第一話 星の花を食べた雲丹の棘
空砂漠はその日、月明かりで青く光っていた。珊瑚の死骸が細かくなって出来た真っ白な砂に、水面の波が影となって写り、幻想的な白と青の砂漠がどこまでも続いていた。砂漠の中に点在する岩礁と、その脇に生えた少しの海藻に隠れた場所に船が停まっている。岩陰には小さな生き物達が集まるので、船の持ち主の青年は、
「今晩はここにお邪魔させて下さい。」
と生き物達に挨拶をしてから焚き木を起こした。
蜂蜜のような色の美しい巻き毛をもつ青年は、焚き木のそばに座り、砂漠を一人眺めている。旅を始めた時から、夜はあまり寝られなくなり、今では少しの睡眠でも昼間の活動に影響を及ぼすことが無くなった。船の外で焚き火をおこし、その炎のゆらめきと砂漠の砂に映る青い光の中で、青年はどことなく寂しそうな表情を浮かべていた。長いまつ毛の落とす影が炎のゆらめきと共に揺れる。
突然、岩の反対側で大型の生き物の気配がして、青年は水中ボウガンを手に立ち上がり、俊敏な動きで岩を背にした。顔だけ出してそっと岩から音のした方を覗くと、やや大きなネコザメが砂を口に含んだり、吐き出したりしていた。
「なんだ。お前か。」
と言って、そのネコザメが岩礁にいる小さな生き物達を脅かさない事を確認すると、青年は船の方を見た。
「オルカさん、大丈夫かな。」
と独り言を言う。船の中では青年より一回り歳上の、オルカという男が寝ていた。青年は船のハッチを開けて中に入ると、寝ているオルカの額に手を当ててみた。
『やっぱりまだ熱が下がってない。』
と思い、どうしたものかと思案していると、
「ヤドカリ、すまないな。大丈夫だ。」
と、明らかに大丈夫ではない声でオルカが言った。
「オルカさん、大丈夫じゃないです。ゆっくり寝てて下さい。それとも何か食べられますか?」
と、ヤドカリと呼ばれた青年は答える。
「少し寝たら治るから、大丈夫だ。」
とオルカは答えて結局何も口にしなかった。ヤドカリは荷物の中から薬の作り方のメモを探す。旅立ちの時に持ってきた薬は、前回ヤドカリ自身が少しだけ体調を崩した時、オルカが全部ヤドカリに飲ませてしまっていた。
『だからあの時、薬は貴重ですよってあんなに言ったのに。』
と今更ながらヤドカリは思った。オルカはいつもヤドカリの事を過度に心配し、過保護な所があった。ヤドカリは小さくため息をつくと、メモを見て、薬の材料を探す事を決めた。旅の相棒であるオルカには、早く元気になって欲しい。
メモには薬の材料としてウミヒルモの花を食べた紫雲丹の棘を煎じて作る、と書かれていた。ウミヒルモの透明で美しい花と紫雲丹のスケッチも丁寧に記載されている。ウミヒルモは初夏の僅かな時期にだけ、海底の砂地に花を咲かせる植物だった。もう初夏と呼ぶには少し季節が進んでいるが、夜が明けたら探しに行く事を決め、焚き火で柔らかくて食べやすいリゾットを作った。これは旅立つ前に友達から作り方を教えて貰ったメニューで、ヤドカリ自身、上手く作れる様になったと思っている。オルカの枕元に水とリゾット、置き手紙を残し、ヤドカリはスクーターと呼ばれる小型の船で出発した。
朝日に照らされる海は、昨晩の青い美しさとはまた違い、透明で輝かしい光と生命に満ちていた。差し込む朝日がカーテンの様に海底に届き、光達が踊っていた。目を覚ましたカラフルな魚達があちらこちらから出てきて、群れをなして泳いでいる。ヤドカリはこの旅に出て何度も美しい世界に触れて来たが、その感動に慣れてしまう事はなかった。滅びかけたクジラに居た時は、海がこんなに色彩に富み、表情を変える事に気が付かず、モノクロの世界で生きていた様な気がする。オルカの事が心配ではあったが、ヤドカリは少し楽しくなり、鼻歌を歌ってしまった。歌につられたのか、綺麗な魚達がヤドカリのスクーターを追いかけて泳ぐ。
太陽が西に傾く前に、ヤドカリはいくつかのウミヒルモを見つけたが、やはり初夏から季節が進んでしまったためか、花をつけているウミヒルモを発見する事が出来なかった。どうしようかと、周りに生えているウミヒルモの中から花を探し、少し途方に暮れていると、近くを大きな何かが通った。最初は影だけが見えたが、その影は次第に自分の周りを何度も行き来している事が分かる。敵意は感じられない。
見上げて見るとそれはまだ子供のカマイルカだった。
「お前、どうした?迷子になった?」
とヤドカリはイルカに話しかける。周りに他のカマイルカは見当たらない。ひとりぼっちのヤドカリは、迷子のカマイルカの子供に親近感を覚えた。カマイルカの子供はヤドカリの周りから離れようとしない。
『以前の僕だったら、子供のイルカに懐かれるなんて…』
と思い、
『いや、僕の方がこの子にいて欲しいって思ってるのかな。』
と思い直した。
「僕はウミヒルモの花を探しているんだ。お前も一緒に探してくれる?」
と通じないのに言葉をかける。イルカは暫くヤドカリの周りを泳いでいたが、その内どこかへ行ってしまった。ヤドカリはイルカに話しかけた自分がおかしくて少しだけ自嘲した。そして今日は諦めて船に戻る事にする。
日が傾く中、船に向かってスクーターを走らせていると、今度は明確な敵意を感じた。ヤドカリはいつもの様に潮の流れを読み、軽やかにスクーターを動かす。ヤドカリが数秒前までいた場所に大きなオオメジロザメが突進した。回避しなければぶつかっていただろう。ヤドカリは水中ボウガンを手に取りかけて思った。
『僕がこいつの縄張りに入ってしまっただけだ。』
上手く逃げれば縄張りの外までは来ない筈だと思い、ボウガンから手を離すと、スクーターを巧みに動かしてオオメジロザメの縄張りから離れようとする。お腹を空かせたオオメジロザメは、少しだけヤドカリを追いかけたが、直ぐに捕まえるのは無理だと悟り、スピードを落とした。ヤドカリが振り返ると、オオメジロザメはどうやら狙いを変えたようだった。オオメジロザメはあの時のカマイルカの子供目掛けて突進した。
ヤドカリは直ぐにスクーターを反転させてサメを追う。水中ボウガンをサメとカマイルカの間に放ち、サメを牽制した。その間にカマイルカの子供はヤドカリに近づき、後ろに隠れる様な位置関係になった。ヤドカリは大型の魚を捌く様の間切を鞘がついたまま構え、突進して来たオオメジロザメの鼻先に力一杯当てた。サメは怯んで身体が麻痺した様になり、動きを止めたが、ヤドカリ自身もサメと接触した反動でスクーターごと飛ばされた。
暗闇の中でヤドカリは意識を取り戻すと、周りを確認した。スクーターは自分の近くに転がっていた。砂地に倒れていたようで、怪我も無さそうだった。スクーターを起こし、スクーターに括ってあったバッグからランプを取り出して付ける。ランプの灯りは近くしか照らさないが、その光を頼りに近くの岩の影まで移動して腰を下ろした。
「オルカさん、大丈夫かな。」
夜には帰るつもりだったのに、これでは朝を待つしかない。オルカの体調が気になった。あのリゾットを食べられただろうか。それともまだ熱にうなされているのか…薬も見つけられず、自分が不甲斐なかった。
少し寒かった事もあり、そのまま自分のマントに包まって眠る。少しだけ疲れてしまった。
周りが白んで来る頃、ヤドカリの身体を何かがグイグイと押してきた。ゆっくり目を覚ますと、あのカマイルカの子供が自分の身体を押していた。身体を起こすと、自分の周りに背の低い丸い草が沢山茂っていた。
この場所が寒かったのは、今までウミヒルモを探した所より、少し深い場所だったからだ。ヤドカリはカマイルカの子供にお礼を言って、ウミヒルモを確認する。いや、確認するまでもなく、ウミヒルモは白くて透明な美しい星の形の花をいくつも咲かせていた。ウミヒルモの群生と、美しい花はヤドカリを包み、どこまでも続いていた。そして自分が居たすぐ近くの岩場には紫雲丹が何個も隠れていた。
「良かった。ありがとう。これで薬が作れる。」
とヤドカリはカマイルカの子供に向かってか、あのオオメジロザメに向かってか、お礼を言った。紫雲丹を必要な分だけ捕獲して、オルカの眠る船に急ぐ。カマイルカはヤドカリを気に入ったのか、後ろからついて来た。
船に着くと、ヤドカリはすぐにハッチを開け、オルカの様子を確認した。オルカはあのリゾットをなんとか食べたようだが、まだうなされるように眠っていた。ヤドカリはオルカの顔を見て安心し、また焚き火を起こすと雲丹の棘を砕いて煎じ、薬を作った。
薬を持って船に乗ると、オルカは半身を起こしてヤドカリを見た。
「ヤドカリ、無茶しちゃダメだろ。」
と、少し咳き込みながら、またしても子供相手に話す様にオルカが言うので、
「僕、子供じゃないですよ。オルカさんこそ、この苦ーい薬、一滴も残さず飲んで下さいね!」
と言った。ヤドカリはオルカが薬が苦手な事を知っていた。
「この薬、どうしたんだ?」
とオルカが聞いたが、ヤドカリは答えず、オルカの前に薬を差し出す。いつも子供扱いされて、少しだけ意地悪な気持ちになっていた。
オルカはいつも察しが良く、ヤドカリが薬を作ってくれた事を察して、苦手ながらも薬をしっかりと飲み干した。
ヤドカリはそれをみて満足そうに微笑んだ。
1話完結スタイルで書いてますので、続きのお話も途中からでも読めます。気に入っていただけると嬉しいです。




