第三話 後編 刃を持つ理由
部屋に入ったヤドカリを、ハナミノは上から下までジロジロと眺めた。ハナミノはアオリよりも若く、黒くて長いストレートの髪、華美な赤いドレスで着飾った女性で、高い所で白蝶貝があしらわれた華美な椅子に座り、こちらを品定めするように見ていた。目が切れ長に細く、冷たい印象を受ける。
「ハナミノ様、私がこの方を街で見出しました。ご紹介致します。よしなに。」
とアオリが丁寧に言うと、ハナミノはまるで物でも見るようにヤドカリを見て、満足そうに鼻で笑った。
「名は?」
ハナミノが口を開いた。若さに似合わず、全てを下に見る話し方だった。
「ヤドカリと言います。」
とヤドカリは感情の起伏の無い話し方で答える。必要最低限の答えだ。ヤドカリは心を開いていない時、この話し方になる。
部屋の外で待つオルカの前を、一人の男が通り過ぎた。彼は濃い紫色の髪を肩まで伸ばして、綺麗で華美な身なりをした、若くて美しい男性だった。彼はオルカを一瞥して鼻で笑い、通り過ぎる。オルカは一瞬でこの男を嫌いになれた。男はヤドカリのいるハナミノの部屋に入って行った。
「まあ、ヒレボシ様。お久しぶりです。」
アオリが大袈裟に言った。
「おや、アオリさん、歳を取られても相変わらずお綺麗で。」
とヒレボシと呼ばれた男が静かに答える。アオリは奥歯を噛んだ。だが、アオリはそこで反撃する。
「今をときめくヒレボシ様、この方は私が街で見つけたヤドカリさん。とても美しいでしょう?ヒレボシ様より随分と若くて、まだ作法も知らないけど、有望だと思いますわ。」
ヒレボシはヤドカリをチラリと見、内心ではかなり動揺した。着飾っていない素朴なヤドカリを、目一杯飾り付けた自分の姿と比べる。その時、
「お前達の醜い争いはもう良い。私はこの青年と話したい。ヒレボシは用がないなら下がれ。」
とハナミノが言い、ヒレボシの動揺は決定的な物となった。ハナミノに『醜い』と言われた事はなかった。
自分の周りで話が進められている間、ヤドカリは無表情だった。その表情はヤドカリの美しさを際立たせた。ヤドカリは他人の事を話している中に自分が居るような、居心地の悪さを感じていた。
「で、お前は私に話があるのだろう。何を望む?」
とハナミノはヤドカリに尋ねた。
「クジラの油をいただきたいのです。」
ヤドカリが言うのを聞いて、ハナミノは腹の底から笑ってしまった。と同時にヤドカリがこのクジラに留まる意志がない事も伝わる。
「お前はここに留まり、私に仕える事になる。そうすれば、望むもの全てを与えよう。」
とハナミノは既に決まった事のように言った。
「僕の望みは旅を続ける事だけです。クジラの油以外のものを貴方達から望みません。」
ヤドカリは精一杯礼儀正しく答えた。
ハナミノはせせら笑い、従者に向かって顎を上げた。
「分かった。あちらの部屋で待ちなさい。」
と従者がヤドカリを、オルカが待つ部屋とは別の部屋に連れて行こうとする。肩を掴まれそうになり、ヤドカリは咄嗟にその手を振り払ってしまった。そのまま右脚を軸に、回転して従者の頬辺りに回し蹴りを叩き込んだ。ハナミノの従者が床に倒れる瞬間まで、ヤドカリ自身、何が起きたかわからなかった。この行動は居心地の悪さが頂点に達した自己防衛的な動きだった。当然、ヤドカリはその場で取り押さえられ、拘束された。
部屋の外で待っていたオルカにも、事態は報告された。連れの美しい少年が暴れた為、今拘束されている、と。ヤドカリがキレる程の事が中であったと言う事だ。ヤドカリに護身術を叩き込んだのはオルカ、その人だった。
オルカはそのまま巻き貝の館から追い出された。
ヤドカリは拘束された部屋で、またしても自己嫌悪に陥っていた。オルカさんに自分が交渉するから、と伝えたのに、失敗した上拘束されてしまった。あの回し蹴りは反射的に出たもので、自分でもびっくりして、そこから抵抗はしなかった。他所のクジラの最高権力者の部屋で、その従者に回し蹴りをしたら、どのクジラでもこうなるだろう。ハナミノに会う前からこのクジラを出たいと態度で示した、オルカの感は正しかったのだ。
どうしたものか、と拘束された部屋の中で思案していると、キィと音を立てて扉が開き、先程のヒレボシと言う男が入ってきた。ヒレボシは
「ヤドカリ君。君をここから出してあげるから、早くクジラの外に逃げなさい。」
と親切に申し出た。ヤドカリはその真意を測りかねたが、もうここにいる理由が無かったので、その提案に乗る事にする。
ヒレボシとしては、この美しい青年を早くハナミノの手の届かない所まで送り出してしまいたかった。ハナミノはこんな事で、欲しいものを諦める性格では無かった。
「ありがとうございます。」
とヤドカリはヒレボシに礼をいい、ヒレボシが示す脱出経路を彼の背を追って進んだ。
「あの、僕の間切は…。」
とヤドカリは拘束された時に取り上げられた短刀の心配をする。
「あぁ、あっちの部屋にあったと思うから、私が持ってこよう。とにかく今はここを離れた方がいい。」
答えながら、ヒレボシには疑問が積み重なる。
クジラの油?
間切?
それがいったい何になると言うのか。この見れば見るほど美しい青年は、いったい何を考えているのか。私や、他の者達が欲しくてたまらず、努力を怠らずして手に入れてきた美しさの栄光と、それに付随する権力を、今簡単に手に入れられるのに、それに全く興味を示さず、ただここを離れる事を望んでいる。あの冴えないボディガードと一緒に?
「あのボディガードの男は…」
とヒレボシが言うと、更にヒレボシにとって理解不能な答えが返ってきた。
「オルカさんは、ボディガードなんかじゃありません。僕の一番大切な人です。」
ヤドカリは感情の起伏のないトーンでとんでもない事をサラッと言う。ヒレボシはますます混乱した。
ヒレボシは道を示し、自分はヤドカリの間切を取りに別の部屋へ向かう。間切を手にヤドカリの後を追うと、牢屋から出る地下道の出口で、ヤドカリはハナミノ本人、そしてその従者達と鉢合わせになっていた。
両者の間には距離がある。地下道の出口に立つヤドカリと、それを取り囲む地上の部隊だ。地下道の出口に向かって光が強く照らされ、美しい髪の輪郭とヤドカリの姿が逆光の中で浮かび上がっている。ハナミノはヤドカリに向かって、自分の元に留まるように命令をしていた。そして更に、そこに現れたヒレボシに対して、ヤドカリを捕まえるよう命令する。ヤドカリさえ捕まえれば、お前がヤドカリを逃した事を許し、今までと同じ様に扱う、と。
ヒレボシの中で何かが壊れた。彼のプライドは粉粉になり、彼は咄嗟に持っていたヤドカリの間切の鞘を抜いた。ヒレボシは叫んでいた。彼には自分の未来が分かっていた。この青年に全てを奪われ、自分には何も残らないだろう。ヒレボシは全てを壊してしまいたい衝動にかられ、鋭い刃の間切りを振り上げ、ヤドカリの背中に突き立てようとする。
ヤドカリは完全に不意を突かれて振り返っただけだ。
ヒレボシは今までの自分の人生を否定する存在である、ヤドカリが憎かった。
その時、ヒレボシの振り上げた腕の肩を水中ボウガンが貫いた。クジラの骨で出来た矢がヒレボシの肩を貫通した。ヒレボシは顔を歪め、ヤドカリの目の前で血を流してよろけた。
ヤドカリは目を見開いてそれを見る。何が起こったのか、一瞬で理解した。そして直ぐに振り返りそれを放ったオルカを見た。
「オルカさん、相手は人間です!」
とヤドカリが叫ぶ。
「お前が刺されるよりはいい。」
とオルカも叫ぶ。
「でも!」
と言うヤドカリに被せてオルカはもう一度叫んだ。
「お前を失うよりはいい!」
ヤドカリは痛がるヒレボシの手から間切を取り、さっと身を隠しオルカの元へ向かう。その時にはオルカはもう、ハナミノの後ろに回り込んでいた。彼女の美しい首にナイフを近づけて脅す。ナイフの切先はほぼ彼女の首にめり込んでいる。
「クジラの油をもってこい。」
とオルカは凄んだ顔で彼女の従者に伝える。その表情はヤドカリに、冷徹だった昔のオルカを連想させた。罪を重ね、のちに後悔し、赦しを求めて旅立つ前の、あのオルカだった。彼が一番戻りたくない過去の姿だ。ヤドカリは気持ちを抑えてオルカの元へ急ぐ。オルカはハナミノを押さえつけたまま後退りをし、そばに停めてあった自分のスクーターの近くまで行くと、ハナミノの従者にスクーターにクジラの油をありったけ積むように命令した。その表情のままヤドカリに目配せし、スクーターに乗るよう促す。ヤドカリがスクーターの運転席に跨がると、
「俺たちを追うな。」
と脅しハナミノを前方へ激しく突き飛ばした。ハナミノはその場で倒れ恐怖に固まり、情けない声をだしている。もうハナミノに美しさは無かった。
それを横目にそのまま二人でスクーターで逃げる。
クジラの油を大量に積み、更に二人乗りだったのでスピードは出ないが、追手は来なかった。
帰り道のスクーターでヤドカリはオルカを背中に感じた。この時二人には会話が無かった。ヤドカリは、この人は自分を守る為になんでもするだろう、と思った。オルカが自分を大切にしているのか、クジラの歌が聞こえる自分を守っているのか、と言う問いはもう意味を持たなかった。オルカがいつものオルカでいられるように、自分が変わる。
もっと強くなりたいと、ヤドカリは思った。
船のあるところまで帰り着いた。カマイルカの子供も近くで待っていたようだ。
「オルカさん、ごめんなさい。僕、またお役に立てなくて。」
ヤドカリがオルカに言うと、オルカは優しい、いつもの表情に戻っていた。
「役にたつ、とか立たないとか、そういう事じゃ無いんだ。」
と穏やかな声で言った。そして昔みたいにヤドカリの頭をくしゃくしゃに撫でた。
「お前が無事で良かった。」




