最終話#9 陽だまりの記憶
オルカはレジスタンス、と呼ばれる人達の空き家を借りて、そこに身を隠しながらヤドカリを探し続けていた。スズメがオルカの身の回りの世話……と言っても、彼女はここでのルールをオルカに教え、自分でやらせるスタンスだったが……をして、ユーファウシドは自分の組織の情報収集網を使い、オルカに協力してくれていた。オルカはヤドカリを早く見つけたい、焦る気持ちを、この人達の邪魔だけはすまい、という感謝の気持ちで抑え、数日が過ぎた。その間、オルカはクジラの谷の、怪我や病気の人達が集められた建物でヤドカリを探していたが、手掛かりはなかった。砂地で倒れていて、運ばれてきた青年は、どうやら普通の施設に収容されてはいないようだ。
カマイルカの子供もクジラの谷について来ており、ヤドカリとの約束通りオルカの近くで過ごし、時々どこかに泳いでいった。カマイルカもヤドカリを探しているのだと、オルカは理解していた。
ある日オルカはユーファウシドに呼ばれ、以前の地下道へ赴いた。ユーファウシドは薬の研究結果に気になる記述がある、とオルカに話した。
「その、人を兵隊に変える薬とやらが、何か関係があるのか?」
オルカはユーファウシドに聞く。ユーファウシドはいつも、何でも単刀直入に話すので、オルカは彼と話す時、自分もそうしていた。
「そうなんだ。今から薬の効果と、その副作用を伝えるから、聞いてくれ。」
1、薬を使うと人は主に左脳側の前頭葉、側頭葉の働きが鈍り、その分右脳の働きが活発になるため、空間把握能力が著しく増加し、戦闘行動において優れた動きを見せる。
2、特に集中力の継続においてその成果は著しく、スナイピング等、通常40分程しか続かない極限状態を700分以上継続できた例もある。
3、通常使用で薬の効果は半日ほど継続し、その後は疲労感を伴うなどの報告があるが、特に身体の異常は今のところ認められない。
4、被験者の証言によれば、薬の効果が継続している間は無音の様に感じられ、周りの動きもスローになり、それが戦闘行動において優れた動きに繋がるのでは、との事。
「あちらさんに使われたら、凄く厄介な薬だな。だが、何が気になる記述なんだ?俺には全部がそう聞こえるが」
オルカはユーファウシドに言った。
「わからんか?このクジラの谷にも、数としてはごく僅かだが、外から流れてきて、クジラの歌が聞こえる人がいる。その人達がなぜ普通に生活できると思う?」
「つまり、この薬を使っていると」
「そう言う事だ。脳の聴覚か、もしくはもっと何か、低周波を感じ取る器官の、働きを鈍く抑えられる薬、という事じゃないのか?」
ユーファウシドの話を聞いて、オルカは目眩のような、光を直接見た時のような、妙な気持ちになった。ヤドカリが今どこにいて、どんな状況かわからないが、彼を見つけ、この薬を使えば良いのではないか。例えクジラの歌が聞こえなくなっても、ヤドカリの生命は助かるのではないか。なんとなく御守りの様に持っていたヤドカリの間切を握りしめた。
「オルカ、お前……」
オルカの目はここではないどこかを見つめたまま、止まっていた。目は全く笑っていない。彼はこの谷に来てから一度も心から笑っていなかった。だがこの時は口の端だけ僅かに上がっていた。その様子にユーファウシドは心配して声をかけたのだ。
「いや。すまん。考え事だ」
ユーファウシドは少し間を置き、書類に目を落とした。
「俺は、こんな不自然な薬はなくなるべきだと思うが……、使い方次第で助けにもなるとは、皮肉だ」
ユーファウシドは薬の事を伝えただけで、薬が手元にない事、ヤドカリが見つかっていない事から、安易な楽観論を言わなかった。オルカにはユーファウシドなりの気遣いがひしひしと分かった。礼を言って部屋を出ると、スズメがオルカを待っていた。
「オルカ、ご飯食べに行こ!」
スズメはすっかりオルカと打ち解け、いつの間にか名前を呼び捨てにするようになっていた。
「ああ……」
オルカは心ここに在らず、といった様子でスズメを見て生返事をした。
「オルカ、何かあったの?」
スズメが心配してオルカの顔を覗き込む。
「あっ、いや。すまない。大丈夫だ」
「ご飯、私が奢ってあげる。オルカが元気になるように」
そう言うスズメを見て、オルカはやっと気がついた。スズメは初めて会った時から、笑わないオルカに、何度も何度も笑顔を向けていた。お金を知らないオルカの困惑した様子を、わざと笑って場を明るくしたり、コートが似合う、髪の色が綺麗、と笑いかけ続けた。
こんな子供にまで、俺は気を遣わせていたのか。そう思って、オルカはスズメににっこりと笑いかけた。
「スズメ、ありがとう」
初めて見るオルカの笑顔に、スズメは頬を赤らめ、単純に褒められた子供のように笑った。
スズメとオルカは、前に行った食堂の奥のテーブルに再び座っていた。またメヒカリのフィッシュ&チップスとエビと海藻のサラダ、イカとタコのパスタまで注文し、二人で取り分けて食べた。
「ねえ、オルカの探してる人の事、教えて。」
スズメは興味と、オルカの役に立ちたい気持ちから聞く。
「ヤドカリは……」
オルカはヤドカリを思い浮かべ、ヤドカリを知らない人に彼を説明する時、何から話せばいいのか思いつかなかった。
性格は……思った事を言わない、時々意地悪、ふわふわして掴みどころがない、甘えるのが下手なのに甘えん坊、等、彼の歳を考えると長所とは言い難い言葉が浮かんだ。容姿は抜群に良いが、そこから説明するのはおかしな気がする。
思い出せば、部屋を散らかしてはクッションで寝転がって本を読み、旅の間の食事は3:7くらいの割合でオルカが作った。船の掃除もオルカがやったし、ヤドカリの水中ボウガンの手入れまで、殆どオルカがやっていた。その間、彼はギターを弾いていたり、イルカと散歩に行ったりした。一緒にブランコに乗って話したときは、オルカを慰めようとしていたし、オルカが寝込んだ時は、薬を探しに行ってくれた。
彼との時間が思い出されて、オルカは堪らずヤドカリに会いたくなった。
「あいつは、ちょっと掴みどころのない奴で、危なっかしくて、目が離せない。思った事は殆ど口にしないけど、意思は強くて頑固なんだ」
オルカは寂しそうな表情を浮かべながら言った。
「ふーん。そうなんだ。女の人?」
スズメはオルカの話を聞いて、自然に女性を想像した。少しだけ、ヤキモチに近い気持ちもあった。
「いや、男の子だよ。十七才で、見た目はとても綺麗なんだが、男の子だ。」
「へー、会ってみたいな。私も!」
二人が食事を終えて店を出ると、人影はまばらだった。裏通りからメインストリートに出る、少し離れたところにスズメと同じくらいの背丈の子供が、足早に歩いているのが見えた。何故かスズメはその子を凝視する。街灯の下をその子が通ると、灯りに照らされたその子の髪が美しい群青に見えた。その瞬間、スズメは走り出す。オルカはあまりに突然でその場に立ち尽くした。
「どこへ行く?」
オルカが叫ぶと、
「オルカは先に帰ってて!」
とスズメは振り返って叫んだ。子供達は素早く、暗闇に消えて行った。
オルカはスズメの突然の行動を訝しげに思いながらも、とりあえず自分の間借りしている空き家に帰った。ヤドカリの事をスズメに話したからか、彼がすぐ手に届くところにいる様な錯覚を覚える。ユーファウシドに聞いた話を思い出し、薬を手に入れる事を考える。そのうちにオルカは眠ってしまった。自分で思ったより、疲れていたのかもしれない。
数時間後、物音で目を覚ますと、部屋のドアが開き、走り寄るスズメがオルカに抱きついた。起き抜けに上半身だけ起こしたオルカの首に、スズメの細い腕が巻きつく。そして顔を離し興奮した様子で伝えた。
「オルカ!さっきね、ルリを見つけたの!私の幼馴染でずっと探してた、ルリを!」
「えっ!さっきの子供か?良かったじゃないか!」
「嬉しいの!それにね、明日ルリのところにいって字を教える約束、したんだ!」
スズメはとても興奮した様子で、喜びをオルカに伝えた。オルカもその様子を心から喜んだ。




