げないなら、デア自身が「父様」と呼んでもらえないことまで頭が回っていない。
その事には触れずに、エンジは竜が人間を育てられない理由を並べることにした。父と呼ばれないデアの悲しむ顔を見たくなかったから。
『ちょっと話を聞け。我は魔獣だ。片時も離れずと言うが幼い子を騎獣舎で住まわすのか? あんな魔獣臭いところに? 餌も違う。人間は生肉を食わないだろう? 我には人語が解るが、お前の子は我の言葉が解らないぞ? 言葉を覚えられず、獣のように唸る子を見たいのか? 人間として真っ当に育つと思うか? 我は思わんぞ。子が可哀想ではないか。悪いことは言わん、人間の中で育てろ』
デアは大人しく最後までエンジの話を聞いていた。
幼子を側に置くことだけを考えていたデアも、エンジの言わんとしていることを理解はしている。人として当たり前に生活をして教育を受け、社会性を身に付けさせてやるのが親の役目だと解っている。しかし、デアは自分の手元で子の成長を見守りたいのだ。城内に住まわせ適当な人間に世話をさせる、という方法も思い付かないくらい、デアの思考はエンジに育てさせるという一手に凝り固まっていた。
「……そこは、何とか頑張ってよ? 人化するとかさっ!」
『できんわっ!』
反射的に突っ込むエンジ、至極当然の反応である。竜が人間の姿をとれるわけもなく、仮に人間の姿になってもエンジは人の世の常識など持ち合わせていない。
そんなエンジに精神論を持ち出すデアがいる。
「根性なしっ!」
『根性で人化できれば我が育ててやるわ!』
そもそも、デアが父親だと名乗ればすむだけのことなのに、エンジも思考がデアに感化されていた。ぐだぐだなデアとエンジであった。
デアはエンジから離れ、大きく息を吐いた。
「俺はね、二度とあの子を手放す気はないんだ。だけど、俺の子だって知られると、また呪われるかもしれない。せっかくフィリアが命懸けで解呪したのに、そんなこと絶対に許さない」
エンジにもデアの気持ちは解っている。
デアの妻、フィリアが自らの輪廻の環を絶ち切り、魂をかけた願い。還ってきた幼子の幸せな未来を祈ったフィリアの想いを、エンジとて同じように思っているのだ。
『……デアよ、我が育てるのは無理だ』
「そんなっ…!」
『最後まで聞け! …育てはできないが、とにかくお前の子がこの城で暮らすように我が何とかする。だから、あとはお前がどうにかしろ。それでよかろう?』
(子が城にいるとなればデアも冷静に考えるだろう。それにしても、どうやって城に留め置くかだな。無茶ばかり言いおってからに…)
結局はデアの暴走に巻き込まれた、と気落ちするエンジだった。
「エンジ! ありがとうっ!」
エンジの心境とはうらはらに、デアは晴れやかな笑みでエンジの拘束魔法を解いた。
そして、ウキウキと城のどこの部屋を使うとか、食事を一緒にとるにはどうしようとか、何をして遊んでやろうとか、勉強は何から教えよう等々デアの夢は膨らんでいく。
穴だらけのデアの計画は、果たして上手くいくのだろうか。
デアの妄想語りに付き合わされたエンジが、再び『鬱陶しいわ!』と吼えるころ、ギルヴェルトによる門兵殺人未遂・隊員蹴撃事件が発生していた。