第26話 議論
女性相手に、本気で怒るわけにはいかない。
それに、今の二人の眼は、常軌を逸している。
どうも、見境がなくなっているようだ。
こんな奴らを相手にしても、不毛なだけだ。
善次郎が困っていると、思わぬところから救世主が現れた。
このアパートに住んでいるおっちゃんである。
善次郎が夜勤の時など、昼間によく顔を合わすことがある。
そんなときに挨拶を交わす程度で、まともに会話をしたことはない。
善次郎は、おっちゃんがどういう人物かは知らないし、どんな仕事をしているのかも知らなかった。
おっちゃんは、その筋の人かと見まがうほど強面の顔をしており、声もドスが利いている。
できれば、関わりになりたくないタイプだ。
まあ、善次郎も人のことは言えない。
他人から見れば、昼間よく居たりするので、胡散臭く見えていることだろう。
いずれにせよ、このアパートの住人は、どれも一癖も二癖もありそうな奴らばかりだ。
どうやらおっちゃんは、これまでの話を聞いていたらしい。
おっちゃんの部屋は、入口を入って直ぐのところなので、三人の話は筒抜けだったのだろう。
何しろ、ボロいアパートである。
おっちゃんがのっそりと部屋から出てきて、善次郎たちのところへ近づいてきた時は、なにか因縁をつけられるのかと思い、善次郎は身を縮めた。
ところが、優しく善次郎の肩に手を置くと、「あんたらいい加減にしなよ」と、二人の主婦に言った。
「この人を責めたって、仕方ないだろう。あんたらは猫を嫌いかしらないが、野良猫の気持ちになってみな。あいつらだって、好きで野良なんかやっているわけではないんだぞ」
どうやら、おっちゃんも猫好きらしい。
人は、見かけによらないものだ。
それに、案外優しい言い方をする。
主婦も、おっちゃんの見かけに一瞬怯んだが、以外にも物柔らかな言い方に安心したのか、おっちゃんに言い返してきた。
「それは、猫が好きな人の勝手な言い草でしょ。私たち人間と野良猫を一緒にしないで、汚らわしい」
「野良猫なんて、病原菌を撒き散らしているだけよ。そういった意味では、数が減ってくれて助かったわ。あんな汚らしいものに、家の周りをうろうろされるのは迷惑だったから」
「そうよ、いつ子供が襲われやしないかと、ヒヤヒヤしていたんだから」
口々に、言いたい放題言う。
「人間が、そんなに偉いのか」
二人の言い分を聞いていて、善次郎は叫びだしそうになった。
善次郎の代わりに、おっちゃんが声を荒げた。
「汚らわしいだと? 何を言ってやがる。いいか、よく聞け。野良猫を作りだしているのは人間なんだ。可愛いからと気軽に飼って、手に負えなくなると平気で捨てる。そんな人間のエゴが、多くの野良猫を生み出してるんだ。猫には、なにも罪はないんだ」
惚れ惚れするような啖呵だ。
善次郎が言いたかったことを、すべておっちゃんが言ってくれた。
おっちゃんの権幕に怯むかと思いきや、意外にも主婦は、怯むことなく反撃してきた。
「何を言ってるの。人間が、一番偉いに決まってるじゃない。猫なんて、しょせん下等動物でしょ。それに、そんなことは、猫を捨てた人に言ってちょうだい。私たちは、猫なんて飼おうとも思わないわ」
「そうよ、そんなことを言うなんて、あなた、頭がおかしいんじゃない。これだから、犬や猫なんかを飼っている人は困るのよ。直ぐに人間と動物を一緒にしたがるんですもの」
「犬や猫なんて、なんにもしないで、人間から餌をもらうだけでしょ。人間がいなければ生きていけないのよ」
またもや、口々に言いたい放題言う。
「人の命も、動物の命も同じだろ」
堪り兼ねて、善次郎が口を挟んだ。珍しく、きつい口調になっていた。
「ふ~ん。じゃあ、あなたは、肉も魚も食べないのね」
一人の主婦が、馬鹿にしたような口調で返した。
「そうよね。人と動物の命が同じだと言うんだものね。あなたが魚や肉を食べたら、人殺しになっちゃうわよね」
もう一人も、調子を合わせてくる。
なんで、そんなに飛躍するんだ?
あまりの子供じみた反撃に、善次郎がポカンとしていると、「おい」おっちゃんが静かな声を出した。
言い方は、とても静かだったが、もの凄く、ドスが利いていた。
声とは反対に、二人の主婦を睨むおっちゃんの眼には、剣呑な光が湛えられている。
善次郎は確信した。この人は、絶対にその筋の人だと。
二人も、何かを感じたのだろう。
やばいと思ったのか、そそくさと引き上げていった。
が、ただでは引き揚げなかった。
「行こ。この人はまともそうだと思った私たちが馬鹿だったのよ」
善次郎に一瞥をくれて、そう捨て台詞を残して去っていったのだ。
勝手に人を呼び止めておいて、さんざん失礼なことを言った挙句、最後はこれか。
善次郎は悲しくなった。
おっちゃんも同じ気持ちだったのか、哀しそうな眼をして善次郎の肩を軽く叩くと、無言で
部屋へ引き揚げていった。
一人取り残された善次郎は、大きなため息をついた。




