第2話「プリン一個で恋愛疑惑?」
ミナトリンク株式会社の東京本社は、都内のオフィス街に建つ九階建てのビルに入っている。
社員数は約三百名。
法人向けの業務支援システムを開発・販売する中堅企業として、それなりに堅実な業績を維持していた。
春樹が所属する営業企画部は六階にあり、美紀のいる営業部は一つ下の五階にある。
午前八時四十七分。
春樹が六階の共用ラウンジに入ると、すでに美紀が待ち構えていた。
「あっ! 春樹先輩!」
肩まで伸びた明るい茶色の髪を揺らしながら、美紀が小走りに近づいてくる。
淡いブルーのブラウスに紺色のタイトスカート。
会社では比較的カジュアルな服装を好む彼女だが、営業先へ出向くときにはきちんとジャケットを羽織る。
明るく人懐っこい性格で、入社以来、男性社員からの人気も高かった。
「おはよう。ほら、これ。」
春樹はコンビニの袋から小さなカップを取り出した。
「わあっ! 本当に買ってきてくれたんですか!」
「だから買うって言っただろ。」
「やったぁ! ありがとうございます!」
美紀は両手でプリンを受け取ると、まるで高価な宝石でも手に入れたように嬉しそうな顔をした。
「大げさだなぁ。たかが二百円ちょっとのプリンで。」
「違いますよ、先輩。」
「何が?」
「値段じゃないんです。私のために、わざわざ買ってきてくれたっていう気持ちが大事なんです!」
「はいはい。じゃあ、今度から自分で買ってね。」
「えーっ! そこは『いつでも買ってきてあげるよ』じゃないんですか?」
「俺はお前の保護者じゃない。」
「じゃあ、彼氏になってくれます?」
「もっと嫌だ。」
「ひどーい!」
美紀は頬を膨らませたが、すぐに笑顔に戻った。
こんな会話は、二人の間では日常茶飯事だった。
春樹は美紀を、少し手のかかる妹のように思っていた。
美紀のほうも、少なくとも春樹の目には、遠慮なく冗談を言い合える先輩として接しているように見えた。
「それにしても先輩、よく覚えてましたね。」
「何を?」
「私がこのプリン好きだってこと。」
「そりゃ、前にも何度か言ってただろ。」
「覚えててくれたんだぁ。」
美紀が嬉しそうに目を細めた。
「まあな。相良が好きなものくらい、覚えてるよ。」
「……えっ?」
「ん?」
「今、なんて言いました?」
「だから、好きなものくらい覚えてるって。」
「もう一回。」
「なんでだよ。」
「いいから、もう一回!」
「嫌だよ。」
美紀はプリンの容器を胸元に抱えたまま、にやにやと笑い始めた。
「もしかして先輩、私のこと、結構気にしてくれてたりします?」
「いや、プリンの話だろ。」
「でも、好きなものを覚えてるって、ちょっと特別じゃないですか?」
「じゃあ、お前が好きな激辛ラーメンも覚えてるから、俺は激辛ラーメンと付き合ってることになるな。」
「もうっ! そういうところですよ!」
そんなやり取りをしている二人の背後で、コーヒーマシンが小さな音を立てた。
そこには、経理部の女性社員が一人立っていた。
彼女は紙コップを手にすると、二人のほうへちらりと視線を向けた。
そして、何も言わずにラウンジを出ていった。
春樹はその視線に気づかなかった。
美紀は気づいていたが、特に気にも留めなかった。
そもそも、後輩にプリンを買ってきただけで、何か問題が起こるはずがない。
普通の会社ならば。




