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最終話#12 祝福の歌


 ヤドカリはスズメが走り去った後、ルリによってベッドに戻された。そこにヤコウが現れる。彼はいつもの穏やかな雰囲気の中に怒りを隠していた。

「ルリ、あなたは今日限り、ヤドカリさんの世話係を外れて下さい」

ヤコウは静かに、だが有無を言わさぬ圧力を込めて言った。

「彼は何も悪いことをしていません」

ヤドカリがヤコウに言うと、ヤコウは続けて言った。

「ヤドカリさん。あなたの為に用意した薬はもうありません。あなたが心から私を信頼し、私に従い、頭を下げて頼むのであれば、もう一度用意します」

と、弱りきったヤドカリに言った。ヤドカリは薄ら笑いを浮かべて言い返した。

「そんなもの、要りません」

ヤコウはヤドカリの生意気な態度に、眉をぴくりと動かしながら更に続けた。

「今、レジスタンスの隠れ家から出た、オルカと言う男を処理しています。あなたのお知り合いですか?」

ヤドカリは怒ったハリセンボンの針の様に、全身の毛が逆立つのを感じた。ヤコウはヤドカリへの揺さぶりを確認しながら続ける。

「明日になったら別の施設に移っていただきます。オルカと言う男の生命も私に従えば考えます。よく考えて判断してください」

ヤコウはそう言い放ち、ヤドカリの傍で佇むルリをヤドカリから引き離した。ルリの手はヤドカリの服の袖を強く握っていたが、強引に引かれて離される。絶望に近い表情でルリは小さく

「あっ……」

と言った。ヤドカリはルリに不安を見せない為に、気丈な顔を崩さなかった。


 ルリが連れて行かれ、部屋に一人残されたヤドカリは決意を固めるように深呼吸した。その時、街のどこかで大きな爆発音が響く。建物の中も騒がしくなった。窓の外を見ると、少し離れた建物から煙が上がっている。なんとなくオルカがやったと思った。ヤドカリは迷わず、ベッドの下に隠したボウガンを取り出した。身体は相変わらず重く、倉庫から運んだ時はそこまで感じなかったボウガンも、今の彼には重たく感じられた。更にギターも背負った。ギターをここに置いておけるわけもなかった。

 布に包まれたボウガンを杖のように使って、混乱する廊下に出る。ヤドカリの部屋の外には以前いなかった見張りの兵が、二人配置されていた。二人は街の爆発について話している。気付かれないよう、その後ろをそっと通ろうとするが、やはりそこまで甘くなかった。ヤドカリは向かってくる見張り一人の足元に、ボウガンを引っ掛けて転ばせる。もう一人がヤドカリを捉えようとした瞬間に、何かが影から飛び出して、見張りに体当たりをした。ヤドカリが驚いて見ると、それはルリだった。ルリは布に包まれたボウガンを拾い、ヤドカリに肩を貸して移動しようとする。

「ルリ、ありがとう」

ヤドカリが言うと、ルリは心配そうにヤドカリを見る。

「スズメのところに行きましょう。ヤドカリさんはここにいるべきじゃない」

「僕にもまだ出来ることがある」

ヤドカリの意思は固く、彼には自分の生命よりも優先するものがあった。

「ルリ、お願いがある。僕のギターを何処かに隠して欲しい。あいつらに見つからないところに」

ルリはこの期に及んで、ギターの心配をするヤドカリに困惑したが、ギターを受け取るとそれも背負った。

ヤドカリはボウガンをルリから受け取ると、なんと建物の更に上に向かう。

「ヤドカリさん!何をするつもりですか」

ギターをルリに託し、ヤドカリはにっこり微笑むと、何も言わずに上階に消えた。ルリは追いかけてくる見張りを引きつける為に、下に逃げる……


 ヤドカリは屋上に続くドアを開けた。ドア一つも今の彼には重い。外は寒く、部屋着で、しかも裸足のヤドカリは屋外に長時間居るのは無理だった。が、彼は構わず行動する。あの爆発とこの病院を線上に繋ぐ動線が見渡せる場所でボウガンを出して、オルカを待った。そこにあのカマイルカの子供が、ヤドカリを見つけて近づいた。ヤドカリはオルカが近い事を確信する。街灯の僅かな光に目を凝らした。

 

 数台のスクーターの音が遠くから聞こえ、近付いてくる。先頭に黒いコートを着たオルカがいる事を、ヤドカリは目視で確認した。その後ろから、音で察すると三台のスクーターがオルカを追っていた。オルカは負傷していて、反撃出来ない様子だ。

 ヤドカリはその場の冷たい床に腹這いになり、ボウガンを構えた。彼の体力はこの時、殆ど限界だった。手が寒さと疲労で震える。自分の呼吸音すら邪魔だった。

 

 ——その時、ヤドカリにクジラの歌が聞こえた。彼には分かる。この歌は自分を苦しめるだけの呪いではない。この歌は生きる事へのクジラの祝福なのだ——

 

 ……彼の周りから色が消える。深い深い海に潜る様に意識がどんどん闇に落ちる。クジラのゆっくりとした心音にシンクロする様に、ヤドカリの鼓動も極限まで遅くなった。周りの全ての物が、人が、音が、ヤドカリにとってゆっくり流れる。殆ど止まっているように——


 彼の髪から色が抜け落ちる。ヤドカリはもう寒さも感じない。ゆっくり動くオルカを追うスクーターに向かって、彼は引き金を引いた。それは通常なら当てる事が不可能な超長距離のスナイピングだった。スクーターが一台、その射撃により通りに転がる。ヤドカリはそのままの感覚でボウガンに次の矢が自動的に装填される、カチリッと言う僅かな振動を待って、次弾を発射した。


 薬で強化された兵は、スクーターを走らせながらオルカから照準を外し、屋上にいるスナイパーに照準を合わせ直した。隣で一人が撃たれて転がるのを見て、咄嗟に構え直したのだ。距離があるので、数秒だけスクーターが前に進み、確実に当てられる距離に届いたところで屋上のヤドカリに向かって矢を放つ。自分の矢を当てられる自信があった。隣にいるもう一人の強化兵も同じ行動をとっているのが分かる。

 しかし次の瞬間、撃たれたのは自分だと気づく。一瞬の痛みで力が抜け、自分も通りに転がった。


 ヤドカリは自分に向かってくる二本の矢を避ける為に、迷わず屋上から飛び降りた。さっきまでいた場所に二本の矢が走り抜ける。頭を下に屋上から落ちながら、もう一度持っているボウガンを構える。今の彼には、落下する自分も、相手のスクーターの動きも、オルカのスクーターも同様にスローに見える。落下しながら照準を正確に敵に合わせ、ヤドカリはもう一撃を放った。


 オルカは自分を追手から助ける射撃が、何処から、そして誰から放たれたものか、殆ど本能に近い直感で理解した。自分の追手の射程距離外からの正確な射撃。

 ——ヤドカリ——!

 

 その方角に向かってスピードを上げると、前方の建物から飛び降りるヤドカリの姿が見えた。頭を下に落ちていくヤドカリは、落ちながらもう一撃を正確に追手に当てている。自分の後ろの全てを彼が撃破した。オルカは更にスピードを上げ、水中でイルカがたまにそうして泳ぐ様に、180度スクーターを回転させ、上下逆さまにそのまま走った。

 ヤドカリが地面に落ちる、その前に彼を受け止める。そのタイミングを合わせる事に全ての神経を使った。そして落下するヤドカリを受け止める瞬間に、ほんの少しスピードを和らげ、衝撃を軽くする。オルカは自分の身体の痛みは殆ど感じなかった。


 ヤドカリの軽くて冷え切った身体を抱き止めると、ヤドカリも落ちないように、オルカに掴まった。その動きと久しぶりに見る相棒の顔に、オルカは心底安心した。

「お前、俺が受け止めると分かってて、飛び降りただろ?」

オルカがヤドカリに軽口を叩く。ヤドカリは笑って

「ふふ、バレてました?」

と言った。

 そのいつも通りのやり取りにお互いこの上ない居心地の良さを感じた——

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