第三話 前編 白蝶貝の街
クジラの歌はヤドカリの耳の奥に直接届く。その音は一定のリズムを繰り返し奏でる。
ヤドカリは時々、クジラの歌に波長を合わせる様にして、目を閉じ、耳を澄ませる。水は遠くまで音を届けるので、歌が流れに乗って聞こえてくるように感じる。しかしこの歌はヤドカリにしか聞こえず、旅の相棒のオルカが同じように耳を澄ませても、聞こえた事はなかった。これはヤドカリだけが、滅びたクジラから生き延びた事に関係あるのだろうか。
この世界では人々はクジラの死骸で産まれ、クジラの死骸を資源に生きる。数世代を重ねて、クジラの資源が枯渇すると、クジラと共に滅びるのだ。ヤドカリの産まれたクジラが滅びた時、外の世界を漂っていたヤドカリを偶然オルカが見つけて助け、今日に至る。
今二人が旅をしているのは、クジラの歌を辿り、新しいクジラの死骸を見つける為だった。
ヤドカリは時々思ってしまう。オルカが自分に対して過保護になるのは、自分がクジラの歌を聞く力があるからではないのか、と。
色々な事を考えながら、オルカに貰ったあの海蛇のギターを弾く。今は夕食後の二人のゆったりとした時間だ。夜の海は危険なので、焚き火のそばで過ごす事が殆どだ。本を読んだり、ギターを弾いたり、時々二人で貝並べゲームをやったりもする。今日のヤドカリのギターの音色は心地よくも、少し寂しげだった。
ギターを弾くヤドカリは、その髪や、長いまつ毛の奥の青みを帯びたグリーンの瞳や、細くて長い指まで、完璧な造形物のように美しかった。オルカは少なくとも、ヤドカリほど整った容姿の人に、今まで会った事がない。そしてヤドカリ自身が、全くその事に気付いていないのは、やはり滅びたクジラ出身である事が理由だろうと思っていた。滅びかけの街で生きる為には、美しさは全く意味のない事であっただろうから。
翌朝はよく晴れて、海の透明度が高く、遠くまで見渡す事が出来た。白い砂の砂漠の遥か遠くに丘のような何かが見える。それは旅立ってから初めて見つけた、クジラの街だった。クジラの資源が比較的残った、まだまだ未来のあるクジラの街のように見える。オルカとヤドカリは喜びを感じたが、警戒もした。船を少し離れた岩場に隠し、スクーターと呼ばれるクジラの骨で作られた小型のバイクの様な乗り物で、二人乗りをし、クジラの街に近づく事にした。少し前に仲良くなったカマイルカの子供も、船の側で待たせた。クジラの街は他のクジラと交流がない事が普通で、そのクジラ毎に独自の文化があるのだ。
資源が無いと生きるのは困難だ。だから人々はクジラから離れて生きられない。ヤドカリとオルカは旅立つ前に多めに物資を積み込んでいたが、有限である。特に燃料となるクジラの油は、旅を続ける為にも必要だった。
そのクジラの街に足を踏み入れ、様子を探る為に歩き、賑わっていそうな街の中心を目指した。すれ違う人達がジロジロとヤドカリとオルカを見る。自分たちの身なりがよそ者に見えるからだろうか、と最初は思っていたが、よく観察すると、どうやら見られているのはヤドカリのようだ。女の人がヤドカリを見て、思わず口元に手を当てたりしている。
この反応にオルカは既視感があった。旅立つ前のクジラでも、女の子達が影でヤドカリの容姿に騒いでいたのだ。
「オルカさん。やっぱり僕たち怪しく見えるんでしょうか?」
と言うヤドカリは、やはりその理由に全く気付かない。オルカは更に人々や街を観察した。子綺麗な街では、華やかな格好をした若者達が多かった。皆、自分を着飾り、化粧をし、髪も好きな色に染めている。道端で楽器を弾いて歌っている人がいたり、女の子たちのダンスグループが踊っていたり、活気がある街だった。
「楽しそうな街ですね。」
とヤドカリは安心した様に言ったが、オルカは街の様子に違和感を感じた。
食堂、のような場所を見つけて、そこで少し話を聞いてみる事にする。その食堂は、今まで二人がいたクジラの機能的に配置された食堂とは違い、見た目が良く洗練されたテーブルや椅子やソファが配置され、壁には絵が飾られ、色彩も豊かでおしゃれな場所だった。
「すみません。」
とヤドカリがカウンターで声をかけると、食堂係の女性はヤドカリを見て、直ぐにソファの席に案内した。
「あの、僕たち話を聞きたくて。実は外から来たので配給の対象ではないと思います。」
「何を言っているのですか?あなたはソファ席の方でしょう。お好きな物を頼んで下さい。直ぐに準備します。」
と食堂係の女性が答え、話が噛み合わなかった。ヤドカリの隣でオルカは少しだけ納得して、
「ヤドカリ、せっかくだから何か頂こう。俺、コーヒーで。」
と言った。ヤドカリはオルカの方を少し呆れた様子で見る。小さくため息をついてから、食堂係の女性に
「すみません。ではコーヒーを二つ下さい。」
と、ヤドカリは丁寧に頼んだ。運ばれてきたコーヒーは上等なコーヒーで、味わい深くコクがあった。食堂の女性は最初は萎縮している雰囲気があったが、ヤドカリが丁寧に注文したり、お礼を言ったりするので、二人に対して好感を持ったようだ。
「これは美味いな。」
オルカはゆっくり味わいながら感心して言う。
「オルカさん、これからどうします?僕、なんか落ち着かなくて。」
この食堂に入ってくる人は、必ずヤドカリをチラリと見たり、食事をしながら盗み見てくるので、視線を感じるヤドカリが落ち着かないのは、無理もなかった。
「ちょっと待ってろ。」
とオルカは言って立ち上がり、食堂係の女性の所にいって何やら話している。ヤドカリがソファに座ってオルカを見ていると、一人の女性がヤドカリに声をかけた。美しく着飾った、オルカより少し若いくらいの年上の女性だ。
「突然ごめんなさいね。会話が聞こえてしまって。あなた達はこのクジラの外から来たのかしら?」
ヤドカリは声をかけられて少し驚いた。視線だけずらしてオルカを見るが、直ぐに向き直り落ち着いて、感情の起伏のない話し方で答えた。
「はい。そうです。旅をしています。」
「ハナミノ様にはもう会われたのかしら?」
「ハナミノ様?」
「もしまだなら、私が案内して差し上げるわ。このクジラで一番決定権のある方です。」
そこへオルカが帰ってきたので、ヤドカリは内心ホッとした。
「こちらの美しい女性は?」
とヤドカリに聞く。わざと美しいを強調したような言い方だった。
「あら、お連れの方。褒めていただいてありがとう。私はアオリと言います。ハナミノ様という方が、このクジラでは大きな決定権を持っています。私がご案内して差し上げようと思って。」
「ヤドカリ、あちらのお姉さんにも聞いたが、そのハナミノ様って方に合わないと、このクジラの事が分からない。一緒に行くか?」
ヤドカリは頷き、食堂係の女性のところに行ってお礼を言う。食堂係の女性は小声で、
「アオリさんとハナミノ様には気をつけて…」
と言ったので、ヤドカリは笑顔で返した。
ハナミノに会いに行く道中で、アオリはヤドカリに次々と話しかける。
「ヤドカリさんとオルカさんは何故旅をされているの?このクジラは豊かな所です。ここに住むのは如何かしら?」
ヤドカリは何も答えなかったが、それでもアオリは話し続けた。
「あなたなら、ランキング上位は確定ですわ。もしかしたら一番になれるかも。そうしたらずっといい暮らしが出来ますよ。欲しいものは何でも手に入ります。」
「ランキング?」
ヤドカリは聞き返す。
「はい。ランキングはその人の美しさと、ハナミノ様への貢献度で決まります。あなたはとても有望だわ。この街ではランキングが全てです。住む場所や、食べる物、綺麗な洋服も、何でも。」
と、アオリは言った。ヤドカリは考える。欲しいものって何だろう。僕はオルカさんと一緒に旅が出来て、美しい景色を一緒に見たり、温かいコーヒーを飲んだり、それだけで充分なんだけど。オルカさんにもらったギター以上に素晴らしい物がこの世にあるのだろうか。それとも、僕が何も知らないだけで、本当は世界はもっと素晴らしい物で溢れているのだろうか…
歩きながら、オルカは更に街の様子を観察していた。
表の通りは綺麗だが、やはりどこのクジラも同じで、裏通りは錆びれているのが、貝やフジツボで出来た建物の隙間から見える。日の当たらない裏通りでは、幼い子供達や老人達が暮らしているのが見えた。
少し大きく成長した子供は、直ぐにそのランキングとやらを目指して、着飾ったり、道端で歌ったり、ダンスをしたり、注目を集めようとしているのか。オルカは内心、このクジラにウンザリしていた。子供が無理に大人になる事に、彼は良い感情を持たなかったし、子供が美しくなって大人の権力者に注目される事が、子供にとって良い事であるはずがないと思う。彼自身の子供時代の事を少し思い出していた。
「オルカさん。さっきから顔が怖いですよ。」
ヤドカリが、後ろで歩いていたオルカに歩調を合わせて横に並び、声を潜めて伝える。
「あ、ああ。そうか。」
珍しくオルカはそんな返事で、険しい表情を崩す事はなかった。オルカは早くヤドカリを連れてここを離れたかった。
ハナミノの館は、豪勢で巨大な巻き貝で出来ていた。その巻き貝は外からもピカピカに磨かれ、パールのような輝きを放っている。入り口でアオリが言った。
「中に入れるのは私とヤドカリさんだけです。」
「俺はヤドカリのボディガードだ。一緒に中に入れないなら、面会は拒否する。」
オルカはよく通る声ではっきりとそう言った。
「この中に入れるのはランキング上位者と、そうなれる可能性がある人だけです。」
とアオリも必死だった。ヤドカリはオルカに伝える。
「オルカさん。オルカさんが嫌ならクジラの油だけをお願いして、直ぐにここを離れましょう。ここにはここのルールがあります。僕が交渉してきますから。」
このやりとりを見て、アオリには分からなかった。オルカという男は、自分がランキングに入れないから妬んでいるのか、ヤドカリという美しい青年が、何故何でも手に入るのに、このオルカという男に執着しているのか。
そのやりとりの最中に、重い扉が開く。中から従者が出てきて、何事かと尋ねた。騒ぎが聞こえたハナミノは二階の窓から外を確認していた。やはりヤドカリはハナミノの目を引いた。
「ハナミノ様は面会を希望している。そのボディガードも部屋の前までなら入って良いとの、寛大なご処置だ。中に入りなさい。」
と従者が言うと、アオリは得意になってヤドカリとオルカを中に招いた。
ハナミノの部屋の前まで行くと、ヤドカリはオルカの目を見て頷いた。オルカは諦めて、部屋の前のソファに腰掛ける。ヤドカリとアオリは招かれて、ハナミノの部屋に入っていった。その後ろ姿を見て、今度はオルカは落ち着かなかった。




