第1章その2
夜になると目が冴えてきてしまう典型的な夜型である葵は時計の短針が12を過ぎる頃、自室のベッドの上で漫画本を読み――全29巻を今読破した。鍛えられた肉体を野球部に貢献させている峰岸とは違く、部活に所属していない彼は帰宅してからのすべての時間を(と言っても、藍が用意したご飯お食べるときは除くが)漫画を読むのに費やしていたのだった。
本の内容はいわゆる学園異能バトルモノだ。
特に特徴のないはずだった主人公がある日忘れ物を取りに深夜の学校に忍び込んだら、異能の世界に巻き込まれてしまい、なんやかやあった後に自分も異能に目覚め敵と戦い、主人公が強くなっていく、そんなありきたりな物語。
そんな中にもヒロインとの甘酸っぱい恋愛があったりと、こんな事ふつうありえねえよ、とつい口に出したくなってしまうほどの良くできた――できすぎた物語。
しかしそんなどこにでもあるような物語が葵は嫌いではなかった。むしろ大好きだった。
もしかしたら自分にもこんな漫画みたいなことが起こるかもしれない、そんなことを思わせてくれるからだろうか。峰岸ではないが、葵もそんな主人公願望は持ち合わせていた。
高校2年生という多感な時期だ。同世代の人間なら一度はそんなことを考えたことがあるはずだ。空から女の子が降ってきたりしないだろうか、とか。
葵は読み古し少しくたびれてしまっている最終巻を本棚に戻すと、おもむろに制服にそでを通し始めた。
――自分にも何か起きないだろうか。
そんなわくわくした気持ちを抑えきれず、自分からアクションを起こしてみることにしたのだ。
☆ ★ ☆ ★
暖かくなってきたといってもそれは午前中の話。深夜の空気はひんやりとと冷たく、少し凍える。
……上に何か着てくるんだったなあ。
そんなことを思いながら、外灯だけが道を照らす夜道を一人で歩く。もう夜も遅いということもあって、住宅街の窓には一つも明りはない。
足は自然と学校に向かっていた。もしも、仮に、万が一にも漫画みたいなことがあるとしたらそれは学校だろうと思ったからだ。
学校には歩いて30分ほどで着いた。
そこまですれ違った人間はいなく、たまに遠くの道路で車が走ってる音が聞こえてくるくらいだ。
今まで特に夜遊びするでもなく育った葵にとってはその道中だけでも大きな物語の主人公になった気がした。
盛り上がった気持ちもそのまま葵は、校門をくぐって学校敷地内に踏み込んだ。
――本当はその時に疑問に思うべきだった。こんな深夜に学校の校門が開いていることに。
☆ ★ ☆ ★
「なんにもないなあ」
校門をくぐり、校庭を横断して昇降口前まで歩いてきたが、当たり前というか何というか何もなかった。もしかしたら青い人と赤い人が戦ったりしてるかも、なんて思っていたのだが。
「……開かないし」
昇降口のドアを引いてみるがカギがかかっていてびくともしない。窓から校舎内を覗くが、非常灯の緑色の光がぼう、と見えるだけで他に変わった様子もなかった。
しかしまだ諦めたくない。どこかの偉い監督が言っていた。諦めたらそこで試合終了だと。だったら自分が諦めないで非日常を探せば……あるいは。
葵は寒さに凍える体を抱きながら校舎とは渡り廊下でつながれた体育館に向かった。
「……まあ、普通に考えれば開いていないんだろうけれど」
他のドアと比べて重い両開きのドアを引いてみるが、やはり開かなかった。
「……はぁ」
ため息を一つ吐いて、葵は踵を返して帰宅することにした。
しかし、
「…………ん?」
その場から背を向けようとした直前、体育館の裏の方から大きな光が見えた――大きくて、そして紫色だった。
テレビとかでライブ映像を見るとあんな色の光を見ることもあるが、ここは田舎町で、ライブをやる施設なんて近くにはない。あったとしてもこんな時間だ。
――その光はとても非日常だった。
葵はその光につられるように、気付くと光源に向けて走り出していた。
「どこだ!」
体育館の裏に回り込む。
ざっと周りを見渡すが雑草が生い茂るそこには光の原因とみられるようなものはなかった。
足を進めていくと学校と林の境界――生垣のど真ん中に植物の蔦がまとわりついた豪邸にあるような格子状の大きな門がった。
「……ここの奥か?」
徐々に小さくなっていく光が門の奥にある薄暗い道にぼんやりと見えている。
葵はそれを見るや否や門をよじ登って反対側へ降り立った。
学校の裏は少し大きめの林になっていて、門の裏にあった朽ちた「入るな危険!」という看板からも判るとおり普段人は訪れない。
葵も今までこちら側に来たことはない。この門も看板も初めて見た。学校裏の雑草の生え具合からいっても他の人間もここには来ていないのではないか。
そんな林にもかろうじて道はあった。と言っても草がぼうぼうに生い茂り獣道のようになっていたが。
道沿いに足を進めていくこと数百メートル。足元は暗く光も届かないので、弱くなっていく紫色の仄かな光を頼りにしていくしかできない。
「!」
突然道が開けた。
「これは……不気味な館だな」
林を抜けた先にあったのは、これまた古びた館だった。まるでドラキュラでも出てきそうな外観。
どうやらあの鉄扉は豪邸にあるような、ではなく本当に豪邸のものだったらしい。
「それにしても学校の裏にこんな場所があったなんてな。聞いたことないぞ」
今は夜なのでちょっと先でも真っ暗闇だが、昼間なら校舎裏からでもこの洋館は確認できただろう。それに校舎裏に来なくても学校の上の階に上がればいやでも見えるはず、だ。
それなら今まで噂も聞いたことがないなんてありえないだろう。
恐る恐る不気味な洋館へと近付いていく。
洋館の扉がはっきりと見えてくるまで来ると――
「あおいさまーー!」
「⁉」
どこからともなく声が聞こえた。
「い、今僕の名前読んだかッ⁉」
突然の声に葵はすくみ上る。
まさかこの洋館の住人かだれかだろうか。
なんとなくここは廃墟だと思っていたが、誰かが住んでいたのかもしれない。
葵は体を硬直させたままいると、突然腰のあたりに強い衝撃が来た。
「!」
「あおいさま、あおいさまでございますですね!」
微妙な敬語の腰にまとわりつく誰かの声には険のようなものはなく、勘違いでなければむしろ歓迎されているように明るいものだった。
「…………?」
この行為で硬直が解けた葵は顔を下に向ける――声の主と目が合う。
「……こども?」
「こどもじゃありませんですっ!」
「いやどう見ても小さな子供だけれど……」
腰にまとわりつく、というか抱き着いてきているのはくりくりとしたアーモンド形の大きな目、フリフリとしたのがついた和服(和装ゴスロリというんだったか?)、青みがかった肩辺りまで伸ばした髪、そしてその中でも目を引いてやまない最大の特徴――ぴくぴくふりふりと先ほどからしている耳としっぽを持った女の子だった。
「……けものみみ!」
明らかに本物の耳としっぽを持っている女の子を前に大きな声をあげてしまう。
まさか本当に非日常と接触してしまうだなんて。
「うひゃう! なな、なんですか、いきなりおおきなこえをださないでくださいっ」
舌足らずな声をあげる獣耳の幼女。……萌えた。
「かわいいなぁ! この野郎ッ‼」
なでなでなでなでと獣耳が生えた形のいい頭を撫でに撫でる葵。
「うきゃあっ⁉ な、なんですかやめてくださ、や、やめ、ほとうにやめてくらさいぃぃっ!」
「本当にかわいいな! しかも髪の毛とかちょーさらさらだし、耳もふかふかしてて気持ちいいし、なんだこれなんだこれ! 最高じゃないか!」
「あおいさまやめれくらさい! みみは、あ、はぁんっ! よ、よわいんれすぅ!」
と、ここで葵は撫でるのをやめる。
「…………」
「……? あおいさま……?」
さっきから疑問に思っていたことを口に出してみる。
「なんで君、僕の名前を知ってるの?」
「わたしのご主人様がいっていたからですっ!」
葵の疑問に自信満々に胸に手を当て答える獣耳幼女。
……やっぱりかわいいな。
「ふーん、そうなのか……」
「うにゃあ! な、なんでまたあたまをなでるですぅっ?」
「かわいいから……」
「か、かわいいだなんて……そ、そんなころありませよ」
「いいや、かわいい! 誇ってもいい」
「な、なんか断言されました⁉」
どうでもいいが、今自分の姿を第三者が目撃したら不審者と勘違いされてしまうのではないだろうか。……やっていることそのものは不審者とさして変わらないというのが悲しいところだ。
「で、そのご主人様っていうのは」
「……はふぅ。そろそろなでられるのがきもちよくなってしまいますぅ……。っ! あ、はいっ、わたしのご主人様はですねっ、それはそれはとてもびじんさんなのれす!」
「よし、会いに行こう、すぐに会いに行こう!」
「びっくりするほど思考がたんじゅんなひとです!?」
今まで峰岸のやつを単純な奴だな、と思っていたが、どうやら自分も案外単純な奴だったらしい。
葵は再びなでなでする手を止める。獣耳幼女は少し残念な顔をしていた。
「で、そのご主人様はいったいどこにいるんだ」
言いながら、葵は館を見上げる。3階建ての洋館のだが、2階の向かって右端の部屋から先ほどの紫色の光が漏れている。
「まあ、普通に考えたらあそこか……」
「あおいさま、めいすいりですぅっ!」
「えっへん、もっと褒めろもっと褒めろ!」
「きゃー、きゃー! あおいさま、さすがでございますです!」
「よし行こうかッ」
「はいですっ」
そうして無駄に騒ぎ立てながら、葵と獣耳幼女は古びた洋館の中に入っていった。




