神様の影法師②
……なに、この状況?
目の前にはうつ伏せになって頭を踏まれた状態のネネがいた。
踏みつけているのは、フードを目深に被り体のシルエットがすっぽり隠れるように大きな黒いマントコートを着た小柄な天使? である。
ついでに言うと、その体躯に似合わない爬虫類のような形状をした太い足でネネのことを踏んでいる。
「どういう状況?」
よく分からないので、傍らにいるアルカに尋ねてみた。
「私にも分かりません」
アルカにもよく分からないらしい。その後ろに隠れながら様子を窺っているメイとアンなら知っているだろうか。いや、んなわけないか。
「君、所属と階級は?」
こちら側で事態の把握ができないなら、当事者である相手方に尋ねる他ない。さて、素直に答えてくれると楽なんだけど。
なんて思いも虚しく、仮称フードちゃんはフードの奥に覗かせる赤い双眸を細め、まるで獲物でも狙うかのごとくに睨みを効かせた。
やっこさん、どうやらやる気らしい。
面倒だな。アルカに……、いや荷が重いか。
なんて考えていると、フードちゃんは影すら置き去りにする速さで肉薄してきた。俺以外の他の面々は反応すらできていない。
ただまあ、俺だけを狙ってくれるのは不幸中の幸いか。
フードちゃんはネネを踏んづけていた足と同様に、瞬時にコートから出した左腕を変化させると、勢いをそのままに殴りかかってきた。
避けることもできるのだが、何かの拍子にアルカたちを巻き込みかねない。
ここは受け止めるしかなさそうだ。
右手を出してパシっとその巨大な拳を掴み、勢いを殺す。
しかし完全には受け止め切れず、衝撃は余波となってアルカたちを吹き飛ばした。吹き飛ばされてようやく、当人たちも何が起こったのか理解したらしい。
「ルメル様!」
吹き飛んだ先でメイとアンを庇いながら、アルカが俺の心配をする。
俺の心配より自分たちの方を安じて欲しいんだけどね。
「まだ続ける?」
少しだけ威圧的に尋ねてみると、フードちゃんは宙を蹴って距離を取った。
そんなに怖かったのだろうか。
というか言葉って通じてる?
天使だとは思うんだけど、いかんせん何も話してくれないから扱いに困るんだよね。仮にどこぞの雇われ天使なら、勝手に処分とかしたくないし。
せめて顔だけでも見えれば、知り合いかどうかの判別ができるんだけど。
早速願いが通じたのか、着地の反動で浮いたフードがパサっと脱げ、フードちゃんの顔が露になった。
黒いマスクをしていて全容は分からないが、人形のように作り物めいて整った幼い顔立ちに、夜闇に艶やかしく浮かぶ幻月をも凌いだその瞳も相まって、ある種の芸術的な美しさと可愛さを両立していた。
髪の毛は首元が見えるくらいに短く、色は基本的に真っ白ながら、輪っかを思わせる黒のラインがぐるりと走っている。
うん、こんな子知らない。見たこともない。
ではやはり野良? はたまた最近雇われた?
まあ何にせよ、動けないように拘束するくらいなら問題ないかな。
俺が動き出そうとするより早く、何かを察したようにフードちゃんが再び仕掛けてくる。
パン、と両手を合わせ、反発する磁石みたいに離した手の平の隙間に黒々とした丸い玉が出現した。
フードちゃんが両手を前に出すと、玉の輪郭が靄のようにぼやけて広がり、瘴気にも似た濁流が俺の方へと押し寄せてくる。
ちょっとくらい触ってみたい気もするけれど、十中八九ろくでもないことになりそうなので、軽く手刀をおろした。
案外大したことはなかったようで、濁流は手刀の一撃によって真っ二つに割れるばかりか、奥の玉を切り裂いてなお衰えることはなく、フードちゃんもろともその衝撃を届かせてしまった。
幸いなことに体を真っ二つにしてしまうなんてことにはならなかったが、フードちゃんは前屈みに自身の体を抱き、恨みがましく目を細めて俺を睨んでいる。
いやごめんて。そんな弱いと思ってなかってん。
でもこれに懲りたら大人しくしてくれへんかなぁ。
……そんなこと言ったらもっと怒るだろうか。それもそれでありだな。
ただ、どうやらフードちゃんはまだ諦める気がないらしい。
両手を開いてぎゅっと握ると、瞬間、俺の体が拘束された。
細い糸か何かが何重にも巻き付き、きつく締め上げてくる感覚。
なかなかの拘束力で、力づくで解こうにもこちらが傷を負いそうだ。
いいね。それで、次は何を見せてくれるんだい?
期待してフードちゃんの方を見ると、握った両手を震わせるばかりで動く気配はまるでない。どうにも拘束するので精いっぱいな様子だ。
あーあ、期待して損した。いやでも野良天使として見れば十分か?
まあでも、これだけやれば因果は巡るし天秤も傾くさ。
パチンと指を鳴らせば摩訶不思議。
俺の拘束は解け、代わりにフードちゃんが拘束される。
何が起こったのか分からない。驚愕に表情を歪めるフードちゃんはバランスを崩し、無様にもいも虫のようにうつ伏せになって地面に転がった。
それでもこちらを見上げ、なんとか拘束を解こうとする姿勢、その失わない闘志はあっぱれである。
ならばこちらも相応に対処しなければ無作法というものだろう。
フードちゃんの頭上に大剣を出現させる。
大剣は自由落下に任せて落ち、フードちゃんの体を刺し貫いた。
幅広の柄がフードちゃんの両肩をがっちり押さえ、刀身は深々と地面に飲み込まれて自力で抜くことはもはや適わない。
さあこれでもう身動きは取れないはずだ。取れないよね?
フードちゃんはあまりの痛みに敵意さえ忘れてしまったのか、声にもならない声で喘ぐばかりで、こちらを見ようともしてくれない。
やりすぎたかな。
周りを見ると、アルカやネネは絶句した様子で俺を見ていた。有り体に言えばドン引きしている。
メイは相変わらずキラキラと目を輝かせて、アンは明後日の方向を見ていた。こんな時でも変わらないのは、それはそれで怖いよ君たち。
さて、でもうーん、ここからどうしよう。
尋問でもするか?
素直に答えてくれるだろうか。
仮に答えてくれたとして、面倒ごとになるのは目に見えている。
聞かなかったことにするのも限度ってものがあるのだ。
それならいっそ、このまま放置してしまうというのも手だが。
ひゅー、っと風を切る音が聞こえた。
嫌な予感が脳裏を過ぎり、視線を上に向けると、案の定それは降ってきた。
とてつもない移動速度と、かなりの高度からの落下にも関わらず、それは一切の衝撃をその身に受け止め、軽やかに柔らかく地面に着地する。
そうして開口一番にこう告げた。
「どういう状況?」
因果は巡るとはよく言ったもので、やってきたのはルチアだった。




