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第五話 後編 海の宝石


 髪の長い気怠けな女は夜アルコールを提供する場所で働いていた。昼間より幾分ましなワンピース姿でお酒を運んでいる。

 オルカは子供達の相手が終わった後、一人でこの場所を訪れた。古い知り合いに挨拶するように、女に声をかける。そしてコーヒーを注文した。

「ここで、こんな夜にコーヒーを一人で飲む奴なんていないわ。」

女が言うとオルカは笑って

「なら、ちゃんと寝られるようにノンカフェインのコーヒーにして貰おうかな。」

と言った。女が呆れる。

「コーヒー飲んだら、あの坊やのところに帰りなよ。」

そう言ってコーヒーカップをオルカの前に置いた。オルカはお礼を言ってコーヒーを一口飲むと満足そうな顔をした。彼女にはオルカの行動が理解できない。コーヒー、たった一杯で満足そうな顔をするオルカに、心の中では少しだけ興味をもつ。

「あんた、昼間、皆んな自分の事で忙しいって言ってたよな。」

「ええ、そうよ。仕事、男、ギャンブル、お酒、みんな、そういったものに忙しいんじゃない?」

相変わらず彼女の話し方は気怠げで、特有の色気があった。

「それって楽しいのか?」

奇妙な質問に、女は笑った。

「はっ?何言ってんの?楽しそうに見える?」

「いや。そう見えないから、聞いてるんだが。」

とオルカは真面目だ。その眼を見て女から本音が漏れる。

「楽しい訳、ないじゃん…。皆そうだよ。」

少し俯いてそう言ったが、オルカはまだ彼女を見ていた。その顔を盗み見た女はドキッとする。

「俺はオルカ。あんた、名前は?」

とオルカが聞くと、

「私はアケボノ。」

と少し小さな声で答えた。

「アケボノか。いい名前だな。」

とオルカは一人で納得するようにコーヒーカップを見ながら言った。そしてアケボノに向き直る。

「なぁ、アケボノ。俺は昼間、クジラの尻尾で子供達と遊んでいる。今晩はツナのカレーも作ったんだ。明日も何か作るつもりだ。もし良かったら、あんたも一緒に食べないか?」

オルカは明るく言った。

「あんた、料理なんて出来るの?」

「まぁ、そこいらの男よりは出来るさ。あんたと比べたら、どうかわからないが。」

アケボノはすっかりオルカのペースで話す様になっていた。

「私は、料理なんて出来ないよ。面倒くさいんだもの。」

「なら、子供達と座って待ってたらいい。」

その返事にアケボノは驚く。男が料理を作り、女がそれを待つだけで良い、想像できても理解ができない。『何もするな』と言われる時は、『役立たず』と言われる事と同意だった。

「何の役にも立たない女なの。よく、そう言われるわ。」

アケボノは自虐して少し笑うが、オルカはそこでは笑わない。笑わないオルカをアケボノは真剣に見てしまった。オルカの目を見ると、泣き出してしまいたい衝動に駆られる。そして同時に心地良さも感じた。

「明日なら、暇だから、お邪魔させて貰おうかな。あんた見た目より良い人そうだし。」

少し目を逸らしてアケボノはそう言った。

「ああ。待ってるよ。コーヒー美味かった。ご馳走様。」

と言って、オルカはヤドカリのところに帰って行った。


 オルカが子供達のウニの家に帰ると、ヤドカリは遊び疲れたのか、子供達の部屋を借りて寝てしまっていた。オルカはヤドカリの寝息を確認すると、ヤドカリが寝ている二段ベッドの下段で仰向けになり、考えた。

このクジラの大人は何処へ行ったのか、と口にしたが、このクジラには本当の意味での大人がいないのかもしれない、とオルカは思った。そして思い出す。

 

『親切なのは良いが、全部は面倒見切れないぞ。』

 

これは嵐の翌朝イルカと戯れるヤドカリに、自分が言った言葉だった。



 翌日もオルカとヤドカリは子供達と過ごす。ハタタテとクロユリも一緒に遊ぶようになっていた。特にハタタテはオルカの側に寄り添うように過ごし、オルカを観察しているようだった。子供らしくなってきた彼らの表情にオルカは安心して、午前中は食材探しの狩りに出かけた。ヤドカリは残って子供達とイルカと遊ぶ。時々疲れて、座って眺めている時間もあった。イルカ達は子供達の癒しになっている様にも見えた。

 

 暫くしてオルカが大きな蛸を捕まえて帰ってきた。子供達は大きな蛸に目を輝かせる。ヤドカリには、オルカが狩りから帰ってくる光景がとても懐かしく思えた。その蛸で、たこ焼きを作って食べる事に決めた。

「これなら、楽しみながら食べられるしな。」

とオルカは満足そうに笑った。

 そこへアケボノが訪ねてきた。昨夜のワンピースよりも少し小綺麗なシャツに、ロングスカートを履いていたので、ヤドカリは最初誰だか分からなかった。でも顔を見て、あのフジツボの家の前でタバコを吸っていた女の人だと分かった。オルカがアケボノを皆に紹介した。

「お姉ちゃんも一緒に遊ぼ。」

と子供達にまとわりつかれ、アケボノはどうして良いか分からず、助けを求めるようにオルカを見た。オルカはただ笑っている。

 ヤドカリはオルカの人たらしぶりに呆れた。

 皆でたこ焼きを焼いて食べ、楽しい夜が終わり、アケボノはまた明日も来ていいか尋ねて、帰って行った。あのハナゴンドウも嬉しそうにアケボノについていく。


 その夜の月は細く、薄明かりの中、オルカとヤドカリは広場のブランコになんとなく座って話した。

「このクジラに来て良かったですね。」

ヤドカリがブランコを揺らしながら言った。

「そろそろ、旅に戻らないとな。」

オルカはブランコを動かさず座っている。ヤドカリはここに来てから、時々オルカが考え込んでいる事に気付いていた。

「子供達はオルカさんに感謝していると思います。」

「感謝か。」

オルカは実際、自分のした事が良かったのかどうか、分からなかった。ただ、こうするしか出来なかったのだ。自分には、他にやらなければならない事があるのに。

「僕の子供時代にも、オルカさんが少しだけでもいてくれたら、きっともっと違ったんだろうなって。」

ヤドカリはブランコを揺らしながら、前を向いて思った事を正直に口にした。オルカはその言葉を聞いて、ブランコのヤドカリを目で追う。そして気持ちが少し軽くなった。オルカも少し自分のブランコを揺らす。水面の上空に浮かぶ、細くなった上弦の月を見た。

「明日の夜ここを立つ。それでいいか?」

オルカがそう言って、ヤドカリは頷く。

 

ヤドカリが鼻歌を歌いながら暫く二人で月を眺めた。

 


「僕が子供達と食材を取りに行くんですか?」

突然のオルカの言葉に、ヤドカリは困惑した顔だ。子供達の扱いはオルカの方が圧倒的に上手い。子供達は自分の言う事を素直に聞いてくれるだろうか?

「ああ。お前なら大丈夫だ。頼まれてくれるか?」

「やってはみますけど……」

子供の中でも比較的歳上の十二人をつれて、海藻やエビや貝を取りに行く。その中にはあのハタタテとクロユリもいた。二人はうまく子供達をまとめてくれそうだ。採取する難易度は低い食材だけど、ヤドカリは一応スクーターに水中ボウガンを括り付け、腰には間切(マキリ)を挿した。スクーターは押して使えば荷車にもなる。ヤドカリが食材を取りに行く間、オルカは残された子供達と料理の準備をする。


 ヤドカリはクジラの外の海藻や珊瑚の多い、安全な狩り場に子供達を連れて行った。貝やエビや食べられる海藻の取り方を教える。子供達に生きる知恵を伝える事も、目的のひとつだとヤドカリには分かっていた。子供達は真剣に聞いたり、遊んでしまったりだ。クジラの外に初めて出かける子供達が浮かれるのは無理も無かった。ハタタテとクロユリが皆をなだめている。二人は真剣に食料採取の話も聞いてくれた。

 

 クロユリが珊瑚の近くで海藻をとっていると、砂の中から大きなガザミがぬっと現れた。ヤドカリは周囲に危険がないか気を配っていたが、ガザミがあまりにクロユリに近かったので『しまった』と思った。

 ガザミは左の鋏をクロユリに素早く伸ばす。ガザミは危険な鋏を持っているので、挟まれたら大怪我をするか、命を落とす可能性すらあった。しかし、クロユリが挟まれる寸前で、ヤドカリが咄嗟にボウガンの長い柄を両手で持ち、力を込めて鋏を受け止めた。怯えて尻餅をついているクロユリを少し見て、離れる様に指示を出す。クロユリをハタタテが抱えて離れた。

 ガザミの鋏は凄い力で、ヤドカリの水中ボウガンを挟んだ。ボウガンが軋む音がする。と、ガザミは今度は反対の右の鋏をヤドカリの背中に向けた。

 ヤドカリはボウガンの銛がついた反対側の先を、向かってくるガザミの右の鋏の方に角度をずらし、反対向きに放った。ほぼゼロ距離で放たれたボウガンの銛はガザミの右の鋏を砕いた。ガザミが怯んだ隙に、ヤドカリはボウガンから手を離すと、腰の間切を抜いて、ガザミの腹の比較的柔らかい部分を狙って突き刺した。その素早さに子供達から歓声が上がる。

「危なかったね。」

とヤドカリはなんでもない事の様にサラッと言った。



 今日も尋ねてきたアケボノは、動きやすいロングパンツとTシャツ姿で、表情も気怠さが抜け、少し明るく見えた。髪も後ろでひとつに結んで活発にも見える。

「今日は私も手伝いたい。」

とアケボノはオルカの隣に立って伝える。オルカはその変化に喜んでいた。子供達に囲まれてながらも、アケボノはオルカと二人でいるのが楽しかった。

「なんで旅をしているの?」

とアケボノが聞く。

「新しく住める場所を探している。」

オルカが答えると、アケボノは静かなトーンでオルカに伝えた。

「それなら、ここにいたら、どう…?子供達も、きっと喜ぶし。」

アケボノは目を伏せて精一杯の気持ちを伝えた。

「そう簡単じゃないんだ。大切な約束もある。」

オルカはすまなそうに答えた。

「あの男の子?」

「ヤドカリは俺の旅の大切なパートナーだ。あいつが居ないと、旅が完成しない。」

「ふうん。」

とアケボノは意味深に頷いた。

「あんたも、もっと何か、新しい事に挑戦してみたらどうだ?」

「だから料理を教えて貰おうと思って。上手くできたら、お酒のお店じゃなくって、レストランを開けるかもしれないし。」

と昨日ふと思いついた事を、アケボノは口にする。

「それは良いかもな。もし必要なら俺のレシピ本、あんたにやるよ。」

アケボノはその提案に喜んだ。

「でも、たまにで良いから、俺達が去った後もここに来て、様子を見てやってくれないか?出来れば、何か食べさせてやったりして欲しい。」

アケボノはオルカの真剣な頼みを聞いて答える。

「それなら、あんたのレシピ本のメニューを作ったら、ここの子供達に味見をしてもらう事にするわ。」アケボノは明るく笑って答えた。

「ありがとう。アケボノはとっても優しい人だ。ハナゴンドウは最初から分かってたんだな。」

そう言ってオルカも優しく笑った。そこへ食材調達チームが帰還した。

 

 ヤドカリ達は貝と海藻とエビをとりに行った筈だったが、大きなガザミも持って帰った。今日のご飯はかなり豪華になりそうだ。ヤドカリは一瞬で子供たちのヒーローになり、皆ヤドカリに憧れてその動きを真似して遊んだ。過保護なオルカは当然ヤドカリに怪我がないか心配し確認する。その様子に子供達が笑った。

 アケボノはその脇でオルカのレシピメモを開く。そのレシピ本には様々な書き込みがあり、その料理を食べた後のヤドカリの反応までもが書き込まれていた。

アケボノはそれを見て純粋に笑ってしまった。


 エビのグラタンを作る予定が、エビとカニのグラタンに、海藻サラダはカニの海藻サラダに、貝とカニのバター焼きまで、多彩なメニューが出来た。皆で集めて、皆で作って、皆でお腹いっぱい食べた。もちろん片付けも皆で協力して済ませ、ハタタテもクロユリも今までにない温かい時間を過ごす事ができた。もうすぐオルカとヤドカリはここを離れる。オルカは片付けの途中でハタタテを少し離れたところに呼んだ。


「いいか。ハタタテ。俺は気休めは言いたくないから、本音でお前と話したい。」

オルカはとても真剣にハタタテに話しかける。ハタタテもオルカの目を見た。

 

「俺たちはもう、旅を続けなければならない。ずっとここでお前達と一緒にいる事は出来ない。俺が旅をするのは、自分との約束があるからだ。」

ハタタテは目を大きく開いてオルカと向き合う。

 

「お前が他の皆を助けているのは、お前が一番歳上だからじゃない。お前が、それが出来る人間だからだ。」

 

「出来る人間はそれをしなければならない。どんなに辛くても、それがお前にしか出来ない事だからだ。」

 

「この世界では生きていく事が本当に辛い時がある。そしてそれがずっと続く事もある。だけど、お前がそうやって足掻いている事が一番価値がある。一番尊い事だ。」

 

「お前のやり方でこの海を泳いで大人になって欲しい。お前なら出来ると、俺は思っている。」

ハタタテの大きく開いた目から、ハタタテの気持ちが溢れた。オルカはハタタテの頭を力強く撫でた。


荷物をまとめ、子供達とアケボノに見送られながら、ヤドカリとオルカは並んでいた。

 

「私が大きくなったらヤドカリのお嫁さんにして!」

小さなクロユリはみんなの前で、勇気を振り絞ってそう言った。クロユリの真面目な顔にヤドカリはタジタジになる。オルカは横で笑っていた。

 ヤドカリは自分が将来、誰か女の子と一緒にいる事が想像できない。一瞬だけ、幼馴染のラブカの顔が浮かんだ。

「そうだね…。」

ヤドカリはチラッとオルカを見、クロユリに向き直る。しゃがんだので二人の目線の高さは同じだ。

「僕が今のオルカさんと同じ歳になっても、ひとりぼっちだったら、お嫁さんになってくれる?」

と返した。クロユリの真面目だった顔から笑顔が溢れた。そして、

「うん!そしたら、お嫁さんになってあげる!」

と力いっぱい答えた。後でアケボノも笑っている。

オルカだけが、気まずい顔で照れる様に立っていた。


 二人が手を振って歩き出し、見えなくなった後も、子供達はヤドカリとオルカの背中をずっと見ていた。

 

 


 

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