第二話 海蛇のギター
オルカの体調はヤドカリの作った薬のお陰か、すっかり良くなっていた。オルカが自分で起きて船から出て、身体を動かし始めるのを見て、ヤドカリは安心した。
「ヤドカリ、ありがとう。すまなかったな。良くなったよ。」
とオルカがヤドカリに礼を言うと、ヤドカリははにかんで目を逸らしてしまった。ヤドカリは時々オルカに対して、他の友達にする様な素直な感情表現が出来ない時があるのだ。
「オルカさんが治ったなら、旅が続けられますね。」
とヤドカリは素っ気なく言った。
オルカはヤドカリよりも一回りも年上の背の高い男で、浅黒い肌に綺麗な銀髪を後ろで束ねている。目はアーモンドカラーで、その上に意志の強そうな眉毛、鍛えられた細く筋肉質な体をしていた。ヤドカリはオルカに助けてもらった過去があり、それ以降ずっと彼に懐くように慕っていたが、感情を態度に出さず、いつもオルカに対して、
「僕、子供じゃないですよ。」
の決まり文句で答えてきた。
オルカの方は、助けた当時のヤドカリがあまりに辛い状況だったので、常に彼を心配し、過保護に世話を焼いてしまう事があった。その甲斐あってか、今はヤドカリが心を開き、旅立つ時に自分に着いてきてくれた事に感謝していた。
「朝ごはん、作りました。食べられますか?」
とヤドカリが尋ねる。ヤドカリは病み上がりのオルカが食べられる様に、海藻のスープを作っていたのだ。
「おっ、美味そうだな。」
と言うオルカはいつも通りで完全に回復した様子だ。
その事が嬉しいヤドカリはついつい鼻歌を歌いながらスープをお椀に盛り付けた。
「お前、歌なんて歌うんだな。」
とオルカが何気なく言うと、ヤドカリは
「僕はなんでも出来るんです。」
と少し得意気に言った。言った後でヤドカリは少しだけ目を伏せる。長いまつ毛が目にかかり、少し影を纏ったような表情は本人が気付かないだけで、本当に美しく絵になった。旅立つ前のクジラで、女の子達が影で騒いでいたのを、オルカは知っていた。
「どうした?」
とオルカが心配して聞くと、
「僕、昔ギターを持ってたんです。大切にしていたんですけど、滅びたクジラから離れた時、無くしてしまって。」
とヤドカリは答えた。ヤドカリはオルカと出会う前のことはあまり話さないので、オルカは少し驚いた。
「どんなギターだったんだ?」
「えっ?海蛇の皮で出来た、普通のアコースティックギターですけど。」
「よし!俺が作ってやる!」
とオルカが言った。
またオルカさんが無茶な事を言い出したと、この時ヤドカリは思っていた。だが、オルカは作ると決めると直ぐに、使えそうな材料や大きめの海蛇を探しに出かけてしまった。
旅を続けるって言ったのに、と半分呆れて、その後出発する事を諦めた。オルカは言い出したら聞かない人だ。ヤドカリは幼馴染の女の子が旅立つ前に集めて渡してくれた本を読んで、暇を潰すことにした。カマイルカの子供はヤドカリたちのキャンプの周りに来たり、少し離れたりを繰り返していた。
オルカは狩りが得意だ。旅立つ前は仲間に分け与える為に大きなマグロやシイラ、タコを捕まえる事もあった。ヤドカリと二人旅を始めてからは、大きな獲物は荷物になるので、少し小さめな魚を時々捕まえる程度だ。
その日の空砂漠は太陽が強く輝き、反射する光が眩しい程だった。珊瑚やイソギンチャクの周りをカラフルな魚が泳ぎまわり、オルカが近付くとサッと隠れた。
海藻の茂み辺りでオルカは海蛇を探す。海蛇は時々、太陽を見に行くように浮上するので、見つけるのは簡単だ。オルカは数匹見つけた海蛇の中から一番大きな海蛇を見つけると、簡単に水中ボウガンで射抜いた。皮を傷つけない様に、しっかり頭を狙った。
「悪く思うなよ。」
とオルカは海蛇に言い、船に持ち帰ると慣れた手つきで皮を剥いだ。そして海蛇の肉は燻製にして保存食を作る。燻製を作りながら、皮の内側の余分な油を小刀で削ぎ落とし、海藻を燃やした灰を皮に揉み込んだ。
ヤドカリは遠目にオルカを見て、その慣れた手つきと真剣な表情に少し驚いた。器用な人だとは思っていたけど、まさかここまで本格的とは。
ヤドカリは寝転んで本を読んでいる自分が、なんだか申し訳なくなり、カマイルカの子供がはぐれた群れを探しに行く事にした。
「オルカさん。僕ちょっと出かけてきます。晩御飯は僕が作るので。」
と言うが、オルカは真剣でこちらに気付かなかった。
ヤドカリはスクーターにまたがって、珊瑚礁のリーフから外洋を目指した。途中、あのカマイルカの子供に声をかける。
「お前の家族を探してみるよ。一緒においで。」
言葉は通じない筈なのに、カマイルカの子供はヤドカリについてくる。
「お前は賢いね。」
とヤドカリは感心して言った。外洋に出ると、世界は突然紺碧に塗り替わる。光が筋の様に深海へと伸びる。珊瑚礁とは違って、大きな魚が時々泳ぐ。ヤドカリはこういった海も好きだ。心が何処までも自由に広がる気がする。イルカが何故、嬉しそうに外洋で飛び跳ねるのか、その気持ちがヤドカリには分かる。
ヤドカリはスクーターを潮の道に乗せて、軽やかに操縦する。魚やイルカが泳ぐ様に、生きる喜びを感じて。カマイルカの子供もヤドカリと一緒に泳いだ。
暫くそうしていると、大きな何かがゆっくり移動しているのが見えた。近付いてみると巨大なジンベエザメとマンタが数匹、小さなコバンザメを引き連れて優雅に泳いでいた。口を開けて食事中の様だ。大きなジンベエザメとマンタの背中には、光で踊る波の模様が写り込んで、とても美しく神々しかった。
ヤドカリはそれらが泳ぎ去るまで、思わず見惚れてしまった。この旅に出て、その結果がどうなるか分からなかったけれど、道中で見かける景色にヤドカリは満足していて、オルカと一緒に旅立つと決めた事に、後悔はなかったし、これからもきっとないと思う。
例え、目的が果たされなくても……
結局、カマイルカの群れは見つからなかった。ヤドカリとカマイルカが船に戻ると、やはりオルカが心配していた。
「ヤドカリ、何処行ってたんだ。心配したぞ。」
「ちゃんと出かける時、声掛けましたけど。」
またこの手のやり取りが繰り返される。オルカはオロオロしていて、ヤドカリはそれを見て笑ってしまう。
「ご飯、つくりますね。」
「いや、今日は俺が作るよ。海蛇の肉もまだあるし、ヤドカリはゆっくりしてたらいい。」
オルカは言った。オルカが作業していた場所を見ると、海蛇の皮は艶々に磨かれ、ギターの形に曲げられた流木や、持ってきたクジラの油や髭が乱雑に置かれていた。段々とギターが形作られており、ヤドカリは胸が暖かくなった。それでも何も言わず、夕食をつくるオルカを横目に焚き火の脇に座り、途中だった本で表情を隠すように読んだ。そして時々オルカの背中を盗み見る。
ヤドカリはその背中に、天使が羽をもがれたような古傷がある事を知っていた。オルカは自分の過去を聞いてこないが、ヤドカリもオルカの過去を知らない。
夕食ができると、二人で静かに食べた。海蛇のスープは本来クセのある味なのだが、オルカは海藻のハーブを入れて臭みを消し、食べやすく味付けしてくれていた。
「オルカさんってなんでも出来るんですね。」
とヤドカリが呟く様に言うと、
「まぁ、この歳になればな。色んな事を経験するものさ。」
「ギターを作った事もあるんですか?」
「まあな。」
ヤドカリは、自分はオルカの事を何も知らないと思い知った。生命を助けて貰って、それからずっと一緒にいるのに。
「今日は何処へ行ってたんだ?」
「外洋に行きました。あのカマイルカの家族がいるかもしれないと思って。」
「お前は優しいな。」
「でも見つかりませんでした。代わりにジンベエザメとマンタを見ました。凄く美しかった。」
ヤドカリが元気に話すので、オルカも嬉しくなる。出会った頃のヤドカリからは、今のヤドカリは想像出来ない。ヤドカリが外洋の美しさを話すのを、オルカは黙って聞いた。暖かい夜だった。
夕食後、オルカは一人、ギター作りを続けていた。木を削る音、何かを叩く音が静かな海に心地よく響き、その音を聞きながら、ヤドカリは安心して久しぶりにぐっすり眠った。真剣に作業するオルカの横顔は、少し前の張り詰めていた頃のオルカみたいに、頼もしくかっこよく見えた。
翌朝ヤドカリが起きると海蛇のギターが完成していた。硬い流木を加工したフレームに、クジラの油で綺麗になめされた海蛇の皮が張り付けられていた。クジラの髭で弦が張られ、ネックもクジラの骨で出来ていた。
オルカは苦心して作った海蛇のギターを、まるでおもちゃでも渡す様にヤドカリに渡した。
両手でギターを受け取ったヤドカリは、そのギターをしげしげと見る。細部まで作り込まれたギターは自分だけの為に作られた物だ。
「ありがとう、ございます。」
喜びを表現するのが苦手なヤドカリは、なんとかそう言った。彼は美しい巻き毛の長い前髪で、表情も隠していた。実はヤドカリは、殆ど泣き出しそうだった。
「気が向いたら、お前の歌、聴かせてくれよ。」
オルカはこんな時、全てをすぐに察してくれる。そしてヤドカリから離れると、道具の片付けを始めた。
ヤドカリは座ってギターを鳴らしてみた。上から順番に下に向かって弦を弾く。海蛇の皮に反響して、優しい音がひとつひとつの弦から溢れた。そして全ての弦を一度に弾くと、今度は優しい和音が溢れた。
オルカ、その人をそのまま音にした様な、優しい和音だった。
1話完結スタイルで書いています。気に入っていただけると嬉しいです。




