第四話 嵐の日とヤドカリの夢
嵐の影響か、その日海の流れにはかなりのうねりがあった。真っ直ぐ立っている事が出来ず、危険なので安全な場所に船を停め、アンカーを打ってその中で過ごす事になる。焚き火を起こす事も出来ないので、料理は出来ない。小さなコンロでお湯を沸かす程度だ。
ヤドカリはこんな時は船の隅に大きなクッションを置き、ゴロゴロ寝っ転がって本を読むのが常だ。以前いたクジラで出会った、デイゴと言う女の子が焼いて、持たせてくれたクッキーを食べる。長持ちする様に固く焼いてあるので、齧るとポリポリ音がするが、上品な甘さでヤドカリは気に入っている。
「オルカさんもクッキー食べますか?」
実はこの質問はヤドカリのちょっとした嫌がらせで、オルカはこのクッキーに手をつけられないでいた。と言うのも、このクッキーを焼いてくれたデイゴと言う女の子は、かなり気の強い女の子で、いつもオルカに怒っていたのだ。デイゴが好きな男の子、名前はツバメと言うのだが、その子とオルカの間に色々あって、デイゴはオルカの事をずっと怒っていた。ツバメに対してはヤドカリも複雑な感情をもっていたが、これはまた別の話。嵐の中、本に集中出来ない時は、この様に前にいたクジラの事を、自然と思い出してしまう。
「い、いや。俺はいいよ…。」
あのオルカが気の強い女の子を思い出して、こんな返事をするのを、ヤドカリは面白がっていた。
「はぁ。みんな元気かなぁ。」
ポロリと口からそんな言葉が出た。旅立つ時は、もう会う事もないかもしれない、とそれなりの覚悟があったのだが、旅にある程度なれて、旅が日常の延長になると、懐かしい思い出は帰る場所のように思えてくる。少しだけホームシックの様な気持ちだった。自分にホームと呼べる場所があるのか分からないけれど。
本に集中するでもなく、ゴロゴロと寝っ転がってクッキーを食べるヤドカリは、年相応で、オルカを安心させる。
「おい。流石にお行儀が悪いぞ。」
と、水中ボウガンをバラして手入れをしているオルカが注意する。
「はーい。後で片付けまーす。」
とヤドカリはオルカの方を見る事もなく、そのままの姿勢で答えた。オルカはしかたなく少し笑って、ボウガンの手入れに目線を戻す。
あのカマイルカの子供はもっと深いところで、この嵐をやり過ごしている様だ。平和な時間がこうして流れ、ヤドカリはいつの間にか、うとうと眠ってしまった。
ヤドカリがベットで目を覚ますと、目の前に親友のサーディンがいた。サーディンは笑って
「ヤドカリ、やっと起きたの?」
と言った。サーディンはボサボサの黒髪に日焼けした肌、クリッとした目にそばかすがチャーミングな男の子だ。サーディンは続けた。
「今日はラブカの家でご飯作って、みんなで食べるって言ってたじゃん。もう怪我はいいんでしょ?」
と言ってヤドカリの手を引き、暖かい外に連れ出す。
「ほら、みんな待ってるよ。」
光で霞む景色の中、巻き貝の家の影に浮かび上がったドアを開けると、家の中は光でいっぱいで、背の低い、髪の長い可愛らしい女の子がこっちを振り返った。
「ヤドカリ、おかえりなさい。」
とその幼馴染の女の子が微笑んで言った。その時何故かヤドカリは、
「ああ、ラブカ、生きていて良かった。」
と口に出した。でもそれは声にならなかった。
リビングの奥にデイゴも座っている。さっきまでヤドカリが食べていた、あのクッキーを袋に入れて持っている。
「オルカさん、私の作ったクッキー食べてないの?」
とデイゴが怒ったようにヤドカリに聞いた。その横にはデイゴの想い人、ツバメも座っている。
「オルカさんは元気?」
とツバメはニコリともせずにヤドカリに言った。
ヤドカリは声が出ない。そして懐かしさに胸が詰まった。暖かい、美味しそうないい匂いもする。幼馴染のラブカはヤドカリの為に紅茶を淹れている。
サーディンは……
サーディンは何処?
キョロキョロすると、カチカチと音がして、水中ボウガンを組み立て直していたオルカの横顔が見えた。
そして自分の頭はクッションに埋まっていた。
「あれ。オルカさん。」
今度は声がちゃんと出た。いつの間にか自分の肩にはブランケットがかけられていた。
「ん?起きたのか?」
とオルカがヤドカリを見る。ヤドカリはオルカの顔を見るといつも安心する。上半身を起こして散らかした本とクッキーを片付けた。
「オルカさん。僕、懐かしい夢を見てました。」
「そうか。そりゃ良かったな。」
「みんな元気そうでした。デイゴさんは、オルカさんがクッキーを食べてないって怒ってましたよ。」
「えっ?そりゃまずいな。帰ってクッキーの感想聞かれた時、答えられないと困る。」
とオルカは茶目っ気たっぷりに言った。ヤドカリはそんなオルカを見て笑った。
「美味しいですし、せっかく焼いてくれたんですから、一緒に食べましょう。僕が紅茶でも淹れます。」
そう言ってオルカの向かいに座り、小さなコンロでお湯を沸かす。嵐の中、二人の暖かい時間が過ぎていった。




