見習い天使の雇用③
ふむふむ。おっ、これはミツバチ?
巣から出て、ああ、スズメバチっぽいのに襲われた。
あ、首を落とされた。体をこねこねされてるのを地面から見上げている。
暗転して、また同じ光景が繰り返されていた。
うーん、特に問題なさそうだけど……。
「はぁ、はぁ、はぁ」
意識の割合が自我の方へと傾いて、徐々に呼吸を整えていく彼女は、メガネの隙間からキッと鋭くも力無い、弱々しい目をして俺を睨んだ。
「なん、なんですかこれ」
「なにって魂の記憶だけど」
今行っているのは魂葬と呼ばれる、魂を別の世界へと送る行為である。
魂の一部から履歴書を作り読み解いて、問題なさそうなら現界へ、問題ありなら地獄へ、それぞれの判子を押して送り出すのだ。
また現界へと送る際に、自我と結びつくような強烈な記憶は取り除かなければならず、記憶が流れ込んでくるのはそういう仕様なので仕方がない。
天界門で処理したんじゃないのかって?
もちろんしているし、再び現界へ転送されるときにも天界門を通るので同様の処理はされるよ。
ただし、それはあくまで表面上はって話だ。
魂の奥底にこびりついた記憶ってのはそう簡単に消えてくれない。
消したと思っても、ひょんなことから思い出すなんてこともある。
まあ、思い出してもすぐに忘れるからそこまで問題にもならないんだけど、消しておくに越したことはないでしょってなわけよ。
「そういうのは事前に教えてください」
「体験した方が早いかなって」
「というかこれ、私に何か影響ってないんですよね」
「大丈夫じゃない? 知らんけど」
彼女の涙袋がぴくぴくと痙攣している。疲れているのだろうか。
まあでも影響がないとは断言できないのだ。
というのも、記憶が流れ込んでくるというのは、厳密に言うとその魂の一部を自身に取り込むことに他ならないからである。
自我の弱い者、つまり魂の格が低い者が他者の魂を取り込むと自我を喪失したり乗っ取られたりする。あと暴走する。
ゆえにある程度の魂の格の高さが天使には求められるわけだ。
さて、説明はこの辺にしてちゃちゃっと作業の続きをしてしまおう。
「まだやるんですか」
「この腫瘍みたいなの全部と核になってる魂を送らないとだからね」
「おぇ」
先ほどの記憶を思い出したのか、これから見る記憶に怖気づいたのか、はたまた産気づいたのか、彼女は一向に手を伸ばそうとはしない。
まあ産気づくにしては恋人の一人もいたことなかったはずだけど。
「たくさんこなせば慣れるって」
「セクハラの次はパワハラですか」
「残念、天使に人権なんてものは存在しませーん」
「くそっ、とんだブラックじゃないですか」
まあ否定はしない。でも神様たちはもっとひどいぞ。
ただそうは言っても、無理矢理やらせて他所に行かれたり、あまつさえ魂が壊れてしまっては俺が困るわけで。
どうしたものかね。……あ、いいこと思いついた。
「名前を付けてあげるよ」
「は? 名前? いや、私には」
「それは前世の肉体に付いた名前でしょ。これは魂に付随する方ね」
「いや、ちょっと、え、あなたが決めるんですか」
「よし、今から君はアルカだ」
「話を……って、あれ、なんか」
「ついでにこれもあげよう」
空中から天使長代行の証たる指輪型の代行章をアルカに投げ渡す。
アルカは両手でそれをキャッチして、まじまじと指輪を見つめた。
「これでさっきみたいに魂が揺らぐことは減ると思う」
「はぁ、まあ貰えるならありがたく。ちなみに、どこに付ければ?」
「どこでも効果は同じだよ」
少し悩んだ様子のアルカだったが、左手の人差し指に指輪をはめた。
「あとアルカって名前の由来を聞いても?」
「魂の情報から関連したやつ。意味は箱とか保管庫だったかな」
「なぜそのような名前を?」
「だって箱入りっぽいじゃーん。婚期とか逃した感じの」
おっと、危ない。
どうやら逆鱗だったらしく、無言で拳が飛んできた。
筋はいいけどそんなのに当たるほど俺は怠け者じゃないのでね。
アルカが拳を引っ込めると今度は舌打ちが飛んできた。
「そういえば私の記憶も見たんでしたっけ」
「見ただけだけどね」
「そうですか」
「んなことより、続きをどうぞ」
「分かりました。やればいいんでしょうやれば」
なにやらぶつくさと言いながら、アルカは腫瘍の一つ、また一つと手を伸ばして、魂葬を終えていく。
ぎこちなさげに、申し訳なさそうな手付きも、回数を重ねるごとに慣れていき、言葉を唱えることも、ましてその魂が揺らぐこともなくなっていった。
名前を与えたのは正解だったな。代行章もいい感じに機能している。成長も早いし物覚えもよさそうだ。やはり彼女は当たりだったらしい。
「ふぅ」
アルカが一息つく頃には、残り一体となっていた。
目の前には様々な魂の核となっていた子どもの魂が、ぼんやりと遠くの方を眺めている。
そっと優しくその髪に触れ、一本だけ抜き取った。
履歴書を読むアルカのきれいな眉根が寄って小さく歪む。
心なしか履歴書を掴む指に力が入っているようにも見えた。
「カロシーデ」
意を決するように込められた言葉と共に履歴書が燃え、ぐらりと重心が揺れたアルカはぺたんと地面に座り込む。
つと両方の目じりからこぼれた涙が頬に軌跡を描き、ゆっくりと顎を伝って合流すると、ぽたりと地面に落ちて小さな飛沫が跳ねた。
「ルメル様」
「うん?」
突然名前を呼ばれてドキリとする。……様付けで呼ばれるのも悪くないな。
「この世界に救いはないんですか」
「ないんじゃない?」
急に何を言い出すのかと思えば。
アルカが何を見たのかは知らないが、俺はよく考えもせず即答した。
「神がいるのに。神は、完璧な存在ではないんですか」
「完璧なんて、そんなもんないよ。あいつら基本的に自分勝手だし」
期待しているところ申し訳ないが、あれらをよく知っている身としては、お世辞にも全知全能で慈愛と博愛に満ちた完璧な存在なんて言えるはずもない。
「それなら。それなら私は、何を目指して」
「それ前世の話でしょ? 言っちゃ悪いけど、現界のことなんてあんまり引きずるもんじゃないからね」
前世は前世だ。今とは関係がないし、現界の出来事を天界に持ち込むこともナンセンスだ。さっさと忘れてしまうか、きれいな部分だけをすくってあとは片隅で埃を被せておけばいい。
アルカは納得がいかないのか唇を噛んでいた。
まあ、彼女の境遇的にはその心情も分からないでもない。
これでやる気をなくされても困るし、ここは一つご高説たれようじゃないか。
「完璧はなくてもさ、それに近似することならできるんじゃない?」
「それは、どういう」
「うーん、そうだなぁ。何か行動して、失敗して、改善して、挑戦して、今度は成功して。そんでまた失敗する。この繰り返しが唯一完璧に近づく道でしょ」
「そうですけど。途方もないですね」
「そりゃあね。んでも、神にもできないことをするってんなら妥当じゃない?」
「そう、ですね」
俯きじっと地面に視線を滲ませていたアルカは、一つ、溜め息を吐いた。
「ルメル様」
「うん?」
「改めて、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ。君の働きには期待してるよ」
「ふふっ。お手を煩わせるかもしれませんよ?」
「なるべく早く自立してくれると嬉しいかな」
俺はそう言って、彼女に手を差し伸べる。
俺の手を取った彼女は、それを支えにしながら立ち上がった。
さてと、今さっき現界へと送った魂たちの後始末をしなくては。あー、天使長の仕事だりぃな。
俺は彼女の手を取ったまま、事務所へと飛んだ。
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