最終話#14 光る海へ
ルリはヤドカリがしっかり食事をとるようになった姿を見て安心する。と同時に、ヤドカリが元気になって自分の役割が無くなってしまったようにも感じた。
しかしその心配は当たらなかった。動けるようになった筈のヤドカリは、事ある毎にルリにお願いや我儘を言った。
「ルリ、僕、食後のコーヒーが飲みたい」
(これはホットでミルクと砂糖多め、一緒につまめるスイーツも欲しい、を全て集約したお願いだ。)
から始まって、新しい本が読みたい、街の様子が見たいから散歩についてきて欲しい、などの様々なお願いがなされた。それらを全て聞き入れるルリを見てスズメは呆れる。
「ルリ、よくあれに耐えられるね」
と思わず口に出たが、当の本人であるルリはヤドカリに頼られる事に喜びを感じている様子だ。オルカも時々ルリに、あれに全部付き合う必要はないぞ、と声をかけるも、そのオルカ本人が病み上がり、と言う理由でヤドカリを甘やかしているように見えるので、スズメはますます二人に呆れてしまうのだ。
そしてヤドカリをここに運んだあの日から、ちょうど五日目、オルカとヤドカリはユーファウシドと話をした。ユーファウシドは革新派の動きが鈍っている事を訝しんで、ヤドカリに心当たりがないか聞いた。
「……そう言えば、ヤコウさんは、自分は他のクジラから来て、クジラの歌が聞こえる、と言っていました」
ヤドカリは思い出してユーファウシドに伝える。
「そういう事か。薬が無くなったから」
ユーファウシドは顎に指を当てて考え込む。そしてヤドカリにオルカと二人にして欲しい、と頼んだ。ヤドカリはそれに従い部屋を出る。
「オルカ、話がある。まず、お前が薬のプラントを破壊してくれた事に、礼を言いたい」
オルカは黙って聞いた。
「だが、あの時は本来俺たちに相談すべきだった。俺も、お前の行動を察してやれず、ボウガンを渡したのは失敗だったと思うが、それにしても一人で抱え込み過ぎだ」
ユーファウシドはなんでも一人でやろうとする、オルカの悪い癖を見抜いていた。
「そんな事で、突然いなくなったヤドカリの事を、何か言う資格はない。それに行動自体が無茶をし過ぎな上、かなりの人を巻き込んだ。スズメやルリも、だ」
「言葉もない……」
オルカは申し訳なさそうに言う。
「さっきのヤドカリの話だ。俺は計画を立て直さなければならない。今、お前のお陰でこちらは好機だ。今攻める、となればこのクジラは内戦になる可能性が高い」
オルカは恩返しにユーファウシド達を手伝いたい気持ちもあったが、ヤドカリの事を思えば、クジラの歌が響くこの谷を早く離れる必要があった。
「お前、ヤドカリとはちゃんと話したのか?」
「いや、……まだだ」
「スズメとルリは、お前達について行きたいようにも見えるが、それは可能なのか?」
「ここが内戦になるなら、その方がいいのかもしれない。二人の意志次第だが、ヤドカリは安全なクジラに返すつもりだ」
「……お前は、どうするんだ」
「もともといたクジラで、仲間が待っている」
ユーファウシドは少し考えた。
「それは、お前を待っているのか?滅びを待っているのか?」
「両方だ」
とオルカが答えた。
ユーファウシドは少し考えて、彼らしくない、少し楽観的な未来を、この時初めて語った。
「もし、この内戦で俺たちが勝ったら、お前のクジラの仲間も、ここで受け入れる選択肢もある」
彼なりに希望を捨てるな、と言いたかったのだろうと思い、オルカは肩を揺らして言った。
「お前らしくない台詞だな。ありがとう。考えておくよ」
ユーファウシドも笑った。そしてあの時預かった手帳をオルカに返す。
「お前の手帳、内容の半分はヤドカリだな」
とユーファウシドがオルカに言うと、オルカは気まずそうに頭を掻いた。
なんとなく外で待っていたヤドカリは、部屋から出てきたオルカの隣に来た。オルカの顔を見ても、オルカの考えは分からなかった。二人は地下を出て、人気のない広場に行く。オルカはヤドカリに話しかけた。
「ヤドカリ、ラブカさんやサーディンのいるクジラに帰ろう」
オルカは優しく、諭すようにヤドカリに伝えた。ヤドカリは俯き、返事をしなかった。
「ヤドカリ。俺はお前に生きてほしい」
「……僕、またお役に立てませんでした」
俯いたまま、ヤドカリは搾り出すように言った。
「いや。お前は充分すぎるくらい良くやってくれた。身体がボロボロになるまで。本当にすまなかった。一緒に帰ろう」
ヤドカリは顔を上げてオルカを真っ直ぐ見た。
「一緒じゃないですよね?オルカさん、自分のクジラに帰って、全部の責任を取るつもりでしょ?僕を安全なクジラに残して」
ヤドカリは怒った様に言った。ヤドカリが感情を表に出したり、怒るのは本当に珍しい事だった。オルカはヤドカリを見る。
「一緒に帰るなんて嘘つかないで下さい!一人で責任全部背負って、あの何もなくなったクジラで仲間たちと一緒に滅びを受け入れるつもりですか?」
「ヤドカリ、あそこは俺の故郷だ。俺達があのクジラで全てを受け入れるのは、必要な事だ」
「なら僕だって、オルカさんのクジラに帰ります!あなたが作ってくれた、あの巻貝の部屋に帰ります」
「違う。あそこはお前の故郷じゃない。ほんの少し住んでいただけの場所だ。お前は未来のあるクジラで生きるべきだ」
「そんなの、勝手に決めないで下さい!何処に住んでも、僕の自由だ」
ヤドカリはこんなにオルカに言い返した事は無かった。彼は本気で怒っていた。
「あのクジラには、お前の幼馴染のラブカさんも、友達になれたサーディンもいる。お前は平和に暮らせる」
「でもオルカさんがいない」
「ヤドカリ!」
「そんな事になるなら、僕はもうこれ以上、薬を使うのはやめます。クジラの歌を今度こそちゃんと聞いて、新しいクジラを見つけます。そしたらオルカさんも仲間達も、みんな助かる」
「俺はもうお前を、そんな風に使うつもりはない!」
オルカもヤドカリの言葉に声を荒げて答えてしまった。それを聞いてヤドカリは殆ど泣き出しそうな顔をし、走って部屋に戻ってしまった。立ち尽くすオルカの元に、カマイルカの子供が寄り添う。オルカは声を荒げた事を後悔し、イルカを撫でた。
オルカは自分の船に、物資を積み込み、帰る支度を始めた。スクーターはヤドカリのものが無くなってしまった為、オルカのスクーターが一台と、クジラの油は、ユーファウシドが充分過ぎるほど用意してくれた。あの最新の水中ボウガンもそのまま、オルカに譲ってくれた上に、ヤドカリの分と新しいオルカの防寒着も用意してくれた。オルカの様子にヤドカリも仕方なく、帰り支度を手伝う。二人はずっと無口で、自分達の未来に対しては無力だった。
ルリは直ぐにヤドカリが元気がないのに気がついた。旅立つ準備をしながら、無口になっていくヤドカリを見て、スズメに相談する。この時スズメは前にオルカと話した時からずっと考えていた事を、ルリに打ち明けた。
「私、オルカについて行こうと思うの」
ルリはそれを聞いてびっくりした。だが、自分がお尋ね者になっている事や、革新派からレジスタンスの街に来て、ヤドカリの世話以外に今出来る事がない事、出来ればヤドカリの側にいたいと思い、言った。
「僕も行きたい。スズメやヤドカリさんと一緒に」
「うん。一緒に行こ!ルリがいてくれたら私も心強い!」
スズメとルリは笑顔で、初めての旅を思いワクワクした。
オルカとヤドカリが準備している船に、スズメとルリは自分達の荷物を詰め込んだ。と言っても、二人の荷物はごく僅かだったが、ヤドカリのスクーターが無くなったスペースはいつの間にか二人の場所に変わっていた。
オルカは準備するスズメに対して、あれは持ったか?とか、人目に付かないように運んだか?等の質問をしたが、スズメは
「オルカ、心配し過ぎ」
と、意に介さない様子だ。ルリはヤドカリの為に新しい本を用意したり、日持ちのするおやつを自分の最後の蓄えで買い込んでいた。オルカがその準備を手伝おうとすると、
「オルカさん、多分一人で出来ます!」
と答えた。ヤドカリはそんな様子を遠巻きに見て、少し懐かしそうに、くすくす笑った。
あっという間に四人が旅立つ日が訪れ、ユーファウシドや他の仲間たちも見送りに整列した。暗い谷で、街灯が揺らめき、オルカの船やみんなの表情を浮かび上がらせた。決して、楽しいだけの旅立ちではなく、ユーファウシド達も、オルカ達も未来が見えない別れだった。ユーファウシドはオルカとがっしりとした握手を交わし、お互いの健闘を祈り、いつか再会できる事を願った。ヤドカリもユーファウシドに助けて貰ったお礼を丁寧に伝え、スズメとルリの身の安全と将来に全力を尽くすと約束した。
スズメとルリだけは新しい光溢れるであろう海に思いを馳せ、目を輝かせていた——。




